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第22話: 五年前のあの夜を、朔也がようやく最後まで話した

「みんなで、来た」


 坂の下で、陸がそれだけ言った。隣には芽依と拓斗もいた。


 三人が並んで立つ姿を見て、朔也は言葉に詰まった。




 紅葉があやうく消えかけてから、三日が経っていた。


 輪郭は、少しずつ元に戻りつつあった。それでも、以前のような安定には程遠かった。朔也は毎日丘に通いながら、他の三人にも状況を伝え続けていた。


 グループのメッセージアプリには、五年ぶりに四人分のやり取りが並んでいた。「大丈夫か」「何か手伝えることは」「今度こそ、放っておかない」。短い言葉の応酬が、少しずつ積み重なっていった。


 今日、三人は自分から「一緒に行く」と言い出した。誰からともなく、待つだけでは足りないと感じ始めていた。


「本当に、いいのか」朔也は、坂の下で三人に聞いた。「紅葉のこと、まだちゃんと言えてない部分もある」


「四の五の言うな」陸が言った。「行けば、分かるんだろ」


 その言い方に、朔也は苦笑した。誰もが、もう「行けば分かる」のやり取りに慣れ始めていた。




 境界を越えると、紅葉が驚いた顔で振り返った。


「みんな」紅葉の声が、震えた。


「久しぶり」陸が、短く言った。


「久しぶりって、あんたも大概素っ気ないね」芽依が突っ込んだ。


「いいんだよ、これで」拓斗が笑った。「紅葉、元気そうで良かった」


 元気そうには見えなかった。それでも拓斗は、あえてそう言った。紅葉も、それが分かった上で小さく笑った。


「みんな、変わったね」紅葉は、一人ずつの顔を見渡した。「陸くんはがっしりして、芽依ちゃんは大人っぽくなって、拓斗くんは……髪、明るくなった」


「そこは、もう見た」拓斗が笑った。


「わたしだけ、変わってない」紅葉は、自分の手を見た。「なんか、悪いね。置いてけぼりにされた気分にさせて」


「置いてけぼりなのは、こっちの方だ」陸が、ぼそりと言った。「五年間、お前だけ置いて先に進んでた」


 その一言に、誰も言い返せなかった。




 五人は、花畑の真ん中に輪になって座った。


 五年前、当たり前だったこの光景が、今は奇跡のように感じられた。


「全員揃うの、五年ぶりか」陸が、花畑を見渡した。


「五年ぶり」紅葉が繰り返した。「夢みたい」


「夢じゃない」芽依は言った。「ちゃんと、現実」


 拓斗が、何も言わずに紅葉の隣に座った。それだけで、彼なりの気遣いが伝わってきた。




「みんなで、確認したいことがある」朔也は、切り出した。「五年前のあの夜、それぞれが知ってることを、一度全部並べたい」


 陸が頷いた。芽依も、真剣な顔で頷いた。


「陸が、紅葉に進路のことで問い詰めた」朔也は続けた。「その翌日の夕方、拓斗が花屋で紅葉に花を渡した。その日の夜、紅葉は芽依に電話して、僕への気持ちを言いかけて、切れた」


 誰も、口を挟まなかった。


「その後、紅葉は一人で夜を過ごした。そして——」


 朔也の声が、初めて詰まった。




「その後のこと、僕しか知らない」朔也は、拳を握った。「五年間、誰にも話してなかった」


「話してくれ」陸が言った。「今度こそ、逃げるな」


 朔也は、深く息を吸った。花畑の匂いが、いつもより濃く感じられた。


 拓斗が、紅葉の手をそっと握った。芽依は、両手を膝の上で固く組んでいた。陸だけが、腕を組んだまま、じっと朔也を見つめていた。


 四人分の視線を受けながら、朔也は五年間閉じ込めてきた記憶の扉を、ゆっくりと開き始めた。


「あの日の夜、僕は紅葉に会いに行った」朔也は言った。「何か様子がおかしいと思ったから。でも、いざ会ったら、うまく言葉が出てこなくて」


「何て、言ったの」紅葉が、静かに聞いた。


「『最近どうした?』って、それだけ」朔也は、目を伏せた。「本当は、もっと聞きたいことがあったのに。もっと、伝えたいことがあったのに。結局、当たり障りのないことしか言えなかった」




「紅葉は、少し笑って、『別に、何も』って言った」朔也は続けた。「僕は、それ以上聞かなかった。踏み込む勇気がなかった」


 紅葉は、その時のことを思い出そうとするように、じっと宙を見つめていた。記憶の断片が、まだ形になりきらないまま揺れているようだった。


「その後、少しだけ、他愛のない話をした」朔也は続けた。「部活の後輩がどうとか、来週のテストがどうとか。今思えば、あれは間を持たせるためだけの会話だった」


「それで?」拓斗が、身を乗り出した。


「帰り際、紅葉が言ったんだ」朔也の声が、震えを帯びた。「『朔也は、いつもそうだよね。大事なことほど、言わない』って」


 その一言に、紅葉自身が息を呑んだ。


「それから、『もう、いい』って」朔也は、絞り出すように言った。「それだけ言って、紅葉は坂の方へ歩いていった。僕は、追いかけなかった」




 沈黙が、花畑に降りた。


「追いかけなかったのか」陸が、掠れた声で聞いた。


「追いかけなかった」朔也は、頷いた。「明日でいい、って思った。今日は、もう疲れさせたくないって。それが、間違いだった」


 紅葉は、何も言わなかった。ただ、じっと自分の手のひらを見つめていた。


「僕が、ちゃんと聞いてれば」朔也は、声を絞り出した。「僕が、ちゃんと言葉にしてれば。何か、違ったかもしれない」


「たられば、言っても仕方ない」拓斗が、ぽつりと言った。「それ、俺も散々言われたセリフだけどな」


 その一言に、朔也は苦く笑った。自分がかつて拓斗にかけた言葉が、そのまま返ってきていた。


「みんな、同じところをぐるぐる回ってるんだな」芽依が、ため息交じりに言った。「陸も、拓斗くんも、朔也も。結局、誰も自分を許せてない」


「これで、全部か」芽依が聞いた。


「たぶん」朔也は言った。「でも、まだ分からないことがある」


「なんだよ」拓斗が聞いた。


「紅葉が、なんで丘に来たのか。なんで、ここに留まり続けてるのか」朔也は、紅葉を見た。「そこだけは、まだ誰にも分からない」


 紅葉は、答えなかった。答えられなかった、というのが正しいのかもしれなかった。


「紅葉」陸が、低い声で聞いた。「あの後、どこに向かったか、覚えてないのか」


「覚えてない」紅葉は、首を振った。「気づいたら、ここにいた。それだけ」


「本当に、それだけなのか」


「うそじゃない」紅葉の声が、少し震えた。「思い出そうとしても、そこだけ、ぽっかり空いてるの。まるで、最初からそこだけ無かったみたいに」


 その言い方に、朔也は言葉を失った。他の記憶は、花が開くたびに少しずつ戻ってきた。それなのに、その一点だけが、頑なに閉ざされたままだった。


「怖い」紅葉は、膝を抱えた。「そこを知ったら、何かが決定的に変わる気がして」


 誰も、その先を続けられなかった。


「無理に、思い出さなくていい」朔也は、紅葉の隣にしゃがみ込んだ。「僕らは、ただ待つだけじゃなくて、一緒に考える」


「一緒に、か」紅葉は、四人の顔を見渡した。「五年前は、当たり前だったことだね」


「これからも、当たり前にする」陸が、ぶっきらぼうに言った。


 夕陽が沈みきり、花畑に薄闇が広がり始めていた。誰かが立ち上がることもなく、五人はしばらく、そのまま輪になって座り続けていた。


 五人の間に、埋まらない最後の空白だけが、静かに残っていた。

最後まで読んでいただきありがとうございました。


第22話から、第2アーク結パートが始まりました。ついに、五年前のあの夜、朔也と紅葉の間に何があったのかを明かす回です。第1話からずっと引っ張ってきた謎の核心なので、書くタイミングはかなり慎重に選びました。


「大事なことほど、言わない」という紅葉の台詞は、朔也の信条(大事なことほど、ちゃんと言葉にする)が、本人が一番できていない信条だという設定の、いわば答え合わせです。追いかけなかった、というシンプルな事実が、五年間の全ての始まりだったという構造にしたくて、あえて派手な衝突ではなく、静かな後悔として描きました。


五人が揃う場面は、シリーズを通してずっと書きたかった光景です。それでも、まだ紅葉自身の秘密だけが残っている——というラストで、次話に続きます。どうぞよろしくお願いします。

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