傾国の鉄宰 第五十七話 【幕間:オークリーダー】〜ロストジェネレーション
◇レイティア平原〜三日目〜◇
オーケンは南へ向かうの街道を、相変わらずのんびりとした足取りで歩いていた。
「レイティア王国って、本当に辺境にあるんだな。ようやく平原に終わりが見えてきたか」
レイティア平原の見渡す限りの青空と、どこまでも続く平坦な道がようやく変化を始めた。まばらではあるが低木が生え、街道にも高低差が生まれた。レイティア平原から中西部の丘陵地帯に地形が変わりつつあるのだろう。森の中とは違う、視界の開けた世界に昨日は純粋な感動を覚えていたが、さすがに三日目ともなると些か飽きていたオーケンには、このわずかな変化がありがたかった。
「街道には轍があるんだから、 馬車が往来してるのは間違いないんだが。いい加減、誰かに出会ってもいい頃だろう」
誰に聞かせるでもなく、愚痴を口にするオーケン。その時――前方の坂の向こうから、風に乗って微かな音が聞こえた。立ち止まり耳を澄ますと地鳴りや怒声に紛れて金属音が聞こえてくる。
「……ん? これはまだ距離があるな」
そう判断したオーケンは坂を慎重に越えて、その先に目を凝らした。すると百四十〜百五十メルトほど先で、大きな幌馬車一台、と小型馬車二台が連なるように停まり、その周りを人影が防御陣を組んでいるのが目に入った。それを取り囲むのは、筋骨隆々ながらも腹部が突き出た巨体に醜悪な豚の顔を持つ魔物――『オーク』の群だ。その数、およそ五十。対する人間は十名程度が目視できる。
(馬車の護衛は通常一台につき冒険者なら五人ぐらいだって聞いたな。大きめな馬車もあるし、辺境に向かう馬車が三台、戦力は十五人はいるだろうな)
遠目から見る限り、防御陣も包囲陣も既に組み終わっているようだ。緊迫した空気が漂っているが、戦闘が始まってまだ間もないのか、互いに大きな損傷はなさそうだった。
「あの陣形からすると馬車ごとに弓士や魔法使いがいるようだな。背後や側面を取らせず、遠隔攻撃で敵を仕留める。長の言っていた『定石』ってやつだな。だけど…」
数的には人間側が圧倒的劣勢なのは明らかだ。しかし、馬車を盾にした即席の防壁と遠距離攻撃の火力のバランスを考えれば、魔法が使えず、ただ突撃してくるだけの通常のオーク相手なら、人間たちが有利に展開を進められる、当に『定石』のはずだった。
だが、そこには大きな問題が一つあった。オークがここまでの数で行動すること自体珍しいが、それ以上に、群れの中央に一際大きな『オークリーダー』らしき個体が存在することだ。
オークリーダー自身の戦闘力はオークを圧倒するものの、ゲームチェンジャーに成りうるほどの存在ではない。だがオークリーダーの中には、稀にオークの群れ全体を補強する個体が現れる。
その個体は『オークエリート』呼ばれ、その存在が、ただ群れて力押しすることしかなかった烏合の衆を統率し、明確な意志を持った「軍勢」へと進化させる。
悪い予想は的中したようだ。統率された動きを見せるオークたちは、不用意に馬車に近づくことはなかった。どれ位の時間が経過しているのかはオーケンには分からなかったが、じわじわと人間側が削られているのは間違いなかった。
◇レイティア王国王都ユリス行きの商隊◇
「クソッ! 完全に包囲陣を敷かれた! なんでこんな街道の近くにオークの群が、しかも『オークエリート』がいやがるんだ!」
オークの群れを睨みつけながら、男が呟く。
「このままじゃ……長くは保たねぇ! 隊長、いずれ限界がきます!」
隣の男が声を張り上げる。三台の馬車すべてをカバーするために、仲間同士の距離が開いてしまっていた。皆に指示を聞かせるには必然的に声を張り上げなければならず、その声が一層の危機感を周囲に抱かせる。
馬車を守るように剣を構えているのは、そこそこ腕の立つ中堅の冒険者たちだった。一見、無傷に見える彼らの防御陣だったが実情は大きく異なった。
会敵してから二時間。当初は防御陣を敷いて、打ち寄せるオークどもを押し留めて、矢と魔法で討ち取る算段をしていたのだが、五十頭ほどの群でありながら、こちらを攻めあぐねている様な動きをしてきた。
その状況に違和感を覚えながらも各個対処に徹すること数十分。討伐出来たオークはわずかに二匹。相対するオークの後ろに一体の巨漢、オークリーダーらしき個体がいるのは確認していた。だが、完璧に統率されたオークの群の状況をみるに、あの巨漢は『オークエリート』とみて間違いはないだろう。そうなれば、あれは攻めあぐねていた訳ではなく、包囲網を整えていたのだ。その上で……。
「包囲して突撃ではなく、持久戦を仕掛けてくるとはな、油断したか?いやこんな街道沿にオークが五十頭もいることも。ましてやオークリーダー以上の『エリート』がそれを率いていることも異常事態だ。何かの変調か知れん……何とかして街に戻ってギルドに知らせないとな……」
冒険者たちは、オークリーダーの真意に気付いたものの、打開策がなく膠着状態が続いている。
終わりの見えない持久戦による緊張感で、皆の体力と精神はかなり消耗していた。特に雇い主である行商人の顔色は土気色で、絶望に顔を歪めている。それでも修羅場には慣れているのだろう。皆の邪魔にならないよう馬車の荷台の隅にうずくまり、悲鳴が漏れ出ないように手拭いを噛み締めて祈りを捧げていた。
(――いっそ、戦力にならない行商人と馬車や馬をまとめて見捨てて、仲間と三々五々で逃亡するか?馬と人一人置いていけばオークの数も一定数は削れるはずだ)
脳裏をよぎった悪魔の囁きを、隊長と呼ばれた男は振り払うように首を三度振る。
この行商人は太客ではなかったが、無理を言わず、礼儀正しく、気さくな上客だった。男は何度となく行商人の依頼を受けた。合間に酒も呑んだし、色街に繰り出したことさえあった。
(行商人を見捨てるなんて土台無理な話だ。見捨てて生き残れたとしても、俺たちの冒険者としてのキャリアも矜持も地に落ちる。よくて盛り場の用心棒、その後は盗賊、山賊なんでもござれだ。そんな生き方は真っ平御免だ。だったら)
「雇い主を逃がすぞ。オークを刺激しないように馬車の馬を外して連れてこい」
「馬は二頭います。護衛に弓士の坊主を付けますか?」
先ほど「長くは保たない」と声を張り上げた古参の仲間が声を掛けてきた。周りの仲間は一様に頷き、同意を示している。
パーティーが全滅の危機に瀕したら、歳が若い順に逃そうと、仲間内で話し合ったことがある。今がまさにその時なのだろう。順にと話していたのに、逃がせそうなのは依頼主と合わせて二人だけとは、何とも締まらない話だった。
自分たちだけが 逃げることはできないと言い募る行商人と弓士の青年を「足手まといだ」と怒鳴り付け、何とか逃亡の準備をさせる。
「隊長、準備ができました」
「そうか……」
二人を逃がすために全員で四方へ突撃を行う。誰もが「全滅」の二文字を覚悟する中、それは突然起こった。
オークエリートが佇む街道の脇の草むらから突然、大剣を持った青年が飛び出てきたのだ。
「何が起こった?!おい、バカ! 何をしてやがる、逃げろ!!」
隊長を含む数人の冒険者たちが、その青年に気づいて必死に怒声を張り上げる。
だが、青年は「おや」とばかりに首を傾げただけで、素早くオークリーダーの元に駆け寄る。
奇しくも冒険者たちが怒声を上げたことでオークたちの注意を引きつけており、オークリーダーの不意を突くことが出来た。
――ズンッ!――
大剣の重量を感じさせない鋭い刺突がオーケンによって放たれる。傍目から見れば軽やかに見える突きだが、質量と脚力が乗った刀身は滑るように魔物の脇腹から斜め上へと吸い込まれていく。
「ウゴッ……フッフゥ……」
――キンッ!――
オークのうめき声の中、脂肪を蓄えた血肉の奥で核で、ある魔石が砕けるくぐもった甲高い音が鳴る。
「よしっ!」
その途端、オークエリートの身体が無数の黒虫の影の集まりのように蠢き、消えていく。
「たぶんオークエリートだよな?大森林北東の海岸近くにいるオークに比べたら、ちょっとサイズが小さいかな?別の種類なのだろうか?」
場違いにも、そんな呑気なことを考えるオーケンに、リーダーを失ったオークたちが一斉に反応した。
リーダーを討ち取った侵入者を肉塊に変えるべく、まずはオークリーダーの前衛を務めていた五体が、凄まじい咆哮を上げながらオーケンめがけて突撃してくる。大地を揺らすその突進は、並の冒険者なら見ただけで足が竦む威容だった。
「危ないっ……避けろ!」
冒険者たちの指示に従うかの如く、青年は身体を捻り、五体の最左翼を駆け抜ける。置き土産とばかりに振り向きざまの刺突でオークの膝裏を穿つ。
(この数じゃあ。対処を間違えると死もあり得るな)
内心で冷や汗を流しながらも、オーケンは咆哮を上げて我先にと襲い掛かるオークたちを卓越した足捌きで翻弄する。ひしめく肉壁と化した魔物たちが互いで互いの動きを制限する中、青年はひらりと身体を捻りながらオークの足や腕を次々と斬りつけていく。致命傷を負うような個体はいなかったが、動きを鈍らせ、戦況を自分のコントロール下に置く徹底して合理的な戦い方だった。
「さすがに一人じゃ荷が勝ちすぎるからな」
そう呟くと、即座に馬車の周りを縦横無尽に動き回り、敵を誘導しはじめる青年。それを見つめていた隊長が我に帰って指示を出す。
「ハッ――おい何をボーッと見てやがる。包囲が乱れたんだ、攻撃しろ!」
すると冒険者たちは一気に活気付いた。
各所で連携の確認をする声があがる。
「あいつに気を取られているオークの背中に矢を放て!。詰まって動けない豚には魔法を叩き込め。残りは左右からあいつのいる前方に押し込むぞ」
「「「おう!」」
――ドゴォン!
馬車にかかった幌の中から火球魔法が飛び出し、青年に気を取られ、冒険者たちに背を向けていたオークに直撃する。
「よし、いけるぞ! 背中を向けたオークを狙え、弓矢は首か膝裏を狙え!こちらに向かってくるオークは数が知れている。三人一組で一頭の相手をしろ」
隊長が叫ぶ。戦場の動きを見て指示を出す彼の脳裏に、ある奇妙な違和感が芽生え始めていた。
「おっと、危ない……っ!」
戦場の中心で、オーケンはわずかに息を弾ませながらも大剣を振るっていた。エリートを失ったとはいえ、オークは頑強で狂暴な魔物である。一対一での戦闘なら容易く圧倒できるが、三頭、四頭と同時に肉迫され、錆びた斧や棍棒を四方から振り下ろされると、さすがのオーケンとて無傷では済まない。一撃でもまともに食らえば命に関わるという肌から感じる恐怖が、彼の集中力を極限まで高めていた。
(まともに囲まれたら怪我じゃ済まない、慎重にいこう。でも、あの馬車の冒険者たち、思ったより実力がありそうだな。連携は取れているし士気も高い。これなら、覚悟を決めて飛び込んだ甲斐があった。俺が囮になって冒険者たちを攻撃に組み込めれば、何とか討伐が出来そうだ。オークを倒し過ぎると目立ちすぎるからな。俺が囮になって、皆が攻撃を仕掛けやすい位置に敵を引っ張るとしよう)
オーケンは瞬時に戦況を判断し、卓越した剣技と軽やかなフットワークでひらりひらりと戦場を動き回る。迫り来るオークの斧を大剣の腹で受け流し、その勢いを利用して別のオークの足元へ体勢を崩れさせる。さらに、絶妙なタイミングで手持ちの「生活魔法」を組み合わせた。
指先から風の生活魔法『微風』を放ち、グローブの中に忍ばせた砂をオークの顔面に吹き付ける。視界を奪われたオークがたたらを踏んだ瞬間、今度は土の生活魔法《小さな窪み》で足元の土をわずかに陥没させた。
「ブッ、ブギャッ!?」
体勢を崩し、行き場をなくして密集したオークの群れの中央が、ちょうど馬車から放たれる魔法の射線上に綺麗に重なる。
「な……?」
隊長は思わず目を見張った。その瞬間、仲間の魔法使いが放つ火球魔法が再び放たれる。火球は狙い違わず、密集したオークの中心に着弾する。
――ドゴォン!――
火球の一撃が数頭の魔物の命を奪う。
「おお!」
「よっしゃあ! 火球一撃でオーク数頭とは、すげぇ戦果だぜ!」
周りで仲間たちが沸き立つ中、隊長と呼ばれる男の思考は冷めていく。
偶然ではない。あの体つきも見た目もごく普通の青年は、ただ逃げ回っているように見えて、実際にはオークたちの巨体を考慮した上で驚くほど正確にコントロールしている。彼が左へ跳べば、オークの背中がこちらの魔術師に無防備に晒される。彼が後退すれば、今度は左右の冒険者が挟撃しやすい位置へ、オークたちが吸い込まれるように追い込まれていくのだ。
(まるで……俺たちの配置や攻撃のタイミングをすべて把握した上で、一番効率よく間引ける『的』になるよう……オークどもを先導しているのか……!?)
そこそこベテランである自分たちが力押しで主導権を握って戦っているのではない。あの青年は卓越した戦上手ぶりで、自分たちがオークの殲滅しやすいように戦列を組み合わせていく。自分たちは魔物を討ち取るための「都合のいい駒」として動かされているのではないか。そんな鳥肌が立つような違和感が、隊長の背中を駆け抜けた。
しかし、戦場に躊躇している暇はない。
たとえそうだとしても戦い続けなければならない。死の危険が目の前にあるのだから。
「攻撃の手を緩めるな! 左右から一気に詰めろ!」
隊長は違和感を振り払い、青年の動線に合わせて味方を突撃させる。
オーケンは魔物の攻撃をかわしながら、自身の息の上がり具合と現状を分析しながら戦闘の終わらせ方を考えていた。
じわじわと頭数が減っているとはいえ、まだ十数頭のオークが彼を殺そうと群がっている。右から迫る棍棒を紙一重でかわし、大剣の鋭い斬撃でオークの首筋を正確に一閃した。鮮血が舞い、さらに一頭が崩れ落ちる。
多少息が上がった程度だ、まだいける。剣技には自信があった。全力で切り結べばオークの数十頭程度、切伏せることが出来るかも知れない。だが、そんな賭けにオーケンは出ない。賭けに負ければ失われるのは、自分の生命だ。華々しい戦果など必要ない、大切なのは生き残ることだ。オーケンは若い者特有の根拠の無い全能感や自己顕示欲には縁遠く、ある意味老成していた。だが見ず知らずの者たちを助けるために、危険の中に飛び込む向こう見ずで、お人好しなところは年相応にあるのだ。
剣技だけではオークを圧倒出来るか不透明なオーケンにとって、攻撃魔法を持たないことは明らかな火力不足であった。
『守り人』の中では上位の実力があるとは自負しているが、エルフ族、それも大森林最奥に住む者たちには自分の人生を全て捧げても伍することはないだろう。
それでもオーケンは腐ることなく、自身を磨き続けた。そして行き着いた先が、全属性の生活魔法を「補助」として使うことだった。天才魔法使いである友人や『精霊の加護持ち』の友人、様々な異才の持ち主の指導を受けて、血の滲むような努力の末に魔力制御を修めることができた。
だが威力や精度が向上するとはいえ、所詮は生活魔法だ。敵や魔物を倒すべくもない。
しかしそれを剣技と組み合わせることで、敵の動きを抑えたり、魔物の攻撃による怪我を防いだり、ダメージを最小限に抑えることが出来るようになった。友人たちのような華々しい戦果はなく、泥臭い、しかし洗練された戦い方だった。
やがて、オーケンが誘導し、冒険者たちが削りに削ったオークの群れは、ついに残りわずかとなった。
「これで終わりだ、豚ども!」
気勢を上げた隊長率いる前衛の冒険者たちが、青年と挟撃する形で残りのオークに襲いかかる。側面からの弓矢と魔法の追撃も完璧に決まり、最後の重厚な肉体がドスンと地響きを立てて街道に転がった。
戦場に、にわかには信じがたい静寂が戻る。
五十頭という絶望的なオークの群れが、一人の青年の乱入と、そこからの完璧なコントロールによって完全に殲滅されたのだった。
「ふぅ……っ。いやぁ、死ぬかと思いました……! 皆さんが絶妙なタイミングで合わせてくれなかったら、今頃囲まれて肉塊にされてましたよ。本当に助かりました!」
オーケンは大剣を鞘に納め、額に薄っすら滲んだ汗を拭いながら、肩をすくめて心底ホッとしたように気さくな笑みを浮かべた。その姿は、どこからどう見ても、必死に修羅場をくぐり抜けて安堵している「腕のいい、普通の青年」そのものだった。
(大剣の血糊は直ぐに拭き上げたいけど、「お前の生活魔法は極力他人に見せるな!」と長や友達から厳命が下されているからな)
生活魔法を戦闘に使うくらいで大袈裟だとオーケンは思うが、真っ直ぐな性格なため、生真面目忠告には従っていた。
オークとの戦闘中も、生活魔法の使用は周りの人間に気付かれない威力や位置、属性に限定していた。
それが、オークを都合よく風下の窪みに追い込んだり、風向きを計算して立ち回っているように映り、一層『恐るべき戦上手の青年』に見せていたことに、オーケンは全く気が付いていなかった。
笑顔で冒険者たちに向き合う青年。
だが、隊長をはじめとする冒険者たちは、勝利の歓声を上げることもできず、ただ息を呑んで青年を見つめていた。彼らの胸にあるのは、命を救われた感謝と――それ以上に、あの底知れない戦上手な青年に、自分たち全員が手の平の上で転がされていたのではないかという、深い戦慄と拭いきれない違和感だった。




