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聖女のくちづけは、毒よりも甘く  作者: 星那


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26.優しい檻

 朝、目が覚めた時、最初に感じたのは、温もりだった。


「……起きた?」


 すぐ近くから、聞き覚えのある声がした。

 視線を向けると、そこにいたのは、テオドールだった。


 テオドールは、私のベッドの傍に座っていた。テオドールの手が私の頭を撫でている。

 一体いつからそこにいたのか、わからない。


「……はい」


 まだ少しだけ、身体が重い。


「無理しなくていい」


 頭を撫でていた手が伸びて、額に触れる。

 テオドールが、体温を確かめるように頷いた。


「……軽い微熱程度かな」


 ほっとしたように呟かれた言葉。

 その仕草は、慣れているように自然なものだったが、胸がどきりとした。

 

 ……どうして、優しくされるとこんなふうに、どきどきしてしまうのか。


 任務ではない。必要だから触れているわけでもない。それなのに心が、反応する。


「……今日は外には出さない」


 テオドールの言葉の意味を考える。


「……仕事は、」

「ない。いや、あるかな。フェリシティの仕事は安静にすること」


 そう言われて、元々私には外に出る理由はなく、他人と接触する理由もないと気づく。


 でも不思議と、どこにも行かなくていいということに恐怖はなかった。その代わりにほんの少し安堵する。

 それに気づいたとき、自分で驚く。


「……少しだけ疲労が溜まってたのかな。休んでまた元気になってほしい」


 テオドールが続ける。優しい声は命令ではない。

 逆らう理由は見つからない。


「……わかりました」


 テオドールはそれ以上何も言わなかった。

 伸びてきた手が、軽く、髪に触れる。

 指先が、ゆっくりと滑る。

 そのまま離れず、一房持ち上げられ、口付けられた。

 ……これは回復のためではない。

 ただの、接触。

 なんのための行為かと言われると、分からない。それでも、不思議と嫌ではなくて、落ち着く。


「……フェリシティ。今日は俺が側にいるから。まずは、何か食べる?」


 目が覚めて少しだけ、空腹を感じていた。頷くと、やがて、食事が運ばれてくる。

 丁寧に机の上に並べられる。

 こういうことはここへ来て見慣れているはずなのに。今日はどこか違って見えた。


 ベッドから移動する時も甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるテオドール。それがくすぐったく感じた。


 テオドールが向かいではなく隣に座ったことで、距離が近く感じる。


「……口、開けて」


 唐突に言われたことで、動きが一瞬、止まる。


「……?」


 戸惑う間もなく。


「ほら」


 軽く促され、そのままスプーンが差し出される。

 理解する。

 ……あーん、あのお菓子の時のように、食べさせてくれると、いうこと。


 けれど、脳裏には昨日のことが、よぎる。

 わずかに迷うが、テオドールを拒む理由が、見つからない。


 ゆっくりと口を開けると、スプーンが口に運ばれる。

 優しい味。思わず、目がわずかに開く。


「……消化に優しいものを用意してもらった。おいしい?」


 すぐに聞かれる。


「……はい」


 嘘じゃなかった。答えたその瞬間、テオドールが、少しだけ笑った。


 その表情を見て胸の奥が、また高鳴った。

 どうしてこんなふうに感じるのかわからない。


 それでも確かに嬉しいと、思ってしまった。


 それから、何度も同じように、食べさせられる。

 距離はずっと近いままだった。この距離感だから、視線も、声も、全部が、いつもより近い。


 逃げることはできないけれど、それを、不快だとは思わない。


 むしろテオドールがいることに、安心している自分がいる。


 ……これは任務ではない。それなのに拒めない。

 拒みたくない。


 その感情に気づいてしまう。


 食事が終わると、テオドールが、静かに言う。


「……今日は誰にも会わなくていいから」


 少しだけ、間を置いて。

 その言葉は優しくて嫌だとは、思えない。

 むしろ少しだけ、ほっとする。

 ……おかしいと、そう思うのは、エメリヒがそう言ってたから。自由を奪われている。閉じ込められていると。

 それなのに私は、安心している。落ち着いている。


「……フェリシティ」


 また、名前を呼ばれる。

 テオドールに名前を呼んでもらう度に、心が温かくなる。そっと、顔を上げる。


 距離が、近くて、手が伸びる。

 頬に触れる。そのままゆっくりと引き寄せられる。唇が、重なる。その手つきは優しくて、離れがたいと思う。


 同時に、彼に求められているとわかる。

 体の奥にじわりと、熱が広がる。

 そして、力が、流れ込む。

 それ以上に別の何かで心が満たされていく。


 長いキスが終わり、やがて、離れる。

 息が、わずかに乱れて、視線が絡む。


「……足りない」


 ぽつりと呟かれたその言葉に胸が、強く揺れる。

 この足りない、は私の回復の話ではないと、なんとなく分かった。


「……これからも、俺以外に、触れなくていい。全部、俺が満たすから」


 それは逃げ場のない言葉。確実に閉じ込めるもの。

 けれど、彼の声は優しくて、甘くて。


 私は考える。


 選ぶはずだった。でもこの温度の中でその意思は少しずつ、溶かされていく。


「……はい」


 気づけばそう、答えていた。

 自分の意思か、それとも流されたのか。

 判断ができない。

 ただひとつだけ、確かなことがある。


 この場所は優しくて、そして――彼の隣にいることを、失いたくないと思っていた。



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