傾国の鉄宰 第四十一話 【下町からスラム街へ】 〜ロストジェネレーションって何だ!
「ケイン様、あの子供はどうしやす? 数人の若いハイエナどもに目を付けられたようですが……」
ケインたちの一番後方で周辺を警戒するリュカの低く、小さく抑えられた声が耳元の通信魔道具から聞こえてきた。
地面に倒れ伏したままの少年の周りを、飢えた目をぎらつかせた若者たちが、じりじりと距離を詰めながら取り囲んでいく。武器の所持は分からないが、例えまともな武器は持っていなくとも、数の暴力と「生きるための執念」はそれだけで脅威だ。
〈ここでの戦闘は下策だ〉
(せっかく目立たないように変装までしたのが、台無しだもんね。…って言うか、この状況で三人で勝てるの?)
〈それは問題ないだろう。増援もある。…他にも加勢がありそうだ。負けはしない〉
(負けないんだ。…ケイン君の周りの人達って、本当に凄いんだね)
『目立つのは駄目です。でも…でも、あの男の子を見捨てるなんて絶対にできない…』
ケインは焦る思考の中で、先ほどポケットに仕舞った小さな瓶の存在を思い出した。リュカに念押しされた、例の『臭水』だ。
「……オーケン、シモーヌ。あの子を助けたい。でも、僕たちの素性がバレるような騒ぎにはしたくないんだ。……これ、使えないかな?」
ケインが手のひらの中の小瓶を見せると、自分の考えを端的に述べた。オーケンは主人の意図を察し、その鋭い目をさらに細めた。
「なるほど、妙案です。シモーヌ殿、ケイン様をお願いします。リュカ殿、風の魔道具でガルドたちに連絡を。その後私が合図したら、あの子供の周囲に“刺激臭”がすると吹聴してください。…それと私が風を吹かせますので、全員可能な限り臭いを嗅がないように。彼に近づく時はできる限り呼吸を浅くするようにして下さい」
オーケンはケインから小瓶を受け取ると、それまでの穏やかな雰囲気を消し去り、下町の荒くれ者に相応しい、粗暴でドスの利いた足取りで歩き出した。
「おいおいおい! どきやがれ、ガキども!」
オーケンは大声を張り上げながら、少年との距離を縮め取り囲もうとしている若者たちの間に割って入った。その手には先ほどまで背負っていたショートソードが鞘に収まったまま握られている。抜き身ではないとはいえ鉄塊の棒だ、殴られればただでは済まない。下卑た笑いを浮かべるオーケン。完全に「獲物を横取りしに来た質の悪い用心棒」の演技だ。
「ひっ!?」
「なんだ、お前は……!」
若者たちがオーケンの放つ、本物の戦士の威圧感に一歩引く。その隙に、オーケンは泥まみれの少年の襟首を乱暴に掴み上げ、周囲に見せつけるように怒鳴り散らした。
「チッ、大通りの商家の倅が連れてきたから獲物かと思えば、服も安物だな。何だ薄汚ぇ三番手のハズレじゃねぇか! 期待させやがって!」
その罵声と同時に、オーケンは少年の背中に、小瓶の液体を一本、素早く振りかけた。
直後、その場に凄まじい「異臭」が爆発的に立ち込める。少し離れた場所で周辺を警戒していたリュカがオーケンの言動に合わせて大声で騒ぎ立てる。
「ぶ、ふぉっ!? うわあああ、なんだこの臭いは!?臭ぇ〜!これは我慢ならん」
大声を出すリュカに注意が向いたところで、オーケンが纏うボロ布を器用にはためかせると同時に生活魔法の『微風』を唱える。竈の火起こし位にしか使い道のない魔法だが。なぜかオーケンはその魔法に習熟していた。
微風は微風、故に誰にも気付かれず警戒されずにじわりと厄災を運ぶ。次の瞬間…。
「くっさ! ゲホッ、ゴフッ……なんだこの臭い!?」
まともに微風を受けた若者たちが、一瞬で顔を青ざめさせ、嘔吐しながら激しく咳き込んだ。
一滴使えばカビと濁った体臭と汗の乾いた臭いを発する臭水である。
一本丸々使えば――それは肥溜めと腐肉を混ぜ合わせ、さらに凝縮したような、筆舌に尽くしがたい地獄の悪臭となった。並の人間ならば気絶してもおかしくない破壊力だ。
青ざめる若者よりも慌てたオーケン(演技)が声を荒げる。
「畜生! こいつは伝染病持ちだ! 水疱が潰れて、死臭が出たんだ。身体が腐りかけてやがる!」
オーケンの台詞を受けて、リュカが不安を煽るように更に声を張り上げる。
「さっきの奴らめ!それを知っていたから下町に捨てていきやがったんだな!」
下町の住人にとって、最も恐ろしいのは治療法のない悪性の伝染病だ。この世のものとは思えない悪臭を放つ少年を前に、ギラギラしていたハイエナたちの目は一瞬で恐怖に染まる。蜘蛛の子を散らすように路地裏へと逃げ去ろうとする住人をオーケンが一喝する。
「狼狽えるんじゃねぇよ!!気に入らねぇなぁ。病原を街中に捨てる『街の人間』も、それを受け入れて逃げ惑う『三番手』のお前らも」
「………」
「※※※」
「―――」
通り一帯に不穏な気配が渦巻く。
(オーケンさん煽り過ぎだよ)
〈看板役者ばりの演技が災いしそうだな〉
「あぁ、糞。貧乏くじだ。おいお前、門を通らずに街の外に出られる場所を教えろ!」
少年を取り囲もうとした若者の一人にオーケンが問う。話の飛躍に戸惑う若者。
「…?…!何のことだ…」
「そういうのは時間の無駄だ。俺がこいつを街の外に――捨ててきてやるって言ってんだよ!早く答えろ!!」
「ひっ!?そそ、そこの角を曲がった奥。スラムのどん突きに街壁に亀裂があるらしい」
「角を曲がって突き当たりだな」
そう確認するとオーケンは自らの口と鼻を素早く清潔な布で覆い、強烈な臭気で気絶しかけている少年の身体を軽々と掴み上げた。
歳若く軽いとはいえ、少年一人の体をまるで薄汚れた塵袋を持つかのように、軽々と片腕で持ち上げるオーケン。その汚いモノに極力触れたくないと言わんばかりに腕を伸ばし、少年をぶら下げたまま平然と歩き出す並々ならぬ腕力に、周囲の者たちは完全に声を失った。
そんな周りの反応など気にも留めず、汚いモノを運んでいるように顔を顰めながら、オーケンはスラム街へと足を向けた。
◇ケインside◇
「ケイン様、今のうちに!」
シモーヌに背中を押され、ケインは涙目になりながら(一滴だけなのに、風上までわずかに漂ってくる臭いが凄まじかったのだ)オーケンより先にスラムに続く角を曲がる。いつの間にか近づいていたリュカが、二人の背後をカバーするように滑り込んできた。
リュカは素早く風の魔道具を起動すると、声を潜めて割り切るように告げた。
「予定とだいぶ違いやすが、このままスラム街に入りやす。中通りに戻れるのは、人目に付きにくい深夜になると思いやす。距離があくので風の魔道具は使えなくなりやすぜ。ガルド、帰還時の下町からの安全な路地誘導を頼みますぜ!」
『ああ、分かった! こっちの事は任しておけ。それと、エルがそっちに向かったぞ』
通信の向こうから返ってきたガルドの言葉に、リュカが小さく安堵の息を漏らすのが分かった。
「スラムで夜を迎えるとなると、何が起こるか分かんねぇからなぁ。夜眼が利く猟師のエルがいてくれるのはありがてえ。……じゃあ、また夜に」
『あぁ、また夜に。下町に迎えに行くよ』
頼もしい通信が切れると同時に、背後から悪役を演じきった男の影が近づいてきた。強烈な異臭を放つ少年を軽々と掴み上げたままのオーケンだ
さらにそのすぐ後ろ、建物の屋根から音もなく飛び降りてきた人影が一礼し、声を上げる。
「――遅くなりました、ケイン様」
音もなく着地したのは、短い髪を揺らしたエルだった。
エル――中通りの露店街に入ったあたりから姿を消し、密かに遠距離からの警護に徹してくれていた弓士の少年だ。短剣を腰紐にさげ、市街戦に備えた小振りの弓を背中に背負っている。
「まだ昼過ぎですかぁ。長い一日になりそうでやす」
「えぇ」
「あぁ」
リュカの言葉にシモーヌとオーケンは若き主を見ながら深く頷いた。




