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聖女のくちづけは、毒よりも甘く  作者: 星那


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27.神殿の影


 その訪問は、事前に連絡を受けたものではなく、突然のものであった。


「神殿より、アウグスト様がいらしています」


 侍女のリアがアウグストの名を告げる。

 静かだが、わずかに緊張を含んでいる。


 ……神殿。

 すっと胸の奥が、冷たくなる。

 忘れていたわけではないが、ここ最近はその存在を考えないようにしていた。


 テオドールの側にいる時間。触れられること、満たされること。それらに意識が向いていた。


 だから、元の場所のことをどこか遠ざけていた。決して逃れられはしないのに。


「……ここへ通して」


 テオドールがそう言ったことで、部屋の空気が、わずかに変わったように感じた。


 扉が開き、アウグスト従者と共に部屋へと入ってきた。


「こうしてお会いするのは、久しぶりですね、殿下。そして、聖女も」


 穏やかな笑みを浮かべていたが、その目はまったく笑っていなかった。


「……急にここへ来るとは。何かあったか?」

「いえ、丁度陛下からの呼び出しがあったものですから」


 陛下と聞いて、テオドールは眉を顰めた。

 アウグストの声を聞くと自然と背筋が伸びる。

 身体が覚えている。アウグストのその視線。逆らえない存在。選ばれる側だった頃の記憶が蘇る。


「聖女は、神が遣わせた者です。様子を見るのも我が役目。元気そうで何よりです」


 ゆっくりと近づいて、一定の距離を保ったままぴたりと止まる。

 アウグストの視線が、上から下へと流れる。まるで、観察するように。

 


「……なるほど」


 小さく呟いたその一言で何かを見抜かれたと理解する。


「ずいぶんと、変わりましたね」


 穏やかな声は確実に、核心を突いてくる。


「……何のことでしょうか」


 はぐらかしたところで、意味がないことは、わかっている。


「自分自身が一番お分かりでしょう?」


 微笑みは絶やさずに一歩また近づいてくる。


「……殿下との関係です」


 はっきりと言い切られて、息をのんだ。


「以前はもっと“道具”として振る舞っていたはずだ。そのように、こちらも教育しました」


 アウグストは淡々と話を続ける。


「しかし、今は――別の感情が混じっている」

「……違います」


 反射的に否定したが、声がわずかに上擦る。

 それだけで、答えになっていた。


「いや、違わない」


 即座に返された言葉は静かで、冷たかった。


「聖女は神から選ばれる側であり、何かを選ぶ側ではない」

 

 その言葉は胸の奥に強く深く刺さるものだった。

 

「それを忘れられては困ります」


 アウグストの視線が鋭くなり、部屋の空気が、張り詰める。


 その視線から逃げられない。そのとき。


「――用件はそれだけ?」


 テオドールの声が、割り込む。

 明確に不快さを含んでいるその声に、アウグストが、ゆっくりと視線を向ける。


「いえ、もう一つあります」


 こちらが本命とばかりに、少しだけ、口角を上げる。


「興味深い噂を耳にしまして」


 空気が、さらに重くなる。


「第一王子殿下とも、接触しているとか」


 一瞬、時間が止まったように思えたし、心臓は大きくはねた。

 第一王子の言葉を聞いてテオドールの気配が変わる。私もなんと言えばいいのか、口を開いても、言葉にならない。


「……それは、事実ですか?」


 アウグストの問い。

 沈黙が、が答えになる前に。


「関係ない」


 テオドールが、遮るように先に口を開く。

 その声は。静かで冷たさを感じる。


「いえ、関係ありますよ」


 即座に返すアウグスト。


「我々にとってはとても、大切なことですから」


 その言葉は明確に敵意が向けられていた。


「聖女は資源です。二人の王子を同時に手玉に取るとは、想定以上の動きです」


 アウグストが、ゆっくりとフェリシティを見る。


 その言葉にわずかに、胸が揺れる。

 手玉――それは違う。


 そんなつもりはなかった。

 けれど、他の人から見たらどうなのか。私には分からない。否定できない。


 状況だけ見ればそう見えるのかもしれない。


「ですがそれは危険です」


 アウグストの声が、低くなる。


「どちらか一方に絞るべきでしょう」


 その言葉は冷酷だが、合理的だった。

 私は言葉が出なかった。


 そのとき――腕を引かれた。

 テオドールが、私を逃がさないようにと。


「……勝手に決めるな。フェリシティは今は私の管轄にある」

 怒りは見えない。明確な拒絶。


「彼女は、私のものだ」


 はっきりと言い切られて、息が止まる。テオドールの言葉に、胸の奥が強く揺れる。


 アウグストは、それを見て。

 ほんの微かに、笑った。


「……なるほど」


 理解したように。


「これは、予想以上に面白い」


 その言葉は、今の私が置かれた状況や、取り巻く人間関係を楽しんでいるようだった。


「まあ、いいでしょう。ですが忘れないでください」


 アウグストは最後に静かに告げる。

 視線が、私に突き刺さる。


「あなたの命も、力も――すべて神が与えた。神殿のものです。こちらの意思とあまりにも乖離するような行動が続けば、処分しなくてはいけません」


 その言葉は逃げ場のない現実だった。


 そして神殿は完全に断ち切れない鎖であることを理解する。


 アウグストは、満足したように踵を返す。

 そのまま部屋を出ていった。

 室内には静寂が残る。


 空気が重くのしかかる。


 ……私は、誰のものなのか。

 誰のために、生きているのか。

 その答えはまだ、出ない。


 それでも。

 もう目を逸らすことが許されないところまで来てしまっていた。

 

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