第65話「勧誘」
「マスター。例の男を連行してきました。ここで殺しますか?」
「…ハスキー。やっぱお前は阿呆だと俺は思うんだが……」
席に座っていた青年が飲んでいたコーヒーカップをゆっくりと手元に置き頭を抱え始める。
「あのな?…さっき説明したばかりだろ?色々と役に立ちそうな「知り合い」が来るから普通に対応してくれと…」
「……すみません。てっきりマスターにとっての「普通」とはつまり「そういうこと」なのかとばかり…」
「そういうこと?……詳しく説明してくれ。変な言い回しやオブラートに包む必要はないから端的かつ率直に」
「その…油断させてから全戦力でその男を始末するのかと」
「……」
再びコーヒーカップに手を伸ばそうとしていた青年の手が中空でピッタリと制止する。
「まさかお前がクロ以上の逸材だったとはな……」
青年が皮肉交じりに店員を褒める。本来ならば苦言と捉えなければいけないその言葉。だがその言葉を店員は最上級の誉め言葉だと勘違いしてしまう。
「ありがとうございます。ですがそれは当然の事です。私はクロよりも強いんですから」
ブンッ!ブンッ!と高速で店員の尻尾が左右に揺れ始める。その姿は飼い主に撫でられるのを待つ大型犬のそれと同じだ。
「……」
「……」
青年も、そして男もその姿に何も言う事が出来なかった。
「いや…えっとな……まあ、お前はそれでいいのかもな……」
「…?どういう意味ですか?ご主…いえ、マスター」
「ああ。つまりお前はそのままが一番輝いているってことだよ」
「それはつまり…私が魅力的に見えているという事ですか?」
「ああ。ある意味目が離せない程魅力があるとも言えるな。ここ数か月間でお前が起こした「問題」の数々に心が動かなかったと言えば噓になる。おおよそ普通では考えられないようなトラブルの数々に俺はもう大興奮というやつだ。…言っておくがこれは皮……」
「今直ぐ帰り支度をしてきます。少しだけ待っていてくださいご主人様。今夜は最高に素敵な夜になる事をお約束します」
「……」
猛スピードでバックヤードへと消えていく店員を信じられないものを見るような目で見送る青年。
「ダメだあいつ…話が通じねぇ……エイリアンか何かと話してるみたいだ。…思い込みが激しい点を除けば悪くない人材ではあるんだけどなぁ……」
慌てて立ち上がった青年が別の店員へと指示を飛ばす。
「ミルフィー。ハスキーのアホがまた暴走してる。そっちで何とか対応してくれ」
「えっ!?また!?」
「どいてくださいミルフィー。私はこれからご主人様とクリエイティブな夜を過ごさなければいけないんです」
「かっ…金本!?この子精神力が強過ぎて「言霊」がまったく通用しないのよ!!しかも素でバカ強いから私じゃ手に負えないわ!!」
「当然です。健全な肉体には健全な精神が宿る。私に小細工は通用しない」
「あんたのどこが「健全」よ!脳内ピンク一色の駄犬が!!」
何かが壊れるような音と爆発音がバックヤードから聞こえ始める。
「「……」」
その物音を青年と男は気まずそうに聞いていた。
「暴走機関車みたいなやつだよ。変な方向で思い込みも強いし、かと言ったらやたらと従順な姿も見せる。あいつを見てるとクロが可愛く見えるんだから恐ろしい話だよな」
青年が苦悶に近い表情をその顔に浮かべる。
だが男は知っていた。その全てが擬態に過ぎないという事を。
騙されてはいけない。その妙に人間らしい仕草に気を許してはいけない。
これから対峙しなければいけない怪物は、決してそのような人間的な感情を持っている存在ではない。
「…ふん。随分と愉快な職場じゃないか?楽しそうで羨ましいぜ」
男が皮肉を口から吐き出しつつ覚悟を決める。そう、ここからが本番なのだ。今までの出来事は全て前哨戦に過ぎない。
「それで…俺に何の用だよ?……金本大助さんよ?」
「ん?…そりゃあもう…いろいろさ」
苦笑いを浮かべていた金本大助の表情が一瞬で無表情へと戻る。そしてゆっくりとその濁った瞳が男の目をジッと見つめ始めた。
「とりあえず今後確実に起きる事実だけ話しておこうか。…佐々木さん。あんたこのままだと10分後には死体になっている可能性大だ。…理由は言わなくても分かるよな?」
「…馬鹿野郎。俺はエスパーじゃないんだ。分かるわけねぇだろ」
「…そうか?…まあ逆に言えば10分もあるんだ。その辺りも適当に雑談でもしながら話そうか」
金本大助は楽し気な表情を浮かべつ佐々木へとメニュー表を手渡す。
「……」
「ああ…安心してくれ。俺から誘ったんだから今日は全て俺の奢りだ。好きなメニューを注文してくれて構わない」
「……」
その言葉の意味が理解できない佐々木ではない。つまり佐々木は試されているのだ。このまま確実な死を待つか。それとも眼前の「狂人」に救いを求めるか。
「それともまさか…」
金本大助の瞳がスッと細くなる。
「この状況で「食べない」なんてつまらない選択はしないよな?」
「っ……」
佐々木が考えている事など全て把握している。それを確信させるには十分な動作だ。
「そんなに警戒しないでくれ。それに、この店と関係を持つ事はあんたの「今後」を考えてもかなり「利」があると思うけどな。…どこぞの「組織」に義理立てするのも結構だが、向こうはあんたの事をどうしても始末したくて仕方ないって感じだったぞ?…実際この店にも「依頼書」が回って来てるしな」
「…元はと言えばおまえが原因だろ?俺は巻き込まれただけだ」
「あの世でもその妄言が通じるといいな」
「……」
提示された選択肢は2つだけ。「生きる」か「死ぬか」
佐々木は選ばなければならない。自分自身の意思で、その答えを。
「……とりあえずだ」
「ん…?」
「この店で一番高いメニューを持ってこい。話はそれからにしろ」
「…ふふ」
佐々木の返答に嬉しそうな表情を金本大助は浮かべる。
「なんだよ?全部お前の奢りなんだろ?まさか今更撤回するつもりか?」
「まさか。…大歓迎だよ」




