学都冒険者組合
アリアの言ったとおり、出遅れてしまったらしい。
冒険者ギルドはすでに朝の混雑が収まって閑散としていた。おかげで、両手いっぱいにパンを抱えた姿がさらし者にならずにすんでよかったと思う反面、いい依頼が残っているだろうかと心配になる。
クエストボードを一通り眺めたが、案の定、雑用の類いしか残っていなかった。
受付カウンターにエリーゼがいたので向かう。書類仕事をしているのだろうか、下を向いていて理一郎には気づいていない。
理一郎はエリーゼの前にパンの袋を置いた。
「こちらは依頼受注の受付窓口です」忙しいのかエリーゼは顔も上げずに反射的に言う。「素材の買い取りは奥へどうぞ」
「いや、依頼を探している。なにか残っているか?」
顔を上げたエリーゼが、大量のパンを見て驚いて言った。
「あら、理一郎さん……そんなにパンがお好きなんですか?」
理一郎は、パニーナのパン屋でのいきさつをかいつまんで話した。
「そうだったんですね。そういえば――」エリーゼは顔をしかめた。「最近、不良珠石による事故が増えているって聞きましたよ。特に東市場で買った物が多いとか。衛士隊も調査に入っているようです」
「そうなのか。不穏だな」
「そうそう――」エリーゼが手を叩いて満面の笑みを浮かべる。「召喚実験場ではご活躍だったと聞きました。残念ながら昇級審査の対象にはなりませんでしたが……。カイラさんと組むことを登録してなかったので、共同討伐を王都本部が認めてくれなかったんです」
「問題ない。級には興味がない」
理一郎はパンの袋を指す。
「俺は二つぐらいあればいい。後はみんなで食べてくれ」
「いいんですか! あそこのは美味しいんですよね。ありがとうございます!」
エリーゼがうれしそうにパンの袋を受け取る。
「おい、主よ! 二つだけぢゃと? もっと食え。妾が味わえんではないか!」リリスが姿を現して叫んだ。「娘も娘ぢゃ、遠慮というものを知らぬのか!」
「あらあら」エリーゼが目を見開き、身を乗り出した。「あなたがリリスさんですね?」
理一郎が〝悪魔〟を召喚して従魔にしたという情報は入っていた。物語に登場する悪魔はおどろおどろしい姿をしていることが多いが、目の前のリリスは衣装も含めてとても可憐だった。
「妾を知っておるのか。耳ざとい娘ぢゃな」
「初めまして、リリスさん。私はエリーゼ・ボワクレール、この組合の受付係です」エリーゼは小さく会釈した。「報告書は読んでいましたが、こんなに可愛らしいお姿とは思いませんでした」
「可愛らしいぢゃと? まさか妾を愚弄しておるわけではあるまいのう。妾はマクスウェルの悪魔。情報を司る偉大な存在なのぢゃ!」
リリスは気分を害したように、羽を小刻みに震わせる。
「申し訳ありません」エリーゼはあわてて謝った。「失礼な言い方だったら謝罪いたします。でも本当にお可愛らしいので」
リリスは少し機嫌を直してふんと鼻を鳴らし、エリーゼの顔を興味深そうに観察しはじめた。
「ふむ……、なかなかに聡きおつむのようぢゃの。情報を実に効率よく整理しておる」
エリーゼは驚いた表情を浮かべた。
「私の頭の中が見えるのですか?」
「表層に浮かんだ情報ならばの。奥深くにしまわれた記憶まで読み出すには、それなりの手間と対価が要る」
「では、機密事項までは……」
「今は見えておらぬ。わざわざ掘り起こすほど興味もないわい」
エリーゼがほっと胸をなで下ろす。
「リリス、人の頭を勝手にのぞくな」
理一郎が割り込んだ。
「うるさいのぢゃ。妾の興味は何人にも妨げられぬ。余人には告げぬから安心せい」
リリスはくるりと回って再び理一郎の肩に戻った。
「すまない」と理一郎がエリーゼに頭を下げた。「勝手に付いてきてしまうのだ。それで――」
「ああ、依頼でしたね」エリーゼも身を引いて座り直す。「ええと。四級で単独だと……」
エリーゼはとんとんと額を指で叩く。書類を見なくても、受付中のクエストはすべて頭の中に入っている。
「あいにく、割の良い依頼は朝のうちになくなってしまいました。残りの中で良さそうなのは……」
エリーゼは少しの間考え込み、そして口を開いた。
「これはどうでしょう。理一郎さんの特殊な魔法なら対応が容易かもしれません」
エリーゼは依頼票を取り出した。
「学都近郊にあるシトス農地の原状回復依頼です。一帯は小麦の一大生産地なのですが、吸熱蛭という魔物によって広い範囲が凍土化してしまいました」
理一郎はカウンターに肘を突いて、依頼票を読む。
「吸熱蛭とは?」
「はい。ワームの一種で、脅威度等級は五。攻撃性は低いのですが、周囲の熱を奪って生命力にする特殊な代謝をするため、周辺環境を広範囲に低温化させてしまうんです。暑熱地帯では冷熱源として養殖する例もあります」
個体としての危険度は低いが、農地や水利施設への影響の大きさから脅威度が設定された類いの魔物だ。
本来はもっと南方に生息し、温帯地域のこの辺りに現れた記録はまれだという。
それが昨日、大量出現した。
衛士隊と冒険者たちによって魔物自体はすでに討伐されている。だが、問題は凍土化した農地だった。冬小麦が穂を形成し始める時期なので、早く対応しないと成育に影響が出てしまう。
エリーゼはそう説明すると、「ここがシトス農地です」と地図を広げた。
「学都から東に三キロほど離れた大規模農地です」
理一郎は地図をじっくり見た。
「東門停車場からは歩いて行けそうだ」
「この辺り一帯が凍ったままで……」エリーゼが対象の範囲を指でなぞった。
「広いな」
「そうなんです。火魔法や土魔法では、むやみに使うと麦を傷めてしまいます。でも、緻密に制御できるような冒険者さんには、労力の割には報酬が少ないと敬遠されてしまって……。いかがでしょう?」
理一郎はうなずいた。
「俺の魔法ならなんとかなるかもしれない」
「よかった! そうおっしゃっていただけると思っていました」エリーゼはうれしそうに微笑んだ。「報酬は一万二千ターレルです。四級冒険者が得られる額としては悪くはありませんよ」
「理解した。受けよう」
理一郎が依頼票にサインし終わった時、後から誰かがどすんとぶつかってきた。
同時に背中にやわらかい膨らみを感じる。
振り向かなくてもわかる。全身を刺激するこの甘美な匂いはカイラだ。抱きつかれていることもあって、体が熱くなる。
「よお! 召喚場ぶりだな、リチロー」
カイラは手を伸ばして依頼票を取り上げる。
「なんだ、お前。こんなしょっぱい依頼を受けるのか?」
振り返ると、今日も虎柄のビキニアーマーで、腰には新しい大剣を下げている。
「もっと稼げるのはなかったのか? まあ、だいたいこんな時間に来るのが悪いんだぜ。オレなんかもう一仕事終えてきたぞ」
「朝はいろいろあってな。依頼はエリーゼが選んでくれた」
「理一郎さんは四級とは言え、まだ経験がありません。できるだけ安全なものをお勧めしました」とエリーゼもフォローする。
「ったくしょうがねえな。付いてってやりたいが、オレには何もできなさそうだ。今度はきちんと登録して高難度依頼を受けようぜ。みっちり仕込んでやるよ」
カイラは両手を腰に当て、自信たっぷりに言った。
「なんぢゃ、この脳筋虎娘が! 余計なお世話ぢゃ。パートナーなら妾がおるわい!」
リリスが理一郎の肩から睨みつけながら言った。
「相変わらず口の利き方を知らないおチビちゃんだな」
カイラもリリスに顔を近づける。
「二人とも止めろ」思わずため息が出た。
「俺は俺のペースでやる。しばらくは単独だろう」
「ああ、それもいいだろうぜ。だが、実力があるのに己を過小評価するのは考えものだぞ。その気になったらいつでも声をかけてくれよな。じゃあな!」
カイラは大きく手を振って、ギルドの食堂に向かっていった。
そのすぐ後、今度はジルバウがもじゃもじゃ髪をかきながら近づいてきた。
「リイチロウ、農地のお手伝いだって? なんかもったいないなぁ。おいらがもっとカッコよくて稼げるクエストを教えてやろうか?」
「いや、まずは手堅くいきたい」
「えー、つまんないの。男ならガツンと稼いでサマンサたちを驚かせてやろうよ!」
「ジルバウさん」エリーゼがにっこりと笑いながら口を挟む。「理一郎さんは特例とはいえ四級ですから、高難度は受けられませんよ。それに、あなたもまだ三級でしょう?」
「うっ……わかってるよ! おいらもこれから朝ごはんだ。リイチロウ、またね!」
痛いところを突かれたジルバウは、そそくさと食堂へ駆け込んでいった。
エリーゼからは、依頼を始める前に依頼主と会うこと、自分が依頼を引き受けた冒険者だと伝えること、終了後には依頼主から達成証明のサインをもらうことを説明され、依頼票や地図、農地の状況を記した資料一式を渡された。
「サーモリーチの影響で、一部はかなり低温になっています。ご注意くださいね」
「理解した。では行ってくる」
東門までは路面鉄道に乗った。
途中、東市場を通り過ぎる。
例の不良珠石が出回っているという市場は、特に変わった様子もなかった。露店には品物が山と積まれ、客と店主の声が飛び交い、いつものようににぎわっている。
その雑踏が車窓を流れていくのを、理一郎は黙って見つめていた。




