28.正しさの在処
神殿の訪問から一日が過ぎた。
空気はどこか張り詰めている。私は、一人落ち着かないまま、時間を過ごしていた。
神殿。選ぶべきこと。依存。
言葉が、頭の中を巡り、整理できない。
そのとき、扉が、強く開いた。
「聖女!」
振り向くと、そこにいたのは第一王子――エメリヒがいた。
「……殿下」
テオドールの居住区へと立ち入るのに、一人できたのか。息が、わずかに乱れている。明らかに、急いで来た様子だった。
迷いなく、部屋に入ってくる。
部屋の前にいた護衛たちも、流石にエメリヒを止めることはできなかったのだろう。閉まりゆく扉の隙間から走り回るリアと、騎士たちが一瞬見えて閉まった。
「……話がある」
低く、真っ直ぐに言われる。
その目には、最初に会ったときの軽さはなかった。
「……何でしょうか」
声を整える。
「この前の話の答えは出たか?」
その言葉に胸が、どきりと音を立てる。
選ぶというあの問い。
頭の中で、何度も繰り返した言葉。
「……私は」
言葉を探す。それでもうまく出てこない。
「まだ、決められない、か」
エメリヒは苦く笑う。そこに責める色はない。
「そりゃ、そうだよな」
「すみません」
エメリヒは小さく息を吐く。
「でもさ、俺は、もう決めてる」
はっきりと迷いなく告げたその言葉に、思考が止まる。
「……何を、でしょうか」
怖いのに聞かずにはいられない。
エメリヒは、少しだけ笑った。
最初に見たような軽い笑みをみせた。
「お前を、手放したくないって」
空気が、変わる。
「王位とか、婚約とか。全部、後からどうにでもする」
肩をすくめた。それがどれだけ無茶かは。誰より本人がわかっているはずなのに。
「……できません」
思わず、言葉が出る。私を選んで、全てがなくなったら。私には、どうすることもできない。そんな価値はないと自分が一番分かっている。エメリヒは、この力に騙されているのだ。
「できる」
一切の迷いなく即答される。
「俺がやるって言ってる」
それだけで成立させるような声音。瞳の奥には、力に魅せられた人特有の熱が感じられた。
「……あなたは王になるべき方です」
それが、正しい。神殿でも、そう教えられてきた。
「だから何?」
すぐにそう返される。
「それでお前を諦める理由になる?」
逃げられない視線に、言葉が詰まる。
そのとき、静かな足音が聞こえた。
二人同時に、振り向く。
いつの間にか。扉が、開いていた。
そして、そこに立っていたのは見慣れない一人の女の人。
「……お話中、失礼いたします」
静かな声。揺らぎのない声音。
空気が、一瞬で変わった。
「……イザベラ」
エメリヒの婚約者である、イザベラ・フロスト公爵令嬢だった。
エメリヒの声には、わずかに苛立ちが混じっていた。
「どうしてここに」
「あなたを探しておりました」
淡々と返す言葉に感情はない。
ただ、事実だけを述べていた。
そして、その視線が、私へと向けられた。
「……この方が、例の聖女様ですね」
すでに知っていいるというような、静かな声。ゆっくりと、歩み寄られる。
「初めまして」
優雅に一礼する。
「イザベラと申します。急な訪問で申し訳ございません」
その所作は、隙がないほど完璧だった。
「……何しに来た」
エメリヒが遮るように言う。
明らかに、不機嫌な声だったが、イザベラは、気にしない。
「状況の確認です」
その一言で場の意味が変わる。
これは個人的な会話ではなくなる。
「エメリヒ殿下」
イザベラが名前を呼ぶ。
「あなたは今、誤った選択をしようとしています」
はっきりと否定した。
「なんだって?」
エメリヒは苛立ちを隠さずに眉をひそめる。
「何が誤りだよ」
そんな様子を気にせずイザベラは、静かに答える。
「王位です」
迷いなく即答した。
「あなたが王になるためには、私との婚約が必要です」
イザベラは淡々と事実だけを並べる。
「私の家が、その基盤を支えている。それが崩れれば。あなたは王になれません」
静かな断言と、重い現実をつきつける。
「……それが、何?」
エメリヒが、吐き捨てるように言う。
「問題は、その原因が、この方であることです」
イザベラの視線が、また私へ向けられた。
逃げ場のない言葉に、空気が、張り詰める。
「違う」
即座に、エメリヒが否定する。
「俺が決めてる」
私を庇うように、一歩前へ出る。
だがイザベラは、それすら想定内のように。
「ええ、存じています。ですが結果は同じで、あなたが彼女を選べば、王位は失われる」
「……それでもいいって言ってんだろ」
エメリヒの声が低くなる。
もう引くつもりはないと、いうエメリヒに、イザベラは、ほんのわずかに目を細めた。
そして初めてほんの少しだけ、人間らしい感情を滲ませる。怒りでも悲しみでもない。理解したというような顔だった。
「……そうですか」
イザベラは、わずかに微笑んだ。
「……エメリヒ殿下」
イザベラが、婚約者の、隣の彼を呼ぶ。
「あなたは、外でお待ちいただけますか」
穏やかだが、拒否を許さない声音。
「……いや、俺は――」
「これは、私の話です」
柔らかく被せた。
不敬だと、エメリヒが言うこともできたかもしれない。けれど、イザベラは、絶対に譲らないと目線が訴えていた。
エメリヒが、言葉を止める。一瞬の葛藤の後。
「……わかった」
そうして扉が閉まった。
イザベラと、二人きりになる。
一瞬の静寂。イザベラが、ゆっくりと測るように私を見る。
「……お姿を拝見するのは、初めてでしたが、本当に綺麗な方ですね。ですが、それだけ。中身は何もないお人形のよう。貴女では、王妃は務まりません」
それは核心をつく一言だった。
「……私は、その立場を望んでおりません」
「ええ、存じています。問題は、あなたの意思ではありません」
イザベラはそう告げると静かに目を伏せる。
「エメリヒ殿下の意思です」
その言葉に胸がどきりとした。
「彼は現在、あなたに傾いている。それは、王位継承において致命的です」
淡々と迷いなくイザベラは断言する。
「なぜなら彼が王になるためには、先ほども述べたように、私の存在が不可欠だからです。私の家は、王権を支える最大勢力の一つ。私との婚約が維持され婚姻が結ばれることで、彼の即位は現実になる」
言葉に重みがある。ずっと、彼を支えてきた者の眼だ。王妃としてなるために、努力を惜しまず、どんな困難にも立ち向かえる人。
「しかし、それが崩れれば――彼は王になれません」
……そういうことかと理解する。
これは、恋愛ではなく、政治の話。初めから決まっているもの。置かれている環境は私と同じでいながらも、彼女はその役割を受け入れて、自分でどう動くか考えてきたのだ。
彼女の告白に、私はなんと返すべきなのか。言葉を探す。
「……では、なぜ、私にそれを」
イザベラは、ほんのわずかに目を細めた。
「簡単なことです。あなたが、彼に影響を与えているからです。彼は、あなたを選びかけている」
選ぶという、その言葉の重みが、急に現実味を帯びる。
「ですので、確認に来ました」
イザベラは私をまっすぐに、見据える。
「そうだったんですね」
私は彼女のように、深いかんがえも何もない。だから、気の利いた言葉も思いつかない。
「聖女様がとても素晴らしい方で、私よりも優れていたのなら、諦めもつきました。けれど、そうではないようです。あなたは、彼を選ぶつもりがありますか?」
私が、エメリヒを選ぶのかという質問だった。初めて必要性のある選択を迫られている
エメリヒと、テオドール――そして神殿。
すべてが、絡む。答えがすぐには出ない。その沈黙をイザベラは、静かに受け止める。
「……答えられない、ということはまだ、自覚がないのでしょう」
小さく息を吐いた。
イザベラは、私を責めようとはしない。アウグストとは違う、諭す者の目。
「でしたら、これだけは、お伝えしておきます。彼を選べば、彼は王になれません……以上です」
軽く一礼すると、扉へ向かう。
開ける直前に、一瞬だけ私を振り返る。
「あなたが何を選ぶかは、自由です。ただし、その結果はすべて受け入れていただきます」
続く言葉は、逃げ道を完全に断つものだった。
イザベラ自身は何を選んでも、責めないという。
先ほど見せた、悲しげな瞳。エメリヒを見るイザベラの顔。これには見覚えがあった。聖女として、誰かを回復させるときに、患者に付き添っていた人が見せた表情と同じだった。




