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聖女のくちづけは、毒よりも甘く  作者: 星那


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31.隣にいる理由


 ――テオドールの側にいたい。


 フェリシティの言ったその言葉が頭から離れない。


 その言葉が何度も頭の中で繰り返していた。

 意味を確かめるように、反芻する。


 何かを望むような人じゃなかった。

 だからこそ側に留まらせるために手を焼いた。


 初めて目があったときから、目が離せなかった。

 フェリシティ――アウグストが用意した、神殿の聖女。誰も信じていない、意志の強そうな瞳。こちらをまっすぐ見つめるその力に、一瞬惹き込まれそうになったのも事実。

 少しずつ、気がつけば、視線がそちらに向いていることが増えた。


 食べるときや、名前を呼んだとき。触れたとき、反応が薄いようでいて、少しだけ顔に出るのだと分かった。

 いつからだろう、観察対象として以上の感情を感じるようになったのは。


 違和感を感じたのは、初めて菓子を与えたときだった。甘いものを口にして。少しだけ目を見開いて。驚いたように、それでもすぐに受け入れる、あの顔。

 ……そういう顔も、するのだと。

 それだけのことだったはずなのに。妙に、引っかかった。

 それからも、他の人間に触れられているのを見て、不快だと感じて、手を回した。

 アウグストから聖女の回復方法を聞いたことで、より気持ちを抑えられなくなった。あの男の思う壺だと分かっていても、止められなかった。初めてキスをした。

 それから囲い込むようなこともした。エメリヒが聖女に会わせろとやってきて、フェリシティもエメリヒを選ぶのかと心をざわつかせたこともあった。

 それでもフェリシティは、いなくならなかった。

 それが嬉しくて、時間の許す限り側にいたつもりだ。


 テオドールが居ない隙をついて、エメリヒとイザベラまでもがやってきたのは意外だったが、彼らが来たことによりフェリシティが本心で選んでくれたのだと分かれば、今回のことは水に流そうと思えた。


 フェリシティが初めて、望んだのだ。側にいたいと。それを理解しようとして。テオドールは、口元がゆるむのを抑えられそうになかった。


 部屋に戻ってからも、フェリシティは、静かだった。

 何も言わずただ、そこにいた。いつも通りだが、明らかに何かが変わっている。


 それをテオドールは、言語化できなかったが、はっきりと感じていた。


 ……まだ、選んでないと、エメリヒは言った。

 あの言葉は、まだ自分が選ばれる可能性があると信じている者の言葉だった。

 それに対して、フェリシティはエメリヒを拒絶していない。


 それでも、不思議と焦りはなかった。

 自分を選んでくれたという自信がそうさせるのか。


「…… フェリシティ」


 名前を呼ぶ。すぐ近にいるフェリシティが、振り向く。


「……はい」


 いつも通りの返事だったけれど、緊張しているような硬さもあった。それは、気のせいではない。

 ……変わりはじめたのだ、確実に。


 テオドールは、ゆっくりと手を伸ばす。

 フェリシティの頬に触れる。

 拒まれなかった。それが、当たり前になっている。

 それが今日は、違う意味に思えた。こうしてもいいのだと、許されていると感じる。

 それが、嬉しくて。心を満たしていく。


「……さっきの」


 言葉を慎重に選ぶ。


「俺の側にいたいって、どういう意味?」


 問いかけた。答えが、怖いわけではない。この関係を壊したくない気持ちもある。

 しかし、今を逃したら聞けない気がした。フェリシティの考えを、何を思ってそう望んだのか。


 フェリシティは、少しだけ考えるように目を伏せる。


「……言葉通りです」


 静かに答える。


「任務ではなくて、自分の意思で、そばにいたいと。テオドールの側にいると、私は普通にしていられるんです。一緒にいると、落ち着けて、安心するんです。だから側にいたい。ダメですか?」

「ダメじゃないよ。ずっと、そう言ってほしかったんだ」


 フェリシティの言葉がまっすぐにむけられる。

 安心して、落ち着けて、側にいたい。それは好きということではないのか、出かかった言葉をぐっと飲み込む。


 意思――確かに、最初のフェリシティには、感じられなかったものだ。空っぽで、人形のように大人しかった。

 そのフェリシティが望んだ。


 側にいたいと、テオドールがいいという言葉。それは、今まで、テオドールには一度も与えられなかったもの。

 仕方なく選ばれることはあっても。自分がいいと、選ばれる理由がそこにあったことはなかった。


 フェリシティは、そんなテオドールがいいと言う。エメリヒではなくて、テオドールの側にいたいと。


 自分が側に置きたいと望んだ、フェリシティから、望まれていることが嬉しかった。


「……それだけ?」


 それでも、口が勝手に動く。求めてしまう。

 もっと、はっきりと、完全なものを言葉で欲しいと。


 フェリシティが、少しだけ目を上げる。

 その視線が、まっすぐに、テオドールに向く。


「……それ以上は、まだ言えません」


 正直な言葉。曖昧で。

 でも。嘘はないと一目でわかった。


 その言葉に一瞬だけ。胸の奥が、ざわつく。


 全部が欲しいと。完全に、自分だけを求めてほしいと。

 それをテオドールは無理やりに押し止める。

 それをやれば、フェリシティは望む答えを言うかもしれない。そうしたら、この関係は壊れてしまう。

 エメリヒが力づくで奪おうとしていることと変わらなくなる。


 今の、この状態が、フェリシティが手に入れたばかりのわずかな“意思”が、全部消えてしまうことになる

 それは嫌だった。フェリシティの意思で、テオドールを選んでほしいのだ。だから、今は。


「……そっか」


 それ以上は、望んでいけない。

 言えない。押し付けるようなこともしたくない。

 側にいるという立場があるだけで、しばらくは安心できそうだった。けれど、触れた手は、離さない。


 むしろ、少しだけ、強く握る。

 ここにいることを確かめるように。


「……逃げないで」


 ぽつりと、テオドールから漏れた本音。

 フェリシティが、わずかに目を見開く。


 フェリシティは拒まない。そのまま小さく、頷く。


「……はい」


 その一言でテオドールの心が満たされる。


 完全ではない不十分な名前のない関係。まだ、危うくて、不確かなもの。それでも、今はこれでいいと思えた。

 今はこれ以上は、必要ない。

 少しずつ、確実に自分のものにする。

 フェリシティを壊さないように、丁寧に。


「……フェリシティ」


 名前を呼ぶ。


 そのままゆっくりと、引き寄せる。唇が、重なる。


 深くはない、確かめるようなキス。

 そこにあるのは、今までとは、違う感覚。

 能力で奪うためではなく、確かめるためのもの。


 それがこんなにも満たされるものだとは、思わなかった。


 ……逃がさない。

 心の奥で、静かに思う。

 確実に、自分を選んでくれるように。

 彼女への気持ちを否定する気はないが、これからも手放す気はなかった。


お読みいただきありがとうございます

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