新章『黒木厳 - 晴海トリトン Zタワー編』 第五話 Digital Reputation Management(デジタル・レピュテーション・マネジメント)
第五話 社内で撮った動画、社外に出た信用
午後二時十七分。
黒木厳のOutlookに、一通の会議招待が届いた。
差出人は、三つ巴物産HDの法務部門だった。
件名は、
「SNS投稿事案に関する事実確認および対応協議」
開催方法はWeb会議。
参加者には、法務部門、人事部門、広報部門、情報システム部の佐伯部長、関係する経営幹部、財務・IR担当者の名前が並んでいた。
そして、黒木の名前もあった。
参加区分は、オブザーバー。
黒木は招待内容を確認し、承諾のボタンを押した。
自分が会議を招集したわけではない。
議題を決めたわけでもない。
誰を呼ぶか決めたわけでもない。
法務部門が主催し、人事部門が協力する。必要な経営幹部が参加し、関係部門がそれぞれの立場から事実を確認する。
その会議に、黒木は招かれた。
それだけのことだった。
黒木はノートを開いた。
動画の投稿時刻。
投稿が確認された時刻。
社内から報告が上がった時刻。
そして、情報システム部門として確認できていることと、まだ確認できていないこと。
余計な推測は書かない。
技術的に分からないことを、分かったように書くこともしない。
準備を終えると、黒木は会議の開始時刻を待った。
*
午後二時三十分。
Web会議が始まった。
画面には、複数の参加者が並んでいた。
法務部門の担当者が進行役を務め、人事部門の担当者がその隣にいた。広報部門からは、報道対応を担当する社員が参加している。
佐伯部長の映像もあった。
そのほかに、経営幹部と財務・IR担当者。
黒木はマイクをミュートにし、カメラをオフにした。
会議の冒頭、法務部門の担当者が口を開いた。
「本日はお集まりいただき、ありがとうございます。まず、現時点で確認できている事実と、未確認の事項を分けて整理したいと思います。そのうえで、関係者への聴き取り、対外説明、今後の対応について協議いたします」
声は落ち着いていた。
少なくとも、会議の進行役は、最初から誰かを責めるつもりではないようだった。
「最初に確認したいのは、今回の問題を、顧客情報の映り込みだけに限定してよいのかという点です」
法務担当者は続けた。
「動画の背景に業務情報が映っていた可能性があります。ただし、それだけが問題なのではありません。社内で動画を撮影し、それを外部のSNSに投稿したという行為についても、確認が必要です」
黒木は、ノートに一行を書き加えた。
撮影。
投稿。
情報の映り込み。
三つは関係しているが、同じ問題ではない。
*
人事部門の担当者が発言した。
「まず、当該社員への聴き取りを行いたいと考えています。撮影した場所、撮影の目的、投稿に至った経緯、社内ルールの認識などを確認します」
広報部門の担当者が続いた。
「対外説明については、確認できた事実を基に準備します。ただ、現時点では、動画に映っていた情報の判読可能性や、第三者がどこまで取得できたのかについて、断定できない部分があります」
「その点は、法務でも確認します」
法務担当者が答えた。
「なお、社員への聴き取りは、最初から懲戒を前提とするのではなく、事実関係を把握するために実施します。社内規程との関係や、必要な対応については、その結果を踏まえて検討します」
経営幹部の一人が、画面越しに尋ねた。
「そもそも、社内で動画を撮影することは禁止されているのですか」
人事担当者は、手元の資料を確認した。
「撮影場所や目的、業務情報の取り扱いなどによって、適用される規程が異なる可能性があります。今回のケースについては、具体的な撮影場所と状況を確認したうえで、関連する規程を照合します」
「つまり、撮影したという事実だけで、直ちに規程違反と断定するわけではないということですね」
「はい。ただし、顧客情報などの業務情報が映り込む可能性のある場所で撮影し、それを社外に投稿したことについては、慎重に確認する必要があります」
黒木は黙って聞いていた。
社内で写真や動画を撮ること自体が、あらゆる会社で一律に禁止されているわけではない。
しかし、撮影が許されることと、業務情報が映り込んだ動画を外部に投稿してよいことは、別の話だ。
会社のルールがどうなっていたのか。
社員は何を知っていたのか。
そして、そのルールは実際の職場で守れるものだったのか。
それらを確かめる必要がある。
*
会議は、技術的な確認事項に移った。
「情報システム部門から、現時点の確認状況をお願いします」
法務担当者が佐伯部長に話を振った。
佐伯は、落ち着いた口調で説明した。
「現在、動画に映り込んだ可能性のある情報と、投稿の公開状況について確認を進めています。影響範囲については、まだ調査中の事項が残っています」
「顧客情報が外部に流出したと、現時点で断定できますか」
「現時点では、断定できません。動画の内容と公開状況を確認したうえで、引き続き調査します」
佐伯は、そこで一度言葉を切った。
「技術的な確認事項については、必要に応じて担当者から補足します」
黒木の名前は呼ばれなかった。
黒木も発言しなかった。
彼は、佐伯部長の説明を聞きながら、すでに確認できている事項と、これから確認しなければならない事項を頭の中で整理していた。
会議の参加者は、それぞれ違う問いを持っている。
法務は、法的な問題がないかを確認する。
人事は、社員への聴き取りと社内規程との関係を確認する。
広報は、社外に何を説明できるのかを考える。
経営幹部は、会社として何を判断すべきかを見極める。
財務・IR担当者は、市場や投資家への影響を検討する。
そして、情報システム部門は、技術的な事実を確認する。
誰か一人が、すべてを決めれば済む話ではなかった。
*
財務・IR担当者が発言した。
「今回の件について、市場への影響も確認する必要があると考えています。情報の重要性や影響範囲を把握し、必要な情報開示の要否を検討します」
別の参加者が尋ねた。
「株価への影響は、どの程度と考えればよいでしょうか」
「現時点で、具体的な影響を予測することはできません。まずは事実関係を確認し、開示が必要となる情報に該当するかどうかを検討します」
黒木は、そのやり取りを聞いていた。
株価の話が出ると、会議の空気が少し変わる。
顧客への影響。
会社の信用。
報道への対応。
投資家への説明。
それらは互いに関係している。
しかし、だからといって、確認できていない事実を基に市場への影響を断定することはできない。
経営判断には、技術的な情報だけでは足りない。
だからこそ、各部門がそれぞれの専門性を持ち寄る必要があるのだろう。
*
会議の終盤、人事部門が今後の予定を説明した。
「当該社員への聴き取りについては、法務部門と調整のうえ、実施します。撮影の状況、投稿の経緯、社内ルールの認識を確認します。その結果を踏まえて、必要な対応を検討します」
法務担当者が補足した。
「情報システム部門には、技術的な確認を継続していただきたいと思います。聴き取りの際に技術的な質問が必要になれば、改めて参加をお願いすることになるでしょう」
佐伯部長が答えた。
「承知しました。こちらでも、確認できた事実と未確認事項を整理し、必要な情報を共有します」
それで、黒木の役目は終わった。
会議の最後まで、黒木が発言を求められることはなかった。
彼は誰かを問い詰めなかった。
処分について意見を述べることもなかった。
広報の発表文に口を出すこともなかった。
会議が終了すると、画面に参加者の退室表示が次々と現れた。
黒木も、Web会議を閉じた。
*
午後三時二十六分。
黒木はノートを見返した。
そこには、三つの言葉が並んでいた。
**撮影。投稿。管理。**
顧客情報が映っていたかどうか。
それは、確かに重要な問題だ。
しかし、それだけを確認して終わりにするわけにはいかない。
なぜ、業務を行う場所で動画を撮影したのか。
撮影することについて、どのようなルールがあったのか。
なぜ、投稿する前に、背景に映り込んだ情報を確認しなかったのか。
そして、会社は、社員がそうした判断をできるように、必要なルールと教育を整えていたのか。
本人の行為を確認することと、会社の管理体制を検証すること。
その二つを、混同してはいけない。
黒木はノートを閉じた。
今回の対応を主導するのは、法務と人事だ。
会社として何を説明するかを決めるのは、広報と経営側だ。
情報システム部門には、技術的な事実を確認する役割がある。
黒木は、その役割を越えない。
必要な連絡があれば対応する。
確認を求められれば、分かっていることを正確に伝える。
それまでは、待つ。
窓の外には、晴海の午後の景色が広がっていた。
社内の動画一本から始まった問題は、すでに一人の社員だけでは収まらないところまで広がっている。
けれど、まだ、分かっていないことも多い。
黒木は、次の仕事に取りかかった。
危機が起きたからといって、会社の通常業務がすべて止まるわけではない。
そして、通常業務の中にこそ、次の危機を防ぐために見直すべきものが、残っているのかもしれなかった。




