傾国の鉄宰 第五十八話 【幕間:オーク討伐】〜ロストジェネレーション
オークの巨体が地面を揺らして倒れ伏し、黒虫が蠢くように揺れると一瞬にして消え失せる。あとに残ったのは黄褐色の魔石と冒険者たちの荒い息づかいだけだった。
オーケンは気さくな笑みを浮かべて見せたが、隊長をはじめとする冒険者たちは一歩を踏み出せずにいた。
彼らは一定以上の経験を積んだ冒険者だ。今回、生命を拾うことが出来たことは紛れもなく奇跡であった。
今、生きていられることへの安堵と感謝は、その立役者である目の前の青年に伝えるべきことだと充分に理解をしている。
だがそれが出来ずにいるのも、彼らが一定以上の経験を積んだ冒険者がゆえだった。
青年は英雄的な力を持つ剣士ではなかった。だが、この戦場を支配したのは間違いなく目の前の青年だ。「底知れない、正体不明なモノ」から距離を取ろうとするのは、日々命の遣り取りの中に身を置く冒険者としては当然のことだった。
(……あれ? なんだか、ものすごく警戒されてる気がする。やっぱり目立ちすぎたか?)
オーケンが内心で冷や汗をかき、微妙な空気がその場を支配しかけた――その時。
「ああぁ! なんということだ! まさに神の導き、いや、奇跡の采配だ!!」
その微妙な空気を完全にぶち破ったのは、馬車の荷台の隅から転がるように飛び出してきた行商人だった。彼は土気色だった顔を一変させ、歓喜に目を輝かせてオーケンの両手をがっちりと握りしめた。
「ありがとうございました。私は西の大陸の西部を中心に商いをさせて頂いております、モリス・ケンプラーと申します。あなたがいなければ、私は今頃あの豚どもの胃袋に収まるところでした! ああ、なんという見事な剣捌き! あのオークエリートを一撃で仕留めたと聞きました。そちらは見逃してしまいましたが、オークの群を翻弄するあの足捌きは拝見させて頂きました。 あなたはもしや、レイティア騎士団の関係者ですかな? あるいは英雄の系譜に名を連ねるお方ですか?」
「え、あ、いや……ただの、通りすがりの名もない旅の者、ですけど……」
至近距離で熱烈な賛辞を捲し立てられ、オーケンは完全に圧倒されてたじたじになった。一歩、また一歩と後退りするが、行商人の勢いは止まらない。
「通りすがり? 名もない?! そんなバカな! これほどのお方が無名なはずがない! お名前は? 所属するギルドは? 報酬はいくら望まれますか!? 命の恩人だ、出来る限りのお礼を――」
「うへぇ……あの、本当に、たまたま上手くいっただけなので、そんなに詰め寄られると困るというか……その……」
眉をハの字に曲げ、本気で困り果てたように視線を泳がせるオーケン。
その姿には、先ほど戦場を支配していた『恐るべき戦上手』の面影は微塵もなかった。ただの純朴で、どこか幼さの残る少年の反応そのものである。戦場での落ち着いた雰囲気で青年と判断したが、今の遣り取りを見れば、まだ少年に近い若者のようだ。
それを見ていた隊長が、張り詰めていた肩の力をふっと抜き、たまらず吹き出した。
「ぶっ……ははは! おいおい旦那、そこまでにしてやりなって。その兄ちゃん、本気で困ってるぜ」
「そういう隊長もですよ。様子見はその辺にして、ちゃんと感謝を口にするべきでしょうが。改めて加勢ありがとう。俺はサム。この強面なのがリーダーのウルバス。警護隊の隊長でもあるんだけど、君は……?」
「名乗るのが遅れてすみません。オーケンと言います。レイティア王国の王都ユリスから南への旅に出たばかりです」
「そうなんだ……って、おい、君。もしかして、思ったより歳、若くないか?」
サムと名乗る古参の冒険者が尋ねると、オーケンは苦笑しながら頭を掻いた。
「あ、はい。なぜか、いつも歳上に見られるんですよね。……今年で十五歳になります」
「「「十五ぉぉぉ!?!?」」」
戦場に冒険者たちの驚愕の声が響き渡る。
「嘘だろ!?」
「俺の半分以下かよ!」
「どんな人生送ったら十五でエリートを瞬殺できるんだ!?」
「落ち着き過ぎだろ」
「えっ? いやぁ~、あのぉ〜、そんなに老けて見えますか?」
口々にツッコミが飛び交い、オーケンはタジタジだ。先ほどまでのピリついた空気は綺麗さっぱり霧散してしまった。
◇西の大陸〜中西部の丘陵地帯入口〜◇
「なるほど、皆さんはレイティア王国内を巡って、最終目的地の王都ユリスに向かう途中だったんですね、良かった。俺はレイティア王国から南下してきたのですが、この三日間、誰とも会うことがなかったので正直、道を間違えたのではないかと不安に思っていたところです」
お互いに自己紹介を済ませ、少し打ち解けたところで、オーケンは彼らの事情を訊ねていた。
ウルバス隊長は神妙な面持ちで頷き、ことの背景を語り始める。
「オーケンが商隊や冒険者たちに出会わなかったのは、おそらくこの辺りで続発している変事が原因だろうな。俺たちが拠点にしている街のギルドでも噂になっているんだがな。最近、この中西部丘陵地帯とレイティア平原を繋ぐ複数の街道で商隊が全滅する事件が頻発しているらしいんだ。護衛の冒険者ごと、跡形もなく、な」
「全滅、ですか……」
「ああ。噂の話の類だからな、全てが全て本当とは限らない、眉唾の話もあるが、ある程度の数の商隊が全滅したのは間違いないだろうな。おかげで出発を延期して様子を見る商隊が多発して、隣国と王都の流通が滞り始めているらしい」
ウルバスの声に耳を傾けていると、目の前に木製のカップが差し出される。中には水が満たされており、オーケンは礼を言って受け取った。カップを差し出した古参の冒険者サムが話を続ける。
「事態を重く見た周辺諸国は連合騎士団による大規模な索敵と掃討を計画しているみたいだけど、関係国が増えれば増えるほど話は難航するもんだからね。結局皆が身動きが取れずにいるんだろうが、うちの旦那は違った」
サムとウルバスが視線を送ると、行商人は胸を張って言った。
「取引先や、レイティア王国で特に小さな村々で暮らす人々の生活がかかっていますからね! 物資が届かなければ干からびる人間が出る。だから私は、通常の三倍の規模の商隊を無理を押して編成し、ウルバスさんに腕利きの護衛を集めて貰って、一気に駆け抜けようとしたのですが……まぁ、結果は見ての通りです。あと二ヶ月も待てばレイティア王国からも『巡回騎士団』が到着する予定らしいので、安全を担保するならば騎士団とともに動くのが上策だったのでしょうが……。商機と人命は待ってくれませんから」
「なるほど……。でも、今回の襲撃で足止めを食らってしまいましたね。ユリスまでの行商は中止になってしまうのですか?」
オーケンの言葉に、隊長が周囲の状況を見回しながら提案する。
「ああ。この大群の襲撃で、予定は半日遅れたな。それに、街道沿いに『オークエリート』が率いる五十頭の群れが出現したなんてのは、極めて稀な異常事態だ。このまま王都へ進むのは危険すぎる。一旦、南の村に引き返して、ギルドと王国にこの状況を報告するべきだと俺は思うんだが。旦那はどうです?」
「ううむ……皆さんには精神的にかなりの負担をかけてしまいましたし……命あっての物種ですからね。分かりました、一度引き返しましょう!」
行商人が同意すると、オーケンはパッと表情を明るくした。
「それなら、僕も同行させてください。元々、僕の目的地もその南の村なんです」
「おお、それは心強い! ぜひ一緒に行きましょう!」
馬車を反転させる準備が進む中、オーケンは散乱する荷物や傷ついた馬車を見て、行商人に声をかけた。
「それにしても、これだけ足止めを食らって引き返すとなると……大損害でしたね」
「ふふふ、オーケンさん。行商人を甘く見てもらっては困りますね」
行商人は、不敵、かつ商魂たくましい微笑みを浮かべて見せた。
「確かに矢の消費や馬車の損傷、食糧、水の消費、加えてスケジュールの遅延での人件費の増加……正直かなりの痛手ですがね。これだけの数の群れを討伐したのです。魔石はもちろん、かなりのドロップ品があります。オーク肉なんかはどの街でも、いい値段で買い取ってくれますよ。そして何より――これを見てください」
行商人が掲げたのは、先ほどオークエリートを討伐した後に残されていた、青く澄んだ液体が入った小瓶だった。
「これはオークエリートが極稀に落とすレアアイテム、『制御水』です! 魔力のコントロールを劇的に向上させる最高級の錬金素材ですよ。……どうです、オーケンさん。これを私に買い取らせていただけませんか? もちろん、命の恩人ですから相場以上の高値をお約束します!」
「えっ? ああ、僕は別に構いませんよ。使い道もよく分からないですし。たまたま僕が倒しただけで、お金もいらないぐらいですから」
すると最初に話し掛けてきた時から今まで、ずっと笑顔を崩さなかった行商人が厳しい顔になる。
「オーケンさん。これからも旅を続けるなら覚えておいて下さい。『モノの遣り取り』や『労働力の提供』、特に今回のような『生命の遣り取り』には必ず代価の遣り取りを行うこと。自分が支払う時は勿論、相手から代価を受け取ることも忘れてはいけません。支払いの踏み倒しも、受け取りの踏み倒しも等しく自分と相手を貶めることになります」
「!?……すみませんでした。……長、いえ育ての親にも、そう言われていました」
「それは素晴らしい方に育てられましたね。だから私たちは生き延びられたのでしょうね。いやぁ、生命の恩人に偉そうにして申し訳ありません」
「ありがとうございます。そういうことなら、モリスさん。買取りを宜しくお願いします」
オーケンが快諾すると、行商人は我が意を得たりとばかりに満面の笑みを浮かべた。
「交渉成立です! いいですか、今回の商隊の損害なんて、この『制御水』一つでお釣りが来るくらいに帳消しにして見せますよ! これくらいのピンチをチャンスに変えられなければ、行商人としてはやっていけませんからね!」
その逞しいセリフに、オーケンは「なるほどなぁ」と深く納得させられた。外の世界の人間は、思った以上にタフで、そして現金なようだ。
すると、行商人は今度は冒険者たちに向かって大声を張り上げた。
「皆さん! 今回はオークエリートからのドロップ品をオーケンさんのご厚意で購入することが出来ました。……ということで行商中の魔物の討伐利益は、折半との契約でしたが、今回に限り私は、その権利を放棄します。オーク肉のドロップ品は一つ残らず回収して下さい! 南の村に戻ったら、半分は現金化して皆さんにお渡しします。残ったオーク肉のドロップ品は全て今夜の晩飯に回します。今日は私の奢りです! 盛大に飲み明かしましょう!!」
「「「うおおおおお!!! 旦那、太っ腹!!!」」」
現金なのは冒険者たちも同じだったようで、戦場は一転して、お祭り騒ぎのような活気に包まれた。
――レイティア王国の外に出た人間は皆、信用してはならない。残酷で、利己的な奴らばかりだ――。
大森林を出るとき、村の長たちから耳にタコができるほど聞かされていた言葉。
しかし、オーケンは彼らの笑顔を見ながら、改めて思った。
(そうでもない人だって、ちゃんといるじゃないか……)
それと同時に、オーケンの胸に、ちくりとした小さな罪悪感が芽生える。
実はオーケンは、最初から彼らを助けるつもりではなかった。オークエリートの後ろの草むらに潜み、「この冒険者たちが、信用するに値する人間かどうか」をじっと見極めていたのだ。
もし、彼らが行商人を真っ先に見捨てて逃げ出すような冷酷な連中なら、助けずに見捨てるつもりだった。だが彼らは、一番若い弓士と行商人を無理にでも逃がそうと、自分たちが全滅する覚悟で戦列を維持した。
(みんなが必死に命を懸けているのを、品定めするみたいに見ていたなんて……。あんなに真っ直ぐな人たちを疑っていた自分が、少し恥ずかしいな……)
「気にするな……」
「えっ!」
内心を見透かされたような発言にオーケンは肝が冷えた。声を掛けて来たのは冒険者たちの隊長、ウルバスだった。
「命を張るんだ。それもお節介でな。助ける相手がどんなやつかなんて、調べて当然だ」
「と言うか、見捨てても誰も文句は言わないし、街やギルドに報告して貰えれば、上出来だろうな」
周りの冒険者にドロップ品の取り扱いの指示を出しながら通り掛かったサムが口を挟んだ。
「そういう事だ。それよりも、モリスの旦那の気づかいには気付いているのか?」
「えっ?」
何を言われているのかが分からず、面食らうオーケン。
「ハァ、戦い方や戦場の統制は俺たちが束になっても敵わんほどのバケモノだが、他は本当に十五歳の世間知らずの坊やなんだな、表情も読みやすいし」
「すみません」
素直に謝る青年――少年に呆れながらも、ウルバスもサムも、ホッとしていた。
(反応は年相応か。いや、俺の十五歳の時とは雲泥の差だな。謙虚で素直、その上才能豊か……羨ましい限りだな、この野郎め)
大森林で才能豊かな友人に囲まれ、劣等感は抱かないまでも、自分の才能の無さを痛感したオーケン本人が聞いたら驚くような評価が積み上がって行く。
「まぁいい。魔物が落としたアイテムや魔石は討伐した人間が権利を持っている。
だが今回は違う。護衛の契約をする前に取り決めるんだが、基本的には雇い主と冒険者で総収入を折半するのもんなんだ。
もちろんお前は俺たちとも、モリスの旦那とも契約していない。だからお前が討伐したものは全てお前のものなんだが……オークエリートがドロップした『制御水』はかなり高価に取引される。
モリスの旦那が今回宣言したことには二つの意味がある。
一つは欲に目のくらんだ奴が下手な真似をしないように、『制御水』の所有権を明確にすること。
もう一つは取り引きを公にすることで暴利を得ないと宣言すること。まぁこのメンバーでは不要だと思うがな。まあ要するに、自分はお前に誠実に対処するという意思表明だな」
「へぇ……。商人さんって、いろいろ考えてるんですね」
ウルバスの解説を聞き、オーケンは感心したようにモリスの背中を見つめた。外の世界の「代価のやり取り」の複雑さと、そこに込められた誠実さに、また一つ学ばされる思いだった。
ドロップ品の回収を終え、一行は和気あいあいとした雰囲気のまま、南の村へと向かって街道を引き返し始めた。
行商人はホクホク顔で帳簿をめくり、冒険者たちは今夜の酒の銘柄について談笑している。オーケンもまた、その輪の中で年相応の笑みを浮かべていた。
▲△▲△▲△▲△▲△▲△▲△▲△▲△▲
◇西の大陸〜中西部の丘陵地帯〜入口〜◇
賑やかしく商隊が去り、再び静寂に包まれた戦場跡。
死体は全て消え去り、切り裂かれた草地、飛び散ったオークの黒い血痕だけが、つい先ほどまでの死闘を物語っていた。
ガサガサと草原に風音とは違う不自然な音がした。街道脇の低木に止まる数羽の渡り鳥が一斉に飛び立った。その羽ばたきは、何か恐ろしいものから狂ったように逃げ出すかのようだった。
戦場跡のはるか北西方、地平線の彼方から、人間の耳には届かない微かな地鳴りが響いている。
それは平原の生態系のバランスが内側で崩壊し、押し出された無数の魔物たちが南下を始めている証拠だ。
その時が近づいていた。




