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聖女のくちづけは、毒よりも甘く  作者: 星那


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33.消費される祈り


 その異変は、唐突におきた。

 

 喧騒と足音が響き、普段は近づかない兵や使用人たちの声が扉越しに聞こえた。

 何かが起きている。嫌な予感がして胸の奥がざわついていると、扉が強く叩かれた。


「聖女様」


 聞き慣れたリアの声ではない。

 冷たい感情のない声音。反射的に、身体が強張る。


 扉が開き、神官たちが数人入ってきた。

 揃った衣装を纏い、私を取り囲むように立っていた。

 そしてその瞳からは、揺るぎない目的を感じさせた。


「……お迎えに参りました」


 淡々と告げられたその言葉に、心臓が強く跳ねる。


 ……迎え、それは。あの場所へと戻るという意味。


 あの場所に戻るということは、何もない、空っぽだった自分に戻るということ。


「……どういう、ことですか」


 声が、わずかに震える。抑えようとしても、抑えきれなかった。

 神官は、わずかに首を傾ける。


「ご説明が必要ですか?」


 その言い方に違和感を覚える。

 まるで、理解していない方がおかしいと言われているような物言い。


「あなたは神殿の管理下にある存在です」


 そうはっきりと告げられる。


「現在の状況は、望ましくない。神から逸脱しているという言葉を賜った。そして、我々も判断を下しました。聖女を神殿へと連れ戻すこと、これは総意です」


 逸脱。その一言で私の全てが、否定される。

 ここで過ごした時間も、関係も、全部。


「よって、回収いたします。その後、矯正しまた運用できるようにさせていただきます」


 淡々と決定事項として今後の流れを告げられる。


 ……回収。その言葉が。胸に、深く刺さる。人に向ける言葉ではない。まるで“物”に対して使うような響き。


 ……ああ、と理解してしまう。

 自分は、ずっと、そういうものとして扱われてきた。


 番号で呼ばれていた頃から名前を与えられても、変わらなかったもの。


 それがここで、はっきりと形になる。


「……私は、戻らなければ、いけないのですか」


 声が、掠れた。答えは最初からわかっているのに尋ねてしまった。

 神官は迷いなく頷いた。


「当然です。あなたは聖女です。役割を果たさなくてはならない。一体どうしたのですか」


 その言葉が今までとは違う意味を持つ。

 救う存在ではなく、使われる存在として。


「神殿のため、神のために力を使う義務があります」


 それは、正しい。ずっと、そう教えられてきた。

 疑ったこともなかった。


「その代償も、理解しているはずです」


 一拍置いて、神官の視線が、わずかに鋭くなる。


「……え?」


 思わず、声が漏れる。

 代償。知っているはずの言葉。

 その時、なぜか違和感を覚える。


「力の使用は、体力を消費します、知っています」

 

 今さらなんだと、知っているはずの事実。

 それを再度説明されるなんて。ここでこの話をされる時点で、よくないことを言われると、心臓が大きく跳ねる。


「ええ。それは、回復によって補われますが——」


 神官は、一瞬間を置いた。その沈黙が重く感じられた。

 

「回復すればするほど、消費効率は上昇します」


「……どういう、意味ですか」


 神官は淡々と答える。


「簡単な話です。回復量が増えるほど、出力も上がる。結果として、消費も加速する」


「……回復すればするほど」


 自分で、言葉をなぞる。嫌な予感が、確信に変わる。


「……死に、近づく?」


 神官は、否定しなかった。


「適切に管理すれば問題ありません」


 それは肯定と同じだった。

 足元が、崩れたように錯覚する。

 ぐらりと、視界が揺れる。


 ……知らなかった――いや、教えられていなかった。


 回復すればいいと、そう思っていた。

 きっと、これまで共に過ごした者たちも皆、そうだと思っていただろう。


 触れれば戻る。キスをすれば満たされる。


 だから、使ってもいいのだと。


 そう、信じていた。


 ……違ったのだ。それはただの延命。消費を先送りしていただけ。むしろ、加速させていた。

 気づかないまま、知らされないまま、自分で、自分を削っていた。

 最初から使い捨てられる存在として、私たちは成り立っていた。


「……そんな」


 うまく言葉にならなくて、息が苦しい。

 今までのすべてが音を立てて崩れていく。

 ……私は、どこまでいっても、道具でしかないと。


 何のために、生きているのか分からなくなる。

 その時、扉が、乱暴に開いた。


「――触るな」


 低い、怒りを押し殺した声。視線の先にテオドールがいた。


 彼が部屋に現れたことで、一瞬にして、空気が変わる。


 神官たちの動きが、止まる。テオドールは、真っ直ぐに歩いてくる。迷いない足取りで、私の前に立つ。そして、神官から庇うように、前に出る。


「……もう一度、説明して」


 静かに言う。

 その声には明確な敵意がある。


「今の、全部」


 一切の余地を与えない声音。

 神官が、わずかに息を整える。


「すでに申し上げた通りです」


 テオドールは、聞いていない。

 いや、聞いている。その上で怒っているのだ。


「……ふざけるな」


 ぽつりと零した、その一言で空気が凍る。


「それを本人に隠して使わせてたの?」


 静かに、確実に、怒っている。


「効率的な運用のためには必要な措置です。聖女は神殿の物です」


 神官の答えは、変わらない。

 だがその瞬間、テオドールの目が、完全に変わる。

 冷たく、鋭く、はっきりとした敵意が込められた。


「……そう。じゃあ、返さない」


 はっきりと、迷いなく言いきる。

 神官たちの空気が、張り詰める。


「それは、許可されません」


 即座に返される。

 だが、テオドールは、一歩も引かない。


「許可とか、関係ない。これはもうこちらの問題だから」


 静かに断言する。

 振り返って、私を見るテオドールのその視線が、一瞬優しくなる。大丈夫だと言っているように感じられた。

 再び、テオドールが前を向く。


「連れていかせない」


 完全な敵対を宣言した。

 もう隠す気はない。その背中を見ながら私は、動けなかった。


 私は駒で、消費される存在で、いつか、消える。

 それが、現実だった。

 それでも、胸の奥で、ひとつだけ、強く、残っているものがある。


 ……最後までこの人のそばにいたい。


 その感情だけは消えなかった。

 どんな現実を突きつけられても壊れずに、残っている。

 それが少しだけ、怖くて。触れた手があたたかかった。


お読みいただきありがとうございます

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