第五十二話【隠れ里】
「これは……」
世の終末を予感させるほどに激しく荒廃したスラムの中心地に分け入った一行が目にしたのは、外周の凄惨な瓦礫の山からは想像もつかない、異国情緒を孕んだ規律ある光景であった。
内側の瓦礫は塵一つないほど綺麗に撤去され、中央にはまるで異国のバザールを思わせる広大な広場が形成されている。そしてその広場を囲むように、数十もの均整のとれた平屋が整然と立ち並んでいた。
目を引くのは、その防衛機能と美観の両立だ。倒壊した巨大な外壁の残骸は、そのまま高さ四メートルを優に超える強固な土塀として再利用されている。注意深く見ると外壁の外側はそのままだが、内側の壁には補強された跡が点在していた。
さらに、かつて大聖堂の内壁を彩っていたであろう上質な石材は、角を綺麗に整え直された上で、二メートルほどの高さの家屋の壁として美しく積み上げられている。
家屋はすべて平屋で、奥行きは約四メートル、幅は約六メートルほどだろうか、見事に等間隔で建造されていた。さらに驚くべきことに、積み上げられた石材の隙間を埋めるように鮮やかな紅柄漆喰が施されており、赤褐色の壁面がスラムの薄暗い雰囲気とは一線を画し、どこか神秘的な陰影を落としている。
一般の住居より低いとはいえ、ケインが見上げる屋根は、頑丈な木材の骨組みに干し草を敷き詰め、その上から砂漠狼の立派な毛皮を幾重にも組み合わせて、日差しや雨を撥ね退けるように綺麗に葺き整えられていた。これは砂漠の民の伝統的な工法で、昼の暑さと夜の寒さに耐え得るきわめて機能的なものである。
建物と建物の間には一メートルほどの緩衝スペースが設けられており、密集しがちなスラムにおいて風通しと防音、そして万が一の火災時の延焼防止の役割を狙ったものだろう。サクヤの街の豪奢な建築物には比べるべくもないが、どことも知れぬ砂漠のオアシスや辺境の村などよりも、よほど上質な住居と言っていいだろう。この様子では、建物の内部が敷石のままということはまずないはずだ。
外からの視線と侵入者を完全に遮断し、崩落した過去の遺産を泥臭くも合理的にリサイクルして創り上げられた、スラムの民の隠れ里。
ケインはその徹底された生活の智慧と、漂う異国の気配に、感嘆の息を漏らすのだった。
「……すごい」
(衛生面や環境面への配慮、それに限られた物資と人材でこれだけの区画整理をやってのけるなんて。現代日本の都市計画の視点から見ても、驚くべき統率力だよ)
〈ああ。それに旧式ではあるが、拠点防衛のイロハも完璧に組み込まれているようだ。入り口の桝形虎口は小振りながら実に見事な出来栄えだ。ただの素人が作れる代物じゃあないな〉
裕翔と次郎の知識を得てケインは改めて感嘆の声を上げた。護衛の者たちもこの光景には心底驚いたようで、それぞれに声をあげる。
「ちゃんとした街がある……良かった」
緊迫した空気から解放されたリムが、ケインの服を握ったままホッと安堵の息を漏らす。
「ケイン様……これは一体……」
シモーヌが驚きに目を見張り、その視線は美しく施された紅柄漆喰の壁に注がれていた。
「スラムに、これほどの隠れ里が存在していたとは驚きですな。曲がりなりにも治安も維持されているようだ」
オーケンが元衛士としての驚きの表情を見せれば、その隣でリュカが頭を掻く。
「凄げぇや。これ、砂漠の街の工法だろ? なんでこんな場所にあるんだ?」
「それだけじゃ、なさそうです。砂漠の街の建物を真似ただけではなさそうですね。辺境の街の建物としては妙に洗練されていますね」
リュカの疑問に、シモーヌが鋭い視線を集落の動線へと向けながら応じた。エルは何も言わなかったが、油断なく周囲の死角を観察している。
六者六様の反応を聞き、シャハムはまんざらでもない表情を浮かべる。
「フン……感心してる暇があったら足を動かしな。爺さんが待ってる」
シャハムの照れ隠しをかねたぶっきらぼうな促しに、一同は再び歩き出した。集落の最北――かつての大聖堂で、もっとも神聖な祭壇があったであろう場所を目指し、案内されるままに整然とした家屋の間を進んでいく。
距離にして数十メートルほどの短い道のりだった。しかし、歩みを進めるにつれ、ケインたちはこの美しく機能的な集落が抱える『不気味なほどの偏り』に気がつき、自然と口数を減らしていった。
――大人が、極端に少ない。
特に、シャハムのような働き盛り、あるいは戦える年代の男性の姿がほとんど見当たらなかった。周囲の土塀の上や物陰で鋭い視線を光らせる、最低限の「兵士」としての役割を持った男たちがいるだけだ。コミュニティの中核を担う壮年期の人間の頭数が足りているようには、とても見えなかった。
成人の女性は男性よりはやや多く見受けられるものの、煮炊きをし、衣服を繕うといった生活のための労働に従事している姿があるだけだった。
そして、この集落で圧倒的な数を占めていたのは、まだあどけない子供たちだった。注意深く辺りを観察していたシモーヌやオーケンが、押し黙ったまま深刻な目配せを交わす。互いに口に出さずとも肌感覚で、この集落の歪さに気が付いたのだ。
一度気付いてしまえば異様な光景はさらに続く。広場の近くで元気に走り回る子供、集落の中ほどにあるテントの下で本らしき物を読む子供、集落の最北で小麦を挽いたり、獣の皮を鞣したりする子供。いずれも少し汚れていたり、華奢に見えてりするが命の危機に瀕しているようには思えない。たがケイン一行の皆は各々が違和感や危機感を感じていた。
(……やはり、この歪さは……。特定の『世代』だけにシワ寄せが……この世界でも、あの冷酷な未来へと向う流れは止められないのか……)
裕翔としての記憶が、現代日本の「世代間の断絶」や「切り捨てられた世代」、「経済の衰退による少子化」といった暗い社会構造の影を目の前の光景に重ねてしまう。今後この街に起こるであろう様々な破綻を思い、ケインの胸は激しくざわついた。
集落の最奥、他の家屋よりわずかに大きな建物の前――敷石の上には、ボロボロの布が幾重にも敷き詰められていた。襤褸ではあるが丁寧に洗濯されているようで、布の傷み具合に反してその表面は清潔に保たれている。
そこだけは子供の年齢が一段と下がり、一歳に満たないような乳飲み子が数人寝かされていた。成人の女性が一人と数人の少女たちが甲斐甲斐しくその面倒を見ている。
(この集落で、なぜこれほど小さな赤ん坊たちが? 本街の人間が産まれたての乳飲み子を捨てているのか?さすがにそれは考えたくないな。だとしたら……そういうことか。それじゃあ、あまり猶予がないね)
ケインの胸に、底知れぬ不安と焦燥が芽生える。ケインたちの背後を守るように、少し距離をとって歩いていたリュカが赤ん坊たちの包み布を見てハッと息を呑んだ。
「ケイン様。赤ん坊の包み布を縛っているあの組紐……サクヤの中町で何度か見かけたやつでさぁ」
「そうなんですね」
「どういう事でしょうか?」
リュカの報告を聞き、シモーヌが表情を険しくしてケインにそっと耳打ちする。だが、それに答える時間はなかった。乳飲み子たちが寝そべる敷布を大きく避けて、最奥の建物へと近づくシャハム。
そこには、周囲の瓦礫から削り出したような粗末な石を椅子代わりに、深く腰掛ける一人の老人の姿があった。その脇には、一人の十歳ほどの少年がぴったりと寄り添い、老人が一振りの古い短剣で黙々と木を削り出しているのを、じっと見つめている。
深く刻まれた皺と白髪混じりの髭、衣服の隙間から覗くのは無数の古い裂傷。かつて戦場を駆けたであろう武人の名残と、幼子を見守る枯淡な静けさが、その老躯には同居していた。
「よし。出来たぞ」
老人が満足げに掲げたそれは、小さな木剣だった。
「ほう……」
ケインから見ても見事なバランスの木剣は、右隣りに立つオーケンが思わず感心の声を漏らすほどの出来栄えだった。老人がその木剣を、待ち兼ねていた少年に差し出す。
「ありがとう、爺ちゃん!」
「よいよい。それは鍛錬用のものじゃ。間違っても友達に向けるでないぞ」
「分かってるって、『剣は守るためのもの』だろ?」
「そうじゃ、そうじゃ。良く覚えておったな。カッカッカ!」
そう言うと、老人は大きな手で力強く子供の頭を撫で回した。
「爺ちゃん、やめろってば!」
少年は抗議の声を上げてはいるが、胸元に木剣をぎゅっと抱きしめ、その表情は笑顔に溢れている。
「またな、爺ちゃん。二段打ちが出来るようになったら見せてやるよ」
「そうか、それは楽しみだ」
少年はそう言うと木剣を握りしめ、楽しげにシャハムの脇をすり抜けて行こうとした。その際、シャハムが少年の頭を軽く小突く。
「痛ってぇ。おかえり、シャハム!」
「おう。剣の鍛錬はいいが、あんまり無理すんなよ」
「分かってるってぇ!」
少年は元気に手を振り返しながら、広場の方へと走っていった。
そんな子供たちとの温かい日常の一コマを見られ、どこか気恥ずかしそうな表情を浮かべたシャハムが、改めて老人の元へと歩み寄る。
「爺さん、連れてきたぜ」
シャハムはいつも通りの荒っぽい口調のまま声をかける。だが、その声のトーンの裏には、老人に対する絶対的な尊敬の念が確かに混じっていた。
老人を守るように左右に控えるシャハムとミナ。その態度だけで、目の前の老人がただの隠居人ではないことを予感させた。
老人は古い短剣に手際よく油を塗り、端切れで丁寧に拭ってから鞘へと収めた。無駄のない手慣れた所作を終え、老人がゆっくりと顔を上げる。
加齢のため白く濁った瞳。しかし、その奥底には、世界の酸いも甘いも噛み分けた果てしない知性と、すべてを見透かすような静かな光が宿っていた。
「ようこそ、捨てられた街へ」
ザハートが声を発した瞬間、先ほどまでの好々爺たる穏やかな雰囲気は完全に霧散し、全盛期の武人を彷彿とさせる圧倒的な覇気が周囲を満たした。
衣服こそ周りの住人と変わらぬ襤褸を纏っていても、その佇まいだけで空間を支配し、周囲を平伏させる絶対的な器の大きさ。
『間違いない。この人こそが、あの秘匿上申書に記されていた――』
ケインは息を呑み、その老人の双眸を正面から見据え返す。
外敵を防ぐ強固な土塀も、機能的な赤漆喰の家々も、すべてはこの老人の意志と統率のもとに築かれたのではないか――そう確信させるだけの威厳が、その老躯には満ちあふれていた。




