第13話: 会いに来たのが遅すぎると、芽依は真っ先に言った
「五年も経ってから来るとか、正直どうかと思うけど」
芽依は、腕時計にちらりと目をやりながら言った。
「休憩、十五分しかないから」
隣県の病院のロビーは、消毒液の匂いが薄く漂っていた。
朔也は、陸と並んでベンチに座っていた。連絡を入れてから丸二日、待たされた末の面会だった。
電車を乗り継いで一時間半。着いてからも、受付で四十分近く待たされた。陸は、待合室の長椅子で貧乏ゆすりを続けていた。
「そんなに緊張するくらいなら、来る前に言えよ」朔也は思わず言った。
「緊張なんかしてねえ」陸は膝を止めた。「ただ、座り慣れねえだけだ」
ナース服姿の芽依が現れた瞬間、陸が小さく息を止めるのが分かった。
「連絡くれただけ、まし」芽依は続けた。「無視されるかと思ってた」
「無視するわけないだろ」陸が口を挟んだ。
「あんたは黙ってて」芽依はナース服のポケットからメモ帳を取り出しながら言った。「今、患者さんの申し送り中に抜けてきたんだから」
「悪い」朔也は頭を下げた。「本当に、十五分でいい」
「十五分もいらないくらい、要件がはっきりしてるといいけどね」
「あんたに言ってない」芽依は陸を一瞥もせずに切り返した。「久しぶりだね、陸」
「久しぶり、じゃねえよ。もっと言うことあるだろ」
「じゃあ言う。相変わらず馬鹿正直な顔してる」
「うるせえ」
「褒めてるんだけど」芽依はようやく陸の方を見た。「今どき、珍しいくらいまっすぐで」
陸は、何と返せばいいか分からない顔をした。
昔と同じやり取りだった。朔也は、思わず口元が緩むのを感じた。五年間止まっていたはずの空気の一部が、二人の間だけ動き出していた。
「で」芽依は、二人を交互に見た。「わざわざ二人で来るってことは、ただの近況報告じゃないんでしょ」
朔也は、言葉を選んだ。ここまで来る道中、陸と何度も相談した切り出し方だったが、いざ本人を前にすると、どれもしっくりこなかった。
「紅葉のこと」朔也は言った。「少し、話したくて」
芽依の表情が、初めて動いた。腕時計から視線を上げ、まっすぐに朔也を見る。
周りを行き交う看護師や患者の足音が、急に遠くなったように感じられた。芽依だけが、その場に根を張ったように動かなかった。
「紅葉が、どうかしたの」
「まだ、ちゃんとは言えない」朔也はいつもの言葉を繰り返した。「でも、手がかりみたいなものが、見つかったかもしれない」
芽依は、しばらく黙っていた。看護師らしい落ち着いた表情の下で、何かが激しく動いているのが、朔也にも分かった。
「今更?」芽依の声が、微かに震えた。「五年も経って、今更?」
「今更で、悪い」陸が言った。「でも、動き始めたのは本当だ」
芽依は、陸を睨んだ。それから、ふっと息を吐いた。
「あんたがそう言うなら、信じる」芽依は言った。「昔から、適当なこと言わないタイプだったし」
「褒めてんのか、それ」
「褒めてない」芽依は素っ気なく言った。「事実を言っただけ」
朔也は、二人のやり取りをただ見守った。芽依の毒舌は、相手を突き放すためではなく、本音を隠すための布のようなものだと、幼なじみだった時間が教えてくれていた。
「陸が休み取って来るくらいだから」芽依は腕を組んだ。「本当に、何か動いてるんだろうね」
「動いてる」朔也は繰り返した。「時間が、あまりないかもしれない」
「時間って」芽依の目つきが、看護師のそれに変わった。「悪化してるってこと?」
「まだ、詳しくは」
「詳しくは言えない、ばっかりだね、あんた」芽依は小さく笑った。「昔から変わんない。核心だけ、いつも隠す」
その指摘は、思ったより深く刺さった。朔也は、何も言い返せなかった。
「わたし」芽依は、廊下の奥に目をやった。「紅葉が消える前、何か相談されかけてたの」
朔也の心臓が、跳ねた。
「相談?」
「うん」芽依は、腕時計をまた見た。習慣的な仕草というより、視線の置き場所を探しているように見えた。「でも、ちゃんと聞けなかった。あの時、テスト前で忙しくて。『今度でいい?』って、流しちゃった」
「どんな話だったんだ」朔也は身を乗り出した。
「わからない」芽依は首を振った。「本当に、途中で切っちゃったから。『相談したいことがあって』って言われて、それだけ」
「電話? それとも、直接?」
「学校の帰り、電話越し」芽依は目を伏せた。「声のトーン、今でも覚えてる。いつもより、ずっと低かった」
「今度は、なかった」
「うん」芽依の声が、初めて小さくなった。「それきり、聞けなかった」
休憩を告げるチャイムのような音が、廊下の奥で小さく鳴った。芽依は、それに気づいたようで気づかないふりをした。
「看護師になったのも」芽依は続けた。「たぶん、あれのせいだと思う。誰かのSOSを、二度と聞き逃したくなくて」
朔也は、初めて知る事実に言葉を失った。芽依の毒舌の奥にあったものが、少しずつ形を持ち始めていた。
「休憩、あと五分」芽依は腕時計を見て言った。「今日はここまで」
「また来ていいか」朔也は聞いた。
「来て」芽依は即答した。「今度は、ちゃんと聞くから」
その一言には、五年前に果たせなかった約束を、今度こそ果たそうとする響きがあった。
「陸」芽依は最後に、陸の方を見た。「あんたも、ちゃんと来なさいよ。一回で満足しないで」
「言われなくても」陸は短く答えた。
「拓斗にも、ちゃんと会いに行くつもりなんでしょ」芽依は朔也に向き直った。「あいつ、花屋畳んでから連絡取りづらくなってるから。気をつけて」
「知ってるのか、拓斗の状況」
「知ってるだけ」芽依は肩をすくめた。「連絡は、あんまりしてない。柄じゃないし」
その言い方の中に、本当は気にかけているのに素直になれない不器用さが滲んでいた。朔也たちは、それを指摘しなかった。
芽依は、白衣の裾を翻して病棟の奥へ戻っていった。振り返ることはしなかったが、その足取りは来た時よりも、ほんの少しだけ速かった。
病院を出ると、夕方の空が薄紫に染まり始めていた。
「聞けなかった相談、か」朔也は呟いた。「紅葉、芽依に何を話そうとしてたんだろう」
「わからねえ」陸は空を見上げた。「でも、あいつがずっと引きずってたのは、分かった」
バス停のベンチに、二人並んで腰を下ろした。次のバスまで、まだ時間があった。
「陸」朔也は聞いた。「芽依と、昔からああだったのか」
「ああだった」陸は苦笑した。「口では負けたことねえよ、あいつには」
その口調には、憎まれ口の裏に隠された信頼が滲んでいた。
「聞けなかった相談、か」朔也はもう一度呟いた。「僕らの誰も、知らないままなんだな」
「知らないまま、ってのが一番きついよな」陸は膝の上で拳を握った。「知ってりゃ、まだ何かできたかもしれないのに」
「今からでも、知る方法があるかもしれない」
「花の、あれか」
「うん」朔也は頷いた。「芽依の分の蕾が、開けば」
陸は、しばらく黙って夕焼けを見ていた。
朔也の鞄の中で、スマートフォンが震えた。画面には、丘で待つ紅葉からのメッセージが表示されていた。
——芽依ちゃん、どうだった?
朔也は、その短い一文をしばらく見つめた。紅葉に何と伝えればいいのか、まだ言葉が定まらなかった。「聞けなかった相談があるらしい」とだけ伝えれば、紅葉はきっとまた自分を責める。かといって、隠すのも違う気がした。
遠くで、バスのエンジン音が近づいてきた。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
第13話から、第2アーク承パート、芽依編が始まりました。芽依は五人組の中でも一番「現実的」なキャラクターとして設計していて、看護師という職業も、彼女の「冷静に状況を整理する」性格から逆算して決めました。
陸との軽口の応酬は、書いていて一番楽しかった場面です。「相変わらず馬鹿正直な顔してる」という一言に、二人の五年間の距離感と、それでも変わらなかった気安さの両方を込めたつもりです。
「聞けなかった相談」というモチーフは、芽依というキャラクターの核である「誰かの異変に気づけなかったことへの後悔」に直結しています。朔也の後悔、陸の後悔とは少し違う種類の後悔を、次話以降で丁寧に掘り下げていきます。どうぞよろしくお願いします。




