虎娘カイラ・ティグリス
大型の魔物を召喚する召喚実験場は、万が一の危険を考慮して学都北郊に建てられていた。
一帯は演習区域で魔法の実射場や学都衛士隊の駐屯地など、さまざまな施設がある。召喚実験場は、中でもひときわ目立つ建物だった。
門をくぐると、すぐに全景が見える。そこは、すり鉢状に地面を掘り下げた、円形劇場のようだった。
その威容に、理一郎は思わず息を呑む。
「ほう、これはなかなかのものぢゃな」とリリスも感心する。
「もともと星石が落ちてきた時の穴があったんだって。その石の力も利用してるんだよ」と、アリアが説明する。
斜面には観覧席が階段状にずっと下まで続いていた。
すり鉢の底が召喚フロアで、直径五十メートルを優に超える巨大な円形舞台がある。その舞台いっぱいに召喚魔法陣が刻まれ、青白く発光していた。
魔法院の召喚魔導士が召喚陣の記法を入念にチェックし、その手順を見学の学生たちに指導している。魔法陣の外周付近に刻まれた補助魔法陣の調整も行われ、結界の強度を確認する作業も進められていた。
「魔法陣の構成は、実験室のと基本的には同じなの。でも、こっちは外側の結界陣がもっと強力になってるんだ」とアリア。「召喚される魔物が大きいし、凶暴なこともあるから」
魔法陣の外側では、揃いの革鎧に身を包んだ一団が整列して待機している。
「あの兵隊たちは万が一のためか?」
誰にともなく理一郎が問うと、ソフィアが答えた。
「あれはミレトスの防衛を担う学都騎士団の皆さんですが、今日は護衛ではありません。先ほどもお話ししたように、騎士団所属の竜騎兵隊のための走竜を召喚するので、引き取りのためにいらっしゃってます」
「万が一のときにはね――」とラランドランドララが、召喚実験場を囲む外周壁を指さした。
高い壁の上には結界を発生させる装置が等間隔に配置され、青白く発光している。
「あそこからも防護結界が張られて魔物を封じ込めるから安心なんだよ。それにね、本当に大変なときには――」
そこまで言いかけて、ラランドランドララがいたずらっ子のような表情を一瞬浮かべた。
「まあ、いいや。下に行けばわかるよ」
ラランドランドララが階段を下りようとすると、ソフィアがあわてて一行の先頭に立った。
* * *
召喚実験場の内部には、召喚陣の操作や制御、召喚した魔物の観察室など、さまざまな施設が点在していた。一行はそれらを素通りし、底面フロアへのゲートに直行する。
そこで門番をしていたのは、一人の女戦士だった。
美しい金褐色の豊かな髪。虎縞のビキニ・アーマーと、わずかな装具しか身につけていない、鍛え上げられた無駄のない肉体。一瞬、黄金に輝く人が立っているように見えた。
「やあ、戦士カイラ君。今日は護衛役をご苦労さまだね。万が一のときはよろしく頼むね」
ラランドランドララが挨拶すると、カイラはひざまずいて「ありがとうございます」と応えた。
その時、彼女の頭のてっぺん近くから飛び出ている物がはっきりと見えた。
――虎の耳だ!
女戦士はすくっと立ち上がると、理一郎たちを琥珀色の澄んだ瞳で見回す。
その半裸に近い姿を間近にして、理一郎は目のやり場に困り、思わず顔を伏せてしまった。
魔女は露出が多いとアリアが言っていたが、それでもサマンサは服を着ていた。女戦士はさらに露出が多いのが普通なのだろうか。
「どうした少年? 虎人族は珍しいか?」
虎人族どころかヒト族以外を見るのは初めてだったが、そういう話ではなかった。
理一郎が黙っていると、女戦士は距離を詰めてきた。
「なんだ? なんかあるなら言ってみろ」
二人の間にソフィアが割り込んだ。
「カイラ、彼を困らせないで」
「相変わらず良い子ちゃんだな、ソフィア。オレは少年がなんで目をそらしたか聞いてるだけだぜ」
「あなたも学生の頃から変わらずの輩ぶりね。わかっててからかうんじゃないって言ってるのよ」とソフィア。
二人は旧知のようだが、空気がぴりぴりしている。ソフィアの口調もいつもと違う。
「総長殿のお役目はしっかり果たしてるんだろうな」
「当たり前でしょ。あなたみたいな〝その日暮らし〟はしてないわ」
「かつての相棒にひどい言い草じゃないか。今日だってちゃんと仕事しに来てるんだぜ。……だがな、お前と組んでいれば、今頃は廃都探索に忙しくしてたかもな」
カイラがソフィアの目を正面から見据える。ソフィアもその目をまっすぐに見返す。
「カイラ、私はこの道を選んだのよ」
顔を合わせた二人の間に一触即発の雰囲気が漂う。
その緊迫した空気を読まずに、リリスがずかずかと割り込み、カイラに文句を言う。
「理一郎が困っとるのは、汝がそんな破廉恥な格好をしているからぢゃ!」
女戦士カイラは、場の緊張が破られてほっとしたような表情で、リリスに顔を寄せた。
「おチビちゃん、見ない種属だね。角の生えた妖精には会ったことがなかったよ。だが聞き捨てならねえな。これは虎人戦士の戦闘服だぜ。侮辱するのか」
「まあまあ、カイラ君」ラランドランドララが仲裁に入った。「彼――理一郎君と言うんだけどね――彼も虎人族を見るのは初めてなんだよ。その装束が正式武装だと知らずに肌色の多さに照れてるんだな。思春期のヒト族男子にはよくあることだよね」
「総長殿がそうおっしゃるのなら」とカイラは頭を下げる。「少年、オレの体は戦士としてのオレそのものだ、鍛え上げた刃であり、鎧だ。他人に見られて恥じるものではない。お前もそう心得ろ」
カイラはそう言うと、一行を召喚フロアに通した。
カイラから離れると、理一郎はソフィアに訊いた、
「彼女が万が一のときの護衛なのか? あんな軽装で本当に大丈夫なのか?」
「カイラは虎人族ですからね。臨戦態勢になると、顔以外の全身が虎毛に覆われます。虎人族の虎毛は、並みの剣では刃が通らないほど硬いんです」
ソフィアは一息入れて、理一郎を見る。
「ああ見えて、彼女、支援魔法を使うんです。皮膚強度や筋力、動作速度を高めて戦うので、身一つで十分なんです」
そうであれば、あの姿も納得できた。
「ソフィアさんとカイラさんは同級生なんですよね?」とアリア。
「そうです、高等課程までは」
高等課程の実技演習の授業で、ソフィアもカイラも体術を選択した。魔法院の生徒はほぼ全員が魔法の実践演習を選ぶので、クラスは二人きりだった。そこからの付き合いだった。
「カイラのほうが生まれ月が早いので歳は一つ上ですけどね」
「ということは二十歳ですか!? それでもうすぐ一級に手が届きそうな冒険者だなんて、すごいです。ソフィアさんたちの代は優秀なんですね」
「そんなことないですよ」ソフィアはどこか遠い目をし、なにかを思い出している。その思いを吹き払うように「そろそろ着きますよ」と口に出した。
* * *
魔法陣の中央付近では、数人の召喚魔導士が最終確認を行っていた。複雑な魔法陣の輝きが強くなったようだ。
青白く輝く巨大召喚陣の周囲に、数名の魔導士たちが整列しはじめた。彼らは魔力制御用の杖を手にしている。その先端には珠石がはめ込まれた、淡く光を放っていた。
召喚陣の外周では、魔導士たちの背後を固めるように、衛士隊が等間隔に並んだ。
いつの間にかカイラも大剣に手を添えて、ステージの近くで待機している。虎耳がかすかに動き、辺りの気配を探り、警戒を怠らない。
「始め!」
主任魔導士の声が響き渡ると、召喚陣が一斉に明滅を始めた。古代文字が浮かび上がり、魔力の渦が中心へと収束していく。
召喚魔導士たちが詠唱を開始する。彼らの声が重なり合い、増幅され、魔法陣の輝きがさらに増していく。珠石が共鳴するように青い光を放ち、その光は天空へと伸びていった。
やがて魔法陣の中心に光の渦が出現し、そこから召喚獣の姿が徐々に実体化していく。
大きな口、鋭いかぎ爪、たくましい脚、そしていくばくかの知性を感じさせる瞳。体長五メートルほどの爬虫類が、召喚陣の上に浮かび上がった。
――まさに恐竜じゃないか!
理一郎は思わず感嘆の声を上げた。
アリアが説明する。
「あれが走竜だよ。全力を出すと馬より速いの。頑丈だし、噛みついたり引っ掻いたりして攻撃もできるんだよ」
体高は二メートル程度。確かに背に乗るにはちょうど良い具合だ。
「人に慣れやすいし、知能もあるので命令も聞く。王国騎士団にも竜騎兵隊があるんだよね」
ラランドランドララが付け加えた。
「お主の記憶にある小型獣脚類、ヴェロキラプトルにそっくりぢゃな。羽毛は生えとらんが」とリリス。
「人の記憶を勝手にのぞくな!」
怒る理一郎に、リリスはさらりと応える。
「契約ぢゃ。さっき言わなかったかのう? 妾は情報の悪魔だ。対価はお主の記憶ぢゃよ」
「そんな重要なことをいまさら言うのか」
「妾がこうして顕現するためには、お主が蓄えておる情報を共有する必要があるのぢゃ。もちろん、妾になにかさせようとするなら、そのための対価も必要となるがのう」
「後出しもいいところだな。どんな対価なんだ?」
「妾の働きに応じて程度は異なるが、お主の幸せな想い出を消し去ったり、お主が記憶の奥底にしまい込んでいる思い出したくない出来事を掘り起こしたり、いずれにしてもお主の記憶が対価ぢゃ」
――やはり悪魔か。
アリアが、だから言ったのにと言いたげに、理一郎の袖を引いた。
まったくその通りなのだが、理一郎は「こいつを頼るつもりは一切ない」と強がってみせた。
「そうだと良いのう」リリスは、不吉な予言をする。
召喚されたばかりの走竜は、竜騎兵の一人とさっそく従魔契約をした。契約儀式が終わると、走竜は口枷をはめられて魔法陣の外に連れ出されていった。
召喚魔導士たちが次の召喚の準備を始めた。
「どうかな? 神殿での召喚と似ているかな? 召喚陣と魔力と詠唱。これが基本だよ」
ラランドランドララが訊く。
「類似性はあるように思える。ただし、詠唱の有無については断定できない。観測していないからな」
「呼び出す魔物の魔力が高いほど、召喚には大きな魔力が必要となるんだよ。だから、魔力を効率的に増幅するために魔法陣も複雑になって、必然的に大きくなるんだよね。神殿の魔法陣も大きかったでしょ?」
「さっきの屋内実験室での召喚は、規模を制限していたということか」
「生徒が実習するための施設だからね。低魔力の魔物しか呼べないようにしてある。それでもリリス君のような悪魔が現れるなんてね」
ラランドランドララが欲しくてたまらないおもちゃを見るような目で、じっとりとリリスを見つめる。まだ未練満々だ。
リリスは大博士と目が合わないように、理一郎の陰に隠れた。
舞台では次の召喚が行われようとしていた。
さっきと同じ手順で、儀式が進んでいく。
最終段階に入り、増幅された魔力が魔法陣に流れ込もうとした時――。
「おや?」リリスが理一郎の耳元でささやいた。「今、召喚陣の一部が書き換わったぞ」
「なんだと?」
魔法陣が青く輝き、その中心から渦を巻いた光が立ち上る。
しかし、何かがおかしい。渦はさっきよりも遥かに大きくなり、禍々しく濁った赤みを帯びはじめた。
「危険です! お下がりください!」ソフィアが叫んで、ラランドランドララの前に出る。「あれは――」
場内に緊急事態を告げる警報が鳴り響いた。
魔法陣の中心に、恐るべき存在が姿を現した。
血のように赤い巨大なドラゴン。それが、轟音とともに出現したのだ。
体長二十メートルを超える巨体は、分厚い鱗に覆われ、背中から首筋にかけての棘は怒りに震えるように揺れている。その深紅の目は狂気に満ち、鱗の隙間からは体熱がにじみ出ていた。恐竜というより、むしろ怪獣と呼ぶにふさわしい。
「まずい!」カイラが剣を抜いて前に出た。「暴竜――ヴァイブロ・ドラゴンだ! ソフィア、皆を待避室へ!」
理一郎たちはソフィアの先導で観覧席の階段を駆け上がり、最上部の避難施設に向かった。
* * *
「ここは安全なのか?」
待避室の魔導ガラス越しに暴竜を眺めながら、理一郎がアリアに訊く。
「ここだけはアダマンタイトでできてるから、たぶん」
「それにしても、あんな生き物がいるとはな、実に興味深い」
「暴竜はとても気性が荒いの」アリアが説明する。「知性はなくて本能のままに行動するし、騎士団が討伐するような魔物よ」
もしも単独で征伐すれば〝竜殺し〟の称号が王宮から与えられるという。冒険者であれば無条件に一級に昇格する。
「あんな物、制御のしようがあるのか?」
「封じ込めの機構は作動しているね」とラランドランドララ。
魔法陣外周の結界陣が発動し、見えない檻を形成している。外壁の装置も作動し、実験場全体に蓋をするように、防護結界の虹色の膜が覆った。
「あのまま戻せれば良かったんだけどね。でも――」
ラランドランドララは、避難室の魔導表示板にステージ上の魔法陣を映し出して言った。
「こことここ、陣が書き換えられているね。召喚対象を指定する箇所と、元の場所と経路を保持する箇所だよ。これでは返せないな」
「ほうら、妾が言ったとおりぢゃろ」
リリスが得意そうに宙でそっくりかえる。
「すごいね、リリス君にはそんなことまでわかるのかい」
ラランドランドララが感心したように言うので、リリスはさらに胸を張って大きくのけぞる。そして、召喚魔導士の一人を示した。
「最終シーケンスの直前に、彼奴が干渉したのぢゃ」
顔はよく見えないが、アカデミアの研究員用ローブを纏い、暴竜を囲む騎士団の陰に隠れていた。
「ソフィア君」
ラランドランドララが合図をすると、ソフィアがうなずいて、識別のための魔法印をその研究員に打ち込んだ。
* * *
「結界を強化しろ!」
舞台では主任魔導士の命令に応じ、実験場の周囲に配置された魔導士たちが青白い魔法陣を発動させた。暴竜を閉じ込めようとする透明な壁が空間を歪めて煌めく。
だが、暴竜は拘束に抗うように巨大な翼を広げ、耳をつんざく唸り声を上げた。待避室の分厚い魔導ガラスがびりびりと振動する。
さらに大きく口を開き、大地を揺るがす咆哮とともに、口から赤紫色に輝く波動を放射した。
「ブレスよ!」とアリアが叫ぶ。
金属を引き裂くような甲高い音が響き、ブレスが通過した空間が目に見えて歪む。大気中の微粒子がちりちりと赤紫色に発光した。ブレスが当たった石柱が赤熱し、沸騰するように膨れ上がって爆発的に崩れ落ちていく。
――プラズマ放電? 高周波か!
高周波エネルギーが空気を電離させると、プラズマ状態になる。そして空気中の窒素は電離する際、紫や赤紫色の光を放出する。石柱の崩壊具合から見ても、あのブレスが高周波であることは間違いないだろう。
「物理防御は無効だ! 魔法盾を!」
指揮官の声に応じ、十数名の騎士が陣形を組んだ。彼らの前方には青く輝く魔法障壁が現れ、ブレスの一部を受け止める。だが、その壁は徐々に歪みはじめる。
「このままでは魔法盾が保たない!」
魔法騎士たちが次々と攻撃魔法を放つ。炎の矢、氷の槍、稲妻の鎖がドラゴンに向かって飛んでいく。だが、暴竜の分厚い鱗はそれらをほとんど弾き返してしまう。
一般の騎士たちは長槍を構え、暴竜の脚を狙う。しかし、彼らが近づくと、暴竜は尾を振るい、次々に跳ね飛ばしていく。
ついに召喚魔法陣の外周付近に構築された結界陣が破られた。
圧倒的な質量の暴走が、巨大な土煙を巻き上げて施設の防壁を揺らした。
安全なはずの学術的な実験場が、今や命のやり取りが行われる戦場になろうとしていた。




