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聖女のくちづけは、毒よりも甘く  作者: 星那


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32.選べない第一王子


 手放すべきだと、そう、わかっている。


 頭では理解している。

 部屋に戻ってからも、エメリヒは、何度も同じ結論に辿り着いていた。


 ……聖女は、フェリシティとは、本来関わるべきではない存在だ。

 叔父が、テオドールにと連れて行った時点で、自分のためにならないから、自分の元へはこなかったのだと分かっている。


 そして自分にはーー婚約者がいる。イザベラ・フロスト公爵令嬢。

 あの場で伝えられた言葉が脳裏に過ぎる。


『あなたが彼女を選べば、王位は失われる』


 それは正しかった。感情を挟む余地もないほどに、間違ったことは何も言っていない。

 

 エメリヒは、深く息を吐いた。

 窓の外を見る。


 王都の景色。遠くに見える平民街の明かり。

 すべてが。自分が背負っていくべきもの。


 逃げられないもの。


 分かっている。

 王になる、そのためには。


 何を捨てるべきか、何を選ぶべきか。


 全部、理解している。


「……もう、やめるべきだ」


 声に出す。

 自分に言い聞かせるように。


「これ以上はーー」



 関わらない、近づかない。

 それが正しくて、最善だろう。


 聖女が出した答えは、エメリヒの側にいる未来はないと遠回しに告げるものだった。


 ――それなのに。……側にいたい


 あの言葉が、蘇る。フェリシティの声。

 静かで、揺れていたが、嘘のない言葉。テオドールを見て微笑んだあの表情。


「……くそ」


 小さく、舌打ちする。

 切り捨てようとしても、頭から離れない。

 むしろ、より強く心に残っている。


 ……選べていない。


 確かに、そう言った。自分を選んだわけじゃない。


 それでも。フェリシティが自分から側にいたいと言ったのだ。


 それだけで、十分すぎるほどの意味を持つとエメリヒは分かっていた。


 完全じゃなくて、曖昧だ。

 だからこそ、可能性がある。

 王位を継ぐ自分が手に入れられないものなんてなかった。


「……やめろ」


 自分に言い聞かせる。

 それを追えば、全部、壊れる。


 王位も、婚約も、国も自分のものではなくなるだろう。


 ……あいつは、フェリシティは“道具”じゃない。


 あんな風に、迷って、悩んで。

 それでも自分で選ぼうとしている人間を利用するのか。


 答えは、はっきりしている。

 できないと。

 最初は本当に、軽い興味だった。

 少し関わって、気まぐれで手を出して、終わるはずだった。


 でも、もうそういう位置には、戻れない。

 フェリシティの目に映るのは自分ではないと気づいていた。


「……中途半端だな」


 自嘲するように呟く。完全に、テオドールから無理矢理奪う覚悟もない。全部を捨てる覚悟もない。


 ただ、それでも関わり続けている。それが一番、質が悪い。


 そのとき。扉をノックする音がした。


「殿下」


 控えめな声。従者の一人が顔を覗かせた。神殿の使いが来ているとエメリヒに告げる。

 許可を出すと、すぐに扉が開く。


 入ってきたのは、見慣れた神官。


「ご報告がございます」


 淡々とした口調に、感情はなくて、初めて会った時の聖女の様子と重なった。


「聖女の運用について、神殿より通達が」


 エメリヒは嫌な予感がした。


「……言え」

 

「聖女は今後、より効率的な運用のため、接触対象を限定し、管理下に置くとのことです」


 その言葉の意味は、すぐに理解できた。


「……は?どういう意味だ」

 

「特定の人物との接触を優先し、それ以外を排除することで――」

 

「誰の指示だ」


 話を遮る。

 神官は一瞬だけ言葉を止めたが、すぐに答える。


「神殿上層部の総意です」


 嘘ではないが、すぐにこれは調整だと理解する。

 テオドール――半分血の繋がった弟。


 エメリヒと聖女。三人が関係が変わり始めたことで、彼らの計画に歪みが出ている。

 それを矯正しようとしている。

 ……ふざけるなと、思わず、拳を握る。

 フェリシティを、また“道具”に戻すつもりなのかと。自らが選ばせないように、管理すると。

 それが正しいと言えるのか。


「……拒否する」


 考えるまでもなく、エメリヒの口から出たのは拒絶の言葉だった。

 神官がわずかに目を細めた。


「それは、王家としての判断でしょうか」


 だが、エメリヒは、笑った。


「違う、俺個人の判断だ」


 王子としてではない。

 一人の人間として、それを選ぶ。

 神官の表情が、わずかに変わった。

 初めて計算が狂った顔をみせた。


「……それは」

 

「計画通りにいかないと困るか?」


 神官は沈黙する。肯定でも否定でもない。


 エメリヒが関わったことで綻びが起きているのは確かだ。神殿の望む動きがエメリヒには分からないが、小さな亀裂が生まれている。


 その原因一旦は自分にあると。

 中途半端に関わった。この感情を、捨てきれなかった。奪いきれなかった。

 その結果、すべてが、歪み始めている。


「……面倒だな」


 小さく呟く。

 それでも不思議と後悔はなかった。

 正しい道ではなくても、それが間違っているとも、言い切れない。


「……帰れ。その話は受けない」


 はっきりと神官に告げる。

 神官は一礼し、静かに去っていく。

 扉が閉まる。


 再び、一人になる。

 静寂の中でエメリヒは、目を閉じる。


 自分が、何を選ぶのか。まだ、決めていない。

 あれだけフェリシティに執拗に答えを求めたくせに、自分はまだ選びきれていないのだ。


 それでもひとつだけ、確かなことがある。

 

 ……あいつを、フェリシティを利用することはできない

 それだけはもう、はっきりしていた。

 だからこそ、この感情は余計に厄介だった。

 正しくない選択をすると分かっているのに、すぐに捨てられなくて、その狭間で揺れていた。

 エメリヒは、初めて本当の意味で選べない立場に立っていた。


お読みいただきありがとうございます

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