16.変わりゆく関係
「今日から、少し配置を変える」
テオドールの声は普段と同じように落ち着いていた。
「……配置、ですか」
「うん」
テオドールは頷く。
「フェリシティに関わる人間をもう少し絞ることにした」
「……必要な者だけにする。治療対象と、最低限の使用人。それ以外は、基本的に接触禁止。隠れて補給する必要もないだろうし、フェリシティへの負荷とか、周りへの影響も考えての判断」
続けられる説明は合理的だ。無駄がない。はっきりと言い切る言葉に迷いはなかった。接触禁止。言葉の意味は理解できる。
そして、その理由も理解している。それは、私の人間関係を管理する、ということ。
「……承知しました」
口から出たのは、いつもの返答だった。拒否はしないし、する理由もない。効率を考えれば、理にかなっている。
もう、彼からの補給で十分足りるということがわかったから。それは、紛れもない事実だった。
「あと、普段俺たちの周りにいない連中との会話も……必要最低限にして」
テオドールが、ふと付け足す。
視線がこちらに向く。静かに言われる。
「余計なやり取りは、いらない」
それは、接触だけじゃない。関係そのものの制限。
「……はい」
短く答える。それが、当然のように。
その日から。世界が、少しだけ変わった。
廊下を歩いても誰も近づいてこない。
以前のような視線も、減っている。
遠巻きに見ることすら、控えられている。
テオドールが手を回したのか、徹底されていた。
「……こちらへ」
リアに導かれて進む。途中、使用人とすれ違う。一瞬だけ、目が合う。その瞬間——相手はすぐに視線を逸らした。
まるで、触れてはいけないものを見るように。
……完全に制御されている。あの、わずかな接触すら。
もう許されない。
治療の場でも同じだった。必要な分だけ。
それ以上は近づかない。回復した者も。すぐに引き離される。触れる余地すら、ほとんどない。
頭の中で計算する。消費量と、回復量。
テオドールからの補給で、足りている。
問題はない。そのはず。
でも、どこか、落ち着かないのは、これまでと違うからだろう。
「……少し顔色悪いね」
夜の部屋でテオドールがそう言った。
すぐ隣に彼がいること、この距離は当たり前になっている。
「……問題ありません」
答える。反射的に。
でも。今日は少しだけ、言葉が遅れた。
それを、彼は見逃さない。
「嘘じゃない?」
低く問われる。そのまま。手を取られる。指先が絡む。
じわり、と熱が流れ込んでくる。
「……っ」
体が、素直に反応する。満たされていく。
さっきまでの違和感が、ほどけていく。
やっぱり。彼だけで、十分。
「ほら」
テオドールが小さく呟く。確認するように。
その声は、やさしい。確信を持っている。
「……はい」
それが事実だから。そのまま、引き寄せられる。自然に。距離が、消える。
「じゃあもう、他はいらないって分かったよね」
低く囁かれる。
「……はい」
もしかしたら必要かもしれない――という、私の考えを見抜かれていたのだろうか。
それ以外の選択肢は、もうない。
唇が、触れる。今度は、躊躇なく。最初よりも、自然な深い口付け。体がそれを受け入れる。
拒まない。むしろどこかで、待っている。
違うとそう思うのに。否定しきれない。
さっきまでの空虚が、埋まっていく。安心する。
満たされる。それが、彼じゃないと、だめみたいに。
唇が離れる。わずかな距離。息が触れる。
自分でも、気づきはじめていた。合理的だからとか、任務だからとかではない。でも、簡単に、認めることはできない。
その代わりに私は、ただ頷く。
何も疑わないふりをして。何も変わっていないふりをしたかった。
最初は。
本当に、“必要なときだけ”だった。
治療のあとだったり。消耗したとき。体調が崩れかけたとき。そのたびに。
「……フェリシティ」
名前を呼ばれて。引き寄せられて。
唇が触れる。それだけ。
それで、十分だった。
けれど。少しずつ——回数が、増えていった。
「……少し顔色悪い」
そう言われて。触れられる。
実際には、そこまで消耗していなくても。
「念のため」
理由は、いつも曖昧で。でも、拒否する理由もなかった。
「……確認したいだけ」
そんな言葉とともに。距離を詰められることもあった。
回数が明らかに増えている。テオドールも気づいているはずだ。
問題、ないこと。頭では、そう判断する。
回復はできている。むしろ効率はいい。
それに彼以外に触れる必要も、もうない。
だから——これは、合理的。そう思おうとするけれど。
「……テオドール」
無意識に彼の名前を呼んでいた。
テオドールの動きが、わずかに止まる。
「どうかした?」
距離は、すでに近い。そのまま視線が絡む。
「……少し、」
言いかけて、止まる。何を言おうとしたのか。自分でもわからない。
たださっきから、胸の奥がざわついているのはなぜなのか。
「……足りない?それとも触れたくなった?」
先に言われる。見透かしたように。
「……っ」
否定できなくて息が詰まる。テオドールは、ゆっくりと目を細めた。
「……ほんと、正直だね」
小さく呟くと、そのままテオドールは迷いなく、距離を詰める。
今度は、自然に唇が重なる。
触れた瞬間に、わかる。欲しかったものが、流れ込んでくる。体が、それを受け入れる。
安心する。テオドールと触れていると満たされる。それが——あまりにも、強くて。
「……っ、」
呼吸が乱れる。指先が、わずかに彼の服を掴む。
無意識に。離れたくないみたいに。
違う。これは、任務。必要なこと。
そう思うのに。体が、逆の反応をする。
やがて。ゆっくりと唇が離れる。距離はそのまま。
「……ほらやっぱり必要でしょ」
テオドールが低く囁く。その声が、少しだけ熱を帯びている。前とは違う。ただの確認じゃない。欲しているものの顔。……変わっている。
気づいている。これはもう。“任務”だけじゃない。
彼が、私を求めている。それは本当にテオドールの意志なのだろうか。それを尋ねることは、今の関係が崩れてしまいそうでできなかった。そして自分もまた、彼と同じ気持ちでそれを、拒めなくなっていた。




