第12章 霊の谷
イザウたちとサヤミたちは、カムトの谷(Kamut Valley)の近くで野営をしていた。ここまでの旅はすでに二日が経過しており、順調にいけば翌日には目的地へ到着する見込みだった。
「いやぁ……明日でついに地球人の集落に着くんだな」
「ところで、明日は何時ごろ到着するの? この谷、すごく暑いから正午前には着きたいんだけど」
「到着は夕方頃ね。正午前に着きたいなら――飛べばいいじゃない、イザウ」
「えぇ!? 飛べるわけないだろ! なんだよそれ!」
「だから文句ばっかり言わないの」
「ただ聞いただけだっての……」
彼らは焚き火を囲み、ホトヤの街から持ってきた食材や道中で狩った獲物を調理しながら、穏やかな時間を過ごしていた。
「ねぇ、知ってる? このカムトの谷は“泣く霊の谷”とも呼ばれてるのよ」
サヤミの一言に、イザウは首を傾げる。
「え? 初めて聞いたぞ」
「そりゃそうでしょ。ここに来てまだ数週間のくせに」ソラが呆れたように言う。
「はは……確かに」
「で、その“泣く霊”って何? 怖い話?」イノリアが興味深そうに尋ねた。
「商人たちの間で広まってる噂なんだけど、この谷を通ると、どこからともなく泣き声が聞こえるらしいの。それも、場所を変えながら」
「な、なにそれ……怖すぎるんだけど……」
「その声を辿ろうとした人は、誰一人戻ってこなかったって話よ。だから聞こえても無視するのが一番って」
「もうやめてサヤミ……怖いってば……」
「なんだよイノリア、そんなのでビビるとか情けないな」
「今なんて言ったの?」
ゴンッ!
「いってぇぇぇ!」
「まったく……」
「ほらもう夜だし、さっさと寝ましょ。あんたたち、いちゃついてばっかりだし」
「「誰がいちゃついてるって!?」」
その場は笑いに包まれ、やがて各自テントへと戻っていった。
女性陣はサヤミのテントへ。イザウはユスフたちと同じテントで、ぎゅうぎゅう詰めになって眠ることに。
「ああ……やっぱり今夜も無理だ……こんなにぎゅうぎゅうじゃ眠れねぇよ……」
イザウはため息をつきながら体を起こし、そっとテントの外へ出た。
外に出た瞬間、彼の視界いっぱいに広がったのは――満天の星空だった。無数の星々が瞬き、その中には巨大な環を持つ惑星までもが浮かんでいる。その幻想的な光景に、思わず息を呑んだ。
「すげぇ……」
しばらく空を見上げていたイザウは、ふと谷の方へ目を向ける。そこには、無数のホタルが淡く光を放ちながら飛び交っていた。
「綺麗だな……本当に……ホタルの光がこんなに――」
その幻想的な景色に見惚れていた、その時だった。
どこからともなく、女性の泣き声が聞こえてきた。
最初はすぐ近くで聞こえたその声は、次第にゆっくりと遠ざかっていく。
「……これが、あの話の……」
イザウは一瞬、足を止めた。サヤミの言葉が頭をよぎる。
――“声を追った者は、誰一人戻ってこない”
「……本当は、こんな夜に面倒ごとは御免なんだけどな……」
それでも。
「……どんな姿してるのか、気になるに決まってるだろ」
好奇心が勝った。
イザウはその声を追い、谷へと足を踏み入れる。
岩に手をかけ、足場を探りながら慎重に降りていく。しかし下へ進むほど、濃い霧が視界を奪っていった。
「くそ……なんでこんなことしてるんだ俺……でも、ここまで来たら気になるだろ……!」
霧はさらに濃くなり、足場となる岩すら見えない。
「やばいな……もうほとんど見えねぇ……」
次の一歩を踏み出した瞬間――
ズルッ!
「うわっ!?」
足を滑らせ、そのまま闇の中へと落下する。
ドボンッ!!
谷底には川が流れていた。
「げほっ……!」
水面に叩きつけられたイザウは、そのまま激しい流れに飲み込まれる。必死に岸へ泳ごうとするが、水流は強く、思うように体が動かない。
「くっ……流れが強すぎる……!」
必死に手を伸ばし、ようやく川の中央にある大きな岩にしがみついた。
「はぁ……はぁ……」
なんとかよじ登ると、そのまま力尽きるように倒れ込む。
それは気絶ではなく――ただの疲労と眠気だった。
どれほど時間が経ったのか。
イザウはゆっくりと目を覚ます。
「……ここは……」
だが、周囲は相変わらず濃い霧に包まれている。光はほとんど届かず、昼なのか夜なのかすら分からない。
イザウは左手にヴァークの炎を灯した。
しかし、それでも川岸の先は見えない。
「見えねぇ……仕方ない……」
彼は火球をいくつか別方向へ放つ。
炎が闇を照らし、その中でようやく岸の位置を確認できた。
一本の枝に火球を当てて燃やし、即席のたいまつを作る。
イザウはそれを手に取り、川岸へと跳び移った。
「とりあえず……上流に向かうか」
彼は流れに逆らうように歩き出す。
「イノリアたちが探してくれてるなら……声が聞こえた時に火を上げればいい」
しばらく歩き続ける。
だが――
どこが落ちた場所なのか、まったく分からない。
崖は急で滑りやすく、しかも光がほとんどない。
「……登るのは無理だな……」
その時。
再び――あの泣き声が聞こえた。
「またかよ……この声のせいでこんな目にあってるのに……」
だが、ここまで来た以上――
「……むしろ、絶対に見つけてやる」
イザウは再び声を追い始める。
やがて、奥の見えない巨大な洞窟へと辿り着いた。
中へ足を踏み入れると、そこは迷路のように入り組んでいる。
「なんだこれ……」
戻る道も分からない。
ならば――進むしかない。
一方その頃。
朝を迎えたキャンプでは、イノリアが目を覚ましていた。
テントを出ると、すでにユスフたちが朝食の準備を始めている。
「おはよう、ユスフ」
「おはよう」
「イザウは? まだ寝てるの?」
「いや、テントにはいないな。てっきりお前といちゃついてるのかと」
「変なこと言わないで。そういう噂、信じないでよ」
そこへソラとサヤミも起きてきた。
「おはよう」
「おはよう、イノリア」
「ふふ、朝からイザウ探し? いちゃつく気満々じゃない」
「ソラ、朝からやめてってば!」
「で、イザウは?」
「見てない」
「怪しいわね……」
「たぶん食べすぎてトイレじゃない?」
全員で朝食を作り始めるが――
料理が完成しても、イザウは戻らない。
「……遅すぎる」
彼らは食事を一部残し、周囲の捜索を開始する。
「イザウー!!」
名前を呼びながら、あたりを探し回る。
一方、イザウは――
洞窟の奥を進み続けていた。
途中、無数の人骨が転がっている。
「……やっぱり、あの噂は本当だったか」
さらに奥へ。
霧はますます濃くなっていく。
そしてついに――
天井に穴が開き、光が差し込む空間へと出た。
「……出口か?」
そう思った、その時。
そこに現れたのは――
「……これが“泣く霊”?」
それは、異様な姿の怪物だった。
鶏のような体に、わずかな羽毛の翼。だが頭部はタコのようで、長い触手が首元から何本も伸びている。そして、その口からは女の泣き声が響いていた。
「なんだよこれ……気味悪すぎるだろ……」
イザウは構えながら笑う。
「まあ、倒せば晩飯にはなるかもな」
両手に青い炎を灯す。
戦闘開始。
火球を放つが、怪物は素早く回避する。
さらに口から霧を吐き出し、視界を奪う。
「また霧かよ……!」
イザウは炎を噴き出し、回転しながら周囲を焼き払う。
翼の羽毛が燃え、怪物の位置が露わになる。
「見えた!」
一気に接近し、背に飛び乗る。
「くらえ!」
火球を叩き込むが、触手に捕らえられる。
「くっ……!」
だが、目に火球を撃ち込み脱出。
その隙に――巨大な火球を上空に生成し、叩きつける。
ドォォン!!
爆炎の中、怪物は崩れ落ちた。
「……よし」
イザウは天井の穴を見上げ、炎を噴き上げる。
それは地上へ届き――周囲の木々に燃え移った。
――森林火災が発生した。
「イノリア! 南西で火事だ!」
「行くわ!」
二人は急行し、水のヴァークで炎を防ぎながら進む。
地面の穴から炎が噴き出している。
「イザウ!!」
「ここだー!!」
声が返る。
ロープで引き上げ――
地上へ。
「イザウ!!」
イノリアが抱きつく。
「心配したんだから……バカ!」
「く、苦しいって……!」
ゴンッ!
「空気読め!」
「いてぇ!」
ソラが呆れて笑う。
その後、事情を説明し、怪物の肉を振る舞うことに。
その夜は再び野営。
焼いた鶏とタコの肉で宴となった。
「なぁ、このモンスター名前なんだ?」
「知らない。初めて見た」
「俺たちもだ」
「もしかしたら、第七次元の魔物かもな」
「第七次元?」
「そこから現れる異形の存在たち……」
話は深夜まで続いた。
やがて全員が眠りにつく。
「イザウ、今夜はどっか行くなよ」
「はいはい……お姫様」
「誰が姫よ!!」
再び拳が飛び、夜は静けさへと戻っていった。




