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聖女のくちづけは、毒よりも甘く  作者: 星那


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1.選ばれたのは、最後まで残ったから

「お前たちは、聖女のための器で、役割を果たす駒にすぎない」


 そう言われたのはいつのことだったか。もう思い出せない。

 この国の聖女は神殿にとって都合のいい道具だ。神殿は聖女が使う力で幾度となく王族や貴族、力を持つ者を助け、恩を売り力を伸ばしてきた。

 私は物心ついたときからここにいた。年齢の近い子供たちが集められ、共同生活を送っていた。窓は高い位置に一つだけ。光は入るのに、外は見えない。

 

 女は聖女として、男はアウグストの下で働く聖職者として集められた。多少の会話はあったが、特別親しい間柄の人はいない。

 

 感情は不必要なもの。

 言われたことを忠実にこなすこと。


 それが、ここで最初に教えられたことで、やらないということは許されなかった。

 できない者は消えて、追加されて、私たちは変えのきく存在でしかなかった。


 訓練と称して、魔法、政治、人心操作の講義など、いったい何のためにそんなことをと思うことも学ばされた。人を導くためには必要なことだと。

 そうして訓練の末、残った私たちは、神殿の地下にある神がいる祭壇前での儀式を乗り越えて、聖女としての力の一部を身体に宿した。

 そこでも、また幾人かいなくなった。聖女として特別な力を使うためには、自分の体力を削る。人との身体的な接触で回復できると聞かされていた。身体的な接触とは、手を繋ぐだけでも効果はあるが、キスが最も効率よく回復する方法だと教わっていた。唇を重ねることで生命力が直接流れ込むらしい。私はそれを疑問に思ったことすらなかった。聖女の力が人々を救うために存在し、その代償を払うことが私の義務だと。実際に力の使いすぎで候補者が消えることもあったし、自分自身も倒れて意識を失ったこともある。それでも――それをおかしいと思ったことは、一度もなかった。

 

 そんな延々と続く日々が終わりを告げたのは、最終選別を行うと言われたからだった。


「最終選別を行う、整列」


 空気が僅かに変わった。

 アウグストの声が響くと、反射的に私たちは一列に並ぶ。間隔を揃えて立つ。無駄な動きはしない。

 最終選別という言葉に反応して、踊らされてはいけない。恐怖も期待も、抱いてはいけない。

 

 枢機卿であるアウグストが現れる。

 白い衣は金の装飾が施されている。目を惹きつける服装と、その堂々とした立ち姿に圧巻されるのはいつものことだった。


 この場所で、最も上にいる人。その視線が、私たちを一瞥した。


「呼ばれた者から前へ。五番」


 一人目の少女が前に出る。アウグストの問いかけに、機械のように回答する姿をただ見ていた。彼女の、動作、視線、細かな仕草を見られている。


 そうしてアウグストが一言言った。


「不合格」


 その瞬間、その子は崩れ落ちた。その場にいた別の神官に引きずられるようにただ、連れていかれる。


 それで終わり。それ以上は見てはいけない。その姿は、未来の自分の姿かもしれないのだから。


 二人目、三人目。同じことが繰り返されていった。静かに、共に過ごした仲間が減っていくのをただただ見つめていた。


「――三番、前へ」


 呼ばれて、すぐに立ち上がる。

 私はここで“三番”だった。


 それが、私を示す唯一のもの。

 

 この場所に来たときから、ずっとそうだった。

 誰も名前を持たない。呼ばれるのは番号だけ。


 立ち上がり、アウグストの前に立ち、頭を下げる。


 胸の奥が、ほんの少しだけざわつく。

 選ばれたいという僅かな気持ち。初めての感覚に私自身が驚いた。


 今まで、そんなこと考えたことなかったのに。

 ただ従っていればいいと思っていた。


「顔を上げろ」


 命令を受けて、ぱっと顔を上げた。

 アウグストと目が合う。


 ほんの一瞬だけ、彼の瞳が揺れた気がした。


「なるほど」


 アウグストの呟き声がしたあと、長い沈黙が流れた。そのまま、次の言葉が、命令があるまで私は目を逸らさずにいた。


「合格」


 その一言で全てが決まった。

 アウグストの後に続いて部屋を出る。後ろは振り返らなかった。


 案内されたのは、真っ白な広い部屋。天井は高く、壁には見慣れない装飾がある。部屋の中央の床には複雑な紋様が記されていた。


「その上に立て」


「はい」


 言われるがまま、私はそこへと立った。


「これより加護を与える」


 アウグストの力を見ようと、周りにはたくさんの神官がいた。

 加護は、神から与えられし力で、アウグストはその代行にすぎない。内容まで指定することはできないという。


 どんな加護が私に与えられるのだろうか。

 少しだけ興味があるが、すぐにどんなものでもやることは変わらないのだと湧き上がった感情を沈める。

 光が足元から身体を包むように広がっていく。

 何か知らないものが、胸の内に芽生えるような感覚。


 光がおさまり、静寂に包まれた。

 ふと、周りを見渡すと、一人の神官と目が合う。

 

 驚きと、戸惑い。蕩るような、熱い視線。その視線は、人心掌握するために、相手の欲しい言葉を投げかけたり、相手を見つめて微笑んだり、そういったことをした時に見る様な顔。今、私は何もしていない。

 

「……?」


 その違和感に、私は慌てて視線を逸らした。


「今のは……?」


 何もしていないのに、そんな顔をされるなんておかしい。けれど、この違和感の正体を知りたくて、他の人をちらりと見た。


 そうしてまた目が合うと――その人は、まるで大切なものを見つけたみたいな顔をした。


 なに、これ……。

 すぐに怖くなって、私は俯いた。


 空気が揺れた。


「……美しい」


 誰かが、呟いた声が聞こえた。


 それをきっかけに、まるで連鎖するみたいに視線が絡みついてくる。


 息が詰まる。見られていることに。


 目が合った瞬間、相手の表情が柔らかくなる。

 

 これは、いったい何なのか。


「……これほどか」


 アウグストの声は先ほどより、わずかに低い。


「周囲への影響が強すぎる。念のため、鑑定を」


 アウグストの声に、私に与えられた祝福が何なのか、淡い光とともに、文字が浮かび上がった。


 ――魅了。

 ――媚薬。

 ――傀儡。


 場の空気が、一気に冷える。


「……っ」

「禁忌、だ……」


 誰かが、息を呑む声がする。

 アウグストは、ゆっくりと頷いた。


「魅了――視線を交わした相手の感情を歪め、好意へと傾ける」

「媚薬――接触を条件に、理性を弱める」

「傀儡――強い感情を媒介に、相手の意思とは関係なく思考を奪い干渉する力」


 その声は淡々としていた。まるで、道具の仕様を説明するように。


「残念だが。お前は、聖女ではない」


 私は顔を上げた。


「この国を破滅へと導く火種となるだろう」


「アウグスト様……」


 誰かが不安げに声を上げる。


「この娘は“失敗作”だ」


 空気が凍る。

 その言葉の重さは、説明されなくてもわかった。


「求めていた才能ではあるが、こうも力が強すぎては接触すれば心を侵し、放置すればいずれ制御不能になるだろう」


 淡々と、事実のように並べられる。

 違う、と言いたかったが、否定できない。


 さっきの視線。あれは、普通じゃなかった。


「……残念だが、処分を。また一から作り直すのは骨が折れるな」


 息が止まる。処分――つまりそれは、今まで消えていった者たちと同じように私も消されるということ。


 胸の奥がざわつく。怖い。

 それより先に、口から言葉が出た。


「……どうして」


 自分から問いかけるのは初めてだった。

 神官たちがこちらを見る。


 でも、止まらない。

 

「今まで、言われた通りにしてきました」


 声が震える。それでも言葉を必死に繋げた。


「感情を捨てろって言われて、捨ててきた。役に立てって言われて、全部やってきた」


 握りしめた手が、わずかに震える。


「それなのに」


 顔を上げて、アウグストを見る。


「できあがったら、危険だから処分って……そんなの、おかしいです」


 アウグストが、興味を持ったようにわずかに目を細めた。


「ほう」


 小さく呟く。


「まだ、意思が残っていたか。しかし、事実だ。お前は周囲を侵す。制御不能になれば、被害は広がる」


 それは正論で、否定できない。

 それでも。せっかく選ばれたのに、あの光に包まれてから、自分の感情がおさえられなくなった。


「……それでも死にたくないです」


 初めて、本音を言った。

 アウグストはしばらく黙っていた。


「――使い道はある、か」


 その一言で、処分しようとしていた空気が変わる。


「王位継承争いは知っているか」

「少しだけ」


 様々な教育の中で、第一王子のエメリヒと第二王子テオドールの間でどちから王位に相応しいかと意見が割れていると聞いた。王はまだ明言していないということで、どちらの陣営につくべきなのかという駆け引きが行われているという。神殿としては、アウグストの妹を母にもつ第一王子を王座に据えたいと考えていると聞かされていた。


「王位を継ぐのはエメリヒでなくてはならない。我々の活動のためにも、第二王子テオドールは邪魔だ。お前はテオドールを手中におさめろ」


 アウグストは冷たく、命じた。


「……手中に?」


「その力で、籠絡し、支配し、傀儡とする。それがお前に残された道だ。拒否権はない。これまで、様々なことを教えてきただろう。男を手玉に取る術も知り得ているはずだ」


 人を操るには、好かれるにはどう行動するのか、そんな技術も教え込まれていた。まさか、このために?

 

「選択肢はない。従うか、処分されるか」


 私はこれまでの理不尽なことに耐えて残った。それならば、これからも耐えるだけだ。私の感情など必要ない。


「……やります」


 声が、震えた気がした。けれど気づかないふりをした。

 そうして、一瞬だけアウグストを見た。


「必ず、生き残ります」


 それが私の最初の反抗だった。


――このときはまだ知らなかった。

 堕とすはずの相手に、先に捕まることになるなんて。

 

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