11.初めてのお茶会
仕事を終えて自室で一息ついていると、テオドールから呼び出しを受けた。
「来たね」
部屋に入るなり、待っていたとばかりに手招きされる。
そんなに大切な用事でもあったのかと近づくと、机の上にはお茶の用意が済んでいた。
「フェリシティにはすごく助けられたから、俺なりに君に感謝を伝えたいと思ったんだ。だけど肝心なことを忘れていた。君の好きなものや欲しいものが何なのか、数日観察しただけでは分からなくて。今回はお茶とお菓子を用意させてもらったよ」
王子だというのに、聖女である私に感謝し、何がものを用意しようと考えていただなんて。神殿のアウグストをはじめとする偉そうに振る舞っていた人たちからは考えもつかないような行動だった。
銀の皿の上に並べられたそれらを見て。私は、ほんの一瞬だけ動きを止めた。
「……どうしたの」
「……いえ」
向かい側から、テオドールの声がする、静かだけど楽しそうな、いつも通りの調子だ。
視線を落とす。皿の上には、小さく整えられた菓子がいくつも並んでいた。色々な形をしたクッキー、カラフルな色合いのものはマカロンだろうか。茶色の光沢のあるものはチョコレート――。
(……これが)
知識としては知っている。こういうものが“菓子”と呼ばれることも。甘い味がすることも。貴族が好むものだということも。
全部、知っている――でも、実際に口にするのは、これが、初めてだった。
「食べないの?」
テオドールが少しだけ首を傾げる。私の様子を観察するように。
「……いえ、いただきます」
正直、どんな味がするのかも分からないし、何から食べるのが正解か分からなかった。テオドールが食べたのを見たいと思っていたが、怪しまれる行動は避けるべき。一番近いところにあったものをひとつ手に取った。少しだけ、躊躇うが、そのまま口に運ぶ。
「……っ」
一瞬、思考が止まった。思っていたよりも、やわらかい。口の中でほどける甘さ。ただ甘いだけじゃない。ふわりと広がる香り。舌の上で、ゆっくり溶けていく感覚。
……なに、これ。知らない。こんなもの、今まで、食べたことがない。知識にあるものと、実際に食べてみた味とでは印象はまるで違う。
「……おいしい?」
静かな声が向かい側から聞こえてきた。思わず夢中になって食べていて、ここが今どこなのかも一瞬忘れてしまっていた。
顔を上げると、テオドールが、楽しそうな顔でじっとこちらを見ていた。
「……はい」
自分でも少しだけ、声が柔らかくなったことに気づいた。
「……とても」
その瞬間。テオドールの目が、わずかに細められた。
どこか嬉しそうに、満足したような顔だった。
「そっか」
そのまま、じっと見つづけられていたが、もう一つ、手に取った。今度は、さっきよりも迷いがなかった。
口に入れる。
また、同じように驚く。さっきとは違う美味しさ。どれも、新しい。
……こんなものが、あるんだ。知らなかった。こんなにも、満たされるものがあるなんて。ぽかぽかとあたたかい気持ちになる。回復しているわけではないのに。胸があたたかくなるだなんて。これはなんだろうと考えていたその時。
「……ねえ」
テオドールが、ぽつりと呟く。
「はい」
視線が、私の手元に向く。
「こっち来て」
軽く手招きされる。一瞬迷ったが、立ち上がって彼の側へ立った。
距離が近い。自然と、少しだけ緊張する。
そのまま。手首を軽く引かれて、隣に座らされる。
「……ほら」
そう言ってテオドールがひとつ菓子を手に取る。
そして、そのまま、こちらへ差し出した。
「口、開けて」
一瞬。意味が理解できなかった。
「……え」
思わず声が漏れる。
「そのまま食べるより、そっちの方がいい気がする」
軽く言う。まるで、当然のように。
……なぜ?疑問は浮かぶ。
部屋にいるカイルも止めることはしないので、これは問題ない行動なのだろうと判断する。それならば、拒否する理由はない。それに。どこかで、興味もあった。
ゆっくりと、口を開ける。
そのまま。菓子が、口に入れられる。
指先が、ほんの少しだけ唇に触れた。
「……っ」
わずかな接触。それだけで、意識がそちらに引かれる。
でも。すぐに、菓子の味が口内に広がる。――甘い。
さっきよりも、少しだけ違って感じる。
「……どう?」
すぐ近くから声がする。
距離が近い。視線が合う。
「……おいしい、です」
素直に答える。さっきよりも、少しだけ柔らかい声で。
その瞬間――テオドールが、くすりと小さく笑った。
「いいねその顔」
ぽつりと呟く。
「……顔、ですか」
「うん」
テオドールが頷く。
そのままじっと見つめてくる。
私は今、どんな顔をしているのだろうか。自分の顔を自分で確認できないことが悔やまれる。
「全部、初めてって顔してる」
その言葉に、少しだけ息が詰まる。テオドールは、よく人を見ていて、察知する能力に長けている。
事実で、否定はできない。
「……そういう君の自然なところ、もっと見たいな」
テオドールが、ゆっくり続ける。
そのまま。もう一つ、菓子を手に取る。
「ほら、もう一回」
また、差し出される。今度は、少しだけ迷いが減っていた。自然に、口を開ける。甘さが広がり、心が満たされる。食べるだけで、こんな気持ちになるなんて、知らなかった。
テオドールは、満足そうに見ていた。
……どうして、こんなことをするのか。わからない。
でも。不快ではないと感じていた。
むしろ。少しだけ——安心してしまった。
「……フェリシティ」
「はい」
「明日も用意させるから、またお茶をしようね」
テオドールは当然のように言う。
「はい」
その言葉は、ただの指示のはずなのに。
明日が待ち遠しいと思ってしまった。




