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物理学魔法で解く異世界方程式 ~物理最強だと勘違い召喚された天才物理学者の異世界冒険譚~  作者: 航太郎
第12章 奪われた理(ことわり)

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学都炎上

 爆発音は、やむ気配がなかった。

 学都の北から、南から、西から――次々と黒煙が立ち上る。

 理一郎は東市場の瓦礫の前に立ち、メリッサに念話する。

〈メリッサ、無事か。アリアは?〉

〈わたしもアリアも無事よ。研究棟付近で爆発があったけど、損傷は軽微。警備も機能しているわ〉

〈十分警戒してくれ。ただし危険は冒すな〉

〈わかったわ〉

 メリッサの声に、理一郎は小さく息を吐いた。だが、安堵している余裕はなかった。

 今朝のメリッサの警告が脳裏をよぎる。学都全域に潜伏していた工作員。何年もかけて進められた浸透工作。そして、骨董屋の地下に延びていた坑道。

 ――あれが、一つだけだったとは限らない。

 すべてが、今この瞬間のために準備されていたのかもしれない。

「理一郎さん……どうしますか?」

 マリエルが不安げに声をかける。彼女もまた、事態の深刻さを理解していた。

 理一郎は周囲を見回した。

 崩れた建物の下で、まだ助けを求める声が聞こえる。消防団と衛士隊は懸命に活動しているが、学都各所で同時に事件が起きている今、とても人手が足りていない。

「……俺たちは、今できることをやる」

 理一郎は決断した。

「アリアたちは無事だ。保管庫の警備も機能している。だが、ここには助けを待っている人がいる」

 メガネを押し上げ、再び瓦礫に向き直る。

「マリエル、引き続き治療を頼む」

「はい!」

 マリエルは迷いなくうなずいた。その瞳には、恐怖よりも使命感が宿っている。


       *   *   *


 同じ頃、司政庁では緊急対策本部が立ち上げられていた。

 ラランドランドララは、次々と入ってくる報告を受けながら、陣頭指揮を執っていた。

「西門付近で工作員集団と衛士隊が交戦中。数は三十名以上」

「北門でも戦闘発生。騎士団が応戦しています」

「南区で大規模火災。市民の避難誘導が必要です」

「東市場でも火災継続中。物部理一郎が救助活動を支援しているとのことです」

 報告は途切れることなく続いた。

 ラランドランドララは、学都地図の上に並んだ敵味方の駒を、報告に応じて素早く動かした。それによって状況を把握し、適切な指示を飛ばす。

「西門には衛士隊の増援を。北門は騎士団の予備部隊で対応。南区の避難誘導には魔法院の上級生を動員。火災鎮圧は消防団に任せるとして、市民の安全確保を最優先に」

 その声は淡々としていたが、瞳は鋭く輝いていた。

 報告が届くたび、ラランドランドララは駒を動かしていった。敵を示す赤い駒が襲撃地点を埋め、その周囲へ衛士隊や騎士団を示す駒が振り分けられていく。

 やがて、彼女の指が止まった。誰に言うともなく独り言のようにつぶやく。

「学都全域での同時多発攻撃、しかし工作員の総数は百名程度。……学都の戦力を分散させるには十分だが……制圧するためには全然足りない」

 ラランドランドララは、駒の空白地帯となっているアカデミア一帯を見つめた。

「これは、学都の戦力を散らすための陽動だね」

 彼女は魔法院へ、残された戦力を素早く配置していく。

「魔法院の禁書保管庫に増援を送って。重装備の衛士隊を、今すぐに」

「はっ!」

 伝令が駆け出していく。

 ラランドランドララは、胸の中ではあったが、珍しく祈った。

 ――どうか、間に合って。


       *   *   *


 西門付近では、衛士隊と擬人工作員との激しい戦闘が繰り広げられていた。

 地下から突如として現れた工作員たちは、西門衛士隊の警備線を内側から突き破った。衛士隊は本来なら城門で阻んだはずの敵に、後から襲撃されたのだ。

「くそっ、どこから湧いて出やがった!」

 西門衛士たちの混乱に乗じて、擬人工作員たちが襲いかかった。数はほぼ同数だが、衛士隊は地下からの奇襲と精神干渉によって隊列を乱され、押されている。

 その時、強烈な突風が工作員たちを薙ぎ払った。

「あらあら、お盛んねえ」

 サマンサだった。黒いローブを翻し、杖を構えている。その後ろには、ゴラム、ザッカード、ジルバウの姿もあった。

「ギルドからの応援さ。加勢するよ」

「あ、ありがとうございます!」

 衛士隊員が安堵の表情を浮かべる。

「礼は後でたっぷり頼むわね。さあ、片付けるわよ」

 魔女サマンサの風魔法が再びうなりを上げた。圧縮された空気の刃が、工作員たちの武器を弾き飛ばす。

「俺に任せろ!」

 武闘家ゴラムが前衛に躍り出た。鍛え上げられた巨体で、工作員の攻撃を正面から受け止める。

「この程度の奴ら、準備運動にもならねえ!」

 拳の一撃で工作員を吹き飛ばし、回し蹴りで三人まとめて薙ぎ倒す。

 戦士ザッカードは黙々と剣を振るい、側面から迫る敵を次々と斬り伏せていく。元王都騎士団員の剣技は、工作員たちとは次元が違った。

「三時方向、地下から増援!」

 狩人ジルバウが後方から弓で援護しながら叫ぶ。

 見ると、路地の隅にある井戸から、新たな工作員たちが這い出してきていた。

「井戸の下に抜け道があるのか!」

 衛士隊の西門隊長が舌打ちする。

「二班、井戸を封鎖しろ! 敵の増援を断つんだ!」

 衛士たちの一隊が井戸に向かう。工作員たちが阻止しようとするが、ザッカードがその間に割って入った。

「行け。ここは俺が抑える」

 無駄のない太刀筋が、工作員たちの攻撃を次々と弾く。

 衛士たちは井戸に到達すると、重い石蓋を数人がかりでかぶせて封鎖した。

 サマンサのパーティーと衛士隊の連携は見事だった。冒険者の攻撃力と、衛士隊の防御力がかみ合い、工作員たちを着実に追い詰めていく。

「あいつら、まともな戦闘訓練は受けてないわね」

 サマンサが冷静に分析する。

「正面からぶつかれば、押し返せるわ」

「だが油断はできん」

 西門隊長が険しい表情で言った。

「奴らは神出鬼没だ。一体どれが本隊なのやら」

 遅れて別の冒険者たちも駆けつけてきた。衛士隊と冒険者の連携によって、均衡は徐々に崩れはじめていた。


       *   *   *


「こっちです! こっちに逃げて!」

 アーシャが声を張り上げる。普段の臆病な彼女からは想像もつかない、必死の大声だった。

 南区では、三人の少女が市民の避難誘導に奔走していた。

 ここは学都の住宅密集地帯だ。狭い路地が入り組み、木造家屋が軒を連ねている。火災が起きれば、瞬く間に燃え広がる危険な場所だった。

 そして今、まさにその最悪の事態が起きていた。

「火が迫ってるわ。水魔法で道を作る!」

 リヴィアが両手を掲げた。

「水よ、湧き出せ!」

 地面から水が噴き出し、炎との間に障壁を作る。だが、火の勢いは強く、水は次々と蒸発していく。

「まいったわね。水をいくら出しても追いつかない。火の回りが速すぎる」

 リヴィアが歯がみする。

「なら、全部消そうとしない」

 ミラが炎と避難する人々を見比べた。

「逃げ道だけ、守る」

 その時、路地の向こうから工作員の一団が現れた。五人。逃げ遅れた市民を追い詰めようとしている。

「待ちなさい!」

 リヴィアが工作員たちの前に立ちはだかった。

「水よ、押し流せ!」

 空中に水の塊が生まれ、工作員に向かって一直線に飛ぶ。

 だが、工作員たちは避けようともせず、黒光りする楯を突きだした。

「ふん! そんなもので防げるとでも?」リヴィアがあきれる。

 だが次の瞬間、黒い盾の表面に、油膜のような揺らぎが走った。

 水塊は盾へ届く直前に形を失った。まとまりをなくした大量の水が盾へぶつかり、左右へ激しく弾け散る。

「なっ……!?」

 リヴィアが目を見開く。

 詠唱も、水の生成も成功していた。だが、盾の表面で術式の制御だけが断ち切られたのだ。水塊を一つに束ね、標的を押し流すための力が失われていた。

 ミラが、工作員たちの盾を見つめる。

「あの黒いの……魔法を、通さない」

「魔法を弾いているの……?」

「ムリムリムリムリ、どうするの!?」

 アーシャが悲鳴を上げる。

「残念だな。お前たちの魔法は、もう効かない」工作員たちがゆっくりと近づいてくる。

 その時だった。

「学生に手を出すな!」

 騎馬の一隊が路地に飛び込んできた。南区の巡回を担当していた騎士団の分遣隊だ。

「魔法院生か! よく持ちこたえた!」

 分遣隊長が馬上から叫ぶ。

「市民の避難を続けろ! ここは我々が引き受ける!」

 騎士たちが馬から降り、工作員たちと対峙する。

「ミラ、援護して」

 リヴィアが言った。

「騎士さんたちが戦ってる間に、市民を逃がすわ」

「わかった」

 ミラは黒い盾を見つめた。水魔法が弾かれたのは、盾の正面だけだった。工作員たちの背後では、炎も煙も、魔力の流れも乱れていない。

「前だけ……」

 ミラは両手を石畳へ向ける。

「闇よ、覆え」

 彼女の足元から影が伸び、石畳の隙間を這って工作員たちの背後へ回り込んだ。そこから黒い霧が立ち上がり、工作員たちの頭部を包み込む。

 闇魔法による視界妨害だ。

 工作員たちは盾で霧を払うが、払うそばから新たな黒霧に包まれる。

「今だ! 突っ込め!」

 騎士団の隊長が号令する。視界を奪われた工作員たちに、騎士たちの剣が襲いかかった。

「今のうちに、みんなを避難させるわよ」とリヴィア。

「わかった!」

 アーシャとリヴィアが市民を誘導する。おびえる子供の手を引き、足の悪い老人を支え、一人でも多くの人を安全な場所へと導いていく。

 ミラは闇魔法を維持しながら、騎士団の戦いを援護し続けた。視界を奪われた工作員たちは、なすすべも討ち取られていった。

「お嬢さん、助かった」

 戦闘が一段落すると、騎士団の分遣隊長がミラに声をかけた。

「君の支援がなければ、我々も苦戦していただろう」

「できることをやっただけ」

 ミラの声は、いつもと変わらず淡々としていた。だが、その瞳には静かな自信がたたえられていた。

 

       *   *   *


「オレが相手をしてやるんだ。光栄に思いな!」

 北門では、虎毛化したカイラが暴れ回っていた。

 大剣がうなりを上げ、工作員たちを薙ぎ払う。

「こんな雑魚ども、百人来ようがオレの敵じゃねえ!」

 カイラの動きは、人間の目では追えないほど速い。斬撃の軌跡が残像となって空中に描かれ、その通過点にいた工作員たちは、何が起きたのかも理解できないまま崩れ落ちていく。

 だが、工作員たちは次々と地下から湧いてくる。北門の広場には、古い下水道への入り口があった。そこが地下道網とつながっていたのだ。

「きりがねえな……」

 カイラが舌打ちした時、騎士団の本隊が到着した。

「北門守備隊、援護する!」

 騎士団長が馬上から号令を発した。

 重装騎兵の一隊が、工作員たちの側面を突く。

「槍衾(やりぶすま)を組め! 敵を広場の中央に追い込むぞ!」

 騎士たちが整然と槍を構え、工作員たちを包囲していく。騎士団員は個々の戦闘力で、工作員たちを上回っている。それが、さらに組織的な戦術をとって、敵を追い詰めていった。

「やるじゃねえか、騎士団!」

 カイラが獰猛な笑みを浮かべた。

「オレが正面を押さえる。お前らは両翼を固めろ!」

「虎人族の冒険者か。助かる」

 騎士団長がうなずいた。

「だが、無理はするな。敵の数が多い」

「無理なんてしてねえよ。むしろ、物足りねえくらいだぜ」

 カイラは大剣を振りかぶり、工作員の群れに突っ込んでいった。

 その背後を、騎士団が固める。

 工作員の一人が、騎士に向かって呪力による精神干渉を仕掛けた。騎士の動きが一瞬止まる。

「させん!」

 隣の騎士が盾を構え、工作員の追撃を防いだ。

「精神干渉魔法を使う敵だ! 二人一組で行動しろ! やられた者がいたら、すぐに援護しろ!」

 騎士団長の指示が飛ぶ。騎士団は訓練された動きで陣形を組み直した。

 工作員たちは徐々に追い詰められていく。だが、彼らは決して崩れなかった。頑強に抵抗を続けている。

「無理はするな!」

 騎士団長がカイラに声をかける。

「心配無用! だが、なんか妙だぜ」

 工作員たちは見事な連携で戦線を維持している。だが、カイラには積極的に侵攻しようとする意志を感じられなかった。まるで、この戦闘自体が何か別の目的のための時間稼ぎであるかのようにも思える。

「騎士団長さんよ、こいつら、本気で学都を落とそうとしてるようには見えねえ」

「言われてみれば……確かに」

 騎士団長も眉をひそめた。

「彼らの真の目的は、別にあるのかもしれん」

 その言葉が、嫌な予感となってカイラの胸に広がった。


       *   *   *


 衛士隊の東門隊長は歯を食いしばった。

「隊長、敵の数が多すぎます!」

 若い衛士が悲鳴のような声を上げた。

 地下から次々と湧いてくる工作員たち。ここに現れたのは、精神干渉に長けた呪力部隊だった。すでに数人の衛士が意識を奪われて倒れている。

 だが、東門隊長は諦めなかった。

「ひるむな! 我々の後ろには市民がいる! ここで退くわけにはいかん!」

 剣を構え、工作員の一人に斬りかかった。

 工作員が目を血走らせ、精神干渉を仕掛けようとする。

 だが、東門隊長はそれを予測していた。

「遅い!」

 呪力を発動する前に、剣の柄で工作員の顎を打ち上げた。工作員の集中が途切れ、干渉は不発に終わる。

「奴らの精神干渉は、成立するまでに数瞬かかる! 盾を前へ出せ! 二人一組で一気に間合いを詰めろ!」

 衛士たちは盾を重ね、互いを守りながら前進した。前衛が工作員の視線と攻撃を遮り、後衛がその脇から剣を繰り出す。集中する間を与えず、次々と敵の懐へ飛び込んでいった。

「押し返せ! 東門は我々が守る!」

 東門隊長の檄が飛ぶ。

 衛士隊は寡兵ながらも、見事な戦術で工作員たちを押し返していった。


       *   *   *


 東市場では、理一郎が消防団と連携して救助活動を続けていた。

 理一郎が物理学魔法で瓦礫を浮かせ、消防団員たちが要救助者を慎重に運び出し、マリエルが治療と介護を行う。その連携で、すでに十人以上を救出していた。

「あと一人……。あの建物の下に、まだ一人いる」

 消防団の班長が指さした先には、半壊した石造りの建物があった。

 理一郎は氷砂糖を口に放り込んだ。袋の中を確かめる。残り三粒。

 指先がかすかに震えている。視界の端がちらつき、方程式の展開に普段の倍の時間がかかる。脳が悲鳴を上げはじめていた。

「兄ちゃん、顔色が悪いぞ。大丈夫か?」

 消防団員の一人が声をかける。

「なんとかな」

 手を上げて応えた。

 ――まだ動ける。だが……あと二、三回が限界だろう。

 物理学魔法には魔力切れがない代わりに、脳のグルコース切れという別の限界がある。氷砂糖で応急補給はできるが、吸収には時間がかかる。消費のペースが補給を上回れば、待っているのは意識喪失だ。

 脳への負荷は限界に近い。だが、助けを求める声が聞こえる限り、止まるわけにはいかなかった。

〈あと一人。それで最後ぢゃ〉

 崩壊現場を観察しているリリスが念話で伝えてきた。

 その時だった。

 理一郎の頭の中に、リリスとは別の声が響いた。

 メリッサだった。

〈理一郎、聞こえる?〉

〈聞こえる。どうした?〉

〈アカデミアに工作員が侵入したの! かなりの数よ。禁書保管庫に向かってくるみたい〉

 理一郎の呼吸が、一瞬止まった。

〈アリアは?〉

〈私と一緒。今は隠蔽魔法で身を隠している。でも、今の警備体制では『理の書』が……〉

〈すぐに戻る〉

 理一郎はきびすを返そうとした。

 その瞬間、瓦礫の下から声が聞こえた。

「……おかあさん……」

 幼い少女の声だった。

 理一郎の足が止まった。

 瓦礫の隙間から、小さな手が見えている。土埃にまみれた、震える小さな手。

「……たすけて……」

 か細い声が、理一郎の耳に届いた。

 アカデミアに戻らなければならない。『理の書』を守らなければならない。アリアとメリッサが危険にさらされている。

 だが、目の前には、助けを求める幼い命がある。

 理一郎の中で、理性と感情がせめぎ合う。

 どちらを選ぶ?

 世界の命運を左右するかもしれない『理の書』か。

 今そこで助けを求めている一人の少女か。

 答えは、決まっていた。

「……くそっ」

 理一郎は瓦礫に向き直った。

〈メリッサ、少しだけ待ってくれ。あと一人、子供を助けてから行く〉

〈わかったわ……!〉

〈すぐに終わらせて、そちらに向かう〉

 念話を切り、理一郎はメガネを押し上げた。

 集中する。今はこの子を救うことだけを考える。

 

 W = mg

挿絵(By みてみん)

 

 重力加速度ベクトルgを反転させ、瓦礫を浮かせる。

「その理に、従え!」

 巨大な石塊がゆっくりと浮き上がる。

 理一郎の額から汗がしたたり落ちた。脳への負荷が限界に近い。

 視界がぼやける。だが、止めるわけにはいかない。

 上昇速度を細かく制御し、救助に必要な高さで石塊を静止させた。

「今だ!」

 消防団員が隙間に飛び込み、少女を抱き上げる。

 五歳くらいだろうか。泥だらけの顔に、涙の跡が筋を作っていた。

「大丈夫だ、嬢ちゃん。もう安心だからな」

 少女が安全な場所まで運ばれたのを確かめると、理一郎は石塊をゆっくりと地面へ戻す。

 接地を確認してゾーンから抜け出た瞬間、理一郎は膝をついた。

「……終わった」

 すぐにマリエルが駆け寄り、少女の容体を確認する。

「大きなけがはありません。打撲と擦り傷だけです」

「よかった……」

 理一郎は立ち上がった。足が震えている。だが、止まっている暇はなかった。

「マリエル、後は頼む。俺はアカデミアに戻らなければならない」

「はい……お気をつけて」

 理一郎はこの現場を仕切っている消防団の班長に向き直った。

「すまない、魔法院で急用ができた。後の救助活動は任せていいか」

「おう、任せとけ。兄ちゃんのおかげで大勢助かった。残りは俺たちでやる」

 班長は理一郎の顔色を見て、眉をひそめた。

「……だが、その様子じゃ走って戻るのも無理だろう。うちの馬車で送ろう」

「いいのか?」

「消防団の馬車だ、どこでも通してもらえる。この騒ぎじゃ道も混んでるだろうからな」

 指揮官は部下に声をかけ、馬車を回させた。二頭立ての頑丈な荷馬車だ。

「乗れ。アカデミアまでなら十分もあれば着く」

「……恩に着る」

 理一郎は馬車に乗り込んだ。

 御者が手綱を振るうと、馬車は石畳の上を走りだした。

 学都の通りは混乱していたが、消防団の馬車は人々の間を縫うように進んでいく。

 ――間に合うのか。いや、間に合わなければならない。

 だが、理一郎は知ることになる。

 あの少女を救うために費やした数分間が、『理の書』の行方を左右したことを。


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