傾国の鉄宰 第四十五話 【まずは食より始めよ】 〜ロストジェネレーションって何だ!〜
ケインは、目の前でいまだ涙を堪えている少年──リムに向き直り、静かに問いかけた。
「もしかしてだけど、リムって読み書き計算ができるんじゃない?」
「…はい。一応は働きに出るにしろ、養子になるにしろ『自分を売り込む』には目一杯出来ることを増やせって父さんが、…ボク、頑張ったんです。一生懸命頑張ったんです。でも無駄でした。ボクは誰からも必要とされませんでした」
下を向き 打ちひしがれるリムに、ケインは優しい声で訴えかける。
「無駄なことなんてないさ。……お父さんは、どんな人だったんだい?」
「中町の、小さな商家の三男でした。商売の才能はあったのに、三男だからって理由だけで、ずっと日陰者で……。だからボクには、同じ思いをさせたくないって、夜遅くまで文字を教えてくれたんです。なのに、ボクが下町に落ちるのを防げなかった……。お父さんの教えてくれたことも、ボクの努力も、全部、全部ゴミみたいに捨てられたんだ……!」
今日の惨劇で汚れてしまった少しだけ上等な靴や、サイズが合わず何度も捲り上げられた形跡のある、ボロボロのシャツの袖口――。必死に知識を詰め込んだであろうその小さな体は、厳しい現実を前により小さく縮こまっていた。
(やっぱりだ!世界が変わろうとも状況が同じなら、皆考えることも一緒なのかも、堅実、努力型の人間の素晴らしさだよ)
〈この少年一人のことで答えを出すのは早計だが、この世界でも裕翔たち氷河期世代と同じ事が起きているなら、有能な人材の確保は思いのほか早く進むかもしれないな〉
『変革が早まるかも知れませんね』
突然黙り込んでしまったケインの顔を、リムが恐る恐る覗き込んできた。
また見捨てられるのではないかという恐怖が、その小さな瞳に怯えとなって浮かんでいる。
「……ケイン、さん?」
ケインはゆっくりと意識の焦点を現実へと戻し、目の前の泥まみれの少年に向かって、静かに、しかし確かな意志を込めて微笑みかけた。
その場に片膝をつき、リムと目線を合わせる。
「リム。よく最後まで話してくれたね。辛かったろう」
「ボク……ボクは、もうどこにも行けなくて……」
「大丈夫だ。君の努力は無駄じゃない。誰からも必要とされないなんてありえない。少なくとも僕には必要だ。だから…僕のところへ来てくれないかな?」
ケインはリムの小さな肩に手を置いた。
「ボクが必要…。ホントに?」
三番手として扱われ続けたリムにとって、自分を必要だと言ってくれる人など親兄弟以外に居なかった。嬉しいと思う反面、戸惑いもある。
あの商家の男のように、自分を騙そうとしているのではないか? 傷付いた心から仄暗い感情が漏れ出る。
ここ何年も、大人のみならず、同世代からの悪意に晒され続けたケインには、リムの気持ちが痛いほどよく分かった。
そして…。
『裕翔さん。次郎さん。リムの体からなんか出てませんか?』
(あれ?あんな感じのヤツを前にも見たような…。あれだ!ケイン君と初めて会った時にケイン君の体に絡みついていたヤツだ)
〈あぁ確かに。強さや形状は違うが、確かに雰囲気というか気配はよく似ているな〉
「ハッ!」
思考の世界から舞い戻ると、ケインは周りを窺い見た。
ケインのすぐ右隣に立つオーケンは、いつでも間に入り込めるようわずかに重心を下げて直立している。後方で辺りを警戒するリュカとエルは、路地の入り口と死角を交互に凝視し、プロの警護として一分の隙もない。彼らは少年から立ち昇る黒い靄に気付いた様子はなかった。
だがケインの左隣りに控えるシモーヌからは、わずかな緊張を感じる。その視線は少年の胸の辺りに鋭く注がれていた。
ケインの視線に気づいた彼女は小さく頷いた。
「……」
『シモーヌは精霊を見ることはできませんが感じ取ることができるそうです。何かしらの精霊が関係していそうですね』
闇の精霊の加護を受けて以降、鍛錬の休憩中にマイヤーから精霊に関する座学を受けていたケインは、脳内の二人にそう告げつつ、記憶の引き出しをひっくり返し、目の前の現象にアタリをつけていた。
(そういうことか。確かマイヤーさんが言ってたよね?精霊の中には、人間の強い感情や魔力に引き寄せられる特殊な個体がいるって。特に『負の感情』や『飢餓感』、現状を打破しようとする『強い渇望』は、ある種の精霊にとって極上の蜜になるらしい)
『ええ、リムのあの黒い靄は、彼の絶望と、生きたいという強い渇望に精霊が応えようとしているんだと思います』
〈なるほど。かつてケイン、君の体に絡みついていたのも、理不尽への怒りと渇望だったというわけか。面白い。ケインは実に面白いな。稀少なはずの精霊が周りに溢れている。幸運の女神の祝福でも受けているのか――それとも『精霊王』だったか?その系譜にでも連なっているのではないか〉
『精霊王様だなんて畏れ多いことを言わないでください。次郎さん』
〈これは失礼した。だが手札が増えることはこれからの変革の力になるし、何より興味深く面白くはないかな?〉
『それは…まぁそうですけど』
(次郎さん、遊び感覚では駄目だってさっき言いませんでしたか?)
〈勿論遊び感覚で社会基盤の変革を行うなど言語道断だ。だが楽しんで働ける、行動できるなら、それに越したことはないだろう?〉
(そうですね…)
〈はっははは〉
二人を丸め込んで、ケインの脳内で次郎が高笑いをする。
『まぁいいや。取りあえずは』
こちらを窺うように見つめるリムに、真剣な表情でケインは告げた。
「突然必要だって言われても、信用なんてできないよね?まずは…」
「まずは…?」
「ご飯でも食べない?僕、お腹が減っちゃった。アハハハ」
「え……?」
あまりにも緊張感のないケインの笑い声に、リムは拍子抜けしたように瞬きをした。
次の瞬間、ぐうぅぅ、と、その静かな路地裏に、不釣り合いなほど大きくて元気な音が鳴り響いた。
ケインの腹の虫……ではない。音の震源地は、リムの小さなお腹だった。
「あ……っ!」
リムは一瞬で顔を真っ赤にし、両手でお腹を押さえて俯いた。
張り詰めていた警戒心が、その温かい音一つで綺麗に溶けていく。
「ほらね、リムのお腹も僕と同じ意見だ。さあ、行こう。美味しいものを食べながら、これからの話をしようじゃないか」
ケインは悪戯っぽく微笑んで、少年の小さくも、確かな可能性を秘めた手を引くのだった。




