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14/20

第14話: 電話越しの一言を、芽依はやっと思い出した

 ——思い出したことがある。一人で来て。


 芽依からのメッセージは、それだけだった。


 朔也は、既読をつけたまま、しばらく画面を見つめていた。




 指定されたのは、病院の近くの小さな公園だった。


 電車を降り、地図アプリを頼りに歩くこと十分。噴水のない、古びた滑り台とブランコだけの公園だった。休日の午後、子供連れの家族が数組、遠くのベンチで談笑している。


 休日らしい芽依は、ナース服ではなく、動きやすそうなパーカー姿だった。ベンチに座り、缶コーヒーを二つ、隣に置いていた。片方を、朔也に差し出す。


「陸は?」朔也は聞いた。


「今日は、二人で」芽依は前を向いたまま言った。「この話、あいつがいると、たぶんうまく話せない」


「うまく話せないって」


「聞けば、わかる」


 芽依の横顔は、病院で見た時よりも硬かった。腕時計に何度も目をやる仕草は、ここでは一度も出なかった。


 朔也は、缶コーヒーを受け取ったまま、口をつけずにいた。何か重大なことを聞かされる予感が、胸の奥で疼いていた。




「あの電話」芽依は、缶のプルタブを弄びながら言った。「ずっと、内容までは思い出せなかった」


「うん」


「でも、あんたたちが本気で動いてるの見て」芽依は続けた。「思い出したくなかったこと、思い出しちゃった」


 朔也は、息を呑んだ。


「紅葉、電話でこう言ったの」芽依は目を伏せた。「『もし、朔也に本当の気持ち伝えたら、今の五人でいられなくなるかな』って」


 公園の遠くで、子供の笑い声が響いていた。朔也には、それが別世界の音のように聞こえた。




「本当の、気持ち」朔也は、掠れた声で繰り返した。


「うん」芽依は頷いた。「それ以上は聞けなかった。『今度でいい?』って、わたしが流しちゃったから」


「それだけ、なのか」


「それだけ」芽依は缶コーヒーを一口飲んだ。「でも、それだけで十分でしょ。あんた、鈍いから気づいてなかっただろうけど」


「そんな、そぶり」朔也は言葉に詰まった。「一度も、なかった」


「そりゃそうよ」芽依は肩をすくめた。「言えないから、相談してたんでしょ」


「声、どんな感じだった。紅葉の」


「震えてた」芽依は目を伏せたまま言った。「今思えば、だけど。あの時は忙しさにかまけて、そこまで気にしてなかった」


 芽依の声にも、微かな震えが混じっていた。五年間、この後悔を一人で抱えていたのだと、朔也は改めて思い知った。


「わたしが、ちゃんと聞いてれば」芽依は続けた。「何か、変わったのかな」


「わからない」朔也は正直に言った。「でも、芽依のせいじゃない」


「慰めなくていい」芽依は缶を握りしめた。「事実を言っただけだから」


 その強がりの言い方が、余計に痛々しく響いた。




 朔也は、缶コーヒーを両手で包んだまま、しばらく動けなかった。


 五年前の紅葉の姿が、記憶の中で少しずつ形を変えていく。あの日、「もう、いい」と言って背を向けた紅葉。あれは、単なる衝突の結果ではなかったのかもしれない。


「言えなかったこと」朔也は呟いた。「一つじゃ、なかったのか」


「かもね」芽依は言った。「陸との喧嘩も、わたしへの相談も、あんたへの気持ちも。全部、あの数日に詰め込まれてた」


 その言葉が、朔也の胸に重く沈んだ。


 卒業間際のあの数日間、紅葉の中で何が起きていたのか。誰にも本音を言えないまま、一人で抱え込んでいく紅葉の姿が、朔也の想像の中でだんだん鮮明になっていった。


「気づいてやれなかったの、僕だけじゃなかったんだな」朔也は言った。


「みんな、気づいてなかった」芽依は言った。「紅葉、隠すの上手かったから」


「上手すぎたんだ」


 二人の間に、しばらく沈黙が降りた。公園の子供たちの笑い声だけが、変わらず遠くで響いていた。




「ねえ」芽依が、急に声のトーンを変えた。「今の話、聞かなかったことにする?」


「え」


「顔、真っ赤だから」芽依はにやりとした。「五年越しの惚気話、聞かされる方の身にもなってよ」


「そんなんじゃ」


「そんなんじゃない顔、してないけど」


 からかうような口調に、朔也は毒気を抜かれた。深刻な話の直後にわざと軽口を挟む芽依のやり方に、初めて気づいた気がした。


 思えば、病院で告白めいたことを口にした時も、彼女はすぐに話題を変えていた。核心に触れた分だけ、素早く逃げる。それが、芽依なりの自己防衛なのかもしれなかった。


「からかってるだけじゃ、ないだろ」朔也は、あえて踏み込んでみた。「本当は、少し照れてないか」


 芽依の眉が、ぴくりと動いた。


「調子に乗るな」芽依は缶コーヒーの残りを飲み干した。「この話は、もう終わり」


 休日のはずなのに、芽依は話を切り上げる時だけ、病院で見せる事務的な口調に戻った。




「もう一つ」芽依は、真顔に戻って言った。「時系列、思い出した」


「時系列?」


「あの電話、陸と喧嘩した日の、次の日だった」芽依は言った。「たぶん紅葉、喧嘩の直後に、わたしに電話してきてる」


 朔也の心臓が、跳ねた。


「陸との喧嘩と、僕への気持ちと」朔也は言った。「二つは、繋がってるのか」


「わからない」芽依は首を振った。「でも、無関係だとも思えない」


 公園のベンチに、夕方の風が吹き抜けた。朔也の中で、五年前の紅葉の輪郭が、今までとは違う形を結び始めていた。


「これ、紅葉に言うの」芽依が聞いた。


 朔也は、答えられなかった。


「言わない方がいいと思う」芽依は続けた。「言うにしても、今じゃない」


「なんで」


「あんたの顔、見てれば分かる」芽依は小さく笑った。「まだ、自分の中で消化できてないでしょ」


 図星だった。朔也は、それ以上何も言えなかった。




 丘に着く頃には、日はほとんど落ちていた。


 境界を越えると、いつもの花の匂いが、朔也を迎えた。紅葉が、驚いたように顔を上げる。


「今日、遅かったね」紅葉は言った。「何かあった?」


「芽依に会ってきた」朔也は言葉を選びながら答えた。「色々、聞いた」


「相談のこと?」


「うん」


 紅葉は、朔也の顔をじっと見つめた。何かを察したような、微妙な表情だった。


「わたし、何を相談してたんだろう」紅葉は蕾の方へ視線を移した。「まだ、思い出せない」


 朔也の喉元まで、言葉がせり上がってきた。それを口にすれば、五年前のあの日が、今とは違う意味を持ち始めてしまう。


「言いかけて、止めた?」紅葉が、からかうように聞いた。「その顔、いつもの顔だよ」


「……いや」朔也は目を逸らした。「なんでもない」


 いつもの癖が、また出た。陸に対しては、今日だけはと踏み越えられた。けれど紅葉本人を前にすると、言葉はまた喉の手前で凍りついた。


「無理に、話さなくていいよ」紅葉は、蕾の連なりに視線を戻した。「芽依ちゃんのこと、話せる時が来たら、その時でいいから」


「うん」


 その優しさが、今は少しだけ苦しかった。


 夕闇の中、芽依の分だと見立てている蕾が、他の花より少しだけ、色濃く見えた気がした。風もないのに、花びらの先端がかすかに震えていた。

最後まで読んでいただきありがとうございました。


第14話は、シリーズを通しても大きな一手を明かす回になりました。紅葉の「相談」の正体を、朔也自身への想いという形で出すかどうかはかなり悩みましたが、芽依というワンクッションを挟むことで、朔也が直接聞くよりも生々しい距離感を保てたと思っています。


芽依が深刻な告白の直後にわざと軽口を挟む場面は、第13話レビューでいただいた「核心を突いた後、誤魔化す」という彼女本来の話法を、今回はっきり実装したつもりです。深刻さをそのまま重く終わらせず、彼女らしい照れ隠しで一度空気を緩める——というバランスを取りました。


陸との喧嘩の翌日に紅葉が芽依に電話していたという時系列も、今回初めて明らかにしています。この二つの出来事が本当に繋がっているのか、次話でもう少し掘り下げていきます。どうぞよろしくお願いします。

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