総長ラランドランドララ(後編)
理一郎が身構えたのは、十七歳の体に四十二歳の意識――その秘密を見抜かれたかと思ったからだ。
だが、ラランドランドララが口にしたのは、別のことだった。
「君、呪われてるよ」
「え? 呪い? 特に不調は感じないが……」
「ほんとなんですか?」とアリアも驚いている。
「記憶の一部が封印されてるね。宗教の連中が得意な呪いだよ。解いてあげようか?」
理一郎はアリアと顔を見合わせる。
「確かに、なにか思い出せないことがあるような気はしていた」
「完全に消えてないんだよ。下手な術士だったのが幸いしたね」
「なにがあったかは思い出したいが、脳に干渉するのだろう? 危険はないのか?」
「解呪術の中でも簡単なほうだよ」
ラランドランドララはこともなげに言う。
だが、アリアの少し心配そうな表情を見ると、それほどたやすいことだとも思えない。
その理一郎の不安を察して、アリアがことさら明るく言った、
「先生なら大丈夫。先生に解いてもらえるなんて、すごいことなんだよ」
その言葉に後押しされて、理一郎はうなずく。
「理解した。お願いしたい」
「なら、ここにおいで」
大博士は理一郎をひざまずかせると、触ると折れてしまいそうな美しい指で、理一郎の額に小さな魔法陣を書いた。
ぱちっ!
頭の中で何かが弾けた。そして、神殿での記憶が洪水のようにあふれ出してきた。
「俺は……、そうか、思い出した。俺は神殿に召喚された」
理一郎はソファに戻ると、エクリプス神殿での出来事を話しはじめた。
アリアは息を詰めて話に聞き入る。彼女の指先は、制服のローブの端を無意識に握りしめていた。
理一郎は思い出したことのすべてを話した。千年の歳月が神殿に蓄積した魔力。その魔力を、千年に一度の天文現象で解放して行った非公式の召喚儀式。執り行ったのはイグナティウス大司教とモンフォール軍務卿。理一郎の話は整理されていて、ラランドランドララにもアリアにも理解しやすかった。
「三星蝕の日に起きた魔力異変は、そういうことだったんだね」
ラランドランドララは立ち上がり、窓際まで歩いた。
「イグナティウスは星教派の教主だね。統一教団は神殿の魔力解放は自然現象だと説明していたけど、イグナティウスが事実を隠蔽したのかな。勇者召喚は禁忌として封印されて久しいんだ。一体誰が暴いたんだろう。宮廷に無断でとなると、かなりの大事だよ」
大博士の声には、珍しくわずかな感情のゆらぎが混じっていた。
しばらくの沈黙が流れた。窓から差し込む光が、ラランドランドララの銀髪を淡く照らしている。どう対処すべきか考えているようだった。
やがて考えがまとまったのか、振り返り、声を少し落として理一郎に言う。
「理一郎君、君の記憶が戻ったことは、公には伏せておくことにしよう」
「なぜだ?」
「君を召喚した二人は、王国でも教団でも大きな権力を持っている。自分たちのしでかしたことを君が思い出したと知ったら、間違いなく面倒なことになるよ」
アリアの顔が強張った。
「そんな……」
「アカデミアでも、君が召喚された異世界人であることを知る者は最小限にしておこう。君について外部からの照会があった場合は、君は記憶喪失者だと回答する。冒険者組合でもそうするよう、レオン君に話しておくよ」
「アリア君も、このことは誰にも話さないでね」
「はい。絶対に話しません」
理一郎は二人の顔を見て、うなずいた。
「理解した。記憶を失ったままということにしておこう」
「それにしても、災難だったね」
「まったくだ」
ラランドランドララは理一郎が召喚された理由を思い出して、表情を少しゆるめた。
「それにしても、物理最強の勇者として呼んだのが物理学の学者だったとはね。星教派の魔導士たちの程度が知れるよ。ところで――」
ラランドランドララが試すような口調で言う。
「――君の秘密はそれで全部かい?」
ラランドランドララの視線はすべてを見透かすように透徹で、理一郎には魂の底までのぞかれているように感じられた。
――今度こそ歳のことだろう。
元の世界では四十過ぎの中年男だったと、このエルダーエルフは見抜いているのだろうか。
まだアリアには話していない。というか、十七歳の体になじむにつれ、だんだんと中年男であったという意識も薄れていたのだ。アリアがいない所であれば打ち明けてもいいのだが……。
躊躇している理一郎を見て、ラランドランドララの口元がほんの少しゆるんだ。
「まあ、今はいいかな。君は悪い人ではなさそうだからね。タイミングは自分で決めたいよね」
理一郎には返す言葉がない。そんな二人を見て、アリアが首をかしげる。
そこにソフィアがやってきた。無駄のない動作でてきぱきと紅茶を替える。
ラランドランドララは、きらめく瑠璃の瞳で理一郎を見つめて言った。
「君のこと、気に入ったな。だから私のことは、ララと呼んでいいよ。特別だよ」
それを聞いた瞬間、ソフィアの手の中のティーカップがカタカタと音を立てた。
「二文字ですか!?」とソフィアが驚いてラランドランドララを見る。「いけません、先生! お立場を考えてください!」
「いいんだよ、ソフィア君。彼はいいんだ」
「ですが――」
「みんなの前ではちゃんと呼んでくれるよ。ね、理一郎君?」
「俺はどっちでもいいんだが……」
「なに言ってるの、先生を二文字呼びできるなんて、ほんとにすっごく特別なことなんだよ。それを許されてる人なんて、王族だって第四王女様ぐらいなんだから」とアリア。
ソフィアは理一郎を横目でにらんでいる。
場の空気が微妙に張り詰めるが、ラランドランドララは一向に気にしていない。
「それで、君はなにが知りたいんだい?」
ラランドランドララもソファに戻り、紅茶を口に運んだ。
ようやく本題に入れて、理一郎の気が逸る。
「アリアから、この世界には『理の書』という魔法書があると聞いた」
「うん」
「俺は理論物理学者で、元の世界では〝世界理論〟を研究していた」
「〝世界理論〟とはなんだい?」
「世界の自然法則のすべてを一つの方程式で記述し、説明する理論だ」
「自然法則のすべて? ずいぶんと欲張ったね」
ラランドランドララの口元がまたゆるむ。
「ほぼ完成に至ったと考えていた。だが、あの理論には魔法が組み込めない。つまり、魔法が存在するこの世界を記述できない。結果的に、未完成だったということになる。理論を完成させるには、この世界の理について知る必要がある」
「その手がかりの一つが『理の書』だと考えたんだね」
理一郎はうなずいた。
「その書にはこの世界を支配する理が記されていると聞いた。それがこの世界の基本構造に関する知見であるならば、ぜひ読んでみたい」
ラランドランドララはゆっくりと顔を上げて、理一郎を正面から見た。
「理一郎君、君はどうしてそんなことに興味があるんだい? 『知』は時に世界を滅ぼしかねない。だから『知識』と『知恵』の二神が司り、互いを監視しているんだよ。理一郎君が追い求めているものは、ヒトには過ぎた『知』ではないのかな」
少し考えてから、理一郎は答えた。
「危険性を内包している点では魔法も同様だ。むしろ現象発現の自由度は魔法のほうが高いのではないか」
「魔法はあるがままを受け入れているよ。物事はあるがままにある。それではいけないのかな?」
理一郎はラランドランドララの視線をまっすぐに受け止めた。エルダーエルフの澄んだ瑠璃の瞳は、吸い込まれてしまいそうな深淵をたたえていた。
「どうしても知りたいから、としか答えられない」
理一郎は深呼吸して胸いっぱいに空気を吸うと、一気に話しはじめた。
「リンゴが木から落ちる。衛星がこの惑星の周囲を公転する。太陽が百億年輝き続ける――そういった現象の背後には、必ず法則が存在する。
しかも、それらの法則は個別に孤立しているのではなく、より上位の理によって統合されているはずだ。言い換えれば、世界とは理によって構成・維持されている構造体だ。
しかし、元の世界ではその根源に到達した者はいなかった。だからこそ、俺は探究したい。この世界のすべてを記述可能な理を。そして、それを、究極の方程式として一つの形に収束させたい」
理一郎を見るラランドランドララの瞳が輝きを増す。
「あの――」と、アリアが遠慮がちに小さく手を挙げた。「質問してもいいですか?」
ラランドランドララと理一郎がうなずく。
「方程式って、一般教養の数学で習ったものと同じですか?」
「基本的には同じだけどね、アリア君が学んだのは、未知の量を見つけるための〝数学の道具〟としての方程式。理一郎君が言っているのは、自然現象や物理法則などを数式として整理し、表現するための方程式。現象や状態を正確に説明するための言語だとも考えられるのかな。ねえ、理一郎君」
「その通りだ。現象の構造と因果を数学的に記述するための形式だ。人の話す言語とは異なり、そこには虚飾も曖昧さも存在しない――」
そこまで言って、理一郎はふとシュレディンガー方程式を思い出した。
それは量子力学で系の状態を記述する波動関数Ψが、時間とともにどう変化するかを示す方程式だ。左右の式が等しいことを数学的に明確に主張していて、曖昧さはない。だが、波動関数Ψの物理的な意味については、コペンハーゲン解釈や多世界解釈など複数の解釈が存在する。それを曖昧さと呼ぶことはできるかもしれない。
ただ、今はそこまで話を広げる必要はないだろう。
「例えば――」
理一郎は立ち上がり、本棚の脇に置かれた黒板まで歩くと、チョークで一つの方程式を書いてみせた。
E=mc^2
「これは、俺の世界では非常に有名な方程式だ。実に美しい。だが、ここには世界を滅ぼし得る理も記されている」
アリアもソフィアも首をかしげている。ラランドランドララは興味深げに目を細めた。
「君の方程式もそんな簡単な式に収まるのかい?」
「いや。残念ながらもっと複雑だ。だが、それは唯一の〝世界方程式〟になるはずだ。俺はそれを完成させたい」
「うん」ラランドランドララは、ただ相づちを打った。
「俺はこの世界で、既存の物理法則を書き換え、通常では観測され得ない現象を引き起こした。そのような特異現象を可能にする作用が〝魔法〟と呼ばれるなら、逆説的だが、それはすなわち、この世界には〝魔法〟を許容する物理法則体系が存在するということだ。俺はそれを知りたい」
「うん。いいね」
表情に乏しいラランドランドララの顔が、数百年ぶりの知的興奮でわずかに上気した。口調も少し早口になる。
「君は物理学者だから、方程式で魔法を発動しているということになるのかな。魔法はね、魔力で自然の法則に干渉し、通常では起こりにくい現象を引き出すものとも言えるんだよ。
でも、魔法使いは物理学の方程式を知らないから、想像と、それを記述する魔法陣の力で発動させる。魔法陣は実際に書いてもいいし、頭の中に思い浮かべてもいい。
その意味では、ある現象を改変するために、何をどう変更すればいいか方程式で正確に制御できる君には、魔法の才能があると言えるのかもしれないね」
「俺の視界に浮かぶ方程式は、魔法陣と同様に魔法発動の媒体になっている。そう仮定できるということか……」
「方程式と魔法陣の類似性は、面白そうなテーマになりそうだね。理一郎くん、共同研究してみないかい?」
「え!? 先生との共同研究!? すごいじゃない、理一郎くん!」アリアが驚く。
だが、理一郎はラランドランドララの誘いに首を振った。
「ありがたい提案だが、今はまず『理の書』を読んでみたい」
「そうだったね。じゃあ話を戻そうか」
ラランドランドララが一呼吸入れる。
「『理の書』はね、大昔の大賢者が遺したとされる古文書なんだ。分厚い革表紙には神秘的な装飾が施されていて、魔術的な錠がかけられている」
「魔術的な錠? 魔法とは違うのか?」
「魔術には魔力はいらないんだよ。儀式や呪文を知っていたり、道具があったりすればいい。今では廃れてしまったけど、あえて言えば魔女たちが使う呪いが近いといえば近いかな」
本を優しく開くような仕草をして、ラランドランドララは続けた。
「確かに『理の書』には、この世を統べる理が記されていると言われているね」
「言われている? 伝聞情報か。実際に見たことはないのか?」
ラランドランドララが言い訳がましく言う。
「興味はあったんだよ。そのうちちゃんと探そうとは思ってたんだけどね」
千年以上生きている者の〝そのうち〟とはいつになるのだろうと、理一郎は思う。
「ここにはないのだな?」
「残念だけど、そうなんだ。まだ見つかっていないんだよ」
「実在はするのか?」
「それは間違いないよ。古い目録や王室文書に記録が残っているからね」
「どこにあるんだ?」
「それはね、私の教え子になってからだね」
理一郎は顔をしかめた。
「いまさら、学生などやってる暇はないんだがな」
「『理の書』はね、王国宝として指定されている重要文献なんだ。王室文書館の許可がないと、閲覧できない。でも、私は王国内すべての文物を読んでいいことになっている。その私の管轄下にある者であれば、閲覧が可能になるというわけなんだけどね」
「つまり、あなたに管理されないと、『理の書』は読めないということか」
「ほかにも方法はあるよ。宮廷史料官や古史研究者を頼れば道はあるかもしれないね。でも私と組むのが最短だと思うよ」
「それは……そうなのだろうな」
理一郎は考え込んだ。
「なにも講義に出席しろって言っているわけではないよ。研究生の身分と専用の研究室をあげる。そこでどんな研究をしても構わない。時々、私たちに君の魔法を研究させてほしいんだ。できれば私との共同研究も」
ラランドランドララは穏やかに続けた。
「それに、君も魔法の研究をしたいのだろ? アカデミアはそのためには最適な環境だよ。図書館の蔵書数は王国一だし、禁書の類いもある。実験のための施設や設備も整っている。それに――」
ラランドランドララが一瞬いたずらっ子のような表情を浮かべながら、自分を指さした。
「何より最高の先生がいるんだよ?」
そんなちゃめっ気のある大博士を初めて見たアリアが目を丸くする。
「そして、その先生なら物理院や天文院はもちろん、他の自然科学系の専門院にも話を通せる。どうだい?」
確かに、研究環境としては申し分ない。だが……。
前の世界で信頼していた人間に裏切られ、研究を奪われ、大学を追放された。精神年齢の若返りにより記憶は薄まっていたが、その時の強烈な負の感情だけは忘れられず、トラウマになっている。
――今回は信じて良いのだろうか? また同じ目に遭うのではないだろうか?
理一郎は黙り込んでしまった。頭では受けたほうが良いことはわかっている。だが、心が付いてこない。
理一郎の葛藤を察したのか、ラランドランドララは立ち上がると窓辺から離れ、執務机の前で足を止めた。
「少し、学内を見学していかないかい? 答えはそれからでもいいよ」
魔法器具の青い光が、彼女の横顔を幻想的に照らしている。
「今、ちょうど召喚と従魔契約の実技をやってるんだ。魔法陣で従魔を召喚するんだよ。君が経験した異世界召喚には途方もない魔力が必要だけど、この世界の中でなら工夫次第で可能になるんだよね。珍しい魔物が見られるかもしれないし、君をこの世界に呼んだ魔法の一端に触れられるかもしれないよ」
召喚と聞いて、理一郎の心が興味のほうに振れた。
神殿での記憶が戻った今、あの時自分が立っていた魔法陣のことも思い出した。
何重もの同心円と何本もの線、それらの中に複雑に散りばめられたこの世界の古代文字とさまざまな象形。果たして、あの魔法陣との類似点はあるんだろうか。いまさら元の世界に戻りたいとも思わないが、召喚陣には興味があった。それに魔法の授業や学内の施設は見てみたい。
「……まあ、見るだけなら」
そう言って、理一郎が立ち上がった。
* * *
一行が総長室から出ようと扉を開けると、偶然なのか魔法院の院長であるギデオンがいた。
「おや、お出掛けですか?」
銀灰色の髪を後ろになでつけ、紺と灰色の二重襟のコートに身を包んだ初老の男性だ。整った顔立ちには威厳があるはずなのだが、今はどこかあわてた様子で、襟元の紋章が示す魔法院院長の威光も、どこか空回りしているように見えた。
「うん。少し学内をね」
「ほう、総長殿直々にですか――」
ギデオンは、理一郎を値踏みするように上から下までじろりと眺めた。
「そういえばギデオン院長は、召喚科の主管でもあったね。これから召喚実験を見学するんだけど、案内を頼めるかな?」
「申し訳ありませんが、急いでおりますので」
ギデオンがどこか落ち着かない様子で目をそらす。
「ところで部屋の前にいたようだけど、なにか用があったんじゃないのかい?」
「いいえ、通りかかっただけです。――では失礼」
そう言い残して、ギデオンが立ち去っていく。
その後ろ姿を一瞥し、「では行こうか」とラランドランドララが反対方向に歩きはじめた。
ソフィアがあわててラランドランドララの前に出て、一行を召喚実験室へと先導する。
歩きながら、アリアが理一郎にこっそりと耳打ちした。
「院長先生って、魔法理論の権威なんだよ。実戦にも強くて、少し前に学都の地下で魔物が大量発生する事件があったんだけど、院長先生が自ら指揮を執って、被害が出る前にあっという間に解決しちゃったの。学生たちの間でも英雄みたいに言われてるんだ」
「有能な指導者だな」
理一郎が相づちを打つと、前を歩いていたソフィアが肩越しに振り返った。
「ええ、見事な手際でした。……ですが」
ソフィアは言葉を区切り、廊下の奥へと消えたギデオンの背中を冷ややかに見据えた。
「厳重な地下結界を、魔物がどうやってすり抜けたのか。警備を預かる者としては……どうしても腑に落ちないのです」
ラランドランドララは何も言わず、ただ静かに目を細めていた。




