レイテ島脱出
深夜、泥人形のようになった兵士たちが小舟に乗り込んでいく。
第14方面軍の陸軍兵である。敵どころか味方海軍にも極秘の行動だった。
重装備は放棄するしかなかったが、出来る限りの人員をレイテ島からルソン島へ移動させる、史実とは逆の移動作戦だった。
「残置部隊の連中、助からないだろうな。」
座る事もままならない程人間を詰め込んだ大発の中で若手将校が呟いた。
「どうにもならん。出来る限りことをやって、武運長久を祈るだけだ。
それに俺達も助かった訳ではないぞ」
「そうだな。勇ましく戦える方がマシかもしれん」
その残置部隊は今頃、レイテ島各地で無電を打ちまくり、それらしい建物に
『伝染病患者隔離所』『コレラ患者入棟禁止』の看板を取り付け
偽装の地雷原を設置しているはずだった。
この作戦は大本営、及び海軍には極秘裏で行われていた。
陸軍内でも限られた人間だけが知っている作戦だった。
「海軍の連中、沖合の米輸送船団目掛けて突っ込んでくるんだろう?
俺達だけ転進してもいいのかな。」
「その海軍の言う事が全く信用できないからこその転進だよ。
台湾沖の戦果が本当だったら、海軍のあの作戦はないだろう」
海軍は特攻隊、爆弾を抱えた飛行機を船に突っ込ませるという部隊を出していた。
「『全機特攻の覚悟で』とか言っているそうだ。全く馬鹿らしい。」
「馬鹿らしい?中野(スパイ学校)はそんな考え方をするのか」
「誤解しないでくれ。実行部隊の連中は立派だと思うし、通常攻撃の爆弾の命中率と
生還率を考えたら合理的な作戦だとさえ思う。
俺が馬鹿らしいと言うのは、負けを認めたに等しい作戦だからさ」
「どういう事だ?」
「米軍の航空機がいたら負ける。そう考えているから囮艦隊で敵空母を分散させ、
残っている敵空母を何としてでも、決死隊ではなく、死んで来いと命じてでも
無力化したい。 作戦を立案した奴は普通に戦ったら負けますと言っているようなもんだ」
「そうなるか。でも突っ込んでくる海軍の連中に対して不義理じゃないか」
「何が不義理だ。海軍の言う台湾沖航空戦の戦果を基にしてのレイテ決戦だぞ
その海軍が米空母が少しも減ってない前提の作戦を立ててる時点でおかしいだろう。
騙されてたのを正しい方向にほんの少し戻しただけだ」
「それはそう思う。知っていればずっとマシな事が出来たのに」
「大ぼら吹いて、引っ込みがつかなくなって、さらに嘘ついて無理な作戦組みやがった。
上手く行ってチャラ、になるはずがない。最悪の作戦だ」
「何が最悪なんだ?中野式の考え方を教えてくれ」
「お前さんは一般大学出の召集予備役だったな。なるほど考え方が柔らかい。
では質問に答えてくれ。将棋していて王手をかけられたらどうする?」
「そりゃ何をおいても王手を避けるだろう」
「その通り。本土という王将に対しマリアナ群島から王手がかけられているのに、
そっちは放っておいて、フィリピンの方に飛車や角の大駒が沢山来そうだと
大本営が戦力を割いた。馬鹿だと思わんか」
「そういう言い方、他所でするなよ。でも米軍が大軍で来るのは意味があるからだろう?」
「南洋との遮断が目的だろうな。陸軍も守り切れないと判断して大陸打通作戦をやった。
ならフィリピンなんて放棄すりゃ良い物を。攻める米軍、守る皇軍、どっちも下手だな
あんまり意味がない。」
「そんな事を言うな。残置部隊の連中、多分・・・だぞ」
「あの立場に、誰かをするのはな…これ以上は言うまい。とにかく王手がかかっている。
何としても島を取り返さないといけない。取り返す兵隊を船で運びたい。
普通に送ると飛行機に沈められてしまう。軍艦じゃ飛行機からは守れないから空母がいる、
飛行機がいる。王手を逃れるために必要な駒はそれだ。なのに海軍の連中ときたら」
「必要な駒を捨てて大局を見ず局面の一部にこだわっている、という事か」
「正解だ。必要な駒を捨てて、自分の持ってる大駒、戦艦を走り回らせたいんだろ。
アナグマか囲いか知らんがずっと使ってなかったからな」
「いくら何でも斜に構えすぎだろう。海軍の連中、こっちに突入してきてるんだろう?」
「無線解析によると、米軍は無力化したと考えているようだがな。それも関係ない
知ってるか?海軍艦艇は補給なしで何日も対空砲を撃ち続けられない。
上手く突入できたとしても次の空襲で終わりだろう。米軍の輸送船団を叩けたとして
それで終わりだ。フィリピンは保持できるかもしれないが、
本土が王手をかけられている事に変わりはない。」
「その王手だが、そんなに深刻なのか?ドイツは何年も空襲されてるのに影響ないし、
八幡が空襲されたけどたいした事はなかったとも聞くぞ」
「深刻でなかったら内閣総辞職はしないだろう。
ドイツだってイギリスが残った段階で王手、詰みさ。苦し紛れに東の方、空襲されない地域を
求めたんじゃないかとすら思うよ。
撃つ弾がなくなったら、それまでどんなに強くても負けるんだから」
「そんなもんか。中野(スパイ学校)は面白い事を教えるんだな。
新しいのも来ると聞いたけど、方針転換の補強かね」
「徹底的な反主流で出世は難しいけどな。フィリピンに来る前に何人かの
学生に声をかけてておいた。小野田とかいうのがもうすぐ配属になるはずだ」
「後輩か、お前の仕事が楽になると良いな」
「それはわからんな。補給も無い所で時間稼ぎしろって、
それはそれで無理難題だ。」
「とにかく時間稼ぎしろ、半年で良い、だっけ。
方針をコロコロ変えられても困るんだがな。
半年先に何があるんだろう。」
「さあな。ルーズベルトでもくたばるんじゃないか?とりあえず
嘘つき海軍に頑張れるだけ頑張ってもらおう。」
彼らは知る由もなかったが、その夜、海軍栗田艦隊が針路をコロコロと変えて
突入は結局無かった。
レイテ島の海軍関係者は翌日以降呪詛の言葉を吐きながら移動する事になったが
14方面軍の独断専行は不問となった。
軍上層部に変化が生じ始めている事に、前線部隊が気が付くのはもっとずっと
後の事だった。




