魔法と科学
魔法とは、何か――。
その問いに、理一郎はまだ答えを持っていなかった。
自分が使う物理学魔法でさえ、なぜ発動するのか、その根のところはわからないままだ。わかっているのは、物理法則を記す数式が視え、そのパラメーターを書き換えられる、という事実だけ――。
王立アカデミア魔法院の第三講義室で「魔法理論・基礎」の聴講を終えたとき、理一郎はそんなことを考えていた。魔力の錬成や制御に関する講義は興味深く、後で調べるべきことがいくつもあった。
教室を出ようとした時、数人の女子生徒に取り囲まれた。
「物部さん!」
「お疲れさまです!」
みんな黒い魔女帽を被っているので、魔女科の生徒だとわかる。
「今日の講義、とても熱心に聞いていらっしゃいましたね」金髪の少女が言った。「ノートの取り方も独特で。つい見入っちゃいました」
「俺を見ていたのか?」
そういえば、いつになく自分の席の周りに人が多かったことを思い出した。
一人が聞いてきた。
「物部さんの〝物理学魔法〟って、どういう魔法なんですか?」
どう答えるか迷ってるうちに、その質問を皮切りに他の少女たちが一斉に質問してきた。
「物部さんは、どんな研究をされているんですか?」
「魔法はどこで習ったんですか?」
「暴竜を倒したって、ほんとですか?」
「東市場の火事も消したんですよね?」
「もう四級の冒険者なんですって?」
「身長と体重は?」
「好きな食べ物は?」
「好みの女性のタイプは?」
矢継ぎ早の質問に、理一郎はどう反応して良いかわからず固まってしまう。後半の質問を聞く限り、彼女たちが抱いているのは学術的な興味だけではなさそうだった。
「ああ……その……」
「わたしたちにも物理学魔法を教えてくれませんか?」金髪の少女が理一郎の腕に触れた。
「個人指導していただけませんか?」赤毛の少女も反対側から近づく。
「いや、今は自分の研究が忙しくて――」
その時、理一郎の肩にリリスが現れた。
「小娘ども、やかましいわい!」
女生徒たちが一斉にキャーっと歓声を上げる。
「かわいいー」
「物部さんの従魔ですか?」
「わたし知ってる! 小悪魔さんよね!」
「小悪魔ちゃん、よろしくねー!」
リリスが女生徒たちを睨みまわす。
「ええい! やかましいと言っておろうが!」
それでも魔法少女たちの黄色い声はやまない。
リリスは彼女たちを無視して、理一郎に告げた。
「主よ、次の約束があるぢゃろ。もたもたしておれんぞ」
理一郎は、リリスのその救いの手に飛びついた。
「そうだった! ララ……いや、総長との約束があった」
ラランドランドララと昼食をとりながら、研究について話をする予定が入っているのは事実だった。
相手がラランドランドララと聞いては、さすがに女生徒たちも引き下がらざるを得ない。
「ざんね~ん」女子生徒たちは口々に言った。
「また今度、お話しましょうね」
「約束ですよ」
彼女たちは名残惜しそうに散っていく。
「助かった」理一郎は安堵の息を吐いた。
「モテモテぢゃのう」リリスが毒のある調子で理一郎に告げる。「暴竜やら、こないだの東市場での火事のことやらが広まり、どうやら主の株が上がってけっこうな人気のようぢゃ」
「そんなことはないだろう」
「小娘どものあの様子を見て、まだそのようなことを言うか。主はつくづく鈍感ぢゃのう。小娘ども、主に近づきたくてうずうずしておるのがわからんとは。ぐいぐい来られても嫌なことは嫌と言うのぢゃ。主はどうも女子には弱い」
「関わった経験がないからな。対応がわからない」
「よいか。子爵や男爵程度の低位貴族の娘ともあれば、箔付けが欲しくてしょうがないのぢゃ。主など格好の餌食ぢゃろうて。うかうかしてると婚約させられかねんぞ」
「いや、それは否定する」
「ならばもっとしっかりせい」
「努力しよう。だが、どうしてお前が彼女たちの事情に詳しいんだ」
「妾は情報の悪魔ぢゃ。制服の家紋と会話から推論できるわい」リリスは得意げに腕を組んだ。「それにしても、今日はそこかしこでなにやら浮ついた波動を感じるのう。気をつけるが良かろう。主にとって〝女難の日〟になるかもしれん」
「ずいぶん大げさだな。根拠はあるのか」
「女の勘ぢゃよ」
「お前に性別があったとはな」
理一郎がちゃかすと、リリスは「ふん。不愉快ぢゃ。妾は一人で学内を見て回る」と言って消えてしまった。
理一郎はやれやれと首を振ったが、なぜか胸の奥に落ち着かない気持ちが残る。リリスの言葉が冗談ではなく予言のように思えた。
* * *
外はよく晴れていた。
お昼を少し過ぎた頃、理一郎は総長公邸の裏手にある小さな森の小径を抜けた。
そこに、石造りの小さな家が、花々に囲まれてたたずんでいる。
童話の挿絵に描かれるような可愛い家だ。
壁には薔薇と藤に似た花がからみつき、屋根は苔に覆われていた。
ラランドランドララの別邸だった。
理一郎は丸い真鍮のドアノッカーを軽く叩く。
「開いてるよ」
中から柔らかな声が返ってきた。
共同研究のために何度かここにも呼ばれているので、勝手は知っている。扉を押し開くと、すぐに居間だ。靴を脱いで、はだしで入る。甘い花の香りと古書の匂いが混ざった空気が、理一郎を出迎えた。
壁一面に天井まで届く書棚がしつらえられている。だが、そこからあふれだした古い羊皮紙や書物が開かれたまま、部屋中に散らばっていた。見ただけでは居間だか書斎だかよくわからない。それなりに広い部屋なのだが、手狭に感じる。
ラランドランドララは、その紙の海のわずかな隙間に、お尻をぺたんとつけて座っていた。薄紫のネグリジェ姿で、膝に乗せた一冊から目を離さず、細い指だけがゆっくりとページを送っている。
理一郎は足の踏み場に気をつけながらラランドランドララの前に立ち、眉をひそめた。
「俺がここに来るたびに、ララはいつも寝間着だな。着替えたらどうだ」
理一郎は総長を〝ララ〟の愛称で呼ぶことを許された、数少ない人間の一人だ。周りに外部の人間がいないときは、そう呼んでいる。
「起きてすぐ本が読めるからね。人に会う約束がないときは一日中このままだよ」
ラランドランドララは本から目を離さず答えた。
「俺は人ではないのか」
「理一郎君なら別にいいだろう」
「ララが良くても俺は困るのだが――」
理一郎はため息をついた。
「俺はここに来るたびに何かしら頼み事をされているが、ひょっとしてそれは〝色仕掛け〟というやつなのか?」
ラランドランドララはくすくすと笑い、ようやく本から顔を上げた。澄んだ瑠璃の瞳が理一郎をじっと見つめる。
「そんなつもりはないよ」
ラランドランドララはこともなげに答える。
「もしもそうだとしても徒労だ。ララの見た目も実年齢も、俺の有効範囲外だ。少女趣味も熟女趣味もないからな」
「ふーん、理一郎君ぐらいの年齢だと、女性の体には興奮するのではないのかい?」
「俺が本当に十七歳だとしても、ララぐらいの見た目年齢には興奮しない。だいたい俺の実年齢は四十二だ」
以前、二人だけで研究の話をしていた折に、理一郎は自分の本当の年齢のことも打ち明けていた。エルダーエルフの大博士は驚くこともなく、「そうだろうね」と短く受けただけだった。
「ふふん。私から見れば十七も四十二も誤差の範囲なんだけどな。とにかく別邸にいるときの私はいつもこの格好だよ。呼ぶのは気心の知れた人ばかりだしね。それに時々はドキドキしてくれるかわいい男子もいるんだよ」
ラランドランドララは理一郎の座るスペースを作るため、前かがみになって本をどけようとした。その拍子に下着を着けていない胸が、寝間着の隙間から見えそうになる。膨らみといえるような物も見当たらない胸だったが、理一郎は思わず視線をそらした。ラランドランドララがほくそ笑んだような気がした。
その時、玄関のドアが開き、「入ります」とソフィアの声が聞こえた。
ソフィアは居間に入り、ラランドランドララの格好を見るや否や、脱兎のごとき俊敏さで腕に下げたバスケットをテーブルに置き、隣室に飛び込んでいく。何事かと思う間もなくガウンを手に戻ってきて、総長の肩にふわりとかけた。
「総長! また寝間着のまま客前に出て――」
「やあ、ソフィア君。私はこれが快適なんだけどな」
「理一郎さんが、困った顔をなさってますよ」
そう言いながら、ソフィアは猛禽のような鋭い視線で理一郎を睨んだ。
――これが〝女難〟ということなのか?
「俺も『困る』と言ったんだがな」
理不尽極まりない非難に、理一郎は柄にもなく肩をすくめたくなった。
「ほれ見たことぢゃ」とリリスの声が聞こえたような気がした。
ソフィアはてきぱきと手際よくテーブルの上の書籍類を整理しはじめた。どこにどう片付ければ良いか熟知しているようで、作業は素早い。
「お昼の時間ですし、お食事をとりながら研究の話をなさってはいかがですか」
「そうだね。ありがとう、ソフィア君」ラランドランドララは微笑んだ。
ソフィアによって二人分の席が用意され、理一郎はようやく椅子に腰を下ろすことができた。
それからソフィアは、持参したバスケットからきれいに包装されたサンドイッチと紅茶のポットを取り出した。薄切りのハムとレタス、トマトが挟まれたサンドイッチからは食欲をそそる香りが漂う。
「では、私はこれで失礼いたします。先生、ガウンは脱いじゃだめですよ!」ソフィアはラランドランドララに一礼し、理一郎を一瞥すると部屋を出ていった。
「ありがとう、ソフィア君」
ラランドランドララはサンドイッチを一口食べ、満足そうにうなずいた。
「ソフィア君の作るごはんは本当に美味しいんだよ。さて、理一郎君、本題に入ろうか?」
「今日は魔法の物理学的解釈について、いくつかの仮説を整理してきた」
理一郎は胸ポケットからノートを取り出す。
「この世界に来てから観察した魔法現象を基に、さまざまな可能性を考えてみた。まだ思索段階だが聞いてくれるか」
「もちろんだよ。楽しみだな」
理一郎はノートを開き、最初のページを指さした。
「まず、この世界で魔力と呼ばれている力は、未知の『場』に由来すると仮定する」
「場ってなんだい?」
「磁石は知っているか?」
「もちろん。鉄を引きつける石だよね?」
「磁石そのものに触れていなくても、近づけた鉄は引き寄せられる。目には見えないが、『磁場』という場が磁石の周囲へ広がっているからだ。場とは、それに似たものだと思えばいい。魔法の源となる未知の場を、仮に『Ψ場』と呼ぶ」
「そのΨ場から、魔力を引き出しているってこと? でも、魔力は私たちの体内にある。使えば減るし、持っている量にも個人差があるんだよね」
理一郎は少し考えてから答えた。
「……ならば人体にはΨ場と結合し、そのエネルギーを一時的に蓄える仕組みがあるのかもしれない。魔力を持っていることと、その魔力がΨ場に由来することは矛盾しない」
「私たちの体は、Ψ場から魔力を汲み上げる器ということかい?」
「今のところは、そう仮定できる」
「うん」
「いずれにしても、Ψ場を励起する粒子的な存在を『魔導子』と仮定する。マギオンがΨ場の状態を変えることで、火や雷、治癒といった現象が生じる」
「確かに、術を編むときは、どこかから力を引き出している感覚があるよ」
「重要な証言だ。では、術者はどうやってΨ場を操るのか。Ψ場そのものの状態を変えているのか、量子力学的な確率を偏らせているのか、あるいは両方かもしれない」
「量子力学?」
「物質を構成する極めて小さな領域では、日常とは異なる理が成り立つ」
「小さいって、どれぐらい?」
「目安としてだが、髪の太さの百万分の一ほどだ」
「ちょっと想像できないな」
「そこでは、粒子の位置を詳しく定めるほど、運動量――質量を含めた、動きの向きと勢い――が不確かになる。これは、量子そのものに備わった制約だ。粒子の位置も一点に定まらない。どの場所で観測される可能性が高いかという確率分布で記述される」
「つまり、観測するまで、どこにあるか一つに決められないってこと?」
「量子力学ではそう記述する」
「でも、理一郎君も私も、そういう粒子でできているんだよね。ずいぶん不思議な話だな」
「安心しろ。みんなそう思う。俺の世界の偉大な物理学者アインシュタインは、量子力学の確率的な性質を受け入れがたく、『神はサイコロを振らない』と言った。それに対して量子力学の確立に大きな役割を果たしたボーアは、『神が何をすべきか、我々が指図するべきではない』と返した」
「ふうん。面白いね。君の世界にも神々はいたんだね」
「どうだろう。信じている者は大勢いたが、俺は見たことがない」
「それで、理一郎君の立場は?」
「宇宙論の大家であるホーキングは『神はサイコロを振るどころか、見えない所に投げて我々を混乱させることまでする』と言った。それに近いな。だが、こと魔法に関して言えば、サイコロを振るのは術者だ。しかも、術者の意図した目が出やすいよう、精密に調整されたサイコロだ」
「魔法使いは、そのサイコロに細工している、と?」
「そういう仮説だ。ただし、量子力学そのものが人間の意識に従うわけではない。この世界では、術者の意識がマギオンを介してΨ場へ作用し、望む結果を起こりやすくしているのかもしれない」
「小さな確率の偏りが、炎や雷になる?」
「Ψ場がその偏りを連鎖させ、目に見える現象へ増幅していると考えれば説明できる」
「でも、炎を生み出すエネルギーはどこから来るんだい? 保存則には反しないのかな」
「最も単純なのは、Ψ場そのものがエネルギーを持っているという仮説だ。術者の体内にも、その一部が魔力として蓄えられている」
「では、魔法を使うと体内の魔力が減る?」
「そうだ。ただし、炎や雷のような現象を起こすエネルギーのすべてを、術者の身体だけで賄っているとは考えにくい。体内の魔力は、マギオンを制御し、周囲のΨ場からエネルギーを引き出すためにも使われているのだろう」
「体内の魔力が呼び水になって、Ψ場の力を引き出す?」
「おおむねそうだ。術者の魔力と周囲のΨ場のエネルギーが減り、その分が熱や光、運動へ変わる。それなら、世界全体で見たエネルギー保存則には反しない」
「使われた場所のΨ場はどうなるの?」
「一時的にエネルギーが減るはずだ。だが、周囲からΨ場のエネルギーが流れ込み、偏りは徐々にならされる」
「水面のくぼみに、周りから水が流れ込むようなものだね」
「そうだ。ただし、水が増えたわけではない。くぼみが広い範囲へ分散しただけだ。Ψ場全体では、魔法に変換された分だけエネルギーが減っている」
「では、Ψ場のエネルギーは、いつか尽きるのかな?」
「長期的にどこから補充されているのかは、まだわからない。だが少なくとも、魔法のたびに無からエネルギーが生まれているわけではない」
「結局、まだ仮説ばかりなんだね」
「今言えるのは、術者の意識がマギオンを介してΨ場を制御し、体内魔力と周囲のΨ場のエネルギーを使って、微視的な確率の偏りを魔法現象へ増幅している可能性がある、ということだけだ」
理一郎はサンドイッチをもう一口かじって、それから少し声を落とした。
「……ただし、一つ、注意しておきたいことがある」
「なんだい?」
「俺自身の魔法は、おそらく今並べた仮説の枠組みから外れる」
ラランドランドララの瞳孔が大きくなった。
「ほう?」
「説明はつけられない。あくまでも感覚としてだ。俺の魔法はΨ場の励起を経ていないように思う。物理方程式のパラメーターを操作して現象を直接書き換えている、と表現するのが今のところは一番近い。なぜそんなことが可能なのかは、見当もつかない」
「召喚された者の特性なんだろうか」
「あるいは。だが、それも仮説の一つにすぎない」
「さて――」と話を引き戻すように、ラランドランドララが言う。「ここまでの話、今のところまとめるとどうなるんだい?」
「俺の立場からすれば、魔法は既存の物理法則を拡張することで記述できる可能性がある。ただし、Ψ場やマギオンの性質は、まだほとんど分かっていない。今書けるのは、理論の骨組みだけだ」
理一郎はチョークを取り、黒板に式を書いた。
L = L_(SM+GR) + L_Ψ + L_magion + L_int
「これは、この世界の物質や場がどのように振る舞うかをまとめた、ラグランジアン密度の概念式だ」
「ラグランジアン……?」
「世界の動きを決める法則を、一つにまとめて記述するための量だと思えばいい」
理一郎は、式の最初の項を指した。
「L_{SM+GR} は、俺の世界ですでに知られていた物質と力、重力の法則をまとめた部分だ。標準模型と一般相対論を便宜上一つに書いているが、両者が完全に統一されているという意味ではない」
「そこまでは、君の世界の物理学で説明できる部分なんだね」
「そうだ。だが、この世界には、それだけでは説明できない魔法が存在する。だから、Ψ場そのものを記述するL_Ψと、マギオンを記述するL_{magion} を追加する」
「最後のL_{int} は?」
「相互作用をまとめた項だ。マギオンがΨ場をどう励起するのか。Ψ場が通常の物質へどう作用するのか。そして、術者の意識や魔法陣が、マギオンとΨ場をどのように制御するのか。それらはすべて、この項に入る」
「ずいぶん便利な項だね。わからないことを全部そこへ入れているように見えるよ」
「その通りだ」
理一郎はあっさりと認めた。
「相互作用の仕組みがまだ分からない以上、具体的な式を書くことはできない。分からないものを、分かったように書くべきではないからな」
「つまり、これは完成した世界方程式ではなく、これから調べなければならないものを並べた設計図?」
「そうだ。Ψ場、マギオン、そして意識を含む相互作用。この三つを実験によって明らかにできれば、魔法を既存の物理学へ接続できるかもしれない」
「骨組みはわかったよ。でも、もっとわかりやすく説明してほしいと言ったら怒るかい?」
「俺の頭の中にあることを数式も使わず説明するのは、非常に困難だ」
その言葉にラランドランドララは小さくため息をついて言った。
「頼むよ。解説書を書いてくれと言っているわけじゃないんだ」
少し不満そうなラランドランドララを見て、理一郎はしぶしぶうなずいた。
「次から、努力は、してみよう」
「魔力の正体と意識の役割については、ぜひもう少し掘り下げてみてほしいな。それと、君自身の魔法のことも」
「Ψ場の直接測定、意識状態と魔法効果の相関分析、魔導子の検出……。そんなことが可能なら、魔法の理に近づくことができるはずだが……」理一郎の眉が寄る。「前の世界の技術でも観測は困難だろう。ましてやここではな」
「それなら、別の手段を考えようか」ラランドランドララは微笑んだ。「例えば、魔法陣の幾何学的解析や、異なる魔法使いの現象比較、古代文献からの理論的推察など、やれることはありそうだよね」
理一郎がうなずく。
「実験物理学的アプローチが困難なら、理論物理学的アプローチをとるしかない。魔法陣と方程式の対応関係を調べることが糸口になるかもしれない。実は、それについてもいくつかのアイデアがある」
理一郎がノートの新しいページを広げて、概念図を示した。
「いくつか新しい発見があった」
「ちょっと待って」
ラランドランドララが席を移動して隣に座り、ノートをよく見ようと、身を寄せてくる。距離が思いのほか近く、彼女の体温が感じられるほどだった。理一郎は少し身を引きながら説明を続ける。
「魔法陣と物理方程式の表記方法には、これまで考えていた以上の対応関係がありそうだ」
理一郎は、概念図の中に書きとめた、いくつかの方程式と対応する魔法陣の一部を指さした。
「ここを見てほしい。『クーロンの法則』の公式と引力術式の基本構造が一致している。距離の二乗に反比例することを、魔法陣ではこの魔法文字と象形の組み合わせで表現している」
「なるほど」ラランドランドララの顔が明るくなった。「これなら見当がつくよ。私も前に教えてくれたいくつかの方程式と魔法陣の記法について考えてみたんだ。理解不足は免れないけど、確かに類似性が見られるんだ」
彼女は立ち上がり、さっき理一郎が使った大きな黒板を裏返す。そこにはすでに複雑な魔法陣と方程式が描かれていた。
「見てよ。魔法陣は『現象を抽象化し、記号体系で再構築する』点で、方程式と本質的に同じなんだ。魔法陣が象形と魔法文字で現象を表現するのに対し、方程式は数字と記号を使う。どちらも〝世界を書き換える言語〟だと言えるよね」
理一郎は黒板に近づき、魔法陣の構造を注意深く観察した。
「世界を記号化し、因果を操作する構造体ということか」
「そう!」ラランドランドララはうれしそうに手を叩いた。「方程式は、入力された条件から現象の結果を導き出す。魔法陣は、入力された魔力を現象へ変換する。『入力→構造体→出力』という形式は同じなんだよ」
ラランドランドララが少し早口になって続ける。
「ただし、入力されるのは単なるエネルギーではない。魔法陣は、エネルギーをどこへ、どんな形で、どれだけ働かせるかという情報まで与えている。つまり〝情報化されたエネルギー〟なんだ」
「エネルギーそのものが情報になるのではなく、エネルギーの働き方が、術式の情報によって拘束されるという意味か」
「そう。魔法陣は力を生み出すだけの装置ではなく、力に意味と方向を与える設計図なんだよ」
「方程式はいわば〝理論的魔法陣〟と定義できるかもしれないな」
「うん!」
「方程式は構成要素の階層構造を持っている。定数、パラメーター、変数、関数、演算子、境界条件、規格化条件――これらが組み合わさって、現象を記述している。これらと魔法陣の象形や魔法文字との対応関係を整理するべきだろう。ただ、方程式は極めて明示的だが、魔法陣は――」
「秘伝にするため、複雑に暗号化したり、隠蔽や偽装したりすることがあるからね。文脈によっては同じ文字が違う意味になったりもする。でも突き止める価値がありそうだね」
「いずれにしても、方程式と魔法陣は『世界を再構成する設計図』だという仮説は成立しそうだ」
「そうだね。魔法陣は方程式の象形文字、方程式は魔法陣の数理表現。なかなか面白いね。もう少し掘り下げていこうよ」
彼らはそれから小一時間ほど熱心に検討を続けた。
部屋の窓から差し込む光の角度が変わり、午後の授業時間が近づいていることを告げていた。
話が一段落すると、ラランドランドララは満足そうに微笑んだ。
「有意義な議論ができたね。この調子で研究を進めれば、きっと画期的な論文になりそうだ」
「俺も新しい視点を得ることができた」理一郎はうなずいた。「ララの『情報化されたエネルギー』仮説は興味深い。より包括的な理論になりそうだ」
「そうだね。次回までに、それぞれ論を詰めることにしよう。具体的な実験計画もね」
ラランドランドララは黒板の前で大きく伸びをした。その拍子にガウンの前がはだけ、その下の薄い寝間着の肩ひもが片方だけずり落ちた。白い肩があらわになる。理一郎は思わず目をそらした。
「おや」ラランドランドララは気づいて肩ひもを直した。「理一郎君、顔が赤いけど、まさかドキッとしたかな?」
「紳士の行儀作法ってやつだ。俺は特殊性癖の持ち主ではない」理一郎はノートをポケットにしまいながら答えた。「では行くぞ。ララも午後の予定があるのだろう」
「そうだね。引き続きよろしくね」
「ああ。では」理一郎は簡潔に挨拶し、別邸を後にした。
外に出ると、午後の爽やかな空気が頬をなでた。




