29.共通点
「あなたは、第一王子殿下のことが、大切なのですね」
その瞬間、空気が止まった。
イザベラの肩が、わずかに揺れる。
「……違います」
返事は早かったけれど、硬い声だった。
「これは義務です。家のため、国のため。私は、その役目を果たしているだけ」
けれど私は、静かに首を横へ振った。
今の言葉を発したイザベラが、神殿から出たばかりの自分と重なった。
それが正しいと信じて、思い込んで。自分のことをこんなふうに客観的に見れたのは、初めてのことだった。
「いえ、私は間違ってないと思います」
はっきりとイザベラの瞳が揺れる。
「……何がわかるんですか。あなたに」
初めてだった。彼女の声に、感情が混じったのは。
その顔には、先ほどまで見せていた冷静さが少しだけなくなっていた。
「あなたに、何がわかるんですか」
低い声がした。
「私はずっと、殿下の婚約者として生きてきた。王妃になるために育てられた。感情より、責務を優先するよう教育された」
淡々としているのに。声の奥が、少し震えている。
「だから私は、殿下が誰を愛しても構わなかった……構わないはずだった」
最後だけ、少し掠れた。私は何も言わない。
ただ、静かに聞いていた。
イザベラは自嘲するように笑った。
「これまでも、そういうことはありました。でも、ある程度大人の遊びだったから、目を瞑りました。強く口出しすることもなかった。最後に選ばれるのは自分だと、驕っていた部分もあったかもしれませんね」
一息ついたイザベラの瞳は、揺れていた。
「聖女様、あなただけは違った。熱に浮かされたように、聖女様の話をするエメリヒ殿下。これまでとは違うと、私も気づかされました。私には決して見せることのないその顔、甘い視線」
じっと私を見つめる視線には微かに強い感情が混じっていた。
「今さら気づいたなんて、滑稽でしょう?愛情なんて。そんなものを、自覚するなんて。愛していただなんて」
その笑みは、痛々しかった。
「殿下は自由な方です。優しくて、愚かで、真っ直ぐで……ずっと、振り回されていました」
けれどその声音は、どこか柔らかかった。
「私は、殿下を王にするためにここにいます。それが正しい。正しいんです」
まるで、自分に言い聞かせるみたいに。
「……でも、本当は」
イザベラの口からは、続きが出てこなかった。
「ずっと、苦しかったんですね」
イザベラの表情が止まる。
「殿下が、他の誰かを見るのが、あなたじゃない人に惹かれていくのが」
「……っ」
その瞬間。
イザベラの瞳が、大きく揺れた。
「……言わないでください」
初めてだった。彼女がこんな声を出したのは。口元を抑え、俯いた。
「私は……そんなこと」
否定しようとする。でも、続かない。
代わりに、小さく息を飲む音だけが落ちた。
「……嫌でした」
ぽつりと零れた本音。
「本当はあなたを見る殿下の顔が優しくて。それを見て、苦しくて、……嫌だった」
視線が伏せられる。
その言葉は、とても小さかった。
「でも私は、そんなことを思ってはいけない立場だった。王妃になる人間が、感情で動いてはいけない。だから、見ないふりをしていたのに……」
声が震える。
イザベラは冷静で、完璧な人。そんな噂を聞いたことがある。
でも彼女だって、人間なのだ。
「……私はただ、好きな人の、殿下の隣にいたかっただけなのかもしれません」
その瞬間、私ははっきりと分かった。
少しだけ、自分に似ていると思った。
役割のために生きてきたところが。
自分の感情を後回しにしてきたところが。
「……イザベラ様」
静かに、初めて彼女の名前を呼んだ。
イザベラは顔を上げない。
「あなたは、とても優しい人です」
「……優しくなんて、ありません」
「優しいです」
私は本当にそう思った。
「最後までエメリヒ殿下の未来を優先しようとしてる。自分が苦しいのに」
私ならそうやって冷静に対処できるだろうか。
できないだろう。きっと、この力を使ってでも繋ぎ止めたいと思ってしまうのではないか。
イザベラの唇が、小さく震えた。
「……あなたは、ずるいですね」
イザベラの、掠れた声。
「もっと、あなたが嫌な人だったら良かったのに。それなら、いくらでも口煩く罵れた。それなのに、あなたは私の心を暴いて、心の中へ入ってくる」
それは責める声ではなかった。
むしろ、少しだけ諦めたみたいな声だった。
私は困ったように笑うしかできない。こういう時、気の利いた言葉も言えない。私には、経験がなくて、空っぽだから。
「……すみません」
「謝らないでください」
イザベラは静かに息を吐いて、ようやく顔を上げた。
その表情は、少しだけ泣きそうだった。それと同時に、肩の力が抜けたようにも見えた。
「このことは、くれぐれもエメリヒ殿下には、内密に」
「はい、勿論です」
人の想いを勝手に告げるということは、なんて卑劣なことか。それくらい、自分でも分かる。
ましてや、私とイザベラは恋敵ともいえる。
イザベラの話を聞いても、結局元々の問題は解決しない。
残されたのは。重すぎる現実。
「そろそろ――」
イザベラが何かを言いかけた時、扉の前で口論が聞こえ、勢いよく扉が開かれた。
「今どういう状況」
テオドールが、イザベラから私を庇うように割り込んだ。走ってきたのか、額には僅かに汗が滲んでいる。
「前にした話の答えを聞きに来た。そしたら、イザベラも来てしまった」
苦々しい顔をしたエメリヒ。目を伏せて頭を下げるイザベラ。
「フェリシティ、大丈夫?遅くなってごめん。追い出そうか」
「いえ、問題ありません。まだ、話が終わっていないので」
静かに私を見る。その視線はまっすぐだった。
「それでは、確認いたします」
イザベラ逃げ場を、与えてくれない。
「あなたは、この方――エメリヒ殿下を選びますか?」
その問いは先ほどとは違う。
今度は“彼の前で”答えなければならない。
テオドールは何の話をしていたのか、瞬時に悟る。
沈黙。重い空気。息が、詰まった。
エメリヒの視線。
イザベラの視線。
テオドールの視線。
全てが、突き刺さる。
……私は今、ここで答えを伝えなくてはいけない。
もう逃げることは、できなかった。
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