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第19章 恐怖

 朝が訪れると、彼らは偵察任務のためにいくつかの爆薬を悪魔の中古船へと運び込んでいた。


 彼らの計画は、第二工場から少し離れた場所に船を停泊させ、そこから小舟で工場へ向かうというものだった。そうすることで敵に気付かれずに接近できる。潜入して内部の状況を監視し、何よりも工場に黒星の悪魔が存在するかどうかを確認する必要があった。


 必要な物資を積み終えると、全員が船の上甲板へ集まった。


 カイイヤは同行者として自らの右腕を選んだ。彼の名はリオン(Rion)。


 一方、誘拐された人々を港まで送り届ける役目は、副船長であるビエル(Biel)へ任せることになった。


 カイイヤが同行者を一人だけ選んだ理由は明白だった。


 彼らは小舟で海を渡る予定だったが、小舟は一隻しかなく、多人数を乗せることはできない。しかも港へ向かう航路も決して安全ではなかった。もし別の悪魔船や悪魔の補給船に遭遇すれば、襲撃を受ける可能性もある。


 だからこそ、誘拐された人々を守るためには多くの戦力が必要だった。


 数十人にも及ぶ被害者たちは各地から連れ去られていたが、その多くは港へ立ち寄っていた商人たちだった。


「彼らのことは任せたぞ、ビエル」


「はい、船長。送り届け次第、すぐに追いかけます」


「補給も忘れるなよ」


「了解です、船長」


 カイイヤは悪魔の中古船へ乗り込み、航海を開始した。


 船の操縦はエイミとソラヤが担当する。


 イザウ、イノリア、カイイヤ、そしてリオンは船内へ散開し、作戦に役立つものを探し始めた。


 狙いは工場の見取り図、あるいは船内に隠された兵器だった。


「見てくれイノリア、何か見つけた!」


 イザウの声が響く。


「何を見つけたの、イザウ?」


 船の最深部――機関室近くの保管室に置かれていた箱を開けながら、イザウは言った。


「これだ。俺たちが回収してヴァカン族の船に保管したものと同じ爆弾だ」


「全部運び出したと思っていたけれど……まだ残っていたのね」


 二人は別室で捜索していたカイイヤを呼んだ。


「カイイヤ、これを見てくれ!」


 カイイヤは箱の中身を見ると眉をひそめた。


「……核か。まだこんな物を持っていたのか」


 その時、リオンが一枚の大きな紙を抱えて現れた。


 そこには船首に設置された隠し投射砲の操作方法が記されていた。


「間違いない……これは核発射装置だ」


「でも、こんなもの……危険すぎます。本当に使うんですか?」


 リオンの問いに、カイイヤは静かに答える。


「必要になればな。これは最後の手段だ。追い詰められた時のための切り札にしておく」


 やがて全員はソラヤとエイミがいる航海室へ集まった。


「どうだった? 何か見つかったか?」


「これが俺たちの収穫だ」


 ソラヤは資料に目を通し、興味深そうに頷いた。


「ふむ……なかなか面白い情報ね。ところで、リカ(Lica)は?」


「え? 君たちと一緒じゃなかったの?」


「まさかヴァカンの船に置いてきたんじゃ……」


 全員の顔色が変わった。


 彼らは船内の各部屋を探し回ったが、リカの姿は見つからない。


 手分けして捜索を続けた末、ついにソラヤが彼女を発見した。


 船尾だった。


 そこには、椅子の上で気持ちよさそうに眠るリカの姿があった。


「見つけた! ここにいるわ!」


「心配させるなぁ……置いてきたかと思ったぞ」


「まさかここで寝てたなんてね」


 皆は思わず笑い出した。


 リカらしい、どこか憎めない行動だった。


 その笑い声で目を覚ましたリカは、眠そうに目を擦る。


「ん……みんな、ここで何してるの?」


「君を探してたんだ。置いてきたかと思ったよ」


「うぅ……ごめん。疲れてたし、昨日の夜あんまり眠れなくて……すごく眠かったの」


「気にしなくていいさ、リカ」


 カイイヤは空を見上げた。


「太陽も真上だ。もう昼だな。食事にしよう。人数も少ないし、物資も豊富だから三食ちゃんと食べられる」


「それでこそ俺の好きな船長だ、へへっ」


「食べ物の話になると急に元気になるわね、イザウ」


 皆は簡単な料理を作り、船首甲板で輪になって食事を始めた。


 そこには確かな笑顔があり、まるで長年連れ添った仲間のような親しさが漂っていた。


「工場に着いたら、ゆっくり食事なんてできないからな」


「だから今のうちに食べられるだけ食べようぜ! ははは!」


 笑い声が海風に混じって広がっていく。


 そして、一日と一夜の航海を経て――


 ついに彼らの視界に第二工場が現れた。


 全員は急いで錨を下ろす準備を始め、小舟へ必要な装備を移し始める。


 だが――


 荷物を運び込もうとした、その瞬間だった。


 突如として船が攻撃を受けた。


 轟音と共に一発の飛翔体が船へ直撃する。


 爆発。


 激しい衝撃と炎が船体を包み込み、船は瞬く間に燃え上がった。


「全員、小舟へ急げ! この船は沈む!」


「まさか見つかっていたなんて……!」


「皆無事か!? 全員、小舟に乗ったな!?」


 エイミは素早く小舟を降ろし、炎に包まれた船から距離を取った。


 燃え盛る悪魔船は、軋みながらゆっくりと海へ沈んでいく。


 揺れる小舟の上で、イノリアが燃える船を見つめた。


「……今のは何? 炎を噴き出して飛んできたみたいだった」


 イザウが答える。


「ミサイルだ」


「ミサイル……それも爆弾なの?」


「そうだ。でも普通の爆弾と違って、ミサイルは狙った標的へ誘導できる。中には遠隔操作できるものもある」


 イザウは険しい表情で続けた。


「悪魔たちのミサイルが遠隔操作式かどうかは分からない。でも――地球の人間は、もうとっくにそんなものを作れるようになっているんだ」


「地球の人間が作る兵器って本当に恐ろしいんだな……。でも、どうやってあんな遠くから俺たちを見つけたんだ? 巨大な望遠鏡でもあるのか?」


「違うわ。たぶんレーダーで追跡されたのよ。正直、この世界でレーダーまで作れるなんて信じられないくらいだけど……。悪魔と協力している地球人は、きっと教授級の頭脳を持つ人間なんでしょうね。複雑な装置を作る概念を理解しているもの」


 エイミは真剣な表情でそう言った。


「エイミの話は正直あまり分からないけど……その危険な兵器を生み出した奴らが恐ろしいってことだけは分かる」


「ところで、助け出せた荷物は多くないけど……俺、これだけは持ってきたんだ」


「それって……核じゃない」


「発射装置は船にあったし、その船も沈んじまったから使えるかは分からない。でも、とりあえず持ってきた」


「いい判断よ、イザウ。それはきっと役に立つ。何かできるかもしれないわ」


「じゃあこれはエイミに任せる。俺は戦うことしかできないし、こういう問題はさっぱりだ。へへっ」


「分かったわ」


 エイミが核を受け取る。


 するとカイイヤが周囲の海を見渡しながら口を開いた。


「さて、どうする? もう見つかってる。あのまま接近するのか、それともビエルが来るまでこんな風に海に漂いながら待つのか?」


「俺は……それでも潜入すべきだと思う」


 イザウは迷わず答えた。


「私も賛成よ。待って運命に身を任せるなんて、騎士らしくないもの」


「じゃあどうする? この小舟で向かうのか、それとも泳ぐか?」


「小舟を使えばまた攻撃される可能性がある。でも泳ぐのも得策じゃないわ。ここからだと工場が小さく見えるくらい遠い……相当な距離よ」


「なら小舟を使い続けましょう。残った装備も全部ここにあるし、もし攻撃が来たら防ぐか海へ飛び込む」


「俺は警戒しておく。攻撃が来たら風のヴァルクで弾き返す」


「私も氷の壁を作って爆発を防ぐ準備をしておくわ」


「よし……急ごう」


 彼らはゆっくりと小舟を漕ぎ、工場へ向かった。


 エイミとイノリアはいつでも迎撃できるよう身構え、イザウとソラヤは周囲を警戒する。怪しい影や攻撃の兆候を見逃さないためだった。


 長い時間をかけて漕ぎ続け――


 ついに彼らは、攻撃を受けることなく工場へ到着した。


 悪魔たちは、攻撃した船と共に彼らも沈んだと思っているのかもしれない。


 彼らは工場の裏側へ回り込み、静かに潜入を開始した。


 リカが跳躍し、通気口の蓋を拳で粉砕する。


 全員はそこから内部へ侵入し、天井上の換気通路を進んでいった。


 狭い通路を這いながら、彼らは通過する部屋を一つ一つ覗き込む。


 しかし――どこにも悪魔の姿がない。


「……どうする? 別行動にするか? でもこの工場、広すぎるぞ。見取り図もないし、集合場所も決められない」


「私は逆に、絶対に一緒にいるべきだと思う」


 ソラヤが低い声で言った。


「地図もないし、この場所がどんな構造かも分からない。それに敵がどんな力を持っているかも未知数よ。分散する方が危険だわ」


 彼らは狭い換気通路の中で議論を続けていた。


 だが――


 次の瞬間。


 ミシッ――と嫌な音が響いた。


 全員分の重みに耐えきれなくなった通路が崩壊し、彼らはそのまま真下へ落下した。


「いってぇ……!」


「まずい……見つかった!?」


 直後、鋭いサイレンが鳴り響き、施設全体に赤い警告灯が灯る。


 そして――


 拡声器から流れた声に、イザウ、イノリア、そしてソラヤの表情が凍りついた。


『ようこそ諸君。遠いところ、よく来てくれた』


「この声……!」


「……あの時だ。サイリンと一緒にトロ爺さんの家を襲った悪魔……!」


『覚えていてくれたか。しかも新しい仲間まで連れているようだな』


 声は楽しそうに笑った。


『なら改めて名乗ろう。私の名はハルスだ』


「……黒星の悪魔」


「やっぱりいたのね……!」


『まっすぐ進み、右へ曲がれ。そこに部屋がある。私はそこで待っている』


 すでに発見され、逃げ場もない。


 彼らはハルスの指示に従うしかなかった。


 やがて指定された部屋へ辿り着き、カイイヤが扉を開く。


「……なんだ、この広さは」


 その巨大な空間には――


 無数の悪魔がいた。


 およそ百体。


 そしてその中心には、ハルスと――もう一体の悪魔。


「……ハルスとダルス」


「サイリンより上位の黒星悪魔……第三位と第四位……」


「こんなの……本当に勝てるの……?」


 誰かが呟く。


 だがイザウは、静かに斧を構えた。


「分からない。でも……俺はここで死なない」


 その視線は真っ直ぐ前を向いていた。


「必ずイノリアをインカへ連れて帰る」


「全員、それぞれの位置につけ!」


 カイイヤが声を張り上げる。


「サイリンが言っていた通り、呪いの力には常に警戒しろ!」


 その瞬間、悪魔たちが一斉に襲いかかってきた。


 数では圧倒的不利。


 だが彼らに退路はない。


 海のど真ん中――逃げ場など存在しなかった。


 それでも彼らは全力で迎え撃つ。


 各々が自分の敵へ集中し、死力を尽くして戦った。


 しかし奇妙なことに――


 ハルスとダルスだけは動こうとしない。


 ただ静かに戦場を眺めていた。


 リオンは泥のヴァルク使いだった。


 彼は膨大な量の泥を噴き出し、部屋の一角を泥の海へと変える。


 近付く悪魔たちは次々と足を取られ、その泥へ呑み込まれていく。


 泥はやがて巨大な山のように盛り上がり、その頂上へリオンが立った。


 近付いた悪魔は泥に吸い込まれ、内部で圧殺される。


 だが即死するのは低級悪魔だけだった。


 多くの悪魔は耐え抜き、中には泥の影響をほとんど受けない者さえいた。


 その突破した敵を始末するのがカイイヤの役目だった。


 リオンの罠を抜けた悪魔へ斬り込み、次々と討ち倒していく。


 一方、部屋の反対側ではエイミとリカが戦っていた。


 エイミは後方から広範囲攻撃を放ち、戦場を制圧する。


 そしてその攻撃を生き延びた悪魔を――


 リカが容赦なく仕留めていった。


 さらに、ソラヤとイノリア。


 幾度もの戦いで連携を重ねてきた二人は、以前よりも遥かに息が合っていた。


 まるで一つの意志を共有しているかのように。


 迫り来る悪魔たちを、二人は完璧な連携で迎え撃っていく。


 一方その頃――


 イザウはただ一人で戦っていた。


 長い鎖柄の斧を振るい、その一撃一撃で複数の悪魔を薙ぎ払っていく。


 鎖が唸りを上げ、炎を纏った斧が大きく弧を描くたび、悪魔たちは次々と地へ沈んだ。


 イザウの戦い方は常に獰猛だった。


 相手がどんな状態かなど気にしない。


 敵である以上、容赦なく叩き潰す。


 青き炎を纏う斧に斬られた悪魔たちは、燃え、切り裂かれ、あるいは身体そのものを破壊されていった。


 イザウは青炎のヴァルクを使って戦っていた。


 白炎の段階は、黒星悪魔との戦いのために温存している。


 なぜなら、その形態は短時間しか維持できず、膨大な体力を消耗するからだ。


 まだイザウは、その負担を克服できていなかった。


 長い激戦の末――


 ついに部屋にいた悪魔たちはすべて倒れた。


 残っているのは、ハルスとダルスのみ。


「おめでとう。よく彼らを倒した」


 ハルスは不気味な笑みを浮かべながら言った。


「実際には、この施設にはまだまだ悪魔がいる。だが……それだけ戦えば十分疲れただろう?」


 彼は楽しむように続ける。


「私はお前たちを少しずつ苦しめてやる。最初から殺してしまっては……あまりにも退屈だからな」


「疲れた……だと?」


 イザウは斧を肩に担ぎ、不敵に笑った。


「あれはただの準備運動だ。歓迎ありがとな。ちょうど本番前のウォーミングアップになったぜ」


「はははっ!」


 ハルスは声を上げて笑った。


「面白い小僧だ。自信だけはあるらしいな」


 彼の目が細くなる。


「お前たちがサイリンを倒したことは知っている。ザトラックス様から既に聞いているのでな」


「……ザトラックス」


「我ら悪魔の魂はザトラックス様と繋がっている。仲間が死ねば、その瞬間にザトラックス様は知るのだ」


「そんなこと、俺たちには関係ない」


 イザウは斧を構え直した。


「お前ら二人も、仲間の後を追わせてやる」


「ほう……」


 ハルスは口元を吊り上げる。


「若造、少々勇敢すぎるようだな。ならば……その大口に相応しい授業をしてやろう」


 部屋の奥に座っていたハルスとダルスが立ち上がる。


 ――次の瞬間。


 ハルスの姿が消えた。


「――ッ!?」


 気付いた時には、彼はイザウの目の前にいた。


 振り払うような腕の一撃。


 防御も間に合わず、イザウは空中へ吹き飛ばされる。


 だがハルスはさらに速かった。


 すでに上空へ回り込んでいた彼は、イザウへ蹴りを叩き込む。


 轟音。


 イザウは地面へ激突し、鉄床が大きく陥没した。


「……この野郎ッ!」


 だが叫び終える前に、ハルスは再び彼の上にいた。


 床に倒れたイザウへ拳を連打する。


 鈍い衝撃音。


 鮮血が飛び散った。


「イザウ!」


 リカ、イノリア、ソラヤが救援へ飛び出す。


 しかし――


 その前に立ちはだかったのはダルスだった。


 たった一撃の蹴り。


 三人はまとめて吹き飛ばされた。


 他の者たちも援護へ向かうが、ダルスは圧倒的な速度で立ち塞がる。


 次々と蹴り飛ばされ、近付くことすらできない。


 二体とも異常な速さだった。


 その速度は、雷のヴァルクを使うカイイヤとほぼ同等。


 一方で、イザウはなおもハルスに殴られ続けていた。


「……ッ!」


 イザウは白炎のヴァルクを解放する。


 白き炎が噴き上がり、至近距離からハルスへ放たれた。


 だが――


 燃えない。


 普通の悪魔なら一瞬で灰になるはずの炎を受けても、ハルスは平然としていた。


「俺は大丈夫だ!」


 血を吐きながらイザウが叫ぶ。


「みんなはもう一体を頼む! このクソ悪魔は……俺が一人でやる!」


 その声を受け、全員はダルスへ集中した。


 リオンが泥のヴァルクで拘束を試みる。


 大量の泥がダルスへ絡みつき、その動きを封じようとする。


 さらにイノリアが氷で身体を凍結。


 腕や脚を次々と凍らせ、機動力を奪おうとした。


 だが凍結はすぐに砕かれる。


 それでもイノリアは止めない。


 壊されても、また凍らせる。


 少しでも動きを鈍らせるためだった。


 リカは正面からダルスへ突っ込む。


 拳を連続で叩き込むが、そのほとんどを受け止められていた。


 そこへカイイヤとソラヤが高速攻撃を重ねる。


 左右、背後、上空――


 様々な方向から鋭い一撃を浴びせていく。


 一方、イザウもまたハルスへ猛攻を続けていた。


 白炎を纏った斧は確かにハルスを傷つけている。


 だが――サイリンとの戦いと同じだった。


 黒星悪魔の再生能力は異常。


 深い傷を負わせても、数秒後には元通りになってしまう。


「……もっと強くならなきゃ、倒せねぇ」


 イザウは集中を極限まで高めた。


 ヴァルクを全身へ循環させる。


 白炎がさらに激しく燃え上がった。


 そして再び突撃する。


「もっと速く……!」


 斧が連撃となって襲い掛かる。


「もっと……速くだ!」


 幾つもの一撃がハルスへ直撃した。


 避けられた斬撃は床や壁へ叩き込まれ、周囲の鉄壁を破壊していく。


 そして――


 イザウは二枚刃の斧を同時に振り抜いた。


 渾身の一撃。


 それがハルスの腹部を捉える。


 ハルスは吹き飛び、鉄壁へ激突。


 壁には大穴が穿たれた。


 イザウはすぐに追撃へ向かう。


 しかしハルスは既に立ち上がっていた。


 戦場はそのまま通路へ移る。


 一方その頃――


 ダルスとの戦いでは、依然として敵が優勢だった。


 誰かが攻撃するたび、ダルスは軽々と弾き飛ばしていく。


 防御は堅牢。


 攻撃も凶悪。


 しかも彼は未だ徒手空拳で戦っているだけで、ヴォイドの力すら本格的には使っていなかった。


 リオンが再び泥を操る。


 大量の泥でダルスを丸ごと埋めた。


 脱出しようとするたび泥を重ね、全身を覆っていく。


「このままなら……呼吸できなくて消耗するかもしれない!」


 だが――


 ダルスの身体から紫色のオーラが噴き出した。


 ヴォイド。


 次の瞬間、彼は泥を容易く突破していた。


 そして一瞬でリオンの前へ現れる。


「――ッ!?」


 ダルスの指が、リオンの腹を貫いた。


 血が噴き出す。


 持ち上げられ、そのまま投げ捨てられた。


「リオン!」


 カイイヤが即座に駆け寄る。


 彼を抱え上げ、壁にもたれかからせた。


「血が多すぎる……! 傷を押さえろ、止血しろ!」


「俺はいいです……船長……!」


 リオンは苦痛に顔を歪めながら言った。


「俺のことは気にしないで……戦いに集中してください……!」


 カイイヤは歯を食いしばる。


 そしてソラヤの隣へ戻った。


「出血が酷い……。早く決着をつけて治療しなければ、あいつは死ぬ」


 次の瞬間――


 カイイヤの全身を黒い雷が覆った。


「――ッ!!」


 彼が咆哮すると、黒雷が周囲へ迸る。


 床と天井が砕け散った。


「……カイイヤ、本気になるのね」


 ソラヤもまた全身へ赤い電撃を纏う。


 リカは二人の中央へ進み、低く構えた。


 両拳にはヴォイドが集束している。


「――行くぞ」


 三人は同時に動いた。


 超高速。


 ソラヤとカイイヤは瞬間移動のような速度で位置を変えながら攻撃を繰り返す。


 そしてリカは真正面から突撃。


 ヴォイドを纏った拳を連打した。


 伝説の武具と融合したリカのヴォイド拳は、ついにダルスへ傷を刻む。


 しかも傷が再生する前に追撃。


 何度も何度も殴り込み、腹部の肉を引き裂いていく。


「攻撃を止めるな!」


 カイイヤが叫ぶ。


「再生させるな! そのまま削り殺せ!」


 後方ではイノリアとエイミが援護していた。


 イノリアの役目はダルスの動きを奪うこと。


 腕や脚を絶えず凍結させ、機動力を削る。


 今の速度戦では近接参加は難しかった。


 カイイヤとソラヤの動きに追いつけず、むしろリカの邪魔になる可能性がある。


 だからこそ支援に徹する。


 エイミも風の攻撃を絶え間なく撃ち込み、傷を増やし、動きを妨害した。


 そして――


 三人の猛攻と後方支援により、ダルスはついに追い詰められる。


 だがその時だった。


 ダルスの口を縫っていた糸が――裂けた。


 彼は無理やり口をこじ開ける。


 縫い目が引き裂かれ、口元から大量の血が流れ落ちた。


 そして低く、重く――


 ダルスは言った。


「――止まれ」


 その瞬間だった。


 ダルスの言葉を聞いた全員の身体が――突然止まった。


 まるで時間そのものが凍り付いたかのように。


 そして動けなくなった彼らへ、ダルスは容赦なく拳を叩き込む。


 カイイヤ、ソラヤ、リカ――全員が吹き飛ばされた。


 後方にいたイノリアでさえ例外ではなかった。


 ダルスの声を聞いた瞬間、彼女の身体もまた拘束されていた。


 だが――五秒後。


 イノリアだけは再び動けるようになった。


 顔を上げる。


 視界に映ったのは、吹き飛ばされ地面へ倒れている仲間たちだった。


「……これがダルスの呪い……?」


 イノリアは心の中で考える。


「サイリンが呪われた眼を持っていたなら……ダルスは口……。つまり――言葉そのものが呪い……!」


「――叩きつけろ」


 ダルスが再び一言だけ発する。


 次の瞬間。


 リオンを含む全員の身体が宙へ持ち上がり――


 凄まじい勢いで床へ叩きつけられた。


「っ……何が起きてるんだ……!?」


 ソラヤが呻く。


「……たぶん、呪われた口よ」


 イノリアが答えた。


「呪われた口だと? ……冗談じゃないな……」


 カイイヤは苦しげに立ち上がる。


 左腕へ黒雷を集中。


 そして閃光のような速度でダルスへ突撃した。


 だが――


 あと一歩という距離で。


「――弾け」


 ダルスが呟く。


 カイイヤの身体は、自ら吹き飛んだかのように弾かれた。


「カイイヤ!」


 ソラヤが即座に追撃へ向かう。


 しかし。


「――砕け」


 ソラヤの身体が空中で停止した。


 まるで巨大な何かに圧し潰されたように全身が軋む。


「ッ……!」


 そのまま床へ落下した。


 イノリアは急いで駆け寄る。


 ソラヤは血を吐いていた。


 全身が酷く損傷している。


 見えない重量物に押し潰されたような傷だった。


「ソラヤ!」


「……大丈夫……まだ動けるわ……」


 苦しげな呼吸の中で、ソラヤは分析を続ける。


「……たぶん呪いは、口にした言葉を現実化する力……」


「現実化……」


「でも限界はある。『砕け』『弾け』『吹き飛べ』……そう命じても、本当に身体が消滅するわけじゃない……」


 ソラヤは血を拭った。


「……その状態を再現する攻撃を受ける……そういう呪いよ」


「私も気付いたことがある」


 カイイヤが低く言った。


「さっき『止まれ』と言われた時……身体を巨大な手で握り潰されてる感覚だった」


「完全には止められていない。目は動いたし……無理矢理なら抵抗もできた」


「それともう一つ」


 彼はダルスを睨む。


「……あいつは文章を喋れない。一語だけだ」


「一語の命令……」


「なら――耳を塞いだらどうだ?」


 イノリアの言葉にカイイヤが頷く。


「試してみる」


 彼は両耳を塞ぎ、再び突撃した。


 ダルスが言葉を放つ。


「――吹き飛べ」


 その瞬間。


 イノリアたちは吹き飛ばされた。


 だが――


 カイイヤだけは止まらない。


 そのままダルスへ蹴りを叩き込んだ。


「効いた……!」


 カイイヤは戻り、壁へ激突したソラヤの様子を見る。


「おい、大丈夫か」


「ええ……まだ全身痛いけど……」


「間違いない。聞かなければ効かない」


「だったら私、自分で耳を潰して殴りに行く」


 リカが拳を握る。


 だがカイイヤは即座に止めた。


「待て、リカ。無茶をするな」


「耳を壊せば平衡感覚も失う。別の方法を考える」


 その時だった。


 大量の血を流しながら横たわっていたリオンが、苦しげに身体を起こす。


「……俺の泥で……耳を塞ぎます……」


「……!」


「いい考えだ、リオン。頼む!」


 リオンは泥を操り、イノリア、ソラヤ、カイイヤ、リカの耳を塞いでいく。


 完全な遮音。


 これでダルスの声は聞こえない。


「ありがとう、リオン……」


 イノリアは彼の腹部を見る。


「……あなたも泥で傷を覆って固めてみて」


「……やってみます……」


 耳を塞いだことで、彼らはついに呪われた口への対抗手段を得た。


 しかもダルスには奇妙な性質があった。


 攻撃されなければ、自分から仕掛けてこない。


 だから彼らは急襲を恐れず、短く作戦を相談できた。


 そして――


 再び総攻撃。


 ダルスは防御へ徹する。


 拳を受け止め、攻撃を弾き、何度も何かを喋っていた。


 だが――効かない。


 誰にも呪いは届かなかった。


 ダルスの顔に怒りが浮かぶ。


 次の瞬間。


 彼は防御を捨てた。


 本気だった。


 拳が鋭く振るわれる。


 狙いは頭部――特に耳。


 泥の耳栓を破壊するつもりだった。


 何度も頭部へ衝撃を受けるうちに、泥は剥がれ落ち、亀裂が生まれる。


 そして――


「――沈め」


 全員の身体が濡れた。


 水は見えない。


 だが確かに全身が水没した感覚。


 服も身体も完全に濡れていた。


 耳栓は消えた。


 声が届く。


 戦場で呪いの影響を受けていないのは、後方で傷を押さえるリオンだけだった。


「――燃えろ」


 絶叫が響く。


「ァアアアアッ!!」


 全身が焼かれる。


 実際の炎は存在しない。


 だが身体は燃焼の苦痛を感じ、服には焼け跡まで現れた。


「……呪いの効果は……五秒……」


 イノリアが震えながら呟く。


「一語ごとに……五秒……」


「五秒……十分すぎる……」


 ソラヤが苦しげに言う。


「『燃えろ』だけで……私たちはもう……」


 エイミだけが立ち上がった。


 風の分解体へ変化しようとする。


 だが。


「……くっ……!」


 変化しない。


 限界だった。


 体力も傷も限界に達している。


「……くそ……もう限界……!」


 そしてダルスは――


 容赦なく言葉を重ねた。


「砕け」


「潰れろ」


「燃えろ」


「砕け」


「潰れろ」


「燃えろ」


 連続する呪い。


 イノリアたちは地獄のような苦痛に晒された。


 そして。


「――貫け」


 全員の目が見開かれた。


 口が開く。


 カイイヤさえ叫んだ。


 何も刺さっていない。


 だが確かに――身体の内側を深く貫かれた。


 外傷はない。


 それなのに全員が血を吐いた。


 まるで内臓を鋭利な刃で刺し貫かれたように。


 誰も立てない。


 床へ倒れる。


 ただ一人。


 イノリアだけが膝をついていた。


 俯き、震えながら顔を上げる。


 仲間たちが倒れている。


 誰も戦えない。


 次の呪い。


 たった一言。


 それだけで皆死ぬかもしれない。


 大量出血。


 衰弱。


 もう限界だった。


 ――怖い。


 イノリアは自分ではなく、仲間たちを見て恐怖した。


 目の前で誰かが死ぬ。


 あの時みたいに。


 ミユ……。


 サヤミ。


 悪魔に殺された罪なき人々。


 あの光景が脳裏を過る。


 嫌だ。


 もう見たくない。


 その瞬間――


 イノリアの瞳が蒼く輝いた。


 全身を青いオーラが包む。


 足元から水が湧き上がり、彼女の身体を持ち上げた。


 まるで空中へ浮かぶように。


 そして――


 工場全体が激しく揺れた。


「……何だ!?」


 別区画でハルスと戦っていたイザウが顔を上げる。


「地震か……!?」


 その頃。


 カイイヤ、リカ、ソラヤ、エイミ、リオンの身体は氷に包まれていた。


 イノリアが守ったのだ。


 工場外では――


 巨大な津波が咲き誇る花のように施設全体を囲んでいた。


 それを操っているのはイノリア。


 やがて津波は閉じる。


 莫大な海水が工場全体を包み込んだ。


 激流。


 洪水。


 すべての通路、すべての部屋へ水が流れ込む。


 イザウもハルスも濁流へ呑まれた。


 そしてイノリアたちの戦場も完全に水没する。


 水中。


 ダルスは喋れなかった。


 口を開けば水が入り、呪いが使えない。


 彼は泳ぎ、直接イノリアを殺そうと向かう。


 だが――


 イノリアが手を向けた。


 周囲に巨大な氷槍が現れる。


 巨大。


 鋭利。


 無数。


 氷は四方からダルスを包囲した。


 水中では自由に動けない。


 逃げ場などない。


 次の瞬間――


 氷槍が一斉に貫いた。


 ダルスの身体は引き裂かれる。


 肉が裂け、身体に無数の穴が穿たれた。


 残ったのは頭部の一部、胸部、そして脊椎のみ。


 その中心には――


 ヴォイドの核。


 心臓のような本体が露出していた。


 ダルスは再生を始める。


 だが損傷が大きすぎる。


 まず核を覆おうとした。


 しかし。


 イノリアは氷槍を一直線に放った。


 それは核を貫き――


 内部から凍結させる。


 完全凍結。


 そして。


 ――砕けた。


 ヴォイドの核は氷と共に粉々に崩壊した。


 一方その頃――


 イザウとハルスはなお激流に呑まれ、荒れ狂う洪水の中を流されていた。


「……この水……」


 イザウは心の中で呟く。


「……イノリアの力か……?」


 荒れ狂う濁流の中、彼は息を呑んだ。


「……これが、水のヴァルク……最高位の姿なのか……?」

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