耳鳴り
2つ目 耳鳴り
和也が行方不明になってから一週間が経った。
彼の同僚であり、友人でもある佐々木大介は、和也の失踪直前から始まった「耳鳴り」に悩まされていた。
「キーン」という、金属が擦れ合うような高周波の音が、絶え間なく頭の中で鳴り響いている。
最初は疲れやストレスのせいだと思い、耳鼻科を受診したが、医師からは「鼓膜も聴力も正常、原因不明」と告げられるだけだった。
処方されたビタミン剤を飲んでも、一向に症状は治まらない。
特に酷いのは、夜、一人で自宅にいるときだった。
周囲の雑音が消えると、その耳鳴りは凶暴なほどにボリュームを増した。
頭を掻きむしりたくなるような不快感に耐えながら、大介はベッドの上で寝返りを打ち続けた。
失踪前日、和也は「部屋の中で変な音がする」と怯えた様子で大介に電話をかけてきていた。
あのとき、もっと詳しく話を聞いていれば、何かが変わっていたのだろうか。そんな後悔が頭をよぎる。
深夜二時。
耳鳴りの音量が急激に変化した。「キーン」という単調な高音の中に、細かな振動のようなノイズが混ざり始めたのだ。
大介は耳を塞いだが、頭の中で鳴っている音には意味がなかった。
(待てよ……これ、何の音だ?) 大介は電気を消した部屋で、じっと耳鳴りに意識を集中させた。
不快な高音の背後で、別の「何か」が動いている。
それは、非常に高速で、かつ極めて小さな声で擦り切れるように呟かれる、人間の声のようだった。
大介は息を殺し、頭の中の音を「聴こう」とした。
「……うにいるよ……ろにいるよ……しろにいるよ……」
声は、無数に重なっていた。
最初は掠れた老人のようであり、次は幼い子供のようであり、最終的には歪んだ女の声へと収束していく。その女は、一秒の隙間もないほどの猛スピードで、同じ言葉を呪文のように呪い続けていた。
「後ろにいるよ後ろにいるよ後ろにいるよ後ろにいるよ後ろにいるよ後ろにいるよ後ろにいるよ後ろにいるよ後ろにいるよ後ろにいるよ後ろにいるよ後ろにいるよ後ろにいるよ」
理解した瞬間、大介の全身の毛穴が総立ちになった。
耳鳴りだと思っていたものは、鼓膜の振動ではなく、脳に直接送り込まれている「言葉」だったのだ。
そしてその言葉の意味が、現実の恐怖となって大介に襲いかかる。
後ろにいる。
今、大介はベッドの上で、壁に向かって横向きに寝ている。
つまり、彼の背後には、広い寝室の空間が、そして暗闇が広がっている。
大介は恐怖のあまり硬直した。
振り返ってはならない、と本能が警告している。
しかし、耳鳴りの声はさらに速度を上げ、大音量となって脳内で炸裂した。
「後ろにいるよ後ろにいるよ後ろにいるよ!」
耐えかねた大介は、悲鳴を上げながら勢いよく後ろを振り返った。
そこには、誰もいなかった。月光が差し込む静かな寝室があるだけだった。
大介は安堵のため息を漏らし、荒い呼吸を整えようとした。
しかし、脳内の声はピタリと止んでいた。
代わりに、大介の「本物の耳」に、直接冷たい息が吹きかけられた。
「……そっちじゃなくて、こっちだよ」
声は、大介が今しがた振り返った、まさにその正面の暗闇から聞こえた。




