Digital Transformation 第二話 営業部ヒアリング、入力に奪われた時間
第二話 営業部ヒアリング、入力に奪われた時間
火曜日の午前十時。藪内マコトは、ノートパソコンと調査項目をまとめた資料を持って、営業部のフロアを訪れた。
システム部の定例ミーティングで、黒木厳から調査を指示された翌日だった。
営業部のフロアでは、電話の声が途切れることなく聞こえていた。社員たちは顧客との打ち合わせを調整し、見積もりを作成し、社内の関係部署に確認を取り、次の商談に向けた準備を進めている。
藪内は、その様子をしばらく眺めてから、同期の武中ユウトに声をかけた。
「武中、時間を取ってもらって悪いな」
「おう。システム部の調査だって?」
「そう。先週の相談の件。まずは実際に、どんな仕事をしているのか教えてほしい」
「分かった。まあ、座ってくれ」
武中は空いている小会議スペースに藪内を案内した。机の上には、顧客との打ち合わせ資料と見積書の草稿が置かれていた。
「それで、何から話せばいい?」
「いつもの営業の仕事を、商談前から商談後まで順番に聞かせてくれ。特別なケースじゃなくて、普段の仕事でいい」
武中は少し考えた。
「まず、顧客と打ち合わせをするだろ。事前に過去の商談履歴を確認して、必要な資料を用意する。打ち合わせが終わったら、見積もりを作って、社内で確認を取って、次の提案を考える。そのあと、Salesforceに活動履歴や商談の進捗を入力する」
「その入力が大変だと」
「大変というか……毎回、そこで仕事が止まるんだよ」
武中は自分のパソコンを開いた。
「実際に見てもらったほうが早いな」
Salesforceの画面が表示された。
藪内は画面を見つめた。顧客情報、商談情報、活動履歴、関連リスト。機能がそろっていることは分かる。しかし、初めて操作する人間が、次に何をすればよいか直感的に判断できるかといえば、必ずしもそうではなかった。
「例えば、さっきの商談の記録を入れるとするだろ」
武中が画面を操作する。
「まず顧客を探して、その顧客に紐づいている商談を確認する。活動履歴を追加して、内容を入力する。商談の進捗が変わったら、商談情報のほうも更新する。必要なら次の対応予定も登録する」
「同じ顧客について、複数の場所を操作するんだな」
「そう。しかも、画面の構成や項目が分かりにくい。何をどこまで入力すればいいのか、慣れていても迷うことがある。項目名を見ても、営業部で使っている言葉とシステム上の言葉が微妙に違うんだ」
武中は一度、手を止めた。
「もちろん、使い方を覚えれば操作できる部分もある。でも、商談が終わった直後に、毎回これをやるのは結構な負担なんだよ」
藪内は、画面の操作を見ながらメモを取った。
「入力にかかる時間は、どれくらい?」
「商談の内容や更新する項目によるけど、簡単な記録だけなら数分で済むこともある。商談の進捗や次の対応まで更新するとなると、もっとかかる。調べながら入力したり、途中で電話が入ったりすると、さらに時間が延びる」
「それで、後回しになる?」
「なるね。急ぎの見積もりや顧客への返信があれば、そっちを先にする。すると入力がたまる。夕方になって、まとめて記録を入れようとすると、今度は細かい内容を忘れていることもある」
藪内は顔を上げた。
「つまり、入力が遅れることで、記録の正確さにも影響する可能性があるわけだ」
「そういうこと」
武中は苦笑した。
「俺たちだって、記録を残す必要があることくらい分かっている。顧客との約束を忘れたら困るし、担当が替わったときに情報がなければ引き継ぎもできない。売上の見込みを管理するにも、商談の状況は必要だ」
「入力そのものをなくしてほしい、という話ではないんだな」
「必要な記録は残したい。でも、記録を残すための作業が、営業の仕事を圧迫しているんだ」
その言葉を、藪内はそのままメモに残した。
しばらくして、武中はもう一つの問題を話し始めた。
「あと、情報が一か所で完結しないこともある」
「どういうこと?」
「顧客からのメールはメールで確認する。社内の相談はSlackでやる。見積もりは別の資料で作る。商談が終わったら、その内容をSalesforceに入力する。必要な報告を上司に出すために、また別の資料にまとめることもある」
「同じ情報を、何度も書いているのか」
「全部が重複しているわけじゃないけど、同じ内容を別の場所に書き直すことはある。どこに何が残っているのか、後から探すのも手間なんだ」
藪内はうなずいた。
Salesforceの画面だけを改善しても、問題のすべてが解決するとは限らない。営業記録の作成、社内共有、上司への報告。それぞれの仕組みが独立していることで、社員が情報を移し替える作業を負担している可能性があった。
「武中、もう一つ聞かせてくれ。Salesforceに入力した情報は、実際に仕事で使っている?」
武中は少し考えてから答えた。
「使っている情報はあるよ。顧客情報や商談の進捗は必要だし、過去の履歴が役立つこともある。ただ、入力した内容がどこまで活用されているのか、全部は分からない」
「管理職は、記録を確認している?」
「商談の進捗や売上の見込みは確認していると思う。ただ、入力した活動履歴の一つひとつが、どのように使われているのかまでは知らない」
藪内は、そこで質問を変えた。
「仮に、Slackで商談の報告をして、その内容をAIが整理してくれるとしたら、どう思う?」
武中の表情が少し明るくなった。
「それは助かるかもしれない。商談が終わってから、普段使っているSlackで要点を報告する。その内容を整理して、必要な情報だけCRMに登録できるなら、今より楽になると思う」
「AIが内容を要約して、顧客名や商談の進捗、次の対応予定を整理するような仕組みだ」
「ただし、ちゃんと正確に記録されるなら、だな」
武中は念を押した。
「AIが間違った金額を入れたり、次の対応期限を取り違えたりしたら、かえって困る。結局、全部を人間が最初から確認しなきゃいけないなら、手間が増えるだけだ」
「そのとおりだ。AIを導入すれば解決する、と決めつけることはできない」
藪内はメモに、確認事項を追加した。
AIによる入力支援を検討する場合、情報の正確性、担当者による確認、CRMへの登録方法、アクセス権限、記録の追跡可能性を調べる必要がある。
「それから、HubSpotやZoho CRMに替えたら、使いやすくなると思うか?」
武中は即答しなかった。
「画面を見てみないと分からない。今のシステムに慣れていない人だけじゃなく、俺たちも実際に操作して比較できるといいな。料金が安くても、結局使いにくかったら同じことになるから」
「実際の操作を試してもらう、ということだな」
「そう。顧客情報を登録して、商談を更新して、活動履歴を残して、次の対応予定を入れる。同じ作業をそれぞれのシステムでやってみる。どれくらい時間がかかるか、どこで迷うかを比べれば、少なくとも今より判断しやすくなると思う」
藪内は大きくうなずいた。
「ありがとう。かなり参考になった」
「俺の話だけで、全部を判断しないでくれよ。他の営業担当者だと、違う意見もあるだろうし」
「もちろん。複数の担当者と管理職にも話を聞くつもりだ」
武中は少し安心したようだった。
「なら、協力するよ。営業の仕事が楽になるなら、俺たちだって新しい仕組みを覚えること自体を嫌がっているわけじゃない」
藪内は、会議スペースを出る前に、もう一度だけ尋ねた。
「最後に。もし、入力の手間が減ったら、その時間を何に使いたい?」
武中は、間を置かずに答えた。
「顧客と話す時間を増やしたい。次の提案を考える時間も欲しい。営業って、相手の話を聞いて、何が必要なのか考える仕事だろ。入力に追われて、その時間がなくなるのは本末転倒だよ」
藪内は、その言葉を調査メモの最後に書き留めた。
営業担当者が求めているのは、記録を残さなくてもよいという自由ではなかった。
必要な記録を残しながら、顧客と向き合う時間を取り戻すことだった。
午後、藪内はシステム部に戻り、ヒアリング結果を整理した。
現時点で確認できたのは、武中個人の経験と意見である。営業部全体の実態を示すには、さらに調査が必要だった。
それでも、いくつかの論点は明確になっていた。
第一に、Salesforceの画面構成と入力項目が、営業担当者にとって直感的に理解しにくいこと。
第二に、顧客対応、社内共有、営業記録、管理職向け報告の間で、情報を移し替える作業が発生していること。
第三に、記録を入力する負担が、入力の遅れや記録の不正確さにつながる可能性があること。
そして第四に、営業担当者が必要としているのは、単なる入力作業の削減ではなく、顧客対応に使える時間の確保であること。
藪内は調査起案書を開き、ヒアリング結果を追記した。
まだ、HubSpotにするのか、Zoho CRMにするのか、それとも既存のSalesforceを改善するのか、結論は出ていない。
Slack AIとの連携も、実際の業務でどれだけ負担を減らせるのかを検証する必要がある。
しかし、調査の目的は少しずつ明確になっていた。
高機能なシステムを維持することが目的ではない。安価なシステムに置き換えることだけが目的でもない。
営業担当者が無理なく使え、必要な情報が正確に残り、会社がその情報を活用できること。
藪内は、ヒアリング結果を黒木厳に報告するための資料を作り始めた。
現場の声は、ようやく数字と検証可能な課題へと変わり始めていた。




