新章『黒木厳 - 晴海トリトン Zタワー編』 第九話 Chatbot(自動会話プログラム)
第十話 人とつながるということ
システム部の会議室。
大型モニターには、全社向けWeb説明会で使用する資料が映し出されていた。
表紙には、こう書かれている。
「IT問い合わせ対応の改善について――チャットボットによる一次受付の試行」
小林美咲が、最後のページを確認していた。
「よし。問い合わせの多い項目に絞って、まず試行する。解決できない場合は、従来どおりヘルプデスクにつなぐ。これなら、社員の皆さんにも説明できますね」
「費用についても、既存のMicrosoft 365環境で実現できる方法を前提にしています。ただ、使える機能とライセンスの範囲は、事前に確認済みのものだけを資料に記載しています」
山本悠斗が補足した。
高瀬由美が資料をめくる。
「運用責任者と、回答内容を更新する担当者も明記されていますね。これなら、導入したあとに誰も面倒を見ない、ということにはならないでしょう」
佐伯雅彦は、しばらく黙って資料を確認していた。
「分かりました。システム部としては、この内容で進めましょう。ただし、全社導入が決まったわけではありません。まずは試行です。結果を見て、その先を判断します」
「承知しました」
黒木厳も頷いた。
今回の提案は、システム部内で検討され、必要な確認を経て、部門としてのゴーサインが出た。
次は、人事総務部門との調整だった。
全社員に関わる施策である以上、システム部だけで一方的に説明会を設定するわけにはいかない。
人事総務部門に資料を送り、開催日時、参加対象者、説明会の進行、質問の受け付け方を調整する。
数日後。
全社員向けWeb説明会の招集メールが配信された。
件名は、
「IT問い合わせ対応改善に関する説明会のお知らせ」
開催時刻になると、画面上に社員たちの名前が次々と並んだ。
営業、経理、人事、総務、各事業部門。
普段は顔を合わせることのない社員たちが、ひとつの画面に集まっていた。
司会を務める人事総務の担当者が、説明会の趣旨を説明する。
続いて、佐伯がマイクをオンにした。
「本日はお忙しいところ、ありがとうございます。システム部から、IT問い合わせ対応の改善案について説明します。今日は導入を一方的に決める場ではありません。まず、試行の目的と内容をご理解いただき、ご意見を伺いたいと考えています」
小林が、資料を共有した。
パスワードの再設定方法。
アカウントロック時の対応。
よくある操作上の質問。
これまでヘルプデスクに繰り返し寄せられていた問い合わせの一部を、チャットボットで案内できないか。
定型的な質問への回答を効率化できれば、担当者は、個別の事情を抱えた社員への対応に、より多くの時間を使える。
小林は、そう説明した。
続いて山本が、仕組みと運用方法を説明する。
チャットボットが対応できない場合は、従来の問い合わせ窓口につなぐ。最初から人に相談したい社員のための窓口も残す。
説明が終わると、司会者が質問を募った。
最初の数人は、具体的な操作方法や、利用開始時期について質問した。
そして、一人の社員がマイクをオンにした。
「すみません。私は、この取り組みには反対です」
画面上の空気が、わずかに変わった。
司会者が答える。
「ありがとうございます。差し支えなければ、理由をお聞かせいただけますか」
社員は、落ち着いた声で話し始めた。
「システム部の皆さんが、問い合わせ対応に時間を取られていることは分かります。効率化が必要だということも、理解できます」
一度、言葉を切った。
「ただ、私は、人とつながるから組織が成り立つのだと思っています」
誰も、すぐには口を開かなかった。
「社員が困ったとき、誰かに相談する。担当者が話を聞く。そのやり取りの中で、質問されたこと以外の問題が見つかる場合もあります。部署間の連携が必要だと分かったり、本人がうまく説明できなかった悩みが見えてきたりすることもあるでしょう」
社員は、続けた。
「問い合わせを効率化することばかり考えて、人と人との接点を減らしてしまっていいのでしょうか。私は、そこが心配です」
小林は、画面を見つめていた。
山本も、すぐには答えなかった。
二人は、問い合わせの件数を調べ、よくある質問を分類し、どうすれば社員が迷わず問題を解決できるかを考えてきた。
その中に、人と人とのつながりまで含まれていたのか。
そこまで、十分に考えられていただろうか。
司会者が、システム部に回答を促した。
佐伯はマイクをオンにする前に、短く息を吸った。
「ご懸念は、よく分かります。今回の試行は、人との相談をなくすことを目的にしたものではありません。定型的な問い合わせへの対応を補助し、個別の事情がある相談には、引き続き人が対応できるようにする。その考え方で設計しています」
「ですが、実際に運用を始めたとき、社員が人に相談しにくくなる可能性はありませんか」
「その可能性も含めて、試行の中で確認する必要があると思います」
佐伯は、言い切った。
「使いやすさだけでなく、必要なときに人につながれるか。そこも評価の対象にします」
反対した社員は、少し考えてから頷いた。
「分かりました。実際にどう運用されるのか、見ていきたいと思います」
司会者が、ほかの質問を募った。
説明会は、その後も続いた。
黒木は、マイクをオフにしたまま、画面を見ていた。
チャットボットを使えば、定型的な質問への回答は早くなるかもしれない。
しかし、仕事で困っている人が求めているものは、いつも正確な回答だけとは限らない。
自分の状況を理解してほしい。
何が問題なのか、一緒に整理してほしい。
どこに相談すればいいのか、教えてほしい。
そうした要望は、問い合わせの分類表だけでは、すべて把握できない。
だからといって、すべての質問を人が受け続ければ、担当者の時間は限られている。
人とのつながりを守るために、担当者を疲弊させてしまうのも、違うだろう。
必要なのは、どちらかを選ぶことではない。
人が対応すべきところに、人がきちんと対応できる仕組みをつくること。
黒木は、手元のノートに一行だけ書いた。
――効率化によって、何を減らし、何を守るのか。
説明会の終了後、若手たちは資料を閉じた。
提案は、否定されたわけではない。
しかし、システム部内で承認されたときには見えていなかった問いが、全社に説明したことで浮かび上がった。
黒木は、ノートを閉じた。
システムをつくることと、組織をつくること。
その二つは、似ているようで、同じではなかった。




