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聖女のくちづけは、毒よりも甘く  作者: 星那


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2.与えられた名前と初めての外の世界

私の処分は一時的に保留となった。

 しかし、役割を果たせなければ処分されるのはこれまでとは変わらない。首の皮一枚繋がっただけ。

 

「三番――いや、今後は名前が必要だな」


 名前。今まで、私には必要のなかったもの。


「名は、フェリシティ」


 ――フェリシティ。

 本で目にしたことがある。幸福を意味する名前。私には不釣り合いだと思ったけれど、今まで呼ばれたことのない個人を表す響きに胸が高鳴った。


 番号ではなく、誰かの代わりでもない。それが少しだけ嬉しいと思った。


 口の中でその名前を名前を何度も繰り返す。


「以後、人前ではその名を使うように」

「かしこまりました」

「それでは準備を整えろ。身支度が出来次第、王宮へと参る」


 あまりにもあっさりと、次のことが決まる。

 いくら名前が与えられても、私の役割は変わらない。拒否権もない。荷物のように、ただ運ばれていくこととなった。


 準備とはいったが、私には私物と呼べるものは何もない。身なりを整え、用意されたドレスを身に纏う。初めて人に着替えをさせられ、化粧を施された。これまでの待遇との差に驚きながらも、私は聖女として、与えられた位置付けを頭の中で反芻していた。


 王都から遠く離れた地の孤児院で暮らしていたが、魔法の才能があると神殿に引き取られ、生活を送っていたところ、聖女としての力に目覚めたのだと。その力を生かして、今の王宮に蔓延った問題を解決するために、アウグストが私をテオドールに紹介するという筋書きだ。


 ここに来る前の記憶はないので、ぼろがでることもない。元からそういう境遇だったと思えるほど。事実と違うのは引き取られた子供たちは何人もいて、選ばれない者たちは消えていっているということだけ。


 会ったこともないテオドールとうまくやっていけるのだろうかと心配ではあったが、魅力を含む能力があれば誰でも思うがままに操れるだろうとのことだ。

 たとえ私にその気がなくても。


 あの部屋から出たのも、こうして歩いて神殿から出ることもはじめてのことだった。

 長い廊下をひたすら歩く。自分の足音と、共に行動しているアウグストや神官たちのものが不揃いな音を立てた。


 ふと、明かりの差し込むほうに目を向ければ、窓があった。見慣れぬ光景に、足が止まりそうになる。


「止まるな」


 それを見越したかのように、アウグストの声がした。はっと我に帰り、ふたたび歩き出す。

 私には、ゆっくりと景色を堪能するような時間はないのだ。言われたことを忠実にこなさなければ、明日はない。


 外に出ると日差しが眩しく、思わず目を細めた。

 すぐ近くに停められていた馬車に乗り込んだ。

 

 馬車には、私とアウグスト、神官が二人と、私を見張るためにつけられた侍女であるリアの五人が乗っていた。

 ふと窓から見える景色を眺めながら、テオドールのことを考える。冷酷で人前で笑った顔も見せないという。彼は一体どんな人なのだろうか。会ったことない、立場の上の人。私が聖女になれなかったら、きっと会うこともなかった人だ。


 どんな人だとしても、私は与えられた任務を忠実にこなすだけ。


「ついたぞ、降りろ」


 アウグストはよそ行きの笑みを張り付けた顔で馬車を降りた。

 そうして私をエスコートするように手を差し伸べた。人目があり、私の存在を周りに見せつけるためのもの。これも役目のうちだとその手に自分の手を重ねた。

 

 アウグストに触れたのは初めてのことだった。絶対的な存在で、逆らえない立場の人。でも私と同じように手は温かいのだと知った。


 王宮の中は、思っていたよりも騒がしかった。

 視線を感じる。兵士、使用人、貴族らしき者。

 神殿とは違い、ちゃんと人々が生きているということを感じさせる。


「こちらでございます、聖女様」


 侍女――リアの声に導かれ、廊下を進む。

 すれ違う人々が、こちらを見るのは、ただの好奇心と、見慣れない存在がアウグストの隣にいるからだろう。


「アウグスト様」


 声をかけてきたのは知り合いだろうか。

 そっと様子を伺えば、視線が合ってしまった。


「……綺麗だ」


 ぽつりと落ちる声。その瞬間、目の前の男は完全におかしくなっていた。


「あなたは……」


 手が私の方へ伸びる。ためらいなくただ求めるように。


 嫌だ――そう思うのに、体が動かない。

 指先が触れかけた、その瞬間。


「――下がりなさい」


 静かな声が、すべてを断ち切った。


 男の動きが止まる。夢から醒めたように、自分の身に起きたことがいったい何かと顔を青ざめる。


「私いったい……申し訳、ございません」


深く頭を下げられる。


「構わん。彼女の美しさに目が眩んだのだろう。仕方がない」


 アウグストは、笑みを浮かべて男を赦した。全く行動を咎めはしなかった。その作られた笑みに騙される周りの人々は、アウグストの姿を美しいと言った。


 そして、周囲を見渡す。集まりかけていた人々に向けて。


「この者は、神が神殿に遣わせた聖女である」


 静かに、しかしはっきりと告げる。その一言で、空気が変わる。


「……聖女?」


「神殿の……?」


 ざわめきが広がり、先ほどとは違う視線が向けられる。今のは、畏れ。そして距離ができた。


「不用意に近づき、危害をなせば命の保証はせん」


 冷たく言い放たれた言葉は、完全な線引きだった。

 それ以上、誰も近づこうとしない。集まっていた人々が散り散りになり、道は開かれた。


 遠くから。恐れるような視線を向けられる。不用意に、人を見てはいけないのだと気付かされる。


……これが、私の力。


 理解する。私はもう、普通じゃない。

 誰かが近づくだけで壊れていく。関われば狂わせる。操ることさえ可能だという。私はそういう存在なのだ。


 アウグストが処分させたがった理由も分かる。それでも私は生きたかった。


「動け、役目を果たすのだろう」


 今のことで打ちひしがれていると思ったのだろう。それは当たりだったが、ここで今更逃げられるとは思っていない。


 リアが静かに頷く。


「参りましょう、聖女様」


 私は“幸福”の名前を与えられた。それなのに、誰かを壊すための存在でしかないのだと、思い知らされる。その矛盾を抱えたまま、この先も続く長い廊下を歩きはじめる。


 どのくらい移動したのか。随分遠くの方まで歩いてきた様に感じる。人通りも少なくなり、開けた場所へ出る。

やがて、重厚な扉の前で止まる。

 扉の前に立っていた警備の騎士へ要件を伝えると、アウグストだけが部屋に通される。


 私とリアは扉の前で待つこととなった。


「色目を使ったつもりではなくても、他の人がこれではね。聖女様、少しお気をつけられたほうが良いかと」

「私も、無闇に視線を合わせてはいけないと感じていました」


 リアの忠告はありがたいものだった。先ほどのせいで、警備の騎士の顔もよく見ることができなかった。

 

 テオドール。

 冷酷で、理性的で、滅多に笑わないという。そんな人が、もし――今の男のような目をしたら。


「あなたの視線は毒のようですね。でも、彼にだけは甘い毒になる」


 リアが囁く。


 私は、無意識に唇を噛んだ。

 甘い毒。それは、誰を壊すんだろう。

 彼?それとも――私?

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