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聖女のくちづけは、毒よりも甘く  作者: 星那


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29/41

29.共通点


「あなたは、第一王子殿下のことが、大切なのですね」


 その瞬間、空気が止まった。


 イザベラの肩が、わずかに揺れる。


「……違います」


 返事は早かったけれど、硬い声だった。


「これは義務です。家のため、国のため。私は、その役目を果たしているだけ」


 けれど私は、静かに首を横へ振った。


 今の言葉を発したイザベラが、神殿から出たばかりの自分と重なった。

 それが正しいと信じて、思い込んで。自分のことをこんなふうに客観的に見れたのは、初めてのことだった。


「いえ、私は間違ってないと思います」


 はっきりとイザベラの瞳が揺れる。


「……何がわかるんですか。あなたに」


 初めてだった。彼女の声に、感情が混じったのは。

 その顔には、先ほどまで見せていた冷静さが少しだけなくなっていた。


「あなたに、何がわかるんですか」


 低い声がした。


「私はずっと、殿下の婚約者として生きてきた。王妃になるために育てられた。感情より、責務を優先するよう教育された」


 淡々としているのに。声の奥が、少し震えている。


「だから私は、殿下が誰を愛しても構わなかった……構わないはずだった」


 最後だけ、少し掠れた。私は何も言わない。

 ただ、静かに聞いていた。

 イザベラは自嘲するように笑った。


「これまでも、そういうことはありました。でも、ある程度大人の遊びだったから、目を瞑りました。強く口出しすることもなかった。最後に選ばれるのは自分だと、驕っていた部分もあったかもしれませんね」


 一息ついたイザベラの瞳は、揺れていた。


「聖女様、あなただけは違った。熱に浮かされたように、聖女様の話をするエメリヒ殿下。これまでとは違うと、私も気づかされました。私には決して見せることのないその顔、甘い視線」


 じっと私を見つめる視線には微かに強い感情が混じっていた。


「今さら気づいたなんて、滑稽でしょう?愛情なんて。そんなものを、自覚するなんて。愛していただなんて」


 その笑みは、痛々しかった。


「殿下は自由な方です。優しくて、愚かで、真っ直ぐで……ずっと、振り回されていました」


 けれどその声音は、どこか柔らかかった。


「私は、殿下を王にするためにここにいます。それが正しい。正しいんです」


 まるで、自分に言い聞かせるみたいに。


「……でも、本当は」


イザベラの口からは、続きが出てこなかった。


「ずっと、苦しかったんですね」


 イザベラの表情が止まる。


「殿下が、他の誰かを見るのが、あなたじゃない人に惹かれていくのが」


「……っ」


 その瞬間。


 イザベラの瞳が、大きく揺れた。


「……言わないでください」


 初めてだった。彼女がこんな声を出したのは。口元を抑え、俯いた。


「私は……そんなこと」


 否定しようとする。でも、続かない。

 代わりに、小さく息を飲む音だけが落ちた。


「……嫌でした」


 ぽつりと零れた本音。


「本当はあなたを見る殿下の顔が優しくて。それを見て、苦しくて、……嫌だった」


 視線が伏せられる。

 その言葉は、とても小さかった。

 

「でも私は、そんなことを思ってはいけない立場だった。王妃になる人間が、感情で動いてはいけない。だから、見ないふりをしていたのに……」


 声が震える。

 イザベラは冷静で、完璧な人。そんな噂を聞いたことがある。

 でも彼女だって、人間なのだ。


「……私はただ、好きな人の、殿下の隣にいたかっただけなのかもしれません」


 その瞬間、私ははっきりと分かった。


 少しだけ、自分に似ていると思った。

 役割のために生きてきたところが。

 自分の感情を後回しにしてきたところが。


「……イザベラ様」


 静かに、初めて彼女の名前を呼んだ。

 イザベラは顔を上げない。


「あなたは、とても優しい人です」

 

「……優しくなんて、ありません」

 

「優しいです」


 私は本当にそう思った。


「最後までエメリヒ殿下の未来を優先しようとしてる。自分が苦しいのに」


 私ならそうやって冷静に対処できるだろうか。

 できないだろう。きっと、この力を使ってでも繋ぎ止めたいと思ってしまうのではないか。


 イザベラの唇が、小さく震えた。


「……あなたは、ずるいですね」


 イザベラの、掠れた声。


「もっと、あなたが嫌な人だったら良かったのに。それなら、いくらでも口煩く罵れた。それなのに、あなたは私の心を暴いて、心の中へ入ってくる」


 それは責める声ではなかった。

 むしろ、少しだけ諦めたみたいな声だった。


 私は困ったように笑うしかできない。こういう時、気の利いた言葉も言えない。私には、経験がなくて、空っぽだから。


「……すみません」

 

「謝らないでください」


 イザベラは静かに息を吐いて、ようやく顔を上げた。

 その表情は、少しだけ泣きそうだった。それと同時に、肩の力が抜けたようにも見えた。


「このことは、くれぐれもエメリヒ殿下には、内密に」

 

「はい、勿論です」


 人の想いを勝手に告げるということは、なんて卑劣なことか。それくらい、自分でも分かる。

 ましてや、私とイザベラは恋敵ともいえる。


 イザベラの話を聞いても、結局元々の問題は解決しない。

 残されたのは。重すぎる現実。


「そろそろ――」


 イザベラが何かを言いかけた時、扉の前で口論が聞こえ、勢いよく扉が開かれた。


「今どういう状況」


 テオドールが、イザベラから私を庇うように割り込んだ。走ってきたのか、額には僅かに汗が滲んでいる。


「前にした話の答えを聞きに来た。そしたら、イザベラも来てしまった」


 苦々しい顔をしたエメリヒ。目を伏せて頭を下げるイザベラ。


「フェリシティ、大丈夫?遅くなってごめん。追い出そうか」

「いえ、問題ありません。まだ、話が終わっていないので」


 静かに私を見る。その視線はまっすぐだった。

 

「それでは、確認いたします」


 イザベラ逃げ場を、与えてくれない。


「あなたは、この方――エメリヒ殿下を選びますか?」


 その問いは先ほどとは違う。

 今度は“彼の前で”答えなければならない。


 テオドールは何の話をしていたのか、瞬時に悟る。

 沈黙。重い空気。息が、詰まった。


 エメリヒの視線。

 イザベラの視線。

 テオドールの視線。

 全てが、突き刺さる。

 ……私は今、ここで答えを伝えなくてはいけない。


 もう逃げることは、できなかった。

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