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聖女のくちづけは、毒よりも甘く  作者: 星那


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15/21

15.義務のはずの口づけ

  部屋の空気が、やけに静かで、扉が閉まる音が、重く響く。なんとなく、逃げ場はないと感じた。


 視線を上げると、テオドールがそこにいる。さっきよりも、ずっと距離が近い。

 

「……フェリシティ」


 名前を呼ばれる。その落ち着いた声が、騒ぎ立てる私の心を少しばかり沈めてくれた。


 「さっきの話、覚えてるよね」


 確認するように、逃げ道を塞ぐように、こちらを見ていた。


「……はい」


 それが“合理的”だと、自分で認めてしまったのだから。

 これは――任務の延長であって、特別な行為ではない。


「じゃあ」


 一歩、近づかれる。呼吸する音が聞こえるくらい距離が近くなる。


「これから、試してみようか」


 その言葉と同時に、手首を引かれ、体が引き寄せられる。


「……っ」


 心臓が、大きく跳ねる。

 

「緊張してる?」


 静かに問われる。からかうような調子ではない。


「……問題ありません」


 いつもの言葉。でも、声が少しだけ硬い。

 テオドールはそれを見逃さない。


「ほんとに?」


 そのまま、顎に指がかかる。ゆっくりと顔を上げさせられ視線が合う。深い色の瞳が真っ直ぐにこちらを見ていて、目を逸らせなかった。


「本当です」

「……ならいい」


 そのまま距離が、さらに縮まる。

 ――キスされたのだと、理解はしている。


 これが最も効率的な回復方法。訓練でも、教えられてきた。けれど、自分の意志でそうしたことはなかった。力を使い過ぎて倒れてしまいそうな時は、神官が自主的にそうしてくれていたから。


 この行為に特別な意味はない。問題はない。そのはずなのに。意識がはっきりしている中、こんなふうにすること自体が初めてで、どんな顔をすればいいのか分からない。なぜか、逃げたい、と思ってしまう。

 

 普通の目で見て、話をしてくれたテオドール。名前を呼んでくれた。笑ってくれた。口付けをしたら、テオドールが変わってしまうのではないかと思った。あの熱の籠った瞳で、彼に見つめられでもしたら、私は悲しい。

 ――なぜ?なぜ、それが嫌だと思うのか。

 自分から出た感情が分からなくてぐっと目を瞑る。

 これは任務。必要なこと。そう思考を押し込めた瞬間――再度、唇が触れた。


「……っ」


 ほんの一瞬、軽く触れるだけのはずだった。

 そのまま、ゆっくりと、押し付けられる。逃がさないように、深く、確かめるように。


 ……違う。これは、知っているものと違う。

 もっと、機械的なはずだった。もっと、簡単なはずだった。

 なのに。じわり、と。強く流れ込んでくる。

 息が、絡む。思考が、揺れる。


「……っ、」


 呼吸が乱れる。体の奥が、一気に満たされていく。

 今までとは比べものにならないほど。強く、深く。

 

 理解が追いつかない。

 これは効率がいい、なんて言葉じゃ足りない。嫌じゃない。むしろ求めてしまう。


「……ほら」


 唇が触れたまま、低く囁かれる。


「ちゃんと、回復してるでしょ」


 その声が、近すぎる。逃げられない。

 答えられない。ただ、体が反応してしまう。

 もっと、欲しいと。


 やがてゆっくりと、唇が離れる。

 ほんの少しだけ、名残惜しいと思ってしまった。


 視線が合う。


「……すごい顔してる」


 からかっているわけではなく、ただ、事実を告げるだけ。熱に浮かされたような素振りもない。


「……問題、ありません」


 なんとか言葉を絞り出す。でも。説得力はない。

 テオドールは、わずかに目を細めた。


「そっか」


 短く返すと、そのままもう一度、距離を詰める。


「じゃあ、もう少し」


 低く囁く。


「補給しようか」


 心臓が、跳ねる。

 これは義務。必要なこと。そのはずなのに。

 なぜか、その言葉が――少しだけ、甘く聞こえた。


 逃げられないまま。再び、唇が重なる。

 今度は、さっきよりも深く。確実に。“求めるもの”として。

 

 ……だめ。そう思うのに体が拒めない。

 むしろ受け入れてしまう。それが、一番怖かった。


 唇が離れたあとも。しばらくは何も考えられなかった。

 呼吸が、うまく整わない。胸の奥が、妙に熱い。

 指先まで、じんわりと満たされている。


 ……回復、している。しかも、今までで一番調子がいい様に感じる。それは、はっきりとわかる。


 でもそれだけじゃない。

 違う感覚が、残って消えない。さっき触れた唇の感触。

近すぎた距離に、胸が締め付けられる様な感覚。それが、ずっと離れない。


「……フェリシティ」


 名前を呼ばれ、はっとして顔を上げる。

 テオドールが、すぐ近くにいる。


 さっきと同じ距離。

 さっきよりも、自然にそこにいる。


「ぼーっとしてる」


 改めて静かに言われると、なぜだか気恥ずかしさを覚える。


「大丈夫?」

「……問題、ありません」


 反射的に答える。でも声が少しだけ遅れた。

 テオドールはそれを見逃さない。


「問題ありませんって、そればっかりだね」


 低く、確かめるように。そのまま、手が伸びる。

 頬に触れる。


「……っ」


 それだけで体が、わずかに反応する。

 さっきの続きみたいに熱が、広がる。


 ……なぜ。ただ触れられただけなのに。

 こんなに、意識してしまうのか。


「……やっぱり、効率いいね」


 淡々とした言葉は、どこか満足そうに聞こえる。

 それが、少しだけ引っかかった。


 テオドールはそのまま私を抱き寄せたまま離れない。

むしろ、自然にそこにいることが、“当たり前”みたいに。


「これならさ」


 テオドールがゆっくり口を開く。


「他に触れる必要、もうないよね」


 改めて言われる。さっきと同じ内容。

 でも、今は、少しだけ重みが違った。この凄さを知ってしまったから。


「……はい」


 小さく答える。否定する理由はない。

 実際に、足りている。それに、他の人に触れることを考えたときほんの少しだけ、違和感がよぎった。回復のためなら、どんな手段でも厭わなかったのに。これまでのと、さっきの感覚を比べてしまうと、物足りなさを感じた。そのことに、自分で驚いてしまう。

 

 テオドールが、満足そうに目を細める。


「じゃあ決まりだね」


 逃げ道は、もうない。そのまま近い距離で視線が合って逸らせない。


「怖くないんですか」

「何が?」


 なぜこんな質問をしてしまったのか。でも聞いてしまったからには、知りたいと思った。


「先ほど説明があったように、くちづけるたびに依存が強くなる可能性があると……。おかしくなるかもしれない、自分の意思ではない行動をおこすかもしれないんですよ。殿下はそれが、怖くないのですか」

「怖くない――といったら嘘になる。けれど、これはフェリシティにとって必要なことだろう?」

「……はい」

「それなら、それでいい。俺が壊れるのが先か、それとも――」


 じっと見つめられた視線に、熱に浮かされたようなものではない。まだ、おかしくなったわけではないのかもしれないと思えば少し安心する自分がいた。

 

「どうなるのかは、これから試してみればいい」


 そんな簡単に、決められるものなのだろうか。自分の意思とは関係なく、求めるようになるというのは、本当に怖くないのだろうか。

 フェリシティと、優しい眼差しで呼んでくれるテオドールが居なくなるのは嫌だった。けれど元々、この向けられた笑顔すらも、最初から私が操っている成果なのだとしたら?それを確かめる術はない。今の私には、テオドールをそれを止めるための理由をうまく説明することはできなかった。


「あと一つ、言いたいことがあるんだけど」

「……はい」

「俺の呼び方」


 殿下。

 失礼のないように、そう呼んでいた。それが、何が問題があったのだろうか。 


「その“殿下”ってやついらないから」


 一瞬、意味がわからなかった。

 

「……え」


 思わず声が漏れる。それは、今までの関係を、崩す言葉だった。


「だって、他人行儀でしょ。これから、俺しかいらないんだから、ちゃんと名前で呼んで」


 その言葉に、心臓が、強く跳ねる。

 静かに、命じるように。


 ……名前。テオドール。それを、口にする。


 それは、ただの呼び方の変化じゃない。

 距離が、変わる。関係が、変わる。

 そういう意味を持っている。

 わかっている。それも任務のうちだ。

 それをなぜか少しだけ嬉しいと思ってしまう自分がいる。


「……テオドール、様」


 ぎこちなく口にする。慣れない響き。

 それだけで、少しだけ体が熱くなる。

 テオドールは、わずかに眉を動かした。


「“様”もいらない」


 すぐに修正される。


「……っ」


 一瞬、言葉に詰まる。でも。逃げられない。


「……テオドール」


 今度は、はっきりと。


 その名前を呼ぶ。その瞬間。

 彼の目が、ゆっくりと細められた。満足したように。


「うん。いいね、それ」


 静かに言う。その声音が少しだけ、やわらかく聞こえた。


 胸の奥が、ざわつく。これは任務のはずなのに。

 ただの合理のはずなのに、どこか少しだけ違うものに変わり始めているように思えた。


 それでも。私はまだ、それを認めない。

 認めてはいけない。そう思いながら。もう一度、彼の名前を心の中でなぞっていた。

 

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