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聖女のくちづけは、毒よりも甘く  作者: 星那


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21/30

21.踏み込んだ一歩


 その日は、朝から空気が少しだけ違っていた。


「本日、第一王子殿下がお越しになります」


 リアが静かに一日の予定を告げる。いつも通りの声音。

 でも、その内容は簡単に頷けるようなものではなかった。


 第一王子――名前は、エメリヒ。

 知識としては知っている。王位継承権第一位。

 奔放で、自由気まま。神殿と深く関わりがある。エメリヒの叔父がアウグストであること。直接対面したことはない。


「……私が、対応するのですか」

「はい」


 短く返される。


「エメリヒ殿下のご意向です」


 理由は、なんとなくわかる。神殿の力を、甥に見せるため。聖女がどのようなものか、確認させるため。

 軽く息を整える。顔を合わせるだけならば、問題はない――そう思っていた。



 そうして、エメリヒとの対面の場が設けられた。

 

「へえ。これが噂の聖女?」


 軽い声が、室内に響く。

 第一王子。緩く整えられた金の髪。

 どこか余裕のある笑み。軽薄にも見えるが、視線は、鋭い。


「初めまして、私は聖女の――」

「そんな警戒しなくていいよ」

 

 言葉を遮る様にそう言って、迷いなく、こちらへ歩いてきたエメリヒに距離を詰められた。自然と一歩、下がる。


「別に取って食ったりしない」


 くすりと笑ったエメリヒの手がこちらへ向かって伸びる。

 ……反射的に、体が強張る。触れてはいけない。

 その瞬間。


「――やめていただけますか」


 低い声が、割り込む。

 テオドールが、いつの間にか、すぐ側にいた。

 そのまま、私とエメリヒの間に入る。完全に遮るように。


「過剰だな」


 エメリヒが肩をすくめる。


「ただの挨拶だろ?」

「あなたには、必要ない」

 

 余計な感情は見せない。距離は、詰めさせない。


「ふーん」


 少しだけ目を細める。

 面白そうに。その視線が、再びこちらへ向く。


「……なるほどね。これは確かに――」


 ほんの一瞬だけ視線が、絡む。


 その瞬間、空気が、わずかに変わった。

 分かる。ほんの微かだが、エメリヒが魅せられているということに気づく。エメリヒの瞳に一瞬だけ、深い熱と、興味以上の色が混じったのを見逃さなかった。


「……面白い」


 小さく笑う。さっきまでの軽さとは違う。


「ねえ、聖女」


 まっすぐにこちらを見る。


「お前は、ちゃんと自分の意思でここにいるの?」


 一瞬、言葉に詰まる。答えは、用意されている。

 任務と、役割であることは否めないが、ここにいるべきだと判断している。


「……はい」


 エメリヒは、少しだけ眉を上げた。


「へえ」


 そのまま、じっと見てくる。


「嘘じゃないけど、本音でもない顔だな」


 心臓が、わずかに跳ねる。


「兄上」


 テオドールの声が入る。

 

「それ以上の戯れは不要だ」

「はいはい」


 軽く手を上げる。でも、こちらから視線は外さない。


「……ねえ、聖女は、ずっとそのままでいられると思う?」


 その言葉意味が、すぐには理解できなかった。エメリヒは、ふっと笑った。


「まあいいや」


 いつもの調子に戻る。


「今日は挨拶だけにしとく」


 テオドールの隙をついて、私の手を取り口づけると踵を返した。


 最後にもう一度だけ、振り返る。

 その視線が、さっきよりも、はっきりと熱を帯びていた。


「……俺、聖女のこと気に入ったかも」


 小さく呟く。それだけ残して去っていく。

 扉が閉まる。


「……フェリシティ」


 すぐに、名前を呼ばれる。振り返る。

 テオドールの表情は変わらない。いつも通り、静かで。冷静だった。


「兄上には、必要以上に近づかないで。何を考えているのか分からない」

「かしこまりました」


 彼は危険だと、私でも分かる。

 たまたま今回挨拶へ来ただけ。これ以上顔を合わせることもないのが一番だとこの時は思っていた。



 *


 

 ――あれは、ただの興味のはずだった。


「……はあ」

 エメリヒは、小さく息を吐く。

 誰もいない自室で椅子に深く腰を下ろしたまま天井を見上げていた。


……面倒だな。


 エメリヒにも自覚はあった。あのときの視線に、ほんの一瞬で、引き込まれた感覚が。

 聖女で、駒。神殿が用意した“切り札”。

 本来なら利用する側の存在だ。テオドールへと差し向けたのなら、距離を取るべき。深入りするべきではない。


 それなのに興味が湧いた。父親と弟、三人で会話をした際に、テオドールがみせた表情が気になった。短期間で、雰囲気が少し柔らかくなった。彼を変えることができたのが、いったいどんな人物なのか。本当に少しだけ会ってみたかった。だがどうだ、一目見たら、頭から離れない、聖女の顔。

 一瞬にして聖女のことで頭がいっぱいになった。胸を突き動かすような、熱い気持ちと意識が遠のく感覚。

 これがなんなのかエメリヒには分からなかった。


 聖女は一見警戒心が強そうだが、無防備でいて、空っぽで。


……ああいうの、趣味じゃないんだけどなと、頭で考え軽く笑ってみせる。けれど、笑いきれない。


 その思考を遮るノックの音で我に返った。


「エメリヒ殿下」


 扉の向こうから、控えめな声がする。


「神殿より使者が」

「……今行く」


 短く返し、立ち上がる。エメリヒにもすぐにこの流れが何処へ向かうのかわかっていた。


 ――神殿は見ているのだ。


 聖女と、王子たちの関係を。どちらが取り込まれるかを。そして。自分が動いたことも。

 通された先。そこには、神殿の使者が立っていた。



「先ほどの件について」


 形式的な挨拶ほそこそこに、本題へと移る。目の前の使者の視線は厳しいものだった。


「聖女への接触は、慎重にお願いしたく、参りました」

「挨拶をしただけだ」

「恐れながら、殿下のお立場を考えれば、軽率な行動は、誤解を招きます」


 そう淡々と返される。

 つまり婚約者の問題である。

 エメリヒの脳裏に浮かぶ、形式的に結ばれた婚約相手。政治的な均衡。崩すわけにはいかない関係。特別な感情は持ち合わせていない。

 それでも王族とはそういうものだ。それくらい、理解している。それなのに。


「誤解って?」


 わざとらしくエメリヒは聞き返す。口元に笑みを浮かべたまま。

 

「……聖女への“個人的関心”です」


 一瞬。沈黙が落ちる。その言葉は、的確すぎた。


 ……見透かしてる。何もかも。

 神殿は。自分の心も読めるのかと、全てを見ている。エメリヒは、ゆっくりと息を吐いた。


「安心しろ」


 軽く言う。


「そんな面倒なことする気はない」


 それは半分本音で、半分嘘だった。

 使者は、何も言わずに頭を下げ去っていった。

 それ以上踏み込まない。


 ……面倒な位置にいるな、あれに関わるべきではない。


 聖女――フェリシティの姿が、浮かぶ。

 テオドールの管理下で、そして。自分が触れたら、完全にいけないものとして扱われている。


 エメリヒが理解しているこの状況で関われば。

 政治的にも、立場的にも完全に問題になる。


 婚約者の存在も。無視できるものではない。普通なら、ここで終わりだ。関わらない距離を取る。

 それが正解だと分かっているのに、ふと目があったときを思い出す。惹き込まれるような感覚もあったが、フェリシティの顔には、完全に従っているようでいて。自分で選んでいるわけじゃない――諦めたものの目。テオドールと同じ匂いがした。

 なんとなく放っておけないと思ったのは、視線が絡んだ瞬間の引き摺り込まれる様な感覚が忘れられなかったからだ。


「……はあ」


 もう一度、短いため息が漏れた。

 関係ない。本来なら。関係ないはずなのに、足が止まらなかった。窓の外を見る。遠くに、王城の一角。フェリシティがいる場所。


 一回だけでいい、確認するだけ。それくらいなら問題ないだろう。その考えがすでに一線を越えかけていることに、気づいていながら、エメリヒはやめる気はなかった。


 

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