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聖女のくちづけは、毒よりも甘く  作者: 星那


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6.義務だと思っていた

 その日の夜。与えられた部屋は広くて落ち着かなかった。

 狭い部屋に沢山の人と閉じ込められていた神殿での生活とは異なり、ここには私一人だけが過ごせる広々とした部屋が与えられた。寝台はこれまでのものとは比べ物にならないくらい寝心地がよくて、思わず昼寝してしまいそうになった。窓からは庭が一望できて、こうして外をゆっくり眺めることも許されなかったこれまでの生活とは全く異なる場所にいると思い知らされる。

 

 けれど、何かが足りないという違和感があった。それはこの部屋に対してではなくて、自分自身の身体の動きについて。明らかに昨日までとは違った。体は動くが、どこか動きが鈍く、満たされていない感覚。力が、底をつきそうな感覚。

 

「……聖女様、神殿からの通達が届いております」


 胸の奥が、わずかにざわつく。


「……内容は」

「力の維持には、“接触”が必要とのことです」


 やはり、分かっていたことだが、違和感の正体はこれなのかと知る。


「たくさんの人の目に触れたことで、これまで以上に消耗しているだろうということです。長時間それが行われない場合――生命活動に支障をきたす恐れがある、と」


 静かに告げられたその言葉。

 リアが声を落とし、新らしい情報を説明する。


「詳細は開示されておりませんが……過去の記録では接触を断たれた個体は、著しく衰弱したと」


 心臓が嫌な音を立て、かつての出来事を思いだす。訓練の中で感じた違和感。力を使ったあとの空虚感。何かが削れていく感覚。


 部屋にアウグストに指導をされた時、そう皆に語りかけたことがあった。

 

『聖女とは何か、理解しているか』

 

『……神に仕え、民を導く存在です』


 教えられた通りの言葉を誰かが答える。

 正しい答えのはず。しかし、アウグストは、わずかに笑った。


『半分正解だ。確かに、表向きはそうだ』


 ゆっくりと歩きながら、続ける。


『癒し、祈り、祝福を与える存在。だが、それだけでは価値が足りない』


 足を止めたアウグストはひとりひとりの顔をみわたした。


『我々が必要としているのは人を従わせる聖女だ。王も、貴族も、兵も、すべてを意のままに動かせる存在』


『言葉一つで忠誠を引き出し、視線一つで理性を奪い、抗えなくする』


 淡々と告げられる内容を疑うことなどなかった。それが当たり前だった。


『それが、我々の求める聖女だ。選ばれた者だけが、その器となる。それ以外は不要だ』


 そして。最後に教えられた。


『お前たちの力には、代償がある。使えば削れる。回復して、また力を使う。それが役割だ。生き残りたければな』


 その目は冷たく、そうならなければ、消えるだけだと思い知らされたのだった。あれは本当にただの疲労ではなく、生命を削るものなのだと身を持って理解する。


 神殿にいたころは力の補給は簡単にできたし、倒れれば勝手に接触によって回復させられていた。そういう環境だったから。

 しかし、今この状況では、自分で動かないと回復は見込めない。


「……どの程度で」

「個体差があるとしか」


 リアは静かに首を振る。

 曖昧な答えだが、わからないということが、一番危険だ。


「……わかりました」


 それ以上は聞かない。聞いても意味がない。

 やることは決まっている。


「殿下に私からお伝えしましょうか」

「いえ、詳しくは説明不要です。触れるだけなら、説明はいりませんから。……殿下に、お時間をいただけるか確認できますか」

「わかりました。それでは、声をかけてきます」


 リアが部屋から出ていく。

 自分の呼吸音だけがやけに大きい。触れなければならないのだ。生きるために。

 それが聖女でいるために必要なことだから。


 コン、と軽く音がして扉が叩かれる。


「入るよ」


 テオドールの声がして、扉が開く。


「……こんな時間に話って何かあった?」


 少しだけ困ったように言う。夜に呼びつけるなど、本来あってはならないことだと理解してはいた。


「申し訳ありません」

「何もなければいいけど。体調はもう大丈夫?」


 優しい問い。大丈夫じゃない――そう言えば、どうなるのか。一瞬だけ考えてやめる。私はどこまでいっても駒で、彼を陥れるために存在しているだけなのだから。優しさにつけ入る様な真似はしなくていい。道具が、必要以上に、関わりを持つべきではないのだ。

 

「……はい」


 いつも通りに答えた。それが正しい。テオドールは軽く頷く。


「ならよかった。それで、話って?」


 テオドールは数歩私の方へ近づき、距離が縮まった。

 息を整えて、再度確認する。これは任務で、同時に生きるための条件。視線を合わせて逸らさずに、なんてことないようにお願いすればいいのだ。


「……殿下、ひとつ、お願いがございます」

「お願い?」

「……私に、触れていただけませんか」


 遠回しに。それでも、意味は伝わるように。

 テオドールがわずかに目を細める。


「触れる、って」

「……少し、心細くて。手を握ってもらえませんか?」


 それ以上の理由は言わない。言う必要もないだろう。

 これは、任務として必要なこと。テオドールはしばらく黙ったままこちらを見ていた。しかし、熱に浮かされたような瞳ではない。ちゃんと効いているのだろうか。


「……いいよ」


 拒否はされなかったが、その目は完全に私を観察している様に思えた。


「これでいい?」


 手を差し出され、そのまま自分の手を伸ばす。指先が重なり、手のひらからあたたかさを感じる。ほんのわずかな接触。


 それだけで、ぞくり、とした。

 微かな熱が流れ込む。空っぽだった場所が、わずかに満たされる。足りないとすぐにわかる。回復している。でもまだ、足りない。


「……どう?落ち着いた?」

「……問題ありません」


 嘘ではない。でも、十分でもない。

 その微妙な違和感を――彼は見逃さなかった。


「……ほんとに?」


 顔を覗き込むように、問われる。視線が絡む。

 逃げられないと思った。


「……はい」


 繰り返す。それ以上は言わない。

 テオドールはしばらく沈黙しふっと息を吐いた。


「……そっか」


 それ以上の追及はなかった。こういうところの線引きはうまいと思うが、納得もしていない様子だった。

 ゆっくりと触れた手を離される。少し名残惜しいと思ってしまった自分に驚いた。

 でもこれ以上、今は求めてはいけない。


「ありがとうございました。……こんな夜に我儘を言ってしまい申し訳ありません」


 形式的に頭を下げる。それで終わるはずだった。

 そのとき。


「――待って」


 テオドールが、じっとこちらを見ていた。


「まだ足りてないって顔してるでしょ」


 心臓が、跳ねる。言葉が詰まる。


「……問題、ありません」


 繰り返す。それしか言えない。


 でも。テオドールは、納得しない。


「嘘。さっきより顔色が悪いね。慣れない環境で心細くなったかな。呼吸も浅いし、手も冷たい」


 逃げられず、言い訳もできない。


「……」


 何も言えないでいると、ふいに腕を引かれた。


「……え」


 気づいたときには、抱き寄せられていた。

 胸に触れ、体温が伝わる。


「……っ」


 息が、止まる。予想していなかった。

 手だけのはずだったのに。


「このままじっとしていて」

 

 優しい声だけれど、有無を言わせない。

 そのまま、背に手が回る。ゆっくりと、撫でられる。


 じわり、と。さっきよりもはっきりと何かが流れ込んでくる感じがした。

 空っぽだった部分が、ゆっくりと満たされていく。

 呼吸が楽になり、指先まで、温かいさを取り戻した。


「……ほら」


 テオドールの声が、すぐ近くで響く。


「やっぱり足りてなかったんだね」


「……」


 何も言えなかった。勿論、否定もできない。それを体が証明している。

 そのまま少しだけ時間が流れる。この距離感がとても安心する。


 ……なぜなのか。そう思ってしまったことに驚きを隠せない。


 自分が理解できなかった。任務のはずなのに。ただの補給のはずなのに。こんな感覚は、知らない。


「……フェリシティ」


 すぐ近くで名前を呼ばれる。


「無理しないで。ちゃんと頼って」


 静かな声。その言葉が。胸の奥にすとんと落ちる。


「……はい」


 気づけば、そう答えていた。張り詰めていたものがなくなり、ゆっくりと力が抜けていく。体が軽い。満たされていると、安心してしまう。突然抗えない眠気がくる。


「……このまま、寝てもいいよ」


 こんなふうに、誰かに優しくされたのは初めてかもしれない。そのまま意識が落ちていく。

 彼の腕の中で守られるみたいに。眠りに落ちた。

 


 

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