新人歓迎会
メリッサおばさんに腕を掴まれて連れ込まれた食堂は、おいしそうな手料理の匂いと活気に満ちていた。
だが、真っ先に目に飛び込んできたのは、料理ではなく、黒い修道服の上にエプロンを重ねたマリエルだった。彼女は甲斐甲斐しく皿を並べていた。
「今日はたまたま修道女様が組合に来てくださっていてね。あたしゃ、畏れ多いからってお断りしたんだけどさ……」とメリッサ。
「治癒のご奉仕が早く終わりましたので、お手伝いさせていただいています」
マリエルが目を伏せて説明した。
「修道女様を働かせるなんてねえ、罰が当たらないか、あたしゃ心配だよ」
「ご安心ください。食事をいただけるのですから、むしろ感謝しております」
マリエルはそう言って微笑んだ。
メリッサおばさんと話しているマリエルは、駅馬車で会った時よりもずいぶん表情が柔らかいように、理一郎には感じられた。
テーブルには質素ながらも手の込んだ料理が並んでいる。メリッサおばさんの愛情のこもった手作り料理の匂いが、食欲を刺激した。
「さあさあ、お祝いだからね、今日だけは組合のおごりだよ。どんどんお食べ!」
メリッサおばさんとマリエルは、大皿を次々と運んでくる。
「こんなに?」
理一郎が驚くのを見て、メリッサおばさんが豪快に笑った。
「なに言ってんだい、まだ食べ盛りだろ。ジルバウを見てごらん」
ジルバウはさも当たり前のような顔をして、皿に手を伸ばしていた。サマンサもすました顔で席に着いている。
「それに、あんた大時計塔も直したんだろ? 街の英雄じゃないか。これくらいのねぎらいは当然だよ」
おばさんは煮込んだ肉の塊を理一郎の皿に載せながら、豪快に笑う。
「冒険者組合で四十年以上食堂を切り盛りしてきたけど、あんたみたいな珍しい魔法使いは初めてさ。これからも頑張っておくれよ」
「ああ、ありがとう」
* * *
テーブルに一通りの料理が運ばれてきた頃、アリアがやってきた。
「おめでとう、理一郎くん。四級からなんだって? すごいね! わたしなんてまだ五級なんだよ」
アリアが快活に微笑みながら、隣に座った。
「今日が授業じゃなければなあ、わたしも応援しに行ったのに。ねえ、どんなふうだったの?」
理一郎は森での出来事について、順を追って話しはじめた。サマンサとジルバウも料理をほおばりながら、それを補足する。少し離れた席で報告書を書いていたエリーゼも、話に加わった。料理と給仕を終えたメリッサおばさんとマリエルもテーブルの端で食事を始める。
今日の出来事を一通り話し終わると、エリーゼが訊いた。
「ところで理一郎さんは、どれぐらいのペースで依頼を受けられそうですか?」
「まだ結論は出していない。研究と生計のバランスを模索中だ」
「研究……ですか?」
エリーゼの問いには、純粋な好奇心がにじんでいた。
「そういえば、あなた、学者さんなのよねえ」とサマンサ。「とてもそうは思えないわよ」
理一郎はうなずいた。
「俺は物理学者だ。目指しているのは、世界を束ねる一貫した理論体系。すべての現象を記述可能な枠組みの確立、すなわち世界の理の追求だ」
この世界に存在する魔法。それは、元の世界では観測されたことのない現象だ。
――だが、物理的な現象である以上、それを許す法則があるはずだ。
実際、これまで見聞きした限り、通常の物理現象は元の世界と同じ法則に従っている。ならば、魔法だけが物理法則の外にあるとは考えにくい。
――前の世界で奪われた俺の研究には、まだ見落としている構造があるのかもしれない……。
――おそらく、魔法という現象まで含めて矛盾なく記述できなければ、俺の世界理論とその結晶である世界方程式は完成しない。
「そのためには、魔法という現象を追究し、この世界の理も研究しなければならない」
「だったら」と、それまでじっと聞いていたアリアが口を開いた。
「やっぱりわたしの指導教官に会ってみるといいよ」
「前に言ってた人か」
「うん。あの時は話さなかったけど、指導教官は王立アカデミアの総長なんだ」
「おや、ラランドランドララ大博士かい? 大物中の大物じゃないか!」
サマンサが驚く。どうやら有名人らしい。
「総長?」
「王立アカデミアには二十以上の専門院があるんだけど、その全部を束ねている人」とアリア。
理一郎がきょとんとしていると、メリッサに背中を叩かれた。
「学都の司政長も務めてるしね。坊や、要するにここらで一番偉い人だよ!」
理一郎が顔をしかめた。叩かれたのが痛かったからではない。
「あ! 理一郎くん、そんな人に会うのは面倒だと思ったでしょ」
図星だった。
「絶対会ったほうがいいよ。世界で一番魔法に詳しい人だから、理一郎くんの魔法を調べるにはうってつけだもん。もちろん一般的な魔法の研究もできるよ。それに、科学系の専門院にも伝手は多いから、物理学を研究する道が開けるかも。そして――」
アリアは一呼吸置いた。
「これが一番、理一郎くんには興味があると思うけど、『理の書』のことを知ってるの」
「『理の書』?」
理一郎の目が輝いた。
「大昔の魔導書。当時の大賢者が、この世界の根源的な法則について記したと言われているの」
理一郎が身を乗り出す。
「それはとても興味深い。その大博士が所有してるのか?」
「わからないけど、でも、なにか知ってると思う」
「そうか。ならば面会させてほしい」
思わずアリアの手を握って頼んでいた。
「いつがいいか、先生に都合を聞いてみるね」
アリアの顔が赤い。
「あ、すまん」理一郎も顔を赤らめ、あわてて手を離した。
「理一郎さん」エリーゼが肩を叩いた。「魔法の実践なら依頼をこなすのが一番ですよ。しかも報酬が出るんですから、一石二鳥です。どんどん受けてくださいね。組合も助かりますから。なにか困ったことがあれば、いつでも相談してください」
「坊やはもっと食べなきゃだめだ。お腹が空いたらいつでもおいで」とメリッサ。
マリエルは会話には加わらず伏し目がちにゆっくりと食事をしていた。皆の声に静かに耳を傾けているようでもあった。
* * *
お腹いっぱいになってギルドから出た頃には、すっかり日が暮れていた。
「今日は夕飯、助かっちゃった。理一郎くんのおかげだね」
アリアが弾んだ声で言う。
「メリッサさんはあれが普通なのか?」
「どういうこと?」
「人との距離が近いというか……」
総じてこちらの世界の人間は他人との距離が近いように思う。社会がコンパクトだからか、あるいはeメールやSNSがないためだろうか。
「組合の肝っ玉母さんだからね。豪快な人だけど、いい噂しか聞かないよ」
「坊やと呼ばれるのは、どうも据わりが悪い」
たとえ今は十七歳だとしても、もはや〝坊や〟という歳ではないだろう。
「わたしだって〝アルタイルさんとこのお嬢ちゃん〟だよ。人の名前を覚えるのが苦手なのかな。長生きしているとたくさんの人に会うもんね」
アリアが笑う。
「本質的な問題はそこではないと思うが」
理一郎の口角も釣られて上がる。
学都に街灯がともり、街全体が柔らかな光に包まれていた。
ひとつ、またひとつと窓に明かりが増えていく街並みを、理一郎は歩きながら眺める。元の世界では、夜道を急ぐとき、こんなふうにゆっくりと明かりを目で追ったことなどなかった。
隣を歩くアリアが、今日の歓迎会のことを楽しそうに話している。その声に相槌を打つだけで、胸のあたりが、ふしぎと和らいでいた。
「明日は、いよいよ王立アカデミアだね」
アリアの言葉に、理一郎はうなずく。
この世界の叡知の中枢――。そこで何を確かめられるのか。
胸の奥に、失ってしまったと思っていた高ぶりがあった。




