41.選んだ言葉
夜はとても静かで、寝付けなかった。
昼間の共有の感覚が、まだ身体の奥に残っている。完全に消えきらない余韻のように、じんわりとした熱と、わずかな疲労が混ざり合っていた。
ベッドの端に腰を下ろしながら、私は自分の手を見つめる。
……同じ痛み。触れれば、伝わる。使えば、痛みを分かち合う。
あれはもう偶然じゃない。特別でも、一時的でもない。
私の力はそういうものに変わってしまった。
それでも、嫌じゃなかった。怖い。危ない。正しくない。全部、わかっているのに。
それでも、テオドールと離れたくない。
昔の自分なら、こんなふうに考えなかった。
任務として、役割として、必要だから側にいるだけだったはずなのに。いつからこんなふうに変わったのか。
そこまで考えたところで、ふと気づく。
気づいてしまったら、見逃すことはできない、感じた違和感。ほんの小さな引っかかり。それが、ゆっくりと形になる。
もしこれが魅了の影響だったら――そう考えて、違うとすぐに首を振る。
それは……違う。今は、もう効力はない。
あの無意識に引き寄せる力は、確かに弱まっている。
周囲の反応が、それを証明している。以前のように、人目を気にしなくてよくなった。私を見て、足を止める人は減った。蕩けるような視線を向けてこなくなった。
なら、これは私の意思だ。
誰に強制されたわけでもなく、流されたわけでもなく、自分で、ここにいたいと、そう思っている。きっと、少し前からそうだったのだ。私がその事実から目を逸らしていた。
好き。
その言葉が、静かに浮かぶ。
何度も、頭の中で繰り返す。
好きという感情に、違和感はなくて。それが、怖いくらいにしっくりきた。
エメリヒのことを、愛していると。好きだと言ったイザベラのことを思い出す。彼女もこんな気持ちになったのかと。そう考えれば、私はエメリヒのことは好きでもなんでもないと分かる。
私の心にいるのは、ずっとテオドールだけだった。
そのとき。
「……フェリシティ」
扉の向こうから、声がする。心臓が、大きく跳ねる。
考える間もなく、立ち上がる。
「……はい」
声が、少しだけ震えた。扉が開いて、テオドールが入ってくる。
いつもと同じはずなのに。今だけは、少しだけ違って見える。
……どうして。それはわかっている。理由は、意識してしまっているから。自覚したこの気持ちを、抑える方法なんて知らない。
「……どうしたの」
テオドールが近づいてくる。いつもと同じ、自然な距離感。普通の人だったら近すぎるかもしれないけれど、私とテオドールの距離はいつもこれが普通。
「……いえ」
咄嗟に答える。
でも、誤魔化せていないのは自分でもわかる。
視線が合うと、逸せない。テオドールが、わずかに目を細める。
「……フェリシティ、何か変だよ?さっきから」
テオドールにははっきりと見抜かれていた。今までとは隠しているものの種類が違うから、変だと言われるのかもしれない。
けれど、何を言えばいいのか、わからない。
黙ったまま、視線を逸らす。
そうすると、更に距離が詰まる。
ベッドの端に座っていたため、もうこれ以上逃げ場は、なくなってしまった。
「……何、俺なんかした?」
少しの不安と、理由が知りたいという視線を向けられた。
その声に。胸の奥が、ぎゅっと締まる。
ちゃんと……言わないといけないと思う。
でも、怖い。これを口にしてしまったら、もう戻れなくなる気がする。今までの曖昧な状態には、戻れない。
でも――もう、戻りたくない。
その考えが、すっと頭に浮かぶ。
迷いが、静かに消えていく。
顔を上げる。視線を合わせる。もう、逃げない。
「……あの」
声が少しだけ震えたが止めない。
「……私」
一度息を吸う。勇気を出して、伝えると決めたのだ。
「テオドールのことが、好きです」
はっきりと言葉にした瞬間。
部屋から音が消える。時間がほんの一瞬だけ止まったように感じた。
テオドールの表情は変わらない。何も返ってこない。
一瞬、怖くなった。間違えたかもしれないと。
でも、もう、引き返せなかった。
「……任務とかじゃなくて、回復するために必要だからでもなくて。好き、だから、一緒にいたいって、思ってます」
拙い言葉かもしれない。それでも、私の中に芽生えたこの感情を、ちゃんと、テオドールに伝えたいと思った。
「……だから、ここにいたいです」
最後まで言い切った。
自分の心臓の音だけが、やけに大きく聞こえた。
そのとき、ぐっと、腕を引かれる。
次の瞬間、強く抱きしめられ、テオドールの腕の中にいた。
「……っ」
ちゃんと伝わっただろうか。抱きしめられているのだから、嫌だと思われてはいないはずだと、安心する。
テオドールの呼吸が、少しだけ乱れていることに気づく。
珍しい。こんなふうに感情が表に出るのは。
「……フェリシティ」
名前を呼ばれる。少しだけ掠れた声だった。
「……それ、今言うんだ」
その言い方に、わずかな震えが混じる。
見上げればテオドールの顔には驚きが見てとれた。
「……はい」
腕の中で逃げずに答えた。
すると――抱きしめる力が、少しだけ強くなる。
「……遅い」
ぽつりと、呟かれる言葉は、責めるようでいて、どこか、安心しているような声色。
「……でも、そう言われたからには、もう、離さない」
はっきりと迷いなく言い切られた。
その言葉に、胸の奥が、強く震える。
今後のことを考えたら、怖いはずなのに、彼を拒む気になれない。
テオドールが、少しだけ身体を離す。
距離は近いまま、視線が、深く絡む。
「……もう一回、ちゃんと聞かせて」
こくりと頷いた。もう、迷わない。
「……好きです」
今度は、はっきりと、さっきよりも、迷いなく言えた。
その瞬間。テオドールの表情が、わずかに崩れる。
初めて見る、完全に安堵した表情。
「……じゃあ、全部、俺のだね。俺も好きだよ。ずっと前から」
今までで一番自然に唇が重なった。
触れて、そして、同じだけ削れる。
もう、怖くなかった。同じ痛みの中で、同じ温度を感じながら、私は、初めて自分の意思で、この関係に踏み込んだ。




