軍務卿の野望
東市場の火災が鎮火すると、周囲に集まっていた人々から拍手が湧き起こった。
初めは小さな拍手だったが、次第に大きくなり、やがて歓声まで混じるようになった。火事の消火に貢献した理一郎たちへ、人々が感謝を伝えている。
理一郎は照れたように首を振る。
「どうした、主よ。歓声に応えてやればよかろう」リリスがからかう。
「俺一人の力じゃない」
そう言いながらも、その横顔はどこか誇らしげだった。かつての彼なら、こうした人々の反応に無頓着だったかもしれない。だが今は、他者との関わりの大切さを少しずつ理解しはじめていた。
そこへ、赤と黒の制服を着た学都消防団が到着した。
リーダーらしき男性は隊員たちに残り火の調査を命じると、理一郎たちに近づいてくる。
「君たち、消火活動に協力してくれてありがとう。スベンだ。この班を指揮している」
スベンが理一郎のほうを向く。
「ひょっとして、君は物部理一郎君か?」
「そうだ」
班長は合点がいったように表情を崩した。
「君の活躍は、私の耳にも聞こえているよ。なるほど、この火災も君が制圧したんだな。見事だ。一体どんな魔法を使ったんだ?」
「条件が変われば、結果も変わる。それが世界の理だ」
「と言うと?」
「化学反応速度論に基づく物理学魔法だ。アレニウス式のパラメーターを操作して、燃焼反応を極度に遅らせた。後は水魔法で消してもらった」
班長は理一郎の説明に首をかしげながらも、敬意の表情を浮かべた。
「よくわからないが、君の魔法のおかげで被害を最小限に抑えられた。本当にありがとう」
班長は深々と頭を下げた。
「もしよければ、一緒に火元を確認してもらえないか? なにか気づいたことがあれば教えてほしい」
どうせギルドで一部始終を報告させられることになるだろう。であれば、より詳しい情報を持ち帰ろう。そう考えた理一郎は同行することにした。
火元となった珠石売りの露店は跡形もなく焼け落ちていた。消防団員たちが灰の中から何かを探し出そうと作業している。
「このところ不良珠石による火災事故が続いている」とスベン班長隊長。「どれも東市場で購入された珠石が原因と見られる。しかも、今日はここの火事とほぼ同時刻に、他に四件発生した」
リリスが理一郎の耳元でささやいた。
「あそこを見るのぢゃ。床板の下に――」
理一郎が床板をどけると、そこに焼け焦げた魔法陣の痕跡があった。スベン班長が目を見開く。
「これは……魔法陣か? 見たところ火焔系統だな。これが燃焼を持続させていたのかもしれない」
理一郎はその魔法陣をしばらく観察した。
「つまり、発火も延焼も人為的ということか」
「ああ。破壊工作の可能性が高い」
スベン班長は顔をしかめた。
「関係各所に報告しなければならないな」
理一郎はうなずき、周囲をさらに調査することにした。
リリスは新しい物見たさに、今回は対価を要求することなく魔法陣の配置や残留魔力を解析した。さらに、スベン班長から聞いたほかの出火地点と時刻を照合する。
複数の火災は、消火戦力を分散させ、市場と交通の混乱を最大化するよう配置されていた。
従魔のもたらした観測データが示す事実は一つ。この火災は単なる事故ではなく、都市の機能麻痺と混乱の最大化を狙って〝設計〟されているということ。事件の背後に、熟練した破壊工作員がいることは明白だった。
一方、マリエルは火災で負傷した人々の治療に精力的に取り組んでいた。彼女の両手から緑がかった金色の光が放たれ、やけどを負った人々の皮膚が急速に回復していく。疲れた表情は隠せないながらも、一人一人に優しく声をかけながら治療を続け、ようやく一段落ついたようだ。
彼女の純粋な使命感と献身的な姿勢に、理一郎は素直に敬意を感じる。
「疲れているはずなのに、よく頑張るな」
そう声をかけると、マリエルは少し照れた様子で微笑んだ。
「人々を救うことが巡回修道女のお役目ですから」
「尊い使命感だ」
人に興味を持たない理一郎にしては、珍しく温度のある言葉だった。
アリアと暮らすようになってから、彼の周囲への態度には少しずつ変化が生じていた。他者との関わりを煩わしく思っていた彼が、今ではときに他者との距離を縮めようとするようにさえなっている。マリエルとの出会いは、さらにその度合いを進めたようだ。
「俺は組合に依頼完了の報告に行く。君はどうする?」
「お疲れさまでした。私は教団支部に参ります」
「わかった。気をつけて。今日はいろいろ助かった。ありがとう」
「いいえ、むしろこちらこそ感謝しております。今日は本当にありがとうございました」
丁寧にお辞儀をするマリエルに片手を挙げ、理一郎はギルドに向かおうとした。
「……あの」
その背中に、マリエルが遠慮がちに声をかけた。
理一郎が振り向く。
「また、お会いできるでしょうか?」
「ああ、また」
理一郎の言葉に、マリエルの顔が明るくなる。
「はい! では、また」
帰路につきながら、理一郎はふと空を見上げた。
茜色の夕焼けが美しい。
なぜかわからないが、そのきれいな夕焼けに胸の奥が締め付けられた。
――なぜこんな気持ちになるのだろう?
誰かと一緒にこんな空を見たことがある気がするのだが、どうしても思い出せなかった。
理一郎の自問に、リリスは素っ気ない言葉を返す。
「さあの。妾は主の記憶を喰っただけぢゃ。胸の痛みのことまでは知らんよ」
* * *
路面鉄道が運休していたこともあり、ギルドに着いたのはもう日が沈む頃だった。ロビーには立ち話をしている数人の冒険者がいるだけだった。
受付カウンターではエリーゼが忙しそうに書類を整理していた。理一郎に気づくと、安堵の表情を浮かべる。
「理一郎さん! 無事だったんですね。東市場の火災の件で連絡が入っていたので、心配していましたよ」
「ああ、問題ない。まずは依頼完了の報告だ」
理一郎は依頼主のサインの入った依頼票をカウンターに置き、凍土解凍とサーモリーチ討伐の顛末について報告した。
「はい、確かに。これをもって依頼完了と認めます。お疲れさまでした。農地管理組合からも遠話で連絡があったんですよ。アグロスさん、こんなに早く終わるとは思っていなかったと大変喜ばれて、なんと報酬を上乗せしてくれました」
「役に立ったのならよかった。サーモリーチの討伐証明部位もここで出していいか?」
「本当は買い取り窓口でお願いしていますが、吸熱器官ならここでも良いでしょう」
理一郎が半透明の結晶を並べると、エリーゼが数を確認し、追加の褒賞額を告げた。
「討伐漏れを処理いただいた形になりますので、その分割り増しさせていただいています」
「そうか。助かる」
「それで東市場の火災ですが、このところ不良珠石による火災が増えていることは組合でも把握しています。内々に調査を始めていますが、これが意図的なものとなると……」
彼女は言葉を切り、周囲を見回した後、小さな声で続けた。
「実は、組合長がお会いしたいとおっしゃっています。今回の件に関してお話したいことがあるそうです」
エリーゼに導かれ、二階の組合長室に入る。
以前通されたことのある応接室と違い、簡素な部屋だった。壁には地図や各種の文書が掲示され、書棚には古い書物が並んでいる。
組合長のレオンは、壁際に置かれた重厚な執務机で珈琲をすすっていた。
「まったく残業続きで嫌になるよ。早く一杯やりにいきたいんだけどね。代わりにこんな物で我慢しているのさ。まあ、掛けてくれ」
執務机の前に置かれた椅子に座る。
「東市場での火災消火に尽力してくれたそうだね。あの状況で被害が最小限に抑えられたのは君のおかげだと、さっき消防団のスベン班長から連絡があったよ」
「たまたま居合わせただけだ」
「謙遜する必要はないさ。君のような人材は貴重だ」
レオンはじっと理一郎を見つめた。
「だが、問題は火災そのものではない。これが連続して起きていることだ」
ギルドマスターは机の上に広げられた地図を指さした。学都の地図の複数箇所に、赤い印が記されている。
「今日の同時多発火災も含め、過去一週間に学都内で十七件の火災が発生している。どれも珠石の不具合が原因だ。そして、それらはすべて東市場で購入されている」
理一郎は地図を見つめながら考えた。
「やはり破壊工作なのか」
「そう考えざるを得ない」レオンは重い声で言った。「すでに衛士隊は敵性組織による計画的な破壊活動だとして調査を進めているそうだ」
「敵性組織?」
「君は知らないかもしれないが、王国東方の未開領域には、擬人族と呼ばれる反ヒト族勢力が存在する」
擬人は高い知能と人間への擬態能力を持つ、ヒト族そっくりの高等生命体だという。
「ヒト族の近縁種だという説もあれば、まったく別系統の種が並行進化したという説もある。魔力を持たず魔法を使えない代わりに、呪力による精神感応に長けている」
「精神感応?」
「精神干渉系魔法に近いものだ。見目の良い男女に擬態し、人の心へ入り込む。これまで何度も和平協定が結ばれたが、そのたびに反故にされてきた」
擬態していない姿は醜く、自分たちをそのように創った世界を怨んでいるとも言われている。その負の感情がヒト族への嫉妬やひがみとなり、ヒト族を排除する本能として刷り込まれたという研究もあるらしい。
「いずれにしても、根本的にわかり合えない存在だと言うしかない」
「わかり合えない存在、か。アカデミアの総長もそう言っていたな」
「それが一般的な評価さ」
「そういえば、俺がここに呼ばれたのも、その擬人族とやらに対抗するためだと、太った貴族が言っていた。戦争状態なのか?」
「先の大戦以降は散発的な襲撃がある程度だ。だが、総力戦の準備を進めているという情報もある」
「暴竜の件や吸熱蛭の異常発生も無関係ではなさそうぢゃな」
リリスが肩に現れて言った。
「調査中だが、その可能性はある」
平和に見えた学都の水面下で、不穏な動きが広がっているということだ。
「学都の防衛は以前より手厚くなっている。アカデミアの魔法院長――ギデオン院長の功績が大きい。去年、南門区の倉庫群で擬人族の工作物資が発見された際も、院長が真っ先に察知し、衛士隊と共同で排除した。おかげで大事には至らなかった。さて――」
レオンは一呼吸置いて、少し言いづらそうに続けた。
「理一郎君、君はすでに学都で名を知られつつある。万が一、君が対擬人の勇者として召喚されたことが漏れれば、君が標的になる可能性もある」
理一郎の顔がこわばるのを見て、レオンは安心させるように言った。
「もっとも、モンフォール軍務卿やイグナティウス大司教は、君を召喚したこと自体をなかったことにしたいようだから、公になることはまずないだろうね。だが、くれぐれも警戒はしてほしい」
「気をつけよう」
「改めて訊くが、君は冒険者と研究者、どちらに重きを置くんだい?」
「研究者だ。依頼はあくまでも資金調達と物理学魔法の実験の手段だ」
「そうか。組合としては残念だが、それならばラランドランドララ総長にもこちらから話を伝えておこう」
理一郎は軽くうなずき、組合長室を後にした。頭の中では多くの疑問が渦巻いていた。
* * *
その数日後。
王都の中心部にそびえる宮殿、その豪奢な一室で、王国軍務卿ヴィクター・フォン・モンフォールが、側近の報告を聞いていた。
「では学都の火災は最小限に抑えられたのだな?」
彼は側近に尋ねた。
「はい。学都の評議会では一連の不審事案を何らかの破壊工作だと考えているようです」
「宮廷諜報所の見解は出ておるのか」
「はい。擬人族の関与は、ほぼ間違いないとのことです」
「狙いが見えぬな」
「おそらくは不測の事態が発生したときの学都の対応を見ているのではないかと」
「ふん。それぐらい我が輩にもわかっておったわ」
「失礼いたしました」
側近が平伏する。
「報告が以上なら、もう下がれ」
「閣下、あと一つ、お耳に入れておきたいことが」
「なんだ?」
「はい。先ほどの火災の件、冒険者組合の新人が消火に活躍したとのことです」
「新人?」
「エクリプス神殿で召喚した、例の物部理一郎です」
その名前を聞いて、軍務卿の顔がこわばった。
「なに? 物部だと? あの異世界人めか!」
この側近も理一郎の召喚に立ち会っていた。
「そうです。このところ学都で評判だと、連絡官からの定期報告に特記事項として記されております。『物理学魔法』という非常に特殊な魔法を使うようです」
「評判になっているとは?」
「はい。バルタ街道でのグラスランナー特殊個体の討伐補助、教導依頼後の二階級特進、学都大時計塔の修理、暴竜の討伐補助、シトス農地の復旧、そして今回の東市場の火災制圧と、短期間で目覚ましい活躍を見せているとのこと」
「物理学魔法とな……。やはり、物理最強の勇者ではなかったのだな。それで、奴めの素性は知られているのか?」
「忘却の呪いは解けていないようです。本人は記憶を失っていると話し、冒険者組合やアカデミアへの照会でも同様の返答があったそうです」
――ふむ。
モンフォール軍務卿は深く考え込み、手にした報告書をゆっくりと机に置いた。
――イグナティウスめ、この力を見越して彼奴めを生かしておいたか。いずれ折りを見て教会に取り込むつもりやもしれん。
手柄を横取りされてはかなわない。彼は立ち上がり、部屋をわざと大股で歩きはじめた。太鼓腹の短躯のため、滑稽な仕草にも見える。
「物理学魔法とやらはもろ刃の剣かもしれんな。我が輩らに役に立たせるには、野放しにしておくわけにはいかんな」
「どうされますか?」
「連れて来い」モンフォール軍務卿は冷たく言った。「異世界の知識を持つ者を自由にさせるわけにはいかん。教会に利用される前に、我が軍が確保する」
軍務卿は執務机に向かい、羽ペンを取った。
「憲兵団を出す。物部理一郎を捕縛し、王都に連れてくるのだ」
「嫌疑は?」
「学都での一連の事件について容疑者として取り調べる」
「……いささか強引では? 公安局からの抗議は必須でしょう」
「手に入れてしまえば口実はなんとでもなる」
「はあ……。イグナティウス大司教殿には?」
「知らせんでよい」軍務卿は冷笑を浮かべた。「奴が解放した者を我が輩が確保しても文句は言うまい」
側近は軍務卿の署名のある命令書を受け取ると、頭を下げて部屋を出ていった。
――異世界の知識、それは強力な武器だ。
エクリプス神殿の儀式で召喚されたという時点で、やはりただ者ではなかったのだ。これまでの功績も、おそらく氷山の一角にすぎないであろう。
モンフォール軍務卿は席を立つと窓に近づいた。
窓の外には、王都の街の明かりが燦然と広がっている。
――この煌びやかな都も、豊かな王国も、いずれ我が輩が手に入れる。
彼の目には野心の光が宿っていた。
* * *
一週間後の夜明け前、騎乗の一団が王都の東門からバルタ街道に出ていった。
十六騎全員が黒い軍装に身を包み、黒いヘルメットを被り、黒いフェイスマスクで顔を覆っている。それが憲兵団と呼ばれる王国軍務局直属の部隊だった。
治安組織というよりも、軍の特殊部隊といった雰囲気がある。団員のうち二人は魔法兵だった。
先頭を行く小隊長は冷たい表情で前方を見つめていた。
王国軍務卿ヴィクター・フォン・モンフォールの命を受けた彼らは、理一郎の特殊能力を王国の利益のために確保することを目的としていた。
「目的地は学都ミレトス。対象は『物部理一郎』という男。抵抗する場合は実力を行使して良いが、殺してはならない。王都に連れ帰るのだ」
団員たちは無言でうなずき、馬に拍車をかけた。
学都までは二日の行程。彼らの姿は朝霧の中に消えていった。




