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12 お姫様の指輪












   12 お姫様の指輪
























   斉藤裕也












   


 玲ちゃんがというよりは、京香ちゃんや奥さんや、周りのみんながお膳立てをしてくれて、僕と玲ちゃんの結婚話が進んでいました。


 夢のようだった。


 その時、僕はこんなことを考えてました。

 人の人生というのは、生まれてから死ぬまでの幸せの合計量はみんな変わらないんじゃないかなと。

 ただ、生まれてすぐに最高に幸せだった人は、後半に向けてつまらないことや悲しいことがあるかもしれない。或いはずっと普通の人もいるかもしれないし。反対に僕は少し嫌なことがありました。それに、子供の頃から大きくなるまでもそんなに冴えた人生だったわけでもない。


 そこで、損をしてよかったと、心の底から、今までつまらなかったり、嫌なことがあってよかったなと毎日馬鹿みたいにそんなことを考えてました。誰にもいえなかったけど、信じられないくらいに幸せだったんです。


 玲ちゃんが自分のものになるなんて。


 まるで雲の上を散歩しているように僕はその頃ふわふわとしていた。していたんだけど……。


 人間というのは不思議なものですね。欲が出始めると止まらないようです。


 玲ちゃんにとって僕との結婚が極めて……、なんというのかな?

 あまり嫌な言葉で語りたくはないんですが、そう、みんなのためだった。病院のためだった。

 玲ちゃん個人のためではなくて、そこに、彼女の気持ちはなかったんです。


 贅沢を言うなと言われるかもしれないけれど、最初の有頂天な気持ち、雲の上を散歩しているような気持ちが落ち着いてくると、僕は彼女の気持ちを求めて、一喜一憂するようになる。


 我ながら呆れました。もう子供ではないのに。若いともいえないような落ち着いた年齢になっておきながら、僕は毎日、玲ちゃんの顔色を眺めては、一喜一憂していました。


 僕たちは婚約した。彼女が大学を卒業するのを待って結婚をしようということになっていて、一年以上の時間がありました。玲ちゃんは週末以前より頻繁に野田の家に帰ってくるようになりました。僕に会いにきてくれる。一緒に待ち合わせて映画を見に行った帰りに食事をしたり、院長の車を借りて出かけたり、普通の恋人同士のように過ごしました。歳の離れた恋人。


 以前女の人と付き合っていた時、出かけた先で周りの人にじろじろと見られることなんてなかった。ごく普通のカップルでした。取り立てて注目するような必要のない。しかし、玲ちゃんと一緒にいるとたまに驚かれる。それが微妙に嫌でした。


「多くはないけれど、このくらいの年の差、そこまで珍しくないんじゃない?」


 彼女は時々そう言って僕を慰めました。


「でも、そこまで若い人と付き合ってる男の人はさ、僕よりもっと見るからに金持ちとか素敵な男の人なんだよ。普通は」

「……」

「僕みたいな普通そうな人がどうしてって不思議そうに見る人の顔に書いてるみたい」


 はははははと玲ちゃんが笑う。彼女の屈託なく笑う顔が好きでした。昔から。明るい声。僕の信じられないという気持ちはまだ形や大きさを変えながら続いていた。彼女が僕のものだなんて信じられない。


 彼女の誕生月は2月で、誕生石で婚約指輪を贈った。アクアマリンでした。気に入ったものを選んでもらおうと二人で選びに行った。


「こんな指輪を買うのなんて初めてだよ」


 ショーケースの前で随分迷っていた。


「今日は決められない。目眩がする」

「え?」


 お店でそうつぶやいた。


「気に入ったのがないの?」

「いや、この数字の桁、見慣れない」


 お店の人に笑われた。


「あと、ゼロが一つ少なかったらいいのだけれど」

「そんな、婚約指輪だよ」

「ご結婚ですか?おめでとうございます」


 お店の店員さんがニコニコと言う。


「お客様の年齢ですと、こちらやこちらなんか人気があります」


 商売上手な人だった。金額に高低差のあるデザインの違うものをさりげなく二つ目の前に並べる。玲ちゃんが二つを真剣な顔をして見比べてる。


「こっちかな」


 恐る恐る指差した方は、やっぱり安い方だった。ケーキの時と変わらない。この子、遠慮してるんです。ため息が出た。


「もう少しいろいろ見せてもらえませんか?」

「かしこまりました」


 目の前に色々な指輪が並ぶ。


「わぁ〜」


 玲ちゃんの目が輝きました。


「みてみて、これ、お姫様の指輪みたい」

「そちらは少しクラシカルなデザインですね」

「おもちゃじゃないんだ」


 ぶっ。思わず笑ってしまった。玲ちゃんが膨れつらになった。


「しょうがないでしょ。こんなもの買おうと思って見たこともないもの」

「つけてご覧になりますか?」


 指にはめて嬉しそうに見てる。


「サイズぴったりでしたね」


 そして、それから値段を見て青ざめた。


「いや、でも、これは」

「気に入ったんならそれにすればいいじゃない」

「わたしにはもったいない」


 そして、外そうとした。それを止めました。


「もったいなくないよ」

「いや……」

「もったいなくない」


 不思議な押し問答を店員さんの前でしていた。


「素敵なご主人ですね」


 ……本当にこの店員さん、商売上手でした。なんとなくその第三者の声でその指輪を買う流れに。


「そのままつけて行かれますか?」


 玲ちゃんは少しはにかんで笑いながらうんともううんとも言わずに俯いた。店員さんはそれを肯定だと受け取って指輪を入れる箱や保証書とかそう言ったものを僕に説明しながら袋に入れていく。会計を済まして外に出ました。


 歩きながら玲ちゃんはまだ嬉しそうに指輪を見ながら歩いていた。


「玲ちゃん、前見ながら歩かないと危ないよ」

「あ……」


 それで我に返ったように前を向いた。しばらくそれから黙って黙々と真面目に歩きました。二人で。


「先生、あの、ありがとう……」


 かなりゆっくりとしたお礼の言葉が返ってきた。


「ああ、いえ。どういたしまして」

「こんな高いもの買ってもらったの生まれて初めて」


 悪いことをして怒られるのを恐れているような顔でいました。僕はこの子のことを子供の頃から知ってる。だから、知ってるのだけれど、玲ちゃんはどちらかというと我慢してしまう子なんです。長女だからって理由で色々なことを我慢しながら生きてきた人なのだと思う。


「玲ちゃん、あの……」

「はい」

「僕には我慢しないでいろいろ言ってほしい」

「え?」

「言ってもらえると嬉しいかな」


 すると彼女はケロッと言った。


「わたし、我慢なんてしてないよ」


 笑った。我慢してる人って、我慢するのが癖になっていて、自分で我慢してるって気づいていない人が多い。


「だってさっき、一生懸命安いの探してたでしょ」

「……そんなことないよ」


 多分、直らないと思います。この人のこの癖は。そして、もう一度そっと嬉しそうに指輪を見た。


「家に帰ったら、しまわなきゃ」

「え?」


 ぱっと僕を見上げた。かわいい顔で。


「だってなくしたら大変だもの」

「……」


 ちょっと目眩がしました。少しだけ。


「指輪は指にしないと意味がありません」

「なんで?」

「せっかく買ったのにしてもらえないと意味がありません」

「だめ?」

「お金を出したんだから、僕にも言う権利はあるよね?婚約期間が終わって結婚するまではちゃんと指にしてください。それ以降はしまってもいいから」

「はぁ、わかりました」


 多分、玲ちゃんはこの時、本当の意味ではわかってなかったと思います。指輪を贈るというのは男にとってこの人が自分のものだということの証明なんです。薬指にさせればこの人が他の男のものなんだと、周りの男に口で説明しなくてもわかるでしょ?


「傷ついたりしないかな?」

「プラスチックとかじゃないから大丈夫だって」

「そうそう。おもちゃじゃないものね」


 そう言って笑いながら僕を見ました。


 確かにその指輪は安くはなかったです。ちょっと高めだった。

 だけど、もったいなくなんてない。あなたが嬉しそうにしているその笑顔が見られるなら、僕にとっては安いもんなんです。


「先生、どうした?行こう」


 彼女が僕の手を引っ張って僕たちは信号を渡る。

 どうして、自分はこんなに口下手に生まれてきたのだろう?心の中では思ってるのに、一言も口に出して言えない。そして、二人で手を繋いで歩きながら思う。

 そう言えば、誕生日のために準備したあのネックレス、まだ渡せてないままだった。あれはどうしよう?












   文月玲香












   


 暑くなってきたな。この湿度の多い夏、苦手だな。同じ夏でも湿度がもう少しマシだったら平気なんだけどなぁ。座布団を枕に畳に寝っ転がってエアコンの直風が当たるところにいた。


「あ、お姉ちゃんいたんだ」

「京香。香音ちゃんは?」

「今は寝てる。今はね。あー、暑い」


 着てる服の胸元を手で掴んでバサバサとしてる。


「あんた、おっぱい見えるよ」

「今更見えたから何なのよ」

「子供産んで、所帯染みたな、妹よ」

「そんなこと言われたぐらいでもう怒ることもないわ〜」


 眠いーと言いながらわたしの横にパタリと倒れた。寝っ転がりながらこっち見てた妹が不意に目を見開いた。


「え?なにそれ」


 そしてガバリと起き上がる。


「ん?」

「指輪」

「あ……」

「なに、買ってもらったの?婚約指輪?」

「うん」

「えー、いいなー!」

「……なんか、ごめん」

「なんで謝んの?」

「京ちゃんの前では外しといたほうがよかったかな」


 京香は、学生結婚してるからもちろん指輪なんか買う余裕は太一にはない。


「なに言ってんのよ。別に気にしないって。ね、ね、見せて」


 外して見せると目をキラキラさせながら見ている。


「綺麗、綺麗。ね、これ、おもちゃじゃないんだよね」

「……」


 同じ親の元で育つと似た発言をするものだな。


「いくらしたの?」


 わたしが値段を伝えると、妹が指輪を持ったまま固まった。一瞬だけモアイ像のようでした。


「そんなすんの?指輪って」

「いや、もっと安いのもあったんだけど」

「返します。何かあったら弁償できないわ」


 おずおずと返してくる。もう一度指にはめました。


「いや、意外と斉藤くんもやるじゃん」

「ええ?」

「見直した」

「……」


 なんと返したらいいかわからなくて黙りました。


「そんないい物贈られた日にのこのこ家に帰ってくるんだ」

「ん?」

「お礼に泊まってきてあげればいいのに」

「……」

「あ、ごめん、怒った?ごめんごめん」

「いやさ……」


 ふと妹相手に語りたくなりました。最近の悩みについて。不意にむくって起きると、スタスタと台所に行き、冷蔵庫を開ける。


「なになに急に?」


 お父さんのために置いてある缶ビールを取り出す。そして食器棚からグラスを。


「お姉ちゃんは、お酒がないとなにも話せない人なわけ?」

「話の内容によるけどさ」


 プシュ、とぽとぽとぽ……


「あんた、授乳中じゃなきゃいいのにな」

「その前に未成年だって」


 缶ビールとグラスをテーブルに載せる。


「ね、太一ってあっちのほうどうなの?」

「はぁ?何の話?」

「だから、夜の方」


 妹はみるみる顔を赤くした。


「な、なに、聞いてんのよ」

「なにを今更、子供まで作っといて」

「だからって」

「別にわざわざ言わないでも、京ちゃんと太一がそういうことしてんのは、みんな知ってんだよ?子供いるんだから」

「だからって聞く?そんなこと」

「だめ?姉妹なのに?ま、いっか。子供できてんなら別に問題あるわけないし」

「え?」


 グビグビ

 こんな話、お酒飲まないとできないよね。いくら妹相手でもさ。


「その……」

「うん」

「それって、斉藤君に問題があるってこと?」

「わかんない」

「わかんない?」

「だって、してないもの。そういうこと」

「ああ……、って、でも、もう婚約してから結構経つじゃん」

「そうなのよ」


 はぁー、ため息が出た。

 グビグビ


「それどころか」

「うん」

「……なにもしてないから」

「なにもって?」


 具体的に言わないと分からないのかね?この子も。


「だから、キスすらしてないんだって」

「はぁ?」


 また、妹がモアイになった。しかし、こんな驚いた顔のモアイはなかったよね。確か。


「だって、斉藤君って何歳よ」

「ちょっと心配なんだよね」

「心配ってなにが?」

「もしかしたら、その……」

「その?」

「男性として不能なのではないかと……」

「……」


 チクタク、チクタクと時計が時を刻む音まで聞こえそうなくらい一瞬静かになりました。


「いや、だって、彼女いたじゃん。普通に」

「突然、始まることもあるんだってよ」

「お姉ちゃん、調べたの?それ」

「特定の人には不能になるってのもあるらしい」

「まじで?」

「よくわかんないよね。わたしたち、女だし」

「お父さんに聞いてみたら?」


 げらげら笑った。二人で。


「だって、お医者さんじゃん」

「どこの国に自分のお父さんにこんなこと聞く娘がいんのよ」

「お父さんがそんなことについて説明してんの、想像するだけでなんかやだ」

「じゃ、太一に聞くか」

「やめて」


 マジ顔で拒否された。


「じゃ、律に聞くか」

「……」


 そこはスルーされた。従兄弟は今、アメリカにいていない。時差もあるし不便だな。


「ね、さりげなくそういう機会を作って様子を伺ってみたら?」

「機会って?」

「お姉ちゃんって斉藤君の家に行ったことあるの?」

「ないね」

「え、ないの?」

「だって、別に来いと言われないし」

「いや、それ、おかしいでしょ」

「おかしい?」

「普通、付き合ってたら行くでしょ。お互いの家」


 うーんと考え込む。


「でも、お見合いだし」

「だけど、婚約してるでしょ?」

「はい」

「斉藤君は特別恥ずかしがりなんだよ。だから、絶対誰も見ていないようなとこでしかそういうことしないんだって、きっと」

「ほんと?」

「いや、わからんけど、多分」


 妹のテキトーそうな答えとテキトーそうな顔を見る。


「太一に聞くか」

「だから、やめてって」

「なんだよ。ケチだなぁ。さっきから」

「……」

「ね、太一の時はどうだったの?あいつ、見た目では手、早そうじゃないけど」

「はぁ?」

「でも、手、早かったんだよね」

「……」


 なぜかここで京ちゃんはまた赤くなった。


「あんた、なんで、そんな恥ずかしがるわけ?子供まで作っといて」

「うるさいなぁ」

「いや、でもさ。ほんと心配」

「大丈夫だって。きっと結婚まで取っとこうって思ってるんだよ」

「21世紀にか」

「21世紀にね」

「でもさ」


 切々と妹に訴える。


「結婚した後に、実は問題ありましたってなったら、シャレならんよ」

「え……」

「後継、どうすんだよ」

「……」


 今度こそ、男の子産みたいわ。わたしのような負担を子供に授けたくない。


「お姉ちゃんっていっつもそういうことで悩んでんのね。お父さんの次が見つかったら、次は旦那さんの次?」

「しょうがないでしょ?」


 それがわたしの役割なんだから。












   


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