総長ラランドランドララ(前編)
この日、理一郎はアリアに連れられて、王立アカデミアを訪れた。
主教授棟の正門の両側に、二柱の神像が立っていた。
一方は手に書物を、もう一方は三叉の杖を掲げている。
それを見上げる理一郎に、アリアが説明した。
「〝知の双神〟だよ。この世界の、知の神さま。せっかくだから、言い伝えを聞かせてあげる」
アリアは、少し節をつけるように、古い神話を語りはじめた――。
* * *
太古の昔、世界がまだ混沌と秩序の狭間にあった時代、
宇宙の中心で、一つの存在が輝いていた。
その名は「知」、全ての真理を宿す神なる光。
星々の秘密を紡ぎ、時の流れを読み解く「知」は、
無限の力を持ち、宇宙の法則を自在に操った。
だが、ある日「知」は、自らの姿に映る影を見た。
その影は世界を呑み込む闇となり、
全てを滅ぼす災いとなりかねなかった。
「知」は深く思索した。
「我が力は、諸刃の剣。 使い方を誤れば、世界を滅ぼす業火とならん。
されど、我が光を消せば、世界は二度と明けぬ闇に閉ざされん」
長き沈黙の後、「知」は決断を下した。
自らを二つに分かつという決断を。
眩い光の中、「知」は二つの存在となった。
一つは、全ての事実を集める者、サイエンティウス。
もう一つは、真理の意味を紡ぐ者、サピエンティオス。
サイエンティウスは星の数ほどの知識を集め、
永遠の書庫に収めた。
手には、その全てを読み出せる書物があった。
サピエンティオスは知識の海から真珠を探し出し、
その意味を紡ぎ出した。
手には、知恵の糸を紡ぐ三叉の杖があった。
二柱の神は互いに寄り添い、言葉を交わした。
「我らは一つにして二つ、二つにして一つ。
知識なき知恵は空虚な器、知恵なき知識は暴走する馬車。
共に手を取り、世界の均衡を守らん」
かくして、サイエンティウスとサピエンティオスは、
世界に知識と知恵をもたらす双子の神となった。
今もなお、二柱の神の光は世界を照らし続ける。
知識の月と知恵の月が夜空に輝く限り、
世界は調和を保ち続けるだろう。
* * *
「――つまり、知識と知恵のバランスなくして知の発展はないって言い伝えられているの」
アリアは暗唱し終えると、理一郎に説明した。
「この教えが王立アカデミアの礎であり、学びの指針になっているんだよ」
――なるほど。
知識をいくら積み上げても、正しく扱う知恵がなければ、災いにもなりうる。原子の構造を解き明かした人類が、その知識で何をしたかをみれば自明だ。
「興味深いな。この世界では知をそのようにとらえているのか」
「学都に入った時の西門には、もっと大きいのがあったでしょ」
「像が立っていたのは記憶している」
「この門の上に刻まれている天秤の図形が、王立アカデミアの校章だよ。右の皿が知識、左の皿が知恵を表してて、釣り合っている状態を表してるの」
「知識の神が持っている書物をぜひ読んでみたいものだ」
この日の午前、理一郎とアリアは、王立アカデミアの総長であるラランドランドララ大博士に会いに来た。
その大博士について理一郎が尋ねても、アリアは「千年以上生きている、とても賢い人。そしてアカデミアと学都ミレトスの頂点に立つ、とても偉い人」としか教えてくれなかった。「会った時の楽しみが減っちゃうもん」と言うのだ。
アリアに案内されてキャンパスを歩くと、すれ違う学生たちの視線が理一郎の白衣に集まった。
(あれ、誰?)
(冒険者? でもあの格好……)
ひそひそ声が背中を追いかけてくる。理一郎は気にする様子もなく、メガネの位置を直して歩き続けた。
教授棟は荘厳なゴシック建築で、広大なキャンパスに立ち並ぶ建築物の中でも、ひときわ威容を誇っていた
青みがかった石で造られ、何本もの尖塔が空を突き刺すように林立している。建物正面にも平衡状態の天秤を象った黄金の紋章が輝いている。その下には古代文字でアカデミアの銘が刻まれていた。
玄関ホールに入ると、大理石の床に足音が響く。巨大な螺旋階段や回廊が幾重にも重なり、建物の中はまるで迷宮のようだ。
ロビーでは、若い女性が二人を待っていた。黒のタートルネックに黒のレギンスという動きやすい身なりで、茶色の髪を編んで片側に垂らしている。広い額と薄い唇が理知的な雰囲気を漂わせているが、身体能力も高そうだ。
「総長付き秘書のソフィアです」
簡潔に自己紹介すると、ソフィアは無駄のない動作で二人を案内しはじめた。
「ソフィアさん、お久しぶりです。今日はよろしくお願いします」
アリアの挨拶にソフィアは小さくうなずいた。
三人は螺旋階段を上っていく。理一郎は、ソフィアにラランドランドララについて質問しようとしたが、その凛とした雰囲気に圧倒され、言葉を呑み込まざるをえなかった。
最上階の総長室の前で、ソフィアは立ち止まり、扉をノックする。
「ラランドランドララ総長、物部理一郎様とアリア・アルタイル様がお見えです」
中から「どうぞ」という声が聞こえた。
ずいぶん若々しい――というより幼い声だった。
理一郎は、中にも別の秘書がいるのだろうかと思いながら部屋に入る。
そこは、驚くほど広い執務室だった。
壁一面にしつらえられた書棚は書物で埋め尽くされ、古い羊皮紙の匂いが漂う。
暖炉の上には歴代の総長の肖像画が金色の額縁に納められ、アーチ型の大きな窓からはアカデミアのキャンパスが一望できた。
室内は落ち着いた茶色のトーンで統一され、厚手のカーペットが足音を吸い込む。暖炉の前には深紅のビロード張りのソファセットが置かれ、その傍らで真鍮の燭台が静かな明かりをともしていた。
繊細な装飾が施された大きな執務机が、窓を背にして置かれている。その上には整然と書類が積まれ、羽ペンと魔法のインクが備えられていた。周りには不思議な形をした魔法の器具が雑然と置かれ、青く淡い光を放っている。
その机の向こうに、色白の少女が座っていた。
やや青みがかった長い銀髪をツインテールに結っている。
――耳が、長い?
アリアが小声でささやいた。
「彼女がわたしの指導教官、ラランドランドララ大博士よ」
理一郎は思わず「え!?」と声を上げてしまった。
アリアはいたずらっぽい笑みを浮かべて、理一郎の驚いた顔をのぞき込む。
半信半疑のまま、理一郎はとりあえず頭を下げた。礼儀を知らないわけではないのだ。
「アリア君、彼が理一郎君かい?」
アリアはスカートの裾をつまんで一礼する。幼い頃から知る大博士への親しみと畏敬が、その仕草に混ざっていた。
「そうです、先生」
ラランドランドララ大博士が静かに立ち上がった。
「やあ、理一郎君。私がアリア君の指導教官のラランドランドララ・シルヴァニウスだよ。長い名前で覚えにくいよね。でもね、本当はもっといろいろくっついててね、とても長いんだ。これでも簡略化してるんだよ」
ダークブラウンを基調とした長いガウンのような総長服が、ツインテールの銀髪と美しいコントラストを描いている。その姿は、耳の形を除けば人間の少女そのものだ。しかし、その瑠璃の瞳の奥には、千年の時を超えた叡智が静かに輝いている。
「物部理一郎だ。物部が姓だ」
その言い方に、アリアがあわてる。
「理一郎くん、先生には敬意を払って。学都の伝説的な人物なの」
「いいよ、アリア君。理一郎君には自然体で接してほしいからね」
ラランドランドララは机から離れ、ゆっくりとした足取りで理一郎のほうへ向かった。
軽やかに歩いてくるが、一歩一歩に得もいわれぬ風格がある。それは、まるで時の流れそのものを体現しているかのような動作だった。長いツインテールが、彼女の動きに合わせてゆるやかに揺れる。
「どうやら、アリア君にからかわれたようだね。いかにも賢者然とした老人でも想像していたんじゃない?」
どこからどう見ても、中学生ぐらいの少女にしか見えない。
「あんた――いや、あなたが王立アカデミアの総長なのか」
理一郎もラランドランドララからただならぬオーラを感じ、無意識に口調を正した。
「そうだね。いろいろ便利だから、ずいぶん前から引き受けてるんだよ。ミレトス司政長っていう面倒な役目も押しつけられてる」
「千年生きているというのは、本当なのか?」
「もうよく覚えていないんだよね。たぶんもっと長いと思うけど、面倒だから切りのいい数字にしているんだ」
「先生はエルダーエルフなの。神話時代から続く種属で、寿命がないとも言われてるんだよ」
「そんな長い人生を生きるのであれば、時間の感覚はヒトとは違いそうだな」
「若い頃はね。時間の使い方が短命種族とは合わなくて、いろいろすれ違いもあったけど、さすがにこれだけ長く生きているとね、相手の感覚に合わせる術も覚えるよ」
「記憶はどう整理してるんだ。すべて覚えているのか?」
「まさかね。そんなことは不可能だよ。君たちだって、全部は覚えてないだろう。肝心なのはなにを忘れるか、なんだよ。若く見える秘訣はね、歳を取るのも忘れちゃうことなんだ」
本当かという顔で自分を見つめる理一郎に、ラランドランドララはすました顔で言う。
「エルフ冗句だよ。昔は受けたんだけどな。それにしても――」
ラランドランドララは理一郎の前まで来ると、じっと目をのぞき込む。
芸術品のように整った小さな顔を目の前にして、理一郎は息を止めて固まってしまう。緊張するなど、ここ何年もなかったことだ。
「ふーん……」
ラランドランドララは、首をかしげる。
「なんだろうね、これは……」
「なんだ?」と理一郎。
「まあ、いいよ。とりあえず座って」
何事もなかったように、ラランドランドララがソファを勧めた。
みんなが座ると、ソフィアが音もなく紅茶をテーブルに用意し、同じように静かに控え室に戻っていった。
大博士がカップを持ち上げ、香りを楽しむように目を細める。そのどうということのない、だが流れるように自然な仕草が、理一郎の目にはとても優雅に見えた。何百年という時が、その所作に溶けこんでいるようだった。理一郎は、少女のような外見の芯にある、途方もない年輪を肌で感じ取っていた。
アリアは理一郎の横で、背筋をぴんと伸ばして座っている。不作法があればすぐに止められるよう、横目で理一郎の様子をうかがっていた。
「理一郎君は面白い魔法を使うそうだね。アリア君から聞いているよ」
ラランドランドララはゆっくりとカップを置き、理一郎をじっと見つめた。その視線は、まるで珍しい標本を観察する生物学者のようだった。
「それにしても、君にはいろいろ秘密がありそうだね」
ここに来る前にアリアと話し合って、ラランドランドララには異世界人であることを打ち明けることに決めていた。そして実際に会ってみて、とてもこの人物に秘密など持てないことも実感した。理一郎は、自分が異世界人であることを打ち明け、物理学魔法が使えるようになったこと、その物理学魔法がどんなものであるかを話した。
理一郎が説明し終えると、ラランドランドララは表情を変えることなく、ただ目を細めた。何か興味深い実験結果を目にしたときの研究者のようにも見える。
「なるほどね、異世界からね。……私も長生きしているけど、異世界人には初めて会ったよ。……うん、そうか、だから君には魔力がないんだな。その代わり、私も知らない別の力を持っているようだね。それが君のユニークな魔法の源になっているのかな」
「魔力を使わないのに魔法と言えるのだろうか」
「うん。それはぜひ調べてみたいことの一つだね。だけど今は、君のもう一つの秘密が気になるな」
理一郎は息を呑んだ。
――もう一つの秘密? まさか、歳のことか?




