傾国の鉄宰 第四十三話 【リム】 〜ロストジェネレーション、ふざけた名前つけやがって。
◇三番手の少年リムside◇
『三番手』となったリムの立場は日に日に悪化していった。
近所の目も厳しくなり、外に出ることもなくなったリムに両親は、「子供がいない家か、二人目のいない家に養子に出すように話を進めているから、あと少しの辛抱だ」と言って聞かせた。その矢先に今回の件が起こった。
今日も両親と兄たちは仕事に出ており、リムは扉を固く閉ざして家に籠もっていた。そこに突然、身形の良い、いかにも商家の人間といった雰囲気の男がやってきた。隙間から外を覗くと、扉越しに声が掛かる。
「私はご両親と取引をしている商家のものです。君の引き取り先が見つかりました。今から顔合わせに行きましょう」
「父さんたちは?」
扉をわずかに開き、リムが問いかけると、人好きのする笑顔を浮かべた男は続けた。
「店には連絡をしましたから、後から来ますよ。それよりも早く行かないと、他の三番手の方に居場所を横取りされてしまうかも知れません。この街に、もう三番手の居場所なんてありませんからね……」
男のその言葉に、リムは扉を開けた。
三番手の引き取り手など早々ないことは、リム自身が一番よくわかっていたからだ。
「こんなカッコウでも、だいじょうぶですか?」
不安げに姿を現した少年を一瞥して、男が言う。
「問題ありませんよ。身形を問題にする人などいませんから」
結局、兄からプレゼントされた見栄えの少しだけ良い靴を履いて、リムは男の後に続いた。
「あの……。どこまでいくんですか?」
しばらく歩いてから、リムが男に問い掛ける。
「あと少し先ですよ。流石に街の中心に、君を引き取るようなところはありませんからね」
男の話はもっともだと、リムはしばらく黙って後をついて行った。
「あの……、っ?」
しばらくしてもう一度声を掛けようとした時、リムはあることに気がついた。
(あれ? この人の名前をボクは知らない! 父さんが言っていた商売の基本は挨拶だって、顔を覚えてもらうことが大事だって。商家の人が名乗らないなんて変だ。だまされたのかも。逃げなきゃ!)
幸い男は前を歩いており、こちらの動きに気がついていない。
(今だ!)
辻に差し掛かったところで、角を曲がり走り出すリム。
次の瞬間、大きな衝撃を受け、リムの体は転がり草のように地面を転がった。
「うっ……! な、何が……」
痛む体を何とか起こし、辺りを見回す……必要はなかった。目の前に目つきの悪い男が、リムを見下ろすように立っていたからだ。
「ご、ごめんなさい。ボク、きちんと前を見ていなくて……」
とにかく、この場を早く離れなくては。焦る気持ちを飲み込んで、リムは立ち上がると目の前の男に謝罪をした。
「お前が謝る必要なんてねぇよ」
見た目に反して良い人だったのだろうかと安堵し、お礼を言って立ち去ろうとリムが口を開く前に、目の前の男が下品に笑う。
「お前がぶつかったんじゃねえよ。俺が蹴り飛ばしたんだからよ」
「えっ?」
呆然とするリムの視線の先で、路地の影からさらに三人の男たちがにやにやと笑いながら姿を現した。
(なんなの? どうしたの?)
混乱するリムの背後から、聞き覚えのある声がした。
「チッ……。意外と早く気付いたな」
振り返ると、先ほどまで前を歩いていたはずの、あの物腰の柔らかだった商家の男が歩いてくる。人好きのする笑顔は跡形もなく消え去り、今は苛立った冷酷な表情を浮かべていた。
「悪いね、旦那。俺の勝ちだ。旨い酒を頼みますよ」
蹴り飛ばした張本人である目つきの悪い男が、商家の男に声をかける。
商家の男は、衣服についた埃を払うような仕草をしながら、リムを見下ろした。
「わかった、わかった。まったく、中町のガキにしては勘が鋭い。もう少し泳がせて、自力で下町に放り込む予定だったのだがね。まあいい、『お遊び』はここまでにしよう」
「お、お遊び……? ボク、養子に行く仲介をしてもらうんじゃ……」
恐怖で震えながらも、わずかな希望にすがるリムの言葉を、荒くれ者たちの下劣な大爆笑がかき消した。
「ハハハ! 養子だってよ! おいおい、どこの物好きが間借りの露天商ごときの『三番手』のゴミ屑を引き取るんだよ!」
「お前のとこの家族が処分を『少し待ってくれ』とか言いやがるから、俺たちが仕方なく、代わりに下町の肥溜めに捨てにいくんだよ。感謝して、はした金でもよこしやがれ」
荒くれ共が容赦のない言葉を叩きつけてきた。
「そんな……父さん、母さん、兄ちゃん、ボク……っ、うちに帰りたい!」
きびすを返し、中町へと全力で駆けだすリムだったが、一瞬にして目の前にあの目つきの悪い男が現れた。
今度は、自分が蹴り飛ばされた瞬間がハッキリと視界に映った。
「グハッ……!」
痛みでもなく、恐怖でもない。今まで親兄弟と共に普通にあった世界が崩れ去る絶望に、リムの瞳から涙が溢れる。
しかし、男たちに同情の欠片もなかった。彼らにとって、居場所のない『三番手』の子供をいたぶり、下町へ遺棄する作業は、ただの退屈しのぎの娯楽に過ぎないのだ。
「よし……、じゃあ『ドブネズミ追い』の開始だ! おいガキ! 俺たちから死に物狂いで逃げてみろ!」
男の一人がリムの足を乱暴に掴み、兄から貰った大切な靴を剥ぎ取った。
「やめて! 返して!」
「うるせえ! 走れ、ドブネズミ! お前もしかして、自分が殺されないとでも考えているのか? お前の命が守られてたのは昨日までの話だ。三番手になったお前に、命の保証なんてないんだよ。……まぁ、いい。俺たちから逃げ切れたら、この靴は返してやるよ!」
「あがっ!……あっ、は……ぐらぁ!」
背中を強く蹴られ、息もできずにリムはぬかるんだ下町の泥の中へと転がった。全身が泥まみれになりながらも、必死に立ち上がって走り出す。後ろからは、猟犬のように不気味な笑い声を上げながら追いかけてくる男たちの足音。
(逃げなきゃ、逃げなきゃ……!)
裸足の足に木片や石が刺さり、激痛が走る。息が切れ、視界が涙で歪むなか、リムは必死に下町の入り口へと向かって走った。だが、子供の足で大人の男たちから逃げ切れるはずもなかった。
追いつかれては腹を殴られ、尻を蹴られ、そのたびにへたり込むリム。
「ひひっ、終わりだ。まぁまぁ楽しかったな。じゃあ仕上げといこうか」
一人の男が、にやつきながら手のひらを突き出す。
『水球攻撃』
水の塊がリムに激突する。本気で打ち込まれていれば子供のリムなら致命傷になりかねない魔法だったが、かなり手加減されていたようで、全身を激しく打撲するだけで済んだ。
「規約通り、『最小限度の暴力』で駆除は終了、ってことでいいよな?」
商家の男が確認するように声を出すと、他の男たちは大仰に頷いた。
「ああ、俺たちは何もしてねえ。逃げようとしたガキが、勝手に転んで泥まみれになっただけだ。このまま下町に放り込めば、一生孤独なドブネズミの完成だな」
「イッヒッヒ。一生と言っても、今日を生き残れるかも分かりやせんがね」
ひとしきり笑うと、男たちはリムを掴み上げ、引きずるように街を進んだ。
ここでようやく、リムは周りの異状に気がつく。
下町にほど近いこの辺りでも、人通りが絶えることはない。それなのに、リムたちの異常な光景を咎める者は誰もいなかった。この辺りの人々にとって、この光景はよくあることなのだろう。皆が関わり合いになるのを恐れて目を背け、足早に去っていった。
そしてついに、リムは下町の中ほどにまで連れてこられてしまった。
「おい。靴を返してやれ」
「えっ? 返すんですか?」
「俺たちは泥棒じゃない、管理者だからな。そんな安物の靴より、金額の張る酒を飲みに行くぞ」
「そいつはいいや。ほらよ!」
投げつけられた靴を、リムは震える手でなんとか履くことができた。
(靴を盗らないんだ……。本当に、ただルールとしてボクを追い出したんだ……)
リムは最後の希望にすがり、声を絞り出す。
「お願いです。お願いですから見捨てないでください! どんな仕事でもします、ご飯だって今の半分でいいんです。だから、家に……うちに帰らせてください!」
もちろん、その願いが聞き入れられることはなかった。
わずか十年と少しを生きた少年は、無慈悲に下町へと打ち捨てられた。




