15 逆プロポーズ
15 逆プロポーズ
文月玲香
旅館へ着くともう9時を回ってました。部屋にはお布団が二つ敷かれてた。何もしないでも他人が布団の上げ下げをしてくれるのか。そんなこともちろんわかってるんだけど、やっぱり嬉しい。
「汗かいちゃったし、もう一回温泉入ってきたら?」
「うん」
温泉に入ってもう一度浴衣に着替えて部屋に戻ると、枕元の灯だけつけて暗くなった部屋で斉藤君は窓辺に向けた椅子に座って海を見ていた。
「そんなに海ばかり見て飽きない?」
「おかえり」
それから、両手を広げてわたしに向けてこう言った。
「玲ちゃん、おいで」
少し躊躇した。その時、自分は父親に抱っこされる子供のような顔をしてたんだろうか?或いは、飼い主に呼ばれて駆け寄る犬?どちらでもなかったと思います。
椅子は二つあるけれど、請われるままに先生の膝の上に座りました。ぎゅうっと後ろから抱きしめられた。
「幸せだな……」
淡々とそう呟いた。耳元で。そして、斉藤君は眼鏡を外しました。わたしは初めて斉藤君の眼鏡を外した顔を見た。それから後ろ向きにわたしを抱っこしたままで唇を寄せてきた。それに応えて何度も唇を重ねながら考えた。
そうか、羊の斉藤君の背中のチャックは眼鏡だったんだなと。今、チャックを外して羊の皮を脱いだのか。
その内、斉藤君の手が浴衣の中に入り込んできて、するりと肩から浴衣を外してしまった。裸の上半身が露わになる。そして、あることに気づいた。
「先生、あそこ映ってる」
「こんな時まで先生って呼ばないでよ」
「ね、やだ」
「玲香」
「……」
「綺麗だね」
ガラスに映っている裸のわたしの胸に触れながら首筋に唇寄せてきた。それが全部ガラスに映っていて、わたしがどんな顔してるのかとかも自分で見える。これは流石にちょっと……。
「もうっ」
「ごめんごめん」
お布団の上に移動してもう一度メガネ外した顔を下から眺めた。
「なんかちょっと違うね」
「なにが?」
「メガネ取った顔」
「別にもうずっと昔からこういう顔だけど?」
違う人に思えたことで、子供の頃から知ってる斉藤君とこの今目の前にいる男の人を切り離せた気がしました。
「玲香」
こういう時だけ何故か玲ちゃんではなくて玲香と呼ぶのかと素肌に触れられながら少しずつ体の芯を熱くさせながらぼんやり思う。
「ねぇ」
「なぁに?」
「名前で呼んで」
「裕也」
たったそれだけでした。ただ名前を呼んだだけ。でも、名前を呼ばれて先生は、ええっと裕也さんはとても喜んだ。そして、時々お互いの名前を呼び合いながら彼はわたしの中に入り込んできて、わたしはそれを受け入れた。そこにあったのは少し泣きそうでそしてもどかしいほどの激しい情熱ではなくて、情熱に応える感謝のような気持ちでした。
本当にこんなこと続くんだろうか?やっぱり少し心配になって、だけど、そうだな。誰もが一生を激しい愛の中に生きるものでもないのだろうと思うんです。愛の形やあり方なんて、様々で、そしてわたしはまだ若くて一体何が愛なのかということすら、本当は知らないのだと思う。それは裕也さんの言った通りなんじゃないかと思いました。
そして、悩み苦しむ自分を小舟にのせてそっと流してしまった。自分とお別れをしました。自分の一部と。これからも生きていくために。
「先生」
「ん?」
「なんで、京ちゃんじゃなくてわたしだったの?」
「は?」
一瞬なぜか裕也さんはとても嫌な顔をした。
「だって、子供の頃から周りをちょろちょろしてたのはわたしも京香も一緒でしょ?それに姉妹だから顔だって似てるし」
「いや、京ちゃんと玲ちゃんは全然違う」
「そう?」
「全然違う」
「ああ、そう」
よくわからないけど、まぁいいかと思う。
「きっと絶対に覚えてないと思うけど」
「うん」
「玲ちゃん、子供の頃に僕に言ったんだよ」
「なんて?」
「玲ちゃんが大人になってもまだ僕が一人だったら、お嫁さんになってあげるって」
「うそ」
「やっぱり忘れてた」
「それ、何歳の話?」
「もう、いいよ。この話はやめよう」
「え、いや、詳しい話聞いたら思い出すかも」
「いや、もういい」
拗ねてしまった。大人気ないな。
「ね、じゃあ、そう言ったのがわたしじゃなくて京香だったら、京ちゃんのこと好きになった?」
「だから、京ちゃんと玲ちゃんは全然違うから」
「じゃ、京ちゃんだったら、それでも好きにはならない?」
「京ちゃんの性格からして僕にそういうことを言うなんて想像つかないけど、もし言ったとしても好きにはならない」
「そうなの?」
「ならない」
「ふうん」
よくわからない。だって、京香とわたしってそんなに違いある?
布団の中でゴソゴソと裕也さんが体を寄せてきた。
「玲ちゃんじゃなきゃ好きにならない」
もう一度そう言うと、しばらくして寝てしまった。幸せそうな満足そうな顔をしていた。
***
「ただいまぁ」
熱海から野田に戻ると、京香がすっ飛んできた。姉を玄関まで迎えに出るなんてどうかしてる。槍が降る。
「ね、どうだった?」
「おかえりぐらい言えよ」
「ね、ね」
尻尾を振ってる子犬のような妹の顔を見る。
「てっ!」
思わずデコピンしてしまった。
「楽しかったよ。熱海。いつか一緒に行こ」
スタスタ歩いて奥へ向かうと、妹がついてくる。
「で、夜は?」
「夜景が綺麗だったよ〜」
「いやそうじゃなくってさ。男性としてふ……、った!」
「そんなことはもうわざわざ言わないでよろしい」
「え、ってことは」
無視して居間へ向かう。テレビの前のちゃぶ台に座ってテレビをつけると京香がすぐ脇にぴとっと座った。
「だから、考えすぎだって言ったじゃない。で、どうだったの?」
「はぁ?」
「斉藤君、あんな大人しそうな顔して意外とうまかった?っていてててて」
京香のふわふわのほっぺを両頬掴んで引っ張ってやった。
「お前、男子高校生かよっ」
「なんだよ。自分だって聞いたくせに」
「あんたは一言もなんも言わなかったでしょ?太一がどんなか逐一教えたら話してやってもいいわ」
「僕の何を教えるんですか?」
京香のほっぺ摘んだまま横を向くと、パジャマ姿で肩にバスタオル引っ掛けた太一が立ってた。なんだいたのか。最近こいつ、大学の授業が減ったのか野田率が上がってる。
「玲香さん、やめてくださいよ。京ちゃんのほっぺが元に戻らなくなる」
太一がオロオロと近くに座る。しょうがなく手を離した。
「ふん」
「もうっ」
赤くなったほっぺを京香が手でさすりながら、それでも次の瞬間にはニヘラニヘラとしてわたしを見てる。
「お姉ちゃん、照れちゃって。かわいい」
「はぁ?」
「で、僕の何を教えるって話だったの?」
ゆるーく眉間に皺を寄せながら、太一が聞いてくる。
「そんなん、なんでもないって」
「なんでもない……」
「そう、なんでもない」
「なんでもないと言われた方が、返って気になるんだけど」
「ああ、しつこいな。じゃ、わたしお風呂入ってくるから」
立ち上がった。二人を残して居間を去る。
「ね、なんの話だったの?」
「えーと」
立ち去り際にそれでもなおしつこく太一が京香に聞いているのが聞こえた。




