5.気に入ったから
フェリシティが奥の部屋へと案内された後。
扉は閉められ、部屋に残ったのは静寂だった。
その場にはテオドールともう一人、彼の側近が無言で立っていた。
「……よろしかったのですか」
その沈黙を破ったのは、テオドールの側近――カイルだった。
テオドールとカイルの年齢は近いが、雰囲気は対照的だった。
冷静で現実的。感情を表に出さない。どちらかといえば、それに近いのは、カイルの方だった。テオドールは信用する者の前では口元に微笑を浮かべている。今もそうだ。
「何が」
テオドールは書類に目を落としたまま答える。
しかしその手は一切動いていない。それは意識が別のところに向けられているからだろう。
「神殿の“献上品”を、あのように即座に囲い込むなど危険です」
言葉は丁寧だが、明確に異議を含んでいた。
「……さっきのフェリシティの様子をカイルも見てたはずだ。空っぽなのに、力だけは本物で、余りにも危うい。放っておけないだろう」
テオドールは小さく息を吐く。
「見ていたからこそ、言えるのです。テオドール様の動きは勿論ですが、聖女様が廊下で起こされた騒ぎは異常としかいえませんでした」
カイルの視線が鋭くなる。カイルの言っていることは何も間違っていない。ほんの一瞬、視線が合っただけで、一人の貴族が、あそこまでおかしな行動にでた。
アウグストが静止していなければ、どうなっていたことか。フェリシティには、危機感というものが欠如していた。
「制御不能の魅了に近い。実際耐性を持つ私でも長時間見つめ合えばどうなるかわかりません。一瞬引きずられそうになりました」
「カイルもか、やはりね。魅了と、それに準ずる何か別のものの力も働いているはずだ」
テオドールはカイルの意見を軽く訂正する。
だからこそ、状況をしっかりと理解しているテオドール
の行動はカイルにとって理解に苦しむものだった。
カイルの眉がわずかに寄る。
「……それならば、尚更近づけるべきではない。処分も視野に――」
「却下」
それは即答だった。
一切の間もなく言い切ったテオドールの言葉に、空気が一瞬で張り詰める。
テオドールはゆっくりと顔を上げた。その目は、冷たく、噂通りの男であることが確認できるものだった。
「手放す気はない」
「……理由を伺っても」
カイルはあくまで冷静に問う。側近としての感情ではなく、確認として。
テオドールは一瞬だけ考え迷いなく答えた。
「気に入ったから」
あまりにも単純な言葉だった。しかし、その裏にあるものは軽いものではない。
カイルは数秒だけ沈黙し、わずかに息を吐いた。
「……それだけで判断するには、あまりにも危険な対象です」
「そうだね」
テオドールも否定しない。むしろ肯定する。
「だから、囲う」
論理が逆転している。危険だから遠ざけるのではなく。
危険だからこそ、手元に置く。
「外に出したらどうなるか、カイルも体感済みのはずだ」
その場にテオドールはいなかったが、フェリシティの能力を体感したことで、その男の姿が脳裏に浮かんだ。
ある程度、力に対抗する術を持っていなければ、自分もそうなっていたのかもしれない――と。
その場を見ていたカイルはまだ苦虫を噛み潰した様な顔をしていた。尋常ではない男の行動――蕩けた瞳でフェリシティを見つめる顔。理性が働いていないのは一目瞭然だった。
「……ええ」
「だったら簡単だ」
テオドールは淡々と続ける。
「外に出さなければいい」
あまりにも合理的な答え。だが、それは彼女の意思とは関係なく、外とのつながりを禁止することになる。
「まあ完全に閉じ込めるつもりはないよ。聖女としての役割も果たさなければ、きっとアウグストが何が言ってくるだろう。接触はそれなりに制限する。僕か、あの侍女か、よっぽどのことがあればお前だけ。彼女の護衛は耐性が強い者に絞って、移動する際は厳戒態勢で。でかけたいとか、そういう希望があるのなら、状況次第かな」
カイルに視線を向ける。
「それ以外は近づけさせない。またおかしなことが起きても困るから」
迷いは一切なく、命令としてテオドールは告げる。
はたしてその曖昧さで、聖女を制限できるのかとカイルは思ったが、これ以上言ってもこの人は止まらないだろうと長い付き合いの中で分かっていた。
「……承知しました」
カイルは短く答える。しかし、その目にはまだ警戒が残っている。
「ですが、テオドール様」
もう一度だけ口を開く。
「彼女は、“神殿が用意した存在”です」
そこに込められた意味は重い。
「何か意図があるはずです。罠である可能性も高い」
テオドールは小さく笑った。
「そうだろうね。だからこそ手元に置くべきだ。彼女の――アウグスト企みがなんなのか、大まかな予想はついているけれどね」
その答えに、カイルの眉がわずかに動く。
「利用される可能性が」
「あるね」
「なら――」
「問題ない。それごと使えばいい」
テオドールは遮るように言う。完全に割り切っている。
「罠でも構わない。それ以上に価値がある」
その言葉に、カイルはわずかに目を細める。
初めて、核心に触れた。
「……それほどまでに?」
テオドールは一瞬だけ沈黙し、ゆっくりと答えた。
「目が離せないんだ。この選択をすることで、俺自身が壊れるかもしれないし、彼女を壊すかもしれない」
自分で言っておきながらその目は、どこか愉しげだった。
「どっちにしても、結論は変わらない。手放す理由がない」
テオドールの意思は固く覆らない。カイルはそれ以上何も言わなかった。
ただ一度だけ、深く息を吐く。
「……かしこまりました」
ここまで頑なに言い張っているのだから、部下であるカイルは、主の決定として受け入れるしかない。
「では、配置を調整します」
「頼む」
カイルは一礼し、部屋を出ていく。
扉が閉まった後も、一人残されたテオドールははしばらく動かなかった。
そして、静かにぽつりと呟く。
「……フェリシティ」
その名前を、確かめるように目を閉じた。
「君はとても魅力的で面白い」
その声は低くて、どこか熱を帯びていた。




