第9章 暗き歴史
イザウたちは旅の疲れを癒やすため、公衆浴場に身を沈めていた。だが観光都市ライルということもあり、男女別の浴場はどこも人で溢れている。食事や買い出し、宿での休息を優先するため、彼らはやむを得ず混浴へと入ることにした。
皆が湯を楽しむ中、ただ一人――イノリアだけは不機嫌そうに眉をひそめていた。男と一緒に入ることがどうしても気に入らないらしい。
「イザウ、こっちを見たら承知しないからね」
「なんでそんなに警戒するんだよ。そもそも俺は君の裸を見る気なんてないし……昔は一緒に風呂入ってただろ?」
「へぇ〜、よく一緒に入ってたんだ?」
ソラが面白がるように口を挟む。
「イザウ……!」
次の瞬間、イノリアの拳がイザウの頭に落ちた。
「ご、ごめん! つい口が滑った!」
「ソラお姉ちゃん、あの二人って夫婦みたいに一緒にお風呂入ってたの?」
無邪気な瞳でルシが尋ねる。
「そうねぇ……将来は夫婦になるかもしれないし、その予行練習ってところかな?」
ソラはくすくす笑った。
「おいソラ、変なこと教えるなよ!」
「ごめんごめん。でも二人とも面白いんだもん」
「もうその話はやめて。ルシにはまだ早い話題でしょ」
「そもそも全部イザウのせいでしょ。適当なこと言うから腹が立つのよ」
「いや、もう謝ったし……さっき殴っただろ?」
「それで許すと思ってるの? 今までどれだけ迷惑かけてきたと思ってるのよ」
「だったら近づかなきゃいいのに。そんな近くに来るから見えちゃうんだろ」
「きゃあああ! 見るなこの変態!」
再び拳が飛ぶ。
「痛っ! だから見てないって!」
「はいはい、そこまで」
ソラが間に入り、二人を制する。
「続けたら本当に夫婦喧嘩みたいになるよ?」
「ソラ……からかわないで」
「ごめんって。でも見てて飽きないんだもん」
ソラは楽しそうに笑い、肩をすくめた。
「それより、せっかく空いてるんだからゆっくり楽しもうよ」
「そうだな……やっぱり温泉は最高だ。体が軽くなる。それに、さっきネックレスもいい値で売れたしな」
イザウは満足げに息を吐く。
「しばらくは金に困らない。下手すれば三年くらいはいけるぞ」
「さすがに盛りすぎでしょ。でも確かにかなりの額だったわね。都会なら豪邸も買えるかも」
「運が良かったよ。あの店、珍しい品ばかりだったし……遺跡から持ち出したのか、貴族から奪ったのか」
「どっちにしても品質は本物だったね」
「しかも伝説の武器の情報まで手に入ったしな」
イザウはふとルシを見る。
「そういえば前から気になってたんだけど……ルシってなんでインカ語が話せるんだ?」
「私も気になる」
「わたし、四つの言葉が話せるよ」
ルシは胸を張った。
「すごいな……子供で四言語か」
「おじいちゃんが言ってたの。流れ着いた人の中で多い三つの民族の言葉は覚えた方がいいって」
「なるほど……でもなんでインカ語も?」
「インカの人たちは商人ギルドに入ってて、すごい商人だからって」
「それ、聞いたことある」
ソラが頷く。
「インカ出身者は商才がずば抜けてて、短期間で大商人になったって話」
「へぇ……」
その時だった。
イノリアの体がふらりと揺れ、そのまま意識を失う。
「イノリア!?」
ソラが慌てて支える。
――しばらく後。
イノリアは更衣室の椅子の上で目を覚ました。
「……あれ? ここ……」
「のぼせたんだよ。肌も真っ赤」
ソラが風を送りながら言う。
「無理に動かないで――って、ちょっと!」
立ち上がった瞬間、タオルが外れた。
そして目の前にはイザウ。
「きゃあああああ!! なんでいるのよこの変態!」
「見てない! 本当に見てない!」
「嘘つき! バカ! 最低!」
拳の連打が炸裂する。
「痛いって! 助けたの俺なんだけど!?」
「え……?」
「倒れたから運んだんだよ!」
「私が頼んだの」
ソラが補足する。
「イザウしか運べなかったから」
沈黙。
「……ごめん」
「いや、気にすんな」
「あと……ありがとう」
「……どういたしまして」
「でも本当に見てないの?」
「見てない」
「……ちょっとくらい見てても許してあげるけど」
「見てないってば……」
イザウは深くため息をついた。
その後、彼らは宿へ戻る途中で明日のための物資を買い込んだ。
「なんで俺が全部持つんだよ……」
「だって男でしょ?」
「そうよ、ここで唯一の男なんだから頑張りなさい」
「はいはい……」
「何か言った?」
「何も言ってません!」
ソラはそんな二人を見て笑った。
「ほんと仲いいよね、夫婦みたい」
「やめろって」
やがて話題は伝説の武器へと移る。
「父の研究書によると、伝説の武器は六つ。でも実質は五つ」
「剣と盾が一対だからか?」
「そう。盾は人間、剣は魔族の象徴」
ソラは語り始める。
かつて人間と魔族は長き戦争を続けていた。
魔族の王トラクス (Torax) 。
人類側の英雄、フィカズ騎士(Fikazu Knight)。
「昔の戦争では、魔族は“ヴォイド”を力として使っていたの。一方で人間は、ただ武器だけで戦っていた」
ソラは静かに語り始める。
「でも“ヴァーク”の力を手に入れてから状況は一変した。人間は魔族のヴォイドに対抗できるようになったの。――それどころか、ヴァークの力は魔族の本来の力を上回るほどだった」
「そんなに差があったのか……」
イザウが驚いたように呟く。
「ええ。その結果、劣勢に立たされた魔族側は和平を申し出た。魔族の王トラクスが提案して、人間側の指導者であるフィカズ騎士がそれを受け入れたの」
「和平の証が、あの伝説の武器ってわけか?」
「そう。ヴァークとヴォイドを組み合わせて作られた六つの武器よ。さっき言った剣と盾は一対で一つの存在。盾はヴァークの比率が高くて人間の象徴、剣はヴォイドの比率が高くて魔族の象徴」
ソラは指折り数えながら続ける。
「人間側の武器は他にも弓と短剣があるわ。短剣は伝説の武器の一つで、ヴァルヘイル騎士も使っていたとされている」
「魔族側は?」
イノリアが問いかける。
「魔族側は一対の拳具と、一対の斧ね」
「へぇ……じゃあ昔はちゃんと共存してたんだな」
イザウが感心したように言う。
「ええ、かなり長い間ね。人間と魔族が結婚して、半分ずつの血を引く子供が生まれた、なんて話も残ってる」
「それなのに、どうして今は敵同士なんだ?」
「……約束が破られたの」
ソラの声が少し低くなる。
「トラクスがヴァークの石を奪い、その力を魔族に分け与えた。それだけじゃない、自ら石の力をすべて吸収して……最後には石そのものを壊してしまったの」
「なるほどな……それで戦争が再開したってわけか」
「ええ」
イノリアが腕を組む。
「じゃあ、半分魔族の人たちはどうなったの?」
「今も存在はしているわ。でも数は少ないし……人間にも魔族にも受け入れられなかった」
ソラは少し寂しそうに目を伏せる。
「だから彼らはどこかへ姿を消した。どこにいるのかは、誰も知らない」
静かな空気が、その場に落ちた。
「ヴァルヘイル騎士(Valhair Knight)が現れた」
ソラは静かに続ける。
「ヴァルヘイル騎士はフィカズ騎士の第二十七代の子孫」
「そんなに時が経ってるのか……」
「ええ。そして彼は戦った」
ザトラクスとアトロクスを相手に。
「トーリーの街(Tory City)で、ザトラクスを封印し……さらにアトロクスも封じた」
「その二つが鍵になって、トラクスを再び封印したってわけか」
「そういうこと」
ソラは小さく息を吐く。
「でも完全に終わったわけじゃない。封印はまだ続いてる」
静寂が落ちる。
「……すげぇな、そのヴァルヘイル騎士」
「本当にね」
イノリアも頷く。
「自分を犠牲にして、世界を守ったんだから」
「よし」
イザウは笑った。
「明日はホトヤの街だ。伝説の武器、絶対見つけるぞ!」
「どれが一番強いか楽しみね」
「全部強いに決まってるでしょ」
イノリアが呆れたように言う。
それでも――
彼らの旅は、確実に次の段階へと進んでいた。




