9.与えるもの、奪うもの
次の日になると私は聖女としての役目を求められるようになった。
「フェリシティ、この者の治療を頼む」
テオドールに連れられ、通された部屋の中には、一人の男が横たわっていた。
高熱にうなされ、荒い呼吸を繰り返す。
医師たちが手を尽くしても、改善しないらしい。
「……通常の治療では難しい状態です。呪いを受けていることで、これ以上手の施しようがありません」
控えていた医師が静かに告げる。
呪い――それは魔法の中でも禁術に近いもの。いくら禁止されていても、人を恨む気持ちは抑えられず、こうしてその呪いを人に使ってしまう人はいるのだろう。
彼の呪いがなくなれば、呪いをかけた張本人に、呪いは還る。その人の心配まで私がする必要はない。
「そこで、君に頼みたい」
テオドールの視線がまっすぐに向けられる。
「……承知しました」
聖女としての役割を果たすことは、私が存在する理由で、力を使うことに迷いはなかった。
そっとベッドの傍へ歩み寄り、手を伸ばす。
触れたその瞬間――
魔力が流れ出す。
体の奥から、削れていく感覚。
慣れているが、呪いの治療ともなれば、消費する分もやはり多い。
「……っ」
そのまま力を流し続けていると、男の呼吸が、ゆっくりと落ち着いていく。
熱が引いていき、顔色が戻ったことで、成功だとわかる。
……まだ、大丈夫。限界まで力を使い切っていない。ここで倒れるようなことはしないと、制御する。
治療を終えて、手を離す。
男は静かに眠りに落ちていた。
「……安定しました」
医師の声に、安堵が混じる。
「やはり、聖女様のお力は素晴らしいですね」
その熱のこもった視線は、やはり慣れない。
「見事だね」
テオドールの言葉を聞いて、わずかに力を抜いた瞬間。足元が揺れた。
「……っ」
視界が落ちる。倒れかけたところで——腕を掴まれる。
「フェリシティ」
テオドールに支えられていた。
「……大丈夫?」
近い距離で、顔を覗き込まれる。
「……問題ありません。申し訳ありません。ほっとしたら気が抜けてしまって」
そう答える。テオドールは一瞬だけこちらを見て何も言わなかった。ただ、支える手は離れない。
「……少し、休もうか」
それ以上は踏み込まない。問い詰めてこない。
背に回された手から流れ込んでくるあたたかさ。
完全ではないが、テオドールから分け与えられた力で、多少回復した。
「顔色が戻ったかな」
「お気遣いありがとうございます」
「いや、俺が頼んだことだからね。こちらこそありがとう。君の体調にも気を使うのは当たり前のことだ」
しばらくして、目を覚ました男が、ゆっくりと上体を起こす。
「……あ、れ……」
混乱した声。だが、すぐに自分の状態に気づく。
「……熱が……引いてる」
自分の手を見つめる。信じられないように。
そして、その男性は私の方を見る。
「あなたが……?」
「……はい」
短く答える。それだけで十分だった。
男の表情が、変わり、安堵と感謝の言葉を伝えられる。
「ありがとう……ございます。なんとお礼をしたらいいのか」
その声は、どこか震えていた。視線が離れない。理解している。これは、力の影響を受けている
でも……今なら。やることは一つ。
私は、ゆっくりと手を伸ばす。
「……まだ、安静が必要です」
穏やかに言いながら。そっと、手に触れる。その瞬間。
じわり、と流れ込んでくる。
――きた。
空になりかけていた内側が、満たされていく。テオドールのものとは違う質感。男性の呼吸が、わずかに乱れはじめたので、ゆっくりと手を離す。
「……治って安心しました。あまり、ご無理はなさらずに」
そう言って、距離を取る。
男は名残惜しそうにこちらを見ていたが、何も言わなかった。
部屋を出て、廊下に戻る。……問題ない。いつも通り、効率的に、役割を果たすだけ。
「……うまくやってるね」
隣で、テオドールがぽつりと呟いて、私を見た。
思わず視線を向ける。
「……何のことでしょうか」
「別に。ちゃんと回復もできてるみたいだし」
軽く肩をすくめたテオドールはそれ以上追及してこない。
けれどその言葉に、一瞬だけ、心臓が跳ねたのは事実。
……気づいてる。ほぼ、間違いなく。それでも、何も言わない。私の行動を止めるわけでもなく、ただ、静かに見ていた。
「次も頼むかもしれない。けれど、そのときも、同じように無理はしないで」
優しい言い方だが、その裏は明確。
聖女としての役割を果たすこと。壊さない程度に回復させてもらうこと。それが私の役割だ。
その後も、数日にわたり同じことが繰り返された。
病人の治療。呪いの浄化。結界を張る。様々な問題が、私の元に運ばれてくる。
少しだけ、力を使いすぎた。足が重い。廊下の途中で、わずかに足を止める。
「……大丈夫?」
すぐ隣で声がした。
テオドールがいつの間にか、すぐ近くにいる。
「……問題ありません」
少し遅れた返事の言葉。その一瞬を、彼は見逃さないのだ。
「……そう」
自然な動作で、手首を掴まれる。
「……っ」
驚く間もなく軽く、引き寄せられる。肩が触れるほど距離が縮まる。
じわり、と微かな熱が流れ込む。
「……少し顔色、戻った」
テオドールが淡々と言う。
まるで確認するように。それ以上は何もしない。
すぐに手を離された。何事もなかったように。
「行こうか」
それだけ言うと、テオドールは歩き出す。
その背を見ながら、なぜと思う。彼のことがわからない。問い詰めないのに、止めないのに、私が本当に必要なときは、必ず触れてくる。
何も言わず、後を追う。その距離は一定のまま。縮まりすぎず、離れすぎない。
テオドールと触れることが少しずつ当たり前になっていることにまだ、気づかないままだった。




