12.もっと知りたい
テオドールの聖女として、仕事にも慣れた頃。信用されたのか、カイルからの視線は和らぎ、多少の会話もできるようになってきた。
「聖女様」
「はい、どうかされましたか」
「これを、殿下から預かっております」
手渡されたのは、菓子。今日は共に食べることが難しいからと、私の分だけ用意してくれたようだ。
受け取る際に、軽く指先が触れてしまう。
「――っ」
慌てて手を引っ込める。カイルも驚いたような顔をしていたが、すぐにいつもの感情の読めない顔へと戻る。
「失礼いたしました」
「いえ、こちらこそ」
何に対しての謝罪なのか。普段から勝手に補給しているのに、カイルから分けてもらうのは何故だかいけないことだと理解していた。
「殿下は本日あまり時間がとれないと仰せです。夜には一度顔を出すようですが、それまではゆっくり休むようにと」
「お心遣いありがとうございますとお伝えください」
カイルを見送り、一人になる。部屋の前には護衛の騎士がいる。最初は部屋の中にいたが、私が勝手に出歩かないと分かると、外で見張ることになったようだ。今はリアも席をはずしている。そっと椅子に座り、いただいた菓子を食べる。
この部屋で共に並んで食べたのに、彼がいないだけで広く感じる。
なんとなく、会えない時間に違和感を覚えてしまった。
夜になった。窓から月明かりが差し込む。
城の中も、昼間の喧騒が嘘のように落ち着いている。
まだ眠るには少し早い時間だったが、全く眠気がない。このままベッドに横になっても眠れそうになかった。理由ははっきりしている。
聖女としての仕事や、王城での暮らし。たくさんの人に見られるということが、思いの外ストレスに感じ、余計なことを色々と考えてしまう。必要のない思考、聖女には不用なものだというのに一番頭の中を占めているのは、テオドールのことだった。
あの人のことが、頭から離れない。
第一印象は、噂とは違い優しそうな人。でも、どこか歪んでいる。
近くにいると、安心するのに。同時に、逃げられないような気がする。
その矛盾が、心をざわつかせていた。
窓からテオドールの姿が見える。なんとなく、会いたいと思って外へと出た。
一人だと思っていたら、誰か別の人が側にいたようだ。カイルではない別のよく見る人。名前も知らない誰か。一気にテオドールが遠くに感じられる。私の世界には、名前を知る関係があるのは、テオドールど、カイルと、侍女のリアと、アウグストしかいない。テオドールは違う。
せっかく近くまで来たのに、なんて声をかけたらいいのかわからなくて、そっと彼の様子を見ていた。
そのとき、声がした。
「……別に、どうでもいい」
少しだけ、投げやりな声は低くて、いつもとは違う。
思わず、動きを止める。
「王位に興味はない」
……王位。聞いてはいけないような、内密な話。でも、アウグストが絶対に知りたいと思う内容で。けれどそこから足が、動かなかった。
「どうせ、兄上がいる。最初から、決まってる」
静かな声だけど、冷たい。
「俺はただのスペアだ」
その言葉が胸に刺さった。わずかに痛む。
「期待されていないのに、必要なときに使われるだけ」
その扱いは、まるで自分と似ていると思った。
「――誰も、俺自身を見ていないんだ」
「そんなことは――」
ぽつりと落ちる言葉。
共にいた、彼の仲間の一人の言葉が少しだけ聞こえた。彼は、なんと言ってテオドールを励ますのだろうか。
誰も見ていないというその一言が強く、刺さる。
私は、息を止めた。その感覚を痛いほど知っていた。
番号で呼ばれていた日々。選別されるためだけに育てられた時間。
誰も自分自身を見ていなかった。見ていたのは価値だけ。勿論、今ここで聖女として見られてはいるが、それはアウグストが望んだ神殿の意向をそのままに生きているから。
テオドールも、違う立場だけれど、同じ場所にいる。
本質は、変わらない。
そのとき声が、ふと途切れた。
会話が終わったのか、足音が、近づいてくる。
……このままではいけない。気づいた瞬間には、遅かった。
「——フェリシティ?」
目が合う。
私を見たテオドールは、一瞬驚いたように目を見開く。
すぐにいつもの表情に戻る。
「どうしたの」
柔らかい声。さっきまでとは、まるで違う。
まるで、何もなかったかのように。
少しだけ迷ってそのまま、口を開いた。
「……眠れなくて、少し外の空気を吸いたいと思って出てきました」
嘘ではない。テオドールは、少しだけ目を細めた。
気づいている。全部ではなくても。
「……もう、中に戻る?」
私は、小さく頷いた。
そのまま自然な流れで、テオドールの部屋に移動した。
静かな空間に、二人きり。
少しだけ、距離がある。沈黙が、重い。私は、意を決して口を開いた。
「……先ほどのお話、聞いてしまいました」
正直に言う。テオドールの動きが、止まる。
「……そっか」
テオドールは、怒りも咎めもしなかった。
少しだけどうでもよさそうに、笑う。
「申し訳ありません。盗み聞きするようなつもりはなかったのですが」
「別に、大した話じゃないよ。あんな場所で話してたら聞こえるだろうし、皆が知っていることだ」
でも。それが、逆にわかる。本当は、大したことじゃないはずがない。
「……似ています」
テオドールが、わずかに目を細める。
「何が?」
「……私も」
言葉を選んで、本当に感じたことを伝えた。
「必要だから、生かされていました。価値があるから、選ばれた。それ以外は、見られていませんでした」
過去を、そのまま言葉にする。テオドールは、黙って聞いている。
「……番号で管理されて、必要な時だけ使われて。ですから誰も見ていない、という感覚は私にも……少しわかります」
少しだけ、視線を落とす。
話してから。自分と似ているだなんて烏滸がましかったかも知れないと気づいた。けれど、テオドールの表情は、わずかに変わっていた。
「……そうなんだ」
「……殿下のことを見ている方は、います」
自然に出た言葉は、止められなかった。
私が、そう言って欲しかったんだとなんとなく思った。
テオドールがゆっくりと視線を向ける。
「……誰が?」
「……私です」
その言葉のあと、部屋には静かな空気が落ちた。重くはない。ただ少しだけ、くすぐったいような沈黙。
「……変なの」
テオドールが小さく笑う。いつもの余裕ある笑みではなく、どこか戸惑いを含んだやわらかい表情だった。
「誰かに見られてるなんて、思ったことなかった」
「……見てはいけませんか」
それは問いというより確認に近い言葉だった。
テオドールは一瞬だけ言葉を止め、それから短く「……いいよ」と答えた。
少しだけわかってしまった。
この人のことをこんなにも考えてしまうのか、その理由の一端を。
その時、ぽんと頭を撫でられる。優しい手つきだった。
「ありがとう。励ましてくれたんだね」
「いえ。お役に立てたようなら嬉しいです」
その言葉が面白かったのか、テオドールは楽しそうに笑っていた。この人は、笑顔が似合う人だと思った。




