18.救われたのは
その日は、初めての外での依頼があった。これまで外出することはなかったし、自分で外へ出たいと思ったこともなかった。
私が知っているのは、神殿の中と、王城の一部だけ。馬車に揺られて外の景色を眺めるのは、神殿から出て以来のことで少しだけ心が揺れる。
案内されたのは、王都南区にあるという、市場近くの診療所だった。呪いを受けたという者の治療依頼があり向かうことになった。
馬車の向かい側には、テオドールの姿がある。何を考えているのか分からないが窓の外を眺めている。馬車は2台に分かれており、カイルと数名の騎士が同行していた。いつもより人が多いのは、やはりテオドールがいるからだろう。
「そんなに沢山の人を連れてこなくても大丈夫ですよ。それに、テオドールまで来てくださるなんて」
「一緒に行くのは当たり前だよ」
「なぜですか」
「市井は必ずしも安全な場所ではない。誰が何をするのか分からないからね」
何をするのか分からない――それは私も含めて、ということだろうか。
全てが初めて見るものばかりで視線は彷徨いそうになるが、これは仕事である。ぐっとこらえて、目の前を見る。
「それに、仕事が終わったら、フェリシティも少しくらい見て周りたいだろう?その時に側にいるのは俺がいいから」
「よろしいのですか?」
声が上擦ったのが伝わったのか、テオドールがくすりと笑った。
「うん、フェリシティが頑張っているからそのご褒美に」
ご褒美。神殿ではそんなものなかったから、その言葉だけで充分に嬉しいと思える。テオドールの期待に応えられるようにと手を握った。
馬車を降りてから、少しだけ歩く。細道には馬車は入れない。そうしてたどり着いた診療所は年季の入った建物だった。
診療所での仕事は順調だった。粗悪な呪いはすぐに解呪できた。少しだけ、患者やそこで働く人と会話をして、建物を後にした。
「じゃあここからは、仕事は終わり」
顔が見えないようにレースのヴェールを被って歩く。これがあるだけでも、視線の抑止に繋がり、人目を避けることができた。最初からこうしていたらよかったと思った。
ただ歩いているだけでも面白かった。通りにある店は、食べ物や雑貨などを中心に、様々な商品が売りに出されていた。
人々が笑いながら行き交い、商人たちが威勢よく声を張り上げている。屋台からは香ばしい匂いが漂い、色とりどりの花が光を受けて輝いている。
「何か気になるものでもあった?」
「いえ、特には」
何が気になるのか、自分でも分からない。それでもこの人が沢山いて、沢山のものが溢れているこの様子は好ましいと思った。
すると、突然悲鳴が響く。
「馬だ!逃げろ!」
誰かが叫ぶ声がした。声のする方向に目を向けると、暴走した馬車が凄い勢いで走っている。
御者が振り落とされかけていて、馬は完全に興奮状態に見えた。
そのまま猛スピードで人混みへ突っ込んでくる。
進路の先には小さな女の子がいた。
「危ない!」
誰かが叫ぶ声がした。間に合わない。
護衛で着いてきた騎士たちも動くが、距離がある。
間に合わない。
馬車が突っ込んで、女の子が怪我をする未来が見える。
だめーー
考えるより先に能力が発動する。
「止まって」
誰にも聞こえないほど、小さな呟き声。
細い糸が見えた。それは他の人の目にはうつらない。私にだけ見えるものだった。馬に繋がる糸をぐっと強引に引く。
次の瞬間――暴走していた馬が急停止した。
まるで、見えない手掴まれたように、急に動きをやめたのだ。その一部始終を見ていた人たちが静まり返った。
「……え?」
「何が起きた?」
誰も分からない。分からなくていい。一瞬だけ目眩がしたが、なんとか踏みとどまる。力を使ったことで、疲労を感じた。
「フェリシティ」
テオドールに腕を掴まれていた。
「大丈夫です……」
全然大丈夫ではないが、誤魔化すように微笑んだ。
吐き気がするし、頭痛がする。気持ち悪いのは、能力を使った反動だった。
そして何より胸が苦しい。この能力が嫌だった。
誰かを操る力が、たとえ助けるためだとしても、本来の未来を捻じ曲げてしまったのだから。
テオドールだけは見ていた。
私の顔色が真っ白になっていることを。
「顔色が悪い。もう帰ろう」
テオドールの有無を言わせない声。腕を引かれて馬車へ乗せられた。
帰路の馬車の中は静かだった。私もずっと黙っていた。
「……気持ち悪いですよね」
テオドールと視線が合った。
「何が」
「私の、力です」
声が震える。
「操るんです。意思を捻じ曲げて、無理やり」
神殿でもこの力は扱いに困るという反応だった。
私も、これは呪いのようだと思った。
テオドールの顔が真っ直ぐ見られなかった。どんな顔をするのか、そうだと肯定されてもしかたなかったが、そう言われたくなかった。
「気持ち悪いのは、力じゃない」
「え?」
私が顔を上げる。テオドールの目は冷たかった。
まるで、怒っているようだった。けれど、怒りの矛先は私ではない。
「そんな力をフェリシティに与えたこと。それが許せない」
その言葉に、私は目を見開いた。
予想していた答えと違っていた。
気持ち悪い、恐ろしい。そう言われると思っていた。
この力をもってすれば、テオドールのことだって意図も容易く操れるだろう。自分の意思とは関係なく。勿論他の人でも構わない。誰もが自分の意思とは関係なく、私の一存で動く、人形のようになるのだ。
「……許せない、って」
「うん」
テオドールは迷いなく頷いた。
「聖女として、誰かを救うために与える力じゃないだろう。フェリシティはさっき、自分のために使った?違うよね」
私は、言葉に詰まる。
確かに、あの時、頭にあったのは女の子のことだけだった。
助けたい。間に合わないといけないと、それだけが頭を占めていた。
「そうでしょ、誰かを助けるために使った。だったら責められるべきなのは力じゃない」
テオドールは窓の外へ視線を向ける。
「そんな危険な力を、一人の子供に背負わせた連中だ」
その横顔は冷たかった。
神殿の話になると、時々こういう顔をする。
普段の穏やかな彼とは別人みたいに思えた。
「フェリシティ、君は悪くない」
心臓が大きく跳ねた。
その言葉は、今まで誰も言ってくれなかった言葉だった。
悪くない。そんなはずないと思った。
私は人を操れるし、魅了できる。壊すことも簡単なのだ。
「……でも私が使ったんです」
「そうだね。でもさっき、フェリシティが力を使わなかったら?」
私は黙って考えた。
あの女の子は馬車に轢かれていたかもしれない。重傷だったかもしれない。下手すれば死んでいたかもしれない。
「フェリシティが助けたんだろう?それで十分だよ」
その瞬間、胸の奥がじわりと熱くなった。
苦しい。それは嫌な苦しさじゃない。
今まで固く閉じていた何かが少しだけ緩むような感覚だった。
「……テオドールは、変です」
「そう?」
「普通はそんなこと言いません」
「確かに。そうかもね、でも俺は君の方が心配だから。力を使った反動で倒れそうになってるフェリシティの方が気になる」
思わず息を呑む。成果を出せば評価される。
神殿ではずっとそうだった。
力を使って動けなくなっても、具合が悪くなっても、心配されたことは一度もなかった。
「……どうして」
また同じことを聞いてしまう。
テオドールは困ったように笑った。
「前にも言っただろう。フェリシティが欲しいから」
何でもないことのようにテオドールは告げる。
心臓がまた大きく鳴った。
その意味は分からない。
分からないのに、なぜだか胸の奥が熱くなる。
馬車は静かに王城へ向かっていた。
窓の外では夕日が街を赤く染めている。
初めて見る王都の夕暮れは綺麗だった。
それよりも、私の頭から離れないのは、自分の力を否定しなかったテオドールの言葉だった。




