二人乗り許可証
魔法院での聴講から帰った、その夜。
アルタイル家の食堂で、理一郎とアリアは向かい合って座っていた。
大きなテーブルには温かい夕食が並び、キャンドルの柔らかな光が二人の顔を照らしている。
「今日はお疲れさま!」アリアが明るく口を開いた。「みんなと話したんだって?」
「ああ」
理一郎は今日一日を振り返る。アーシャ、リヴィア、そしてミラ……。短くはあったが彼女たちとの時間は、理一郎にとって新鮮な驚きの連続だった。
「みんな個性豊かな子たちだった」
「そうね」アリアは微笑んだが、どこか複雑な表情も混じっている。「……理一郎くんの助言に、みんな感謝していた」
「聞いたのか?」
「うん。リヴィアは自分らしく生きることについて、アーシャは家族の期待について、ミラは……成長のことについて」
アリアの声には、少しうらやましそうな響きが含まれている。
「みんな、気持ちがすごく楽になったって、嬉しそうに話してた」
「それはよかった」
アリアはスプーンでスープをかき混ぜ続けている。
「わたしだけ話に入れなかった。なんだか……」アリアは少しうつむいた。「ちょっと仲間はずれみたい」
アリアが抱えているのは、単純な嫉妬ではなかった。自分だけが蚊帳の外に置かれているような、そんな寂しさだった。
理一郎はフォークを止めて、アリアを見つめた。
「アリアも……悩みがあるのか?」
理一郎の問いかけに、アリアはスプーンを動かす手を止め、うつむいてしばらく黙り込む。
食卓にキャンドルの炎だけが小さく揺れていた。
「……実はね」アリアはゆっくりと顔を上げた。「わたしにも、ずっと心に引っかかってることがあるの」
「聞こう」
アリアは深く息を吸った。
「お父さんのこと。前にも話したけど、お父さんは古代遺跡の調査中に行方不明になったの。もう三年も前のことなんだけど」
彼女の声がわずかに震えた。
「わたしが古代魔法を勉強してるのは……お父さんを見つけたいからなの。お父さんの足跡を追いかけたくて。でも……」
アリアは理一郎を見上げた。
「理一郎くんを見てると、自分がどれだけ未熟かよくわかる。理一郎くんはあんなにすごい魔法を使えるのに、わたしはようやく古代魔法の基礎を習得した程度。大賢者だったお祖父さんみたいになりたいって思ってるのに……」
スプーンを持つアリアの手が震え、スープが揺れる。
「焦るし、劣等感にさいなまれるし……このままじゃお父さんを見つけることなんてできないんじゃないかって、不安になるの」
理一郎は考えた。アリアの複雑な感情と不安を、和らげるにはどうすればいいか――。
やがて、穏やかに話しはじめた。
「『もし私がより遠くを見渡せたとすれば、それは巨人たちの肩の上に立っていたからだ』」
「巨人の肩……?」
「アイザック・ニュートンという物理学者の言葉だ。偉大な発見をした人物だが、自分が遠くまで見通せたのは、先人が積み上げた知識の上に立っていたからだと言った」
「理一郎くんも……?」
「俺が知っている物理学は、俺一人が作り上げたものではない。何百年もの間に、数え切れない科学者が積み上げてきた知識だ」
「何百年も……」
「ああ。だから、君が比べているのは俺一人ではない。俺の背後にある、元の世界の長い歴史だ。今の結果だけを比べる意味はない。そして――」
理一郎はアリアを見つめた。
「君は今、古代魔法を学びながら、自分が立つための土台を作っている。焦る必要はない。積み重ねたものは、いずれ君を今より遠くまで連れていく」
「……うん」
アリアの瞳にうっすら涙がにじむ。安堵の涙だった。
「ありがとう……」
アリアの表情はさっきより明るくなった。
だが、まだどこかもじもじしている。
「まだなにかあるのか?」
アリアは少し恥ずかしそうに微笑んだ。
「あのね……依頼のことなんだけど」
「ああ、皆で一緒に行くという話になってたな」
「うん。でもね……」アリアは頬を少し赤らめた。「最初は、理一郎くんと二人だけで行きたいの」
「二人で?」
「そう! だって他のみんなは、もう理一郎くんと二人で特別な時間を過ごしたじゃない」
アリアの声には、やはり少しの嫉妬が混じっていた。
「そんな大げさなものではなかったと思うが。それにこの家ではアリアと二人だろう」
「でも二人だけの時間って感じじゃないよ」
「料理や勉強を一緒にすることもあったと思うが」
「……なんかちがう」
「ふむ」突然、リリスが肩に現れた。「お主はつくづく女心に疎いのう」
「なんだ、いきなり」
「お嬢ちゃんは理一郎と、もっと仲良くなりたいのぢゃよ」
アリアはその言葉を否定せず、ただ下を向いている。
理一郎は、「仲良くなりたい」がどういうことなのか理解できなかったが、とにかくアリアの希望をかなえることにした。
「わかった。それならそうしよう」
理一郎の答えに、アリアの表情が一気に明るくなった。
「ほんと?」
「ああ。まずはアリアと二人で。皆とはその後に」
「ありがとう!」
アリアは心からうれしそうに手を叩く。先ほどまでのわだかまりは完全に消え、彼女の顔には喜びだけが浮かんでいた。
「じゃあ、明日、冒険者組合で適当な依頼を探してみようよ」
「俺たちのレベルに合った、安全なものから始めよう」
夜の食卓にキャンドルの灯が揺れる。その光の中、アリアの笑顔が輝いて見えた。
* * *
翌朝。
アルタイル家のダイニングには、朝の柔らかな光が差し込み、穏やかな空気に満ちていた。
理一郎は昨晩書き留めたメモを読みながら、珈琲を一口すすった。
アリアがキッチンから出てきて、温かいスープとパンを運んでくる。
「今日はしっかり食べていかないとね」
この日は魔法院が休校なので、先日の約束を果たすため、二人でクエストに行くことにしていた。
「ああ」理一郎は顔を上げた。「助かるよ。それと……」
メモを置いて、アリアに言った。
「紹介しておきたいものがいる」
「え?」
理一郎はテーブルの上に向かって「出てこい」と言った。すると、テーブルの上に青白い光が広がり、従魔が一体現れた。
紺色のとんがり帽子を目深に被り、長い白髭を蓄えたノーム人形のような小さな老人だった。
老人はきょろきょろと辺りを見回すが、すぐに飽きてテーブルに座り、居眠りを始めた。
「新しい従魔だ。こいつは〝ラプラスの老魔〟。名付けは要求されなかったから、〝じいさん〟と呼んでいる」
リリスよりも背の低いずんぐりした老人姿の悪魔は、テーブルの上であぐらをかいてうつらうつらしていた。まるでここが自分の家であるかのようにくつろいでいる。
「これは、数学者ラプラスが提唱した概念が具現化した存在だ。ある瞬間の宇宙における全原子の位置と運動量を、完全に把握できる知性だと仮定された」
老魔がハッと目を覚まし、しわがれた声で言った。
「儂は因果の悪魔よ。過去も未来も見通すことができる。すべての存在の軌跡を完全に把握しておる」
「すごい!」アリアが再び感嘆の声を上げた。「じゃあ、明日の天気は?」
「晴れである」
「占いと同じだ!」
「占いなど迷信の類いであろう。儂が告げるのは、世界が辿る唯一の道筋である」
「絶対当たる占いなのね!」
老魔は反論するのも面倒なのか、あるいは眠気に勝てなかったのか、またうつらうつらしはじめた。
「対価は俺の未来だ。じいさんが口にした未来が必ず訪れる。自由意志を奪われるようなものだ」
「それは大変! 能力も対価も破格な従魔なんだね」
「ふん。ご老体が偉そうなこと言っとるが――」いつの間にかリリスが理一郎の肩に現れ、老魔をあざ笑った。「しょせんはかび臭い古典力学ぢゃろ。量子力学も知らん老いぼれめが」
「何と申したか!」リリスの悪口が聞こえたのか、居眠りしていた老魔が怒って立ち上がった。「因果の無い世界など存在しない! 量子だろうがなんだろうが、すべての理の上に儂は立っておる! そもそもお前さんこそ古典力学から抜け出せん存在であろう」
「ふん。妾は情報の悪魔ぢゃ。これからいくらでも知識は吸収できるのぢゃよ」
理一郎はリリスと老魔の諍いには関わらず、アリアに向き直る。
「実はもう一体いる。出てこい」
すると、幻想的な青と紫のふわふわした毛並みの猫が現れた。
「〝シュレディンガーの妖猫〟だ。こいつも名はない。ただネコと呼んでいる」
アリアが目を丸くする。
「わぁ! かわいい!」
アリアは撫でたくて手を伸ばすが、その手が届く前に猫はすっとかき消え、次の瞬間、アリアの手の届かない場所に再び現れた。
妖猫は、自分の位置を表す波動関数を操作し、離れた場所に存在する確率を一気に高めたらしい。アリアの手が届く直前に姿を消し、別の場所へ再び現れた。
はた目には瞬間移動にしか見えない。巨視的な物体では表に現れないはずの量子的な振る舞いを、平然と引き出している。『シュレディンガー』の名を冠するだけのことはある。
「ニャア〈触られるのは嫌いニャ〉」
「えっ! しゃべった?」
「耳にはニャアとしか聞こえないが、頭の中では言葉になっている」
理一郎が説明した。
「こいつは、波動関数を操り、量子的な未確定性を具現化した存在だ」
「未確定性?」
「量子の世界では、複数の可能性が重なり合った状態で記述されることがある。つまり、まだどれになるか決まっていない、ということだ」
理一郎の言葉は、アリアにとっては呪文の羅列だ。理解できずに首をかしげるアリアを見て、理一郎は説明を足す。
「シュレディンガーという物理学者が考えた思考実験に出てくる猫だ。箱の中には、一定時間内に五十パーセントの確率で崩壊する放射性物質と、その崩壊に連動して猫を死なせる仕掛けがある」
「猫は五十パーセントの確率で死んじゃう仕掛けってこと?」
「そうだ。そして量子力学では、放射性物質が崩壊した状態と、崩壊していない状態が重なり合ったものとして記述される。この記述を猫にまで拡張すると、箱を開ける前の猫は、生きている状態と死んでいる状態が重なり合っていることになる」
「え? 生きているのに死んでるの?」
「正確には、生と死に対応する二つの可能性が共存しているということだ。箱を開ければ、俺たちが観測するのはどちらか一方になる。シュレディンガーは、量子の理屈を猫のような大きな存在にまで当てはめると、こんな奇妙な話になると示したんだ」
妖猫が頭上でくるくると宙返りしながら、青い光の軌跡を描いた。
「ニャア〈リイチロウの説明は退屈ニャ〉」
「こいつは、その量子的な未確定性を、現実の事象にまで広げられる」理一郎は無視して続けた。「起こりうる複数の結果のうち、どれが現実になるかを選べる。可能性として存在してさえいれば、どれほど起こりにくいことでも、その結果を導くことができる」
「まるで神様みたいね!」
アリアは目を輝かせ、今度は自分の膝をぽんぽんと叩いた。
「ねえネコちゃん、こっちにおいでよ。わたしの膝の上、特等席だよ」
妖猫は理一郎の頭の上にぽすんと乗った。
「ニャア〈遠慮しておくニャ。そこは暑苦しそうニャ〉」
「えー、ひどい!」アリアが口を尖らせる。「理一郎くんの頭の上のほうが絶対に硬くて寝心地悪いのに!」
理一郎は妖猫を頭の上から追い払いながら続けた。
「だが、こいつも対価が高すぎる。外の事象を無理に一つの結果へ決めさせれば、その代償が俺自身の生死に返ってくる。大きな結果を選ばせるほど、俺が死ぬ可能性も高くなる」
アリアが目を丸くする。
「そんな……、死んじゃうかもしれないってこと? それじゃ使役しちゃだめよ!」
「そうだ。まったく使えないネコだ」
妖猫は、まだ続いているリリスと老魔のやり取りを横目に、テーブルの上で足を踏ん張って伸びをした。
「ニャア〈どっちもどっちニャ〉」
アリアは困惑した表情で理一郎を見た。
「大丈夫なの? この従魔たち」
「ああ」理一郎は肩をすくめた。「基本的に使わないから、置物だとでも思っていればいい。騒がしいのが煩わしいが、餌はいらない」
「昨日、遅くまで何かやってたのは知ってるけど、まさか従魔召喚してたなんて。しかも、いっぺんに二体なんてやりすぎ」
「アカデミアで見た魔法陣が改良できそうだと思ったら、どうしても試してみたくなった」
理一郎は魔法陣の学習も進めているため、最近ではかなり読み書きできるようになっていた。
「古典物理と量子物理の極北とも言える概念が、どう具現化するのか観測したくて」
「それにしても、やっぱり理一郎くんの従魔なのね。どっちも王国では聞いたことのない存在だよ」
「たぶん唯一の存在だろう」
おそらくこの二体を本気で使えば、世界を滅ぼすこともできるだろう。それほど〝超常の存在〟が、この穏やかな食卓をにぎわしている。
「アリア、この従魔たちの能力はしばらく誰にも秘密にしてくれないか」
アリアは少し考え込んでからうなずいた。
「そうね。そのほうがいいかもね。ただでさえ理一郎くんは目立つ存在になってるもんね」
朝食を終え、アリアが食器を片付けはじめた。理一郎も手伝おうとして立ち上がったところ、彼女と鉢合わせになってしまう。
「あ、ごめん」
互いに身を避けようとして、逆に同じ方向に動いてしまい、二人の顔が数センチの距離まで近づいた。アリアの顔が赤くなる。
「あの、いいから座ってて」
理一郎も頬が熱くなるのを感じた。彼女の香りが鼻をくすぐる。
「お主ら、まるで下手なダンスでもしているようぢゃな」リリスが笑った。
* * *
朝のギルドは、冒険者たちでにぎわっていた。
この日のアリアは、〝冒険者仕様〟の制服姿だった。もともと魔法院の学生服には、実習や野外調査を前提に、ソックスも含めて防刃・防汚・耐魔力の簡易付与が施されている。脅威度等級の低い依頼であればそのままで対応できるが、今回はいつもより長いケープを羽織り、腰のベルトには小さな魔道具ポーチをいくつも吊るしていた。
エリーゼはカウンターの奥で慌ただしく書類を整理していたが、二人の姿に気づいてにこやかに手を振った。
「おはようございます、理一郎さん、アリアさん。今日はどんなご用件ですか?」
「アリアと行ける依頼を受けたい」
「でしたら、薬草採取はいかがですか? 魔物討伐に比べて安全ですし、アリアさんもご一緒ならはかどると思います」
「賛成!」アリアが元気よく答えた。「わたし、薬草には詳しいの」
「ではそうしよう。紹介してくれ」
エリーゼは人差し指でとんとんとこめかみを叩いてから言った。
「あなた方二人にぴったりの依頼がありますよ」ファイルの中から一枚の依頼票を抜き出し、カウンターに置く。「〝黒蝶蘭〟の採取はどうでしょう? 今は需要が高く、報酬もかなりいいんですよ」
「黒蝶蘭……。聞いたことあるよ。真っ黒い蘭だね。花びらが魔力を吸収するんだよ」
エリーゼがカウンターの依頼票を一枚めくって、花の絵を見せる。
「はい。花弁は光を完全に吸収する漆黒で、縁がわずかに紫がかっています。夜になるとほの白く発光します。この花弁から魔力吸収の素材が抽出できるので重宝されています。ただ、自生地が魔力の濃い森や古代遺跡の近くに限られるのが難点です」
「結界の護符なんかにも使うんだよ」とアリア。「わたしも作ったことがある」
「光るなら夜のほうが探しやすそうだ――」
アリアがあわてて止める。
「夜の森はだめ! 夜行性の魔物には危険種が多いの」
「アリアさんの言うとおりです。今の等級では許可はできません」
「自生地は遠いのか?」
エリーゼが地図を広げて、指で示す。
「そうですね。日帰りできるのはこの谷の辺りですが、最近は採れる量が減っていると報告されています。……あとは、ゲレフ未完遺跡群周辺の森に群生の情報がありますが、ちょっと遠いですね……」
「それなら大丈夫です!」と、アリアが鞄から一枚の羊皮紙を出した。「魔女協会で許可がもらえたんです」
羊皮紙には『二人乗りホウキ許可証』とある。
「あらっ、二人乗りの許可を取ったんですね!」
「はい。理一郎くんと二人乗りできたら楽しいかと思って申請していたんです」
「それなら移動は問題なさそうですね。理一郎さんが平気ならですが」エリーゼがいたずらっぽく微笑む。
「魔力回復の水薬もちゃんと持ってきたし、準備は万全よ。理一郎くん、今日はわたしのホウキに乗せてあげるね」
「そうなのか? 聞いてなかったが――」
何度かアリアがホウキに乗るところを見せてもらったが、飛べることが理一郎にはいまだに信じられない。ましてやそれに自分が乗れるなど、とても思えなかった。
「驚かそうと思って!」
「いや、だが、そんな短いスカートで――」
「今日は下に履いてるから大丈夫」
「いや、とはいえ、空は寒い。風だって強い。こんな装備じゃ――」
「飛行魔法は風よけもするから問題ないよ」
「いや、でも、ホウキでなんて――」
「任せて! 飛行術は『優』なんだから」
「いや、しかし、二人乗りだ――」
「問題ないよ。ちゃんと許可が出てるもん」
「いや、だけど、けっこうな距離だ――」
「これぐらいはなんてことないよ。方角だけ気をつけててくれればいいわ」
珍しく理一郎が動揺している。
一方、アリアは自信満々でテンションも高く、いつになく強引だ。一緒に飛べるのが嬉しくて仕方ないのだ。
その勢いに押され、理一郎はついに折れた。
「では、ゲレフ未完遺跡群に向かおう」
「はい」エリーゼが依頼票に手早くサインして理一郎に渡した。「どうぞご安全に」
「さ、行きましょう」
アリアは理一郎の腕を掴んでギルドの外に引っ張っていく。何事かと他の冒険者たちが二人を遠巻きに眺めた。
ギルド前の歩道に出ると、アリアは背負い鞄からホウキの部品を取り出し、てきぱきと組み立てはじめた。見たところ、パチンパチンと簡単にはめ込んでいるだけのように見える。
〝強度〟という単語が理一郎の脳裏に浮かんだ。
「そんなホウキで本当に安全性は担保されているのか?」
「もちろんよ。魔女協会の認定品だもん。ほら、できた」
アリアが見せたのは、穂先が短い〝ホウキのようなもの〟だった。掃除道具としての実用性はなさそうだ。
「さ、乗って」
アリアがホウキにまたがり、後ろに乗るように促す。
理一郎は覚悟を決め、恐る恐るホウキをまたいだ。
「これでいいか?」
「もっとくっついて。しっかりつかまっててね」
「どこにつかまればいい?」
「わたしのお腹に、しっかり手を回して!」
理一郎が戸惑いながらアリアの腰に手を回そうとした時、背後から口笛が聞こえた。
「ひゅーっ! 女の子とホウキで二人乗りなんて、リイチロウってば隅に置けないね!」
ギルドから出てきたジルバウが、ニヤニヤしながら二人を見ている。
「冷やかしている場合か。空を飛ぶんだぞ。こんな棒きれ一本で」
理一郎が真剣な顔で返すと、ジルバウは呆れたように肩をすくめた。
「あーあ、せっかくのいいムードなのに。アリアちゃんも苦労するね」
「ちょっとジルバウ君、変なこと言わないでよ!」
アリアが顔を赤くして怒る中、ジルバウはケラケラ笑いながら手を振って去っていった。
理一郎はためらいながら、アリアの体に両腕を回す。
アリアの背中から体温が伝わり、やわらかな感触と香りに包まれる。少し手が上にずれれば、胸に触れてしまいそうだ。女子と密着するなど、元の世界でもほとんど経験がない。ましてや今は、思春期男子だ。
落ちないためには、アリアの体をしっかり抱える必要がある。だが、腕に力を込めるほど、彼女の背中と理一郎の体は密着してしまう。どれぐらいの力でアリアにつかまれば、〝自分〟を抑えていられるのか。加減が悩ましかった。
幸いにもアリアは飛ぶことに集中して、理一郎の邪な反応には気づいていない。
「しっかりつかまって!」アリアの声がわずかに緊張している。
ホウキがゆっくり浮かび上がった。
股間に体重がかかって痛いのではと想像していたが、まるで自分の体の重さがなくなったかのように、理一郎自身もホウキと一緒にふわりと舞い上がる。
次の瞬間、ホウキがグンと加速し、一直線に高度を上げた。
「わっ!」
理一郎は思わずアリアの体にしがみつく。躊躇などする余裕はなかった。
「ごめん!」アリアが叫ぶ。「ちょっと二人乗りの感覚がつかめなくて。もう大丈夫! 苦しいから、力を緩めて」
「ああ、すまん」
二人を乗せたホウキが、定められた高度に達した。バランスがとれずにグラグラするのではと予想していたが、体全体がホウキと一体化したかのように安定していた。この状態も含めて飛行魔法なのだろう。
学都が眼下に広がっている。石造りの建物や塔、緑豊かな公園、そして街を縦横に走る路面鉄道が一望できる。
「すごいな……」理一郎は思わず感嘆の声を上げた。
何度か飛行機に乗ったことはあるが、小さな窓越しの眺めとは、まったく別の体験だった。
「空からはこんなふうに見えるのか」
「ほほう、これは絶景ぢゃのう」物見高いリリスが左肩に現れた。それに釣られるかのように老魔が右肩に、妖猫が頭に現れた。リリス同様、物見高い性分のようだ。
「そうなの! すてきでしょ」アリアが振り返って笑った。「だからわたしは飛ぶのが大好き!」
「ああ、理解した。だが、頼むから前を見て飛んでくれ」
「じゃあ、行くよ! しゅっぱーつ!」
風が二人の髪を撫で、雲が彼らの周りを通り過ぎていく。
二人が飛び去った直後、エリーゼがあわててギルドから飛び出してきた。
「待ってくださーい!」
大声で叫ぶが、もう二人には届かない。
――最近の魔物情報を告げてなかったわ。依頼票をきちん読んでくれるとよいのだけど……。ううん。あの二人なら、きっと大丈夫よね……。




