25.戻る場所
第一王子が去った後、部屋には、静けさだけが残った。
話すためだけに呼びつけたのかと思っていたが、依頼内容は存在していた。それ自体は、本当にすぐに終わるもので、浄化は問題なく完了し、依頼人には深く頭を下げて見送られた。
全ていつも通りで、何一つ問題はない。
そのはずなのに。
『ーーそれは、依存じゃないのか?』
エメリヒの言葉だけが、心の片隅に残り続けていた。
何度も、何度も繰り返し反芻されるあの会話が。
『……あいつがいなくても、同じって言える?』
そう言われた時、抱いた感情を思い出す。想像した瞬間の、あの、空白。
胸の奥に広がった、ぽっかりとした感覚。
……あれは、何なのか。
分からないが、無視できない気持ちだった。
足取りが少しだけ重いのは、気持ちの整理がつかないままだからだ。
……私は何を、選ぶのか。そもそも、選べるのか。
今までそんなことは、一度もなかったのだ。
考えるほどに思考が、絡まる。
その時――空気が変わった。
ふと、足が止まる。
視線を上げた、廊下の先。
そこに、立っていたのは。
「……遅い」
テオドールだった。一瞬、歩みが止まる。
……どうして。来るはずがない。彼は忙しい立場で、ここに来る予定はなかった。それなのに今テオドールは、ここにいる。まっすぐに、こちらを見ていた。
「迎えに来た」
それだけで胸がどきりとした。
理由はわからなかった。
それでも、テオドールの顔を見て、声を聞いて、ほんの少しだけ安心してしまう。
「……お手数をおかけしました」
いつも通りに返事をしたつもりだ。けれど、テオドールは返事もせず、ただこちらを見ている。
言葉にしなくても、何かが違うと伝わっているのだろうか。
「……依頼は問題はありませんでした」
いつもしているように、任務の内容を報告する。
「……フェリシティ、何かあった?」
「……いいえ」
手首を掴まれた。強くはなが、逃げ出せなかった。
今日のことを、テオドールに知られたくなかった。エメリヒからされた話を、どのように説明をしたらいいのか、自分でも考えが纏まっていないから。だから反射的にそう答えた。
ほんの僅かに沈黙が流れる。
テオドールの手を握る力が、少しだけ強くなった。
「……そうなんだ」
それ以上の追及はなかったが、手は離されることなく、そのまま抱き寄せられる。
「……っ」
「……冷えてる」
体温を確かめるように背中に回された手が、少しだけ強くなる。
テオドールの腕の中は心地よくて、満たされる。
さっきまでの騒ついていた心が静まっていく。
これが依存なのか。
それとも別の何かなのか。考えようとする。
「……他のやつに、触れられた?」
テオドールの声が頭上からした。
一瞬で思考が現実に引き戻される。
「……いえ」
正直に答える。エメリヒは、触れていない。依頼人とも触れあうことはなかった。
テオドールの顔が近づき視線が絡む。
「……なんか、違う」
その真っ直ぐな視線に、全部見透かされているようで。エメリヒと会ったことも会話の内容も口にできない。それよりも、依存しているということを、テオドールには知られたくないと思った。
「……少し、疲れているだけです」
それだけを伝えた。嘘ではないけれど、本当でもない。テオドールは、少しだけ黙った。
そのまま額が、軽く触れる。
「……無理しないで。何が困ったことがあるなら、ちゃんと頼って。一人で考えなくていいから」
その言葉に心が揺さぶられる。
……この、考えなくていいということは彼の優しさで。今まで通りでいいと言われているような感覚だった。それは同時にテオドールに言えば困ったことはなんでもしてくれるということ。嫌なことも、全部彼が処理してくれる。選ばなくていいということでもある。
エメリヒの言葉が、頭をよぎる。
――一回くらい、自分で選べばいいのに
頭の中で、二つの言葉が、ぶつかる。
「……帰ろうか」
テオドールが私の手を引いて、そのまま、歩き出だす。
心の中は直ぐにぐちゃぐちゃになり、考えがまとまらなかった。
……私はどちらを選ぶのか。
それともまた、選ばないのか。
答えは出ないまま、握られた手の温度だけがここにいることを感じさせてくれた。
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