40.同じ痛み
その変化がもたらしたものは、受け入れるのに時間がかかった。
「……っ」
指先に、わずかな痺れが走る。
ほんの軽い消耗。それだけのはずなのに――
「……くっ」
すぐ近くで、息が乱れる。視線を向けなくてもわかる。
同じだけの負荷が、テオドールに流れている。
テオドールの方を振り向いて確認する必要がないほど明確だった。
やはり偶発的なものではない。完全に繋がってしまっている。
しかも、それはキスのときだけじゃない。
触れたときも、力を使ったあとも、ほんの小さな消耗ですらすべてが共有されている。
このことを、カイルにも見抜かれて、カイルは危険だとテオドールを止めようと必死になっていたが、頑なに認めないテオドールに呆れて勝手にしろと言われてしまった。
未だぎくしゃくした空気が続いているが、こればっかりは、テオドールもカイルも折れることはない。解決するには、この能力をなんとかするしかないのだと分かってる。
「……フェリシティ」
顔を上げると、テオドールがすぐそこにいる。
少しだけ呼吸が乱れているのに、表情は落ち着いている。
むしろ、今までよりもどこか満足しているようにすら見えた。
「……今の、軽かったね」
確認するように言う。テオドールは消費すると、私に確認するようになった。
「……はい」
本当に、軽かった。今までなら、もっと強く削れていたはずなのに。でも、その代わりに。テオドールが、自分の胸元に手を当てる。まるで、自分の状態を確かめるように。
「ちょうど半分って感じ」
分析は淡々とさていて、まるで痛みを数値化するみたいだった。その言い方に少しだけ息が詰まる。
「やっぱり、おかしいです。こんなの……」
普通じゃない。あっていいものじゃない。
そう言おうとして言葉が止まる。テオドールが、じっとこちらを見ていた。
「負担が、分散してるだけでしょ。それは、むしろ効率いい」
本気でそう思っている声。それが、少しだけ怖い。
「……違います。これは」
首を振って、言葉を探す。でもうまく出てこなかった。
ただ、ひとつだけ、はっきりしていることがある。
「……巻き込んでます」
それが一番近い表現だった。
自分だけが負うはずだったものを無理やり共有してしまっている。テオドールは、一瞬だけ黙る。
「……それの何が悪いの」
その言葉に思考が止まる。
「今まで一人でやってたのを二人でやるだけでしょ」
ゆっくりとテオドールが近づいてくる。
「……むしろ、やっと対等になった」
その言葉に胸の奥が強く揺れる。
対等。今まで、一度も考えたことのない関係。与える側と、使われる側。管理する側と、される側。ずっと、どちらかに偏っていたはずなのに。
今私たちは、同じ痛みを分かち合っている。それが、対等だといえるのだろうか。これが正しいのか、歪んでいるのか。判断がつかない。
私が戸惑っていても、テオドールはこの状態を受け入れている。それどころか望んでいるような口ぶりだった。
「……怖くないんですか」
気づけば、そう聞いていた。自分でも驚くくらい、素直な問い。テオドールが、わずかに目を細める。
「……何が?」
「……削れることです。死ぬかもしれないのに」
すぐにテオドールは、笑った。
「……ははは。それ、フェリシティが言う?」
その声は、驚くほど穏やかだった。
今までずっと私が背負っていたもの。
それと同じことを、今さら怖がるのかと、そう言われている気がした。言葉が出ない。何も言い返せなかった。その通りだから。テオドールが、ゆっくりと手を伸ばす。
頬に触れる。
「……怖いよ」
その言葉に目を見開く。
初めて、言葉でこの人の中にある恐怖を知った。
「でも、これを一人でやらせる方が嫌だ」
その言葉が胸に深く刺さる。
「そんなこと言うのは卑怯です」
そんな言い方をされたらもう拒めない。否定できない。
「……だから、慣れよう」
テオドールが、少しだけ距離を詰める。
「これが普通になるように」
普通だと、いえるのか。こんな関係が?こんな繋がりが?それを否定できない自分がいる。すでにこれを受け入れ始めている。
「……今日も、試す?」
その言葉の意味は、わかる。それを、また繰り返す。
少しだけ、迷ったが、その迷いは、長く続かなかった。
「……はい」
自分で 選ぶ。
テオドールの目が、満足そうに細められた。
そして、ゆっくりと、唇が重なる。
前よりも、少しだけ深く。その瞬間。じわりと、力が動く。私の内側から。そして同時に――
「……っ」
テオドールの呼吸が、乱れる。完全に、重なる。
同じだけ。削れていく。
でも、その中に確かにあるあたたかさ。
繋がっている感覚。ひとつになっていくような錯覚。
キスが深くなる少しだけ、苦しくなる。でも、離れない。離れたくない。やがて、ゆっくりと唇が離れる。
荒くなった息が、同じリズムで揺れる。
「……同じだね」
テオドールが、かすかに笑う。その声にぞくりとする。
痛みを共有しているはずなのに。危険だと思っても、離れたくない気持ちは変わらない。こうしていられることに少しだけ、安心している自分もいる。同じ痛みを同じ温度で、分け合っている。
いつまでこんなことが許されるのか。それは誰にも分からないままだった。




